ブリトン人とは?歴史や文化を探る!イギリスのケルト系民族の話

ブリトン人について見ていきます。イギリスのグレートブリテン島にいたケルト系民族ブリトン人の歴史や文化とは、どういったものだったのでしょうか?

現在のイギリスは、4つのカントリーと呼ばれる国、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドが連合を組んだ体制で運営される連合王国ですが、異なる国が存在するのと同様に、イギリスの歴史の中では異なる民族が存在してきました。

その民族の1つで、イギリス史上において、イングランドの主要民族であるアングロサクソンに並んで重要な民族と言えるのがブリトン人。

ケルト系民族の流れを組むブリトン人は、その後にウェールズ人、スコットランド人、アイルランド人の形成にも影響を与えていくなどしたのです。

このブリトン人とは一体どういった人々だったのでしょうか?

記録がそこまで残っていないことから多くの謎に包まれているブリトン人に関して、その概要から彼らが話していた言語や有していた文化についてまでを見ていきたいと思います。

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ブリトン人とは?

ブリトン人とは、「ケルト系ブリトン人」または「古代ブリトン人」としても知られ、少なくともイギリスの鉄器時代に含まれる紀元前5~3世紀頃から中世まで、グレートブリテン島(北アイルランドを除いたイギリスの大半が位置する島)に住んでいたケルト系民族

(出典:Alchetron

ブリトン人は元々、ヨーロッパ大陸からそのほとんどがイギリス海峡を横断してた人々で、鉄器時代にブリテン島に移住してきました。

また、それによって同地には、ブリトン人の言語、文化、遺伝子がもたらされたとされています。

(※ただし近年、学者によってはこの伝統的見解を否定し、「ケルト系言語は青銅器時代に大西洋沿岸地域沿いに北方へ広がった」という説を主張して論争となっている)

ブリトン人の名称の起源

グレートブリテン島の住人について言及した現在知られる最古の資料は、紀元前330年~320年にブリテン諸島各地を探検する航海の旅に出たギリシアの地理学者ピュテアスが残した、紀元前4世紀の航海記録です。

ピュテアス自身が記した資料は何も現存していませんが、ローマ帝国時代の文筆家がピュテアスの記録について数多く言及していることから、この資料が最古の物だと考えられています。

ピュテアスはブリテン諸島を集合的に「hai Brettaniai」と呼び、それがブリテン諸島(Brittanic Isles)と翻訳され、ブリテン諸島に住んでいた人々は、プリタノイ(Prettanoi)やプリタニ(Priteni、Pritani、Pretani)と呼ばれました。

そのため、これが最終的には現在のブリトン人の名称となっていく「起源」であると考えられます。

他の民族によるブリトン人支配

ローマ人による支配

ブリトン人とその言語についての最古の歴史資料は鉄器時代にまで遡りますが、この鉄器時代にあたる西暦1世紀ごろ、ローマ帝国がブリトン島を征服した結果、ブリトン人はローマ人の支配下に入りました。

このローマ人の支配時代には、ブリトン人の間でローマ・ブリトン文化が誕生しています。

そして、ローマ時代およびローマ時代後、ブリトン人の居住地はブリトン島全土に広がっていきました。

アングロサクソンによる支配

5世紀および6世紀になると、グレートブリテン島へ今度はアングロサクソン人の移住が始まります。

それに加えて、ブリトン人と同じケルト系のゲール人が現在のスコットランド周辺に住んでいたこともあり、ブリトン人の言語文化は分断され、ブリトン人の土地の大半は、徐々にアングロサクソン人とスコットランドのゲール人に奪われていきました(ブリトン人の一部も融合していったことで現在のスコットランド人が形成されていった)

人口の観点からみた大規模な人の移動による変化が、この文化的、言語的変化にどの程度の影響を及ぼしていたかについては未だに諸説あります。

この時代、ブリトン人のなかにはヨーロッパ大陸へ移住し、現在のスペインのガリシア地方に築いたブリトニアとともに、ブルターニュ地域(現在のフランス)やチャネル諸島に重要な植民地を築いた者達もいたと考えられています。

より細かいグループへ分岐していったブリトン人

このように、グレートブリテン島にいた他の勢力の影響もあったことで、11世紀初頭までにブリトン人の集団は、個別のグループ、つまり、

  • ウェールズ人(ウェールズ)
  • コーンウォール人(コーンウォール)
  • ブルトン人またはブルターニュ人(ブルターニュ)
  • カンブリア語を話す人々(スコットランド南部およびイングランド北部のヘン・オグレット)
  • ピクト人(スコットランド北部)

へと分裂していきました。

そして、現在のイギリスを構成するカントリーの1つウェールズの多数派であるウェールズ人を始め、他にも現代スコットランド人の形成や北アイルランド人に住むアイルランド人が形成されていく過程ではブリトン人も融合していったなど、ブリトン人はイギリスにおいては欠かせない存在となっていったのです。

ブリトン人の言語と文化

ブリトン人が話していたブリソン語

ブリトン人は、共通ブリソン語として知られる言葉を話していたと言います。

この共通ブリソン語は、紀元前7世紀にヨーロッパ大陸からブリテン諸島に持ち込まれ、発展してきたケルト祖語の島嶼ケルト語(ケルト語派のうちブリテン諸島を起源とする言葉)から派生した言語です。

共通ブリソン語はやがて枝分かれし始め、その後の発展に沿って「西ブリソン語」と「南西ブリソン語」という大きなグループへ分かれていき、それぞれは、

  • 西ブリソン語
    • ウェールズ語
      • ウェールズで話されている
    • カンブリア語
      • ブリテン島のヘン・オグレッドまたはオールド・ノース(現在のイングランド北部およびスコットランド南部)で話されていた
  • 南西ブリソン語
    • コーンウォール語
      • コーンウォールおよびイングランド南西部で話されてきた
    • ブルトン語(ブルターニュ語)
      • 現在はフランスのブルターニュを始めとした一部地域で話されている

へと、さらに細かく分かれていきました。

The Sound of the Breton Language (Numbers & Sample Texts)

(ブルトン語の動画)

また、中世初期にスコットランドにいたピクト人達は、ケルト系のピクト語を話していたと言いますが、このピクト語は固有のケルト語系言語というよりはむしろ、共通ブリソン語から派生したとする見方が主流です。

ちなみに、ウェールズ語とブルトン語(ブルターニュ語)は現在も存続していますが、カンブリア語とピクト語は12世紀に消滅。

コーンウォール語は19世紀までに一度消滅しましたが、20世紀以降は復活運動の対象となっています。

ブリトン人の文化

グレートブリテン島に住んでいたブリトン人が、どのような文化を持っていたのかについてはまだ謎なところが多く、詳しくは分かっていません。

しかし、鉄器時代のケルト芸術がブリテン島に到来したのは遅かったものの、紀元前300年以降、ブリトン人達は一般に、大陸にいた他のケルト民族達と同じまたは非常に近しいケルト文化の慣習を有していたと考えられています。

その後、グレートブリテン島へローマ人の入植が始まっていくと、ローマ文化の影響によってブリテン島のブリトン文化はそれまでのものとは異なる特徴を有するようになり、この時代の文化はローマ・ブリトン文化と呼ばれるものへ変容していきました。

ちなみに、この時期まで、ローマ帝国の征服より以前に、ヨーロッパ大陸ではケルトの文化的スタイルは廃れてしまっていたと言います。

一方で、ブリトン文化の隠れた影響は、ローマ時代の芸術品に見ることが出来ます。

そして、ローマ時代後期からローマ時代後にかけてアイルランドへと伝わり、ここから中世初期の「島のケルト文化」が派生していくのです。

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ブリトン人とは?歴史や文化を探る!イギリスのケルト系民族の話のまとめ

ブリトン人に関して、その概要から歴史、そして言語や文化までを紹介してきました。

最後に「ブリトン人」に関してのちょっとした豆知識を紹介。

英語において、

  • ブリトン人(Britons)」
  • ブリティッシュ(British)」※現在はイギリス人という意味

は何世紀もの間、元々、古代ケルト語派のブリトン人とその子孫、具体的には、古代ブリトン人の後継者と見なされているウェールズ人、コーンウォール人およびブルトン人(ブルターニュ人)のことを限定的に意味する単語でした。

しかし、1707年合同法が制定された後、「ブリトン人」と「ブリティッシュ」は、徐々に、イングランド人、スコットランド人、少数の北アイルランド人をはじめとするグレートブリテン王国に居住するすべての人を意味する言葉に変化していったのです。

そのため、英語ではブリトン人を指すに当たって、単純に「Britons」ではなく、「Celtic Britons(ケルト系のブリトン人)」と表記する場合が多くあります。 

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