カレーの歴史と発祥地や起源を確認していきます。実はかなり複雑な起源を持っているカレーの歴史を追っていくと、当時の世界で起こっていた政治の流れが見えてくるんです。
現在世界中で愛されているカレー。
一般的にはインドや南アジア地域が、カレーに関する全ての発祥地または起源だと思われがちですが、詳しく見ていくとそうでもないことが分かってきます。
さらに、カレーが世界に広まった歴史を見ていくと、当時の世界で起こっていたパワーバランスや世界政治を色濃く反映したものであることが分かります。
そんなカレーについて、発祥地や起源についてまずは簡潔に結論を出し、その後に、カレーが世界中に広まることになった歴史を追いながら、当時世界で起こっていた政治の流れを感じていきたいと思います。
カレーの発祥地や起源とは?
「カレー」とは一般的に、インド発祥または同地域の料理に使われている特徴的なスパイスを使った料理全般のこと。
そのようなスパイスが使われて作られたヨーロッパ系の料理や、東南アジアの料理、または「日本のカレー」なようなものも合わせて「カレー」と呼びます。
つまり、「カレー」には一辺倒の料理だけでなく、特徴的なスパイスを使っている限り様々な料理が含まれるわけで、料理一品ずつを考えた場合、それぞれの発祥地または起源は異なると言えるのです。
しかし、現在世界中で愛されているカレーは、大抵の場合、インド発祥のスパイスを使っているため、その点ではインド発祥と言えるかもしれません(※一部、インド発祥のスパイスを使っていなくても、同じように多くの香辛料を用いた料理はカレーと言われるものもある)。
一方で、言葉としての「カレー(Curry)」は、歴史的にイギリス人によって世界中に紹介されたことを考えれば、イギリス発祥ということになります。
つまり、カレーの発祥地または起源の結論としては、
- 各料理を軸に見たカレー
- 起源または発祥地は様々
- ヨーロッパのものもあれば日本のものもあったりする
- スパイスを軸に見たカレー
- 多くのものがインドまたは南アジア地域発祥
- カレーという言葉
- その起源はイギリス人に遡る
と言えるのです。
インドや南アジアの家庭ではカレーという名称はあまり使われていない
実際に、インドや南アジア地域の家庭で、カレーという言葉はあまり使われておらず、「カレー」という料理は、インドやパキスタン、ベンガル地域、スリランカの一般的な家庭で見かけることはほとんどありません。
インドは28の州で構成されているわけですが、そのほとんどが独自の郷土料理を持っています。
具体例を挙げるとと、カレーとして一般的にイメージされる煮込み料理は、サーグ、サンバール、コルマ、ダールなど、それぞれに固有の名称があります。
このように、インドや南アジア発祥のスパイスを使った様々な料理を指す「総称」として、「カレー」という言葉が一般的に使われるようになったのであり、また、インドや南アジア地域で現地人がカレーという場合は、外国人向けに便宜上、彼ら独特のスパイスを使った料理全てをカレーと言っている場合がほとんどなのです。
もっと詳しくカレーを理解するために「カレー」という言葉の歴史と起源を探っていくと見えてくる当時の世界政治
カレーの発祥地や起源は、視点を変えるとそれぞれ異なることが分かったかと思いますが、そんなカレーの歴史をもっと詳しく知るために、「カレー(Curry)」という言葉が生まれ、その後、世界中にカレーが広まった背景について深堀りしていきたいと思います。
そのルーツを辿っていくと、商人、奴隷船、労働者、開拓や植民地化など、政治的な側面が見えてきます。
早速、確認していきましょう。
「カレー」の起源に関する一つの説は英語のCury
カレーという言葉の起源に関しては、主に二つの説が存在しますが、その一つ目は13世紀に使われた「Cury」という古いイギリスの言葉が元になったと言うもの。
(リチャード2世)
1300年代後半、当時のイングランド王であったリチャード2世は、180人以上の料理人や知識人を招集して、「The Forme of Cury」というイギリス料理の本を作り、その本には196のレシピが掲載されていました。
この本にある「Cury」という言葉は、フランス語で「料理する、煮る、グリルする」という意味を持つ「Cuire」を元にして作られ、「料理」を意味する言葉として採用されます。
そして、本が出版された後、「Cury」は当時のイギリス英語の単語の一つとなり、特に「シチュー」と結びつけられるようになりました。
一方で、この本に掲載されていた196のレシピのいずれにも、インドのカレーと共通する点はないため、現在用いられている「カレー」という言葉の直接的な起源になったとする説に対しては、懐疑的な意見が多く出ています。
「カレー」の起源として有力な説はタミル語のKari(カリ)
そして、カレーという言葉の起源とされる主な説の2つ目で、現在最も有力だとされるものは、タミル語の「Kari(カリ)」という言葉が起源となったとする主張。
(当時のインドに入植したポルトガル人文化を今に伝えるボンジェズ教会)
1498年、ポルトガル人は当時の世界で最も貴重な食品であったカルダモン、クローブ、ブラックペッパーを求め、椰子の木がそびえ立つインドの西海岸に渡りました。
そこで出会った、「スパイシーでココナッツによってとろみをつけたシチュー」を表現するための言葉がなかったため、タミル語の「Kari(カリ)」を元にして、「Carel(カレル)」と言う言葉を作ります。
イギリス東インド会社によって世界に広まる
それから月日が流れ、1600年にイギリス東インド会社(アジア貿易を目的にイギリス国王の許可の下で設立されたイギリス人による会社)が設立され、一世紀もならないうちに、イギリス人達は同地域の貿易をポルトガル人から勝ち取ります。
そして、この勢力図の変化と共に、ポルトガル語の「Carel(カレル)」は、英語では「Curry(カレー)」と発音されるようになっていったのです。
当時の「Curry(カレー)」は、地元のコックによって調理される多様なスパイス風味のシチューを意味する言葉として使われるようになり、イギリス人開拓者の慣れない舌に合うようアレンジされていたといわれています。
また、その後にカレーがイギリスで広まった大きな理由として挙げられるのが、同地域に定住して、あまりインドとポルトガルを行き来することがなかったポルトガル人に対して、当時のイギリス人官僚達はイギリスとインドを数世紀に渡り行き来する生活をしていたという点。
イギリス人官僚達がイギリスへ戻った際、植民地流のおもてなしとして「インド」カレーを来客の席で提供することが、当時はステータスだったようなのです。
このように、イギリス人は頻繁に自国へ帰り「インド」カレーを周りに紹介していった結果、19世紀半ばともなると、カレーのレシピが掲載された料理本が多く出回ったり、また、いわゆる薬局のようなお店では、カレーのスパイス(カレー粉)が日常的に置かれることになりました。
この時点でカレーは、正式にイギリス料理の仲間入りを果たしたと言えるでしょう。
ちなみに、当時はすでに、イギリス独自のカレー料理が作られていたようで、玉ねぎ、りんご、スープストック、カレー粉とともに肉を煮込み、ルーでとろみをつけ、クリームを加えて仕上げるレシピなどが存在していました。
イギリスの植民地にも広まる
一方、インドでは、イギリスの会社が「The Empress」などといった名前のカレー粉を製造していました。
そして、このイギリス会社製のカレー粉は、イギリスの主婦のみならず、当時、世界中にあったイギリス植民地の人々に対しても販売されていきます。
(イギリスの植民地だったモーリシャス)
さらに、1833年に成立した奴隷制度廃止法によって、各植民地でそれまで農園などで働いていた奴隷が自由を得て解放されていくと、現地では労働力不足の問題が浮き彫りになります。
そこで労働力不足解決のために、イギリスは以降80年近い間、のべ150万人のインド人を、年季奉公労働者としてモーリシャス、フィジー、南アフリカ、ガイアナ、そしてカリブ海のサトウキビ畑やゴム園に送り出します(※これがアフリカの国なのにモーリシャスにはインド系住民が多い理由)。
この時、給料やその他の食料と一緒にイギリス会社製のカレー粉も持たされて運ばれたため、イギリスの植民地を中心に、「カレー」が広まるきっかけとなったのです。
イギリスのアジア進出と共にアジア地域へも広まる
そして、当時、イギリスが行っていた商売でも特に大儲け出来た中国へのアヘン密輸のルートを確実なものにして守るため、1789年から1867年にかけてイギリスは、マレーシアのペナンとマラッカ、そしてシンガポールに海峡植民地(東西交通の要衝マラッカ海峡に面しているマレー半島に置いたイギリスの植民地)を設けます。
(シンガポールの創設者トマス・スタンフォード・ラッフルズ)
この時、アヘンの密輸とともにカレー粉も各地を転々としたと言われ、カレーはアジア各地で瞬く間に人気となりました。
香港ではチェフたちがカレー粉で味付けをした春雨炒め「Gah-lay(ガーレイ)」を生み出します。
また、タイでは「(Kaeng)ゲーン」と呼ばれる、タイ伝統のカレーのような料理がありましたが、イギリスのカレー粉の普及により、今日イエローカレー(タイではKaeng Kari)として知られる料理が普及しました。
ヒンズー教や仏教とともに、1,000年以上も前にインドの商人と共にタイへ持ち込まれていたため、カレーのスパイスはタイの人々にとって決して目新しいものではありませんでしたが、「カレー」という言葉は、イギリスの影響で初めて広まったのです。
日本のカレーの歴史:カレーライスが人気になった裏側
イギリス人は引き続き、行く先々にカレー粉を運び、次なる地は日本となります。
1886年、江戸城が明治天皇に明け渡され、200年以上続いた鎖国による貿易制限からの開国が、日本人の西洋料理への興味を高め、そこにはカレーも含まれていました。
日本においてカレーが庶民食になったきっかけは富国強兵施策が理由か?
後に「カレーライス」と称されることになる日本のカレー料理とその人気は、軍国主義の出現と軍隊の発展と共にあったと考えることが出来るようです。
明治政府の下で富国強兵政策が取られ、軍人を鍛えるために高たんぱく質で栄養価の高い料理を提供していく必要が生じます。
そこで、りんごやはちみつなどで甘みをつけ、固めの肉類でも煮込むことで美味しく食べられるカレーライスは、栄養摂取のためには非常に都合の良い食事でした。
結果、カレーライスは海軍や陸軍の食堂には欠かせないものとなり、日本軍が世界的な軍力を誇るまで成長する過程に、陰ながら貢献したとも考えられ、日本でカレーライスが現在のポジションを得たのは、当時の富国強兵政策が大きな役割を果たしたと言えるのです。
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カレーの歴史と発祥地や起源|見えてくる世界政治と世界史の裏側のまとめ
カレーの発祥地や起源、そして、カレーが世界中に広まった歴史を見てきましたが、そこには、当時の世界で起こっていた政治が多いに関係したいたことが分かります。
カレーは世界中で愛され、日本人も大好きな食事である一方、カレーの歴史を掘り下げていくことは、当時大きな力を持っていた列強イギリスの覇権を知る術にもなるんですね。
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