ネパールの有名人|歴史的な宗教家から現代に活躍する女優まで

ネパールの有名人を12名紹介していきます。歴史的に名前が知られる宗教家や政治家、他にも詩人や英雄を始め、現代に活躍するアスリートや女優までを見ていきましょう。

中国インドという二つの大国に挟まれる小国ネパールは、両国の影響を受けながらも独自の文化を長い歴史の中で育んできました。

そして、この歴史の中でネパールは、宗教家、政治家、天才的な詩人など、同国だけでなく世界へも強い影響を与える人物を含む、数多くの有名人を生み出してきました。

この記事では、そんなネパールが世に送り出してきた有名人の中でも、知っておきたい12名をピックアップして、それぞれ簡単に紹介していきます。

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ネパールの有名人1:ガウタマ・シッダールタ(釈迦)

おそらく最も世界的に良く知られたネパール出身の有名人と言えば、「釈迦」として知られるガウタマ・シッダールタ。

シッダールタは紀元前624年から紀元前563年の間に、ネパールのルンビニで生まれた仏教の開祖。

仏教は「目覚めた人」または「悟れる者」を意味する「仏陀」として知られるようになったシッダールタの教えを基にした宗教です。

伝承によれば、シッダールタは30歳で裕福な暮らしを捨て、その後何年もの間、無私(私心・我利・我欲・エゴなどの「自分のため」といった感情がない状態)と瞑想に集中し、そしてある日、彼は菩提樹の下で悟りを開き、その後に仏陀となりました。

これ以降、仏陀は悟りの境地である涅槃に達するという目標とともに、弟子たちに自らの信念を伝え続け、紀元前544年から紀元前483年の間にクシナガラで亡くなりました。

彼の教えは今も、世界中の人々の生活に影響を与え続けています。

ネパールの有名人2:アマル・シンハ・タパ

アマール・シンハ・タパ(1751〜1816年)は、1814年から1816年まで続いたグルカ戦争(英・ネパール戦争)中にネパール軍の将軍を務めたネパールの国民的英雄の一人。

(出典:wikipedia

この戦争は、イギリス東インド会社に対する戦争で、国境紛争と領土的野心が原因で起きたとされます。

最終的にはイギリス側の勝利となりましたが、この戦争の中で起きた小規模な戦いでタパ将軍に率いられたネパール軍は大活躍し、イギリスを何度も追い詰めたのです。

一方で、アマール・シンハ・タパは宗教面でも貢献したことで知られます。

ガンジス川の女神に寄せて、インドのシャム・ダム・ヤトラの一部に寺院を建設したのです。

ネパールの有名人3:バヌバクタ・アーチャーリャ

それまで詩にはサンスクリット語が使われていたネパールにおいて、バヌバクタ・アーチャーリャ(1814〜1868年)は、ネパール語で詩を書いた初めてのネパール人詩人となったことで有名です。

(出典:wikipedia

なかでも彼が成し遂げた最高の偉業は、叙事詩ラーマーヤナをサンスクリット語からネパール語に翻訳したことでした。

バヌバクタが生きた当時のネパールでは、ネパール語は品位の低い言語とされており、話し言葉としてのみ使用されていました。

さらにバヌバクタは、カーストにおいて教師、聖職者、学者が属するバラモンであったため、彼の教育はサンスクリット語を中心に行われました。

しかし、ラーマーヤナの英雄の偉業に深く感動したバヌバクタは、このような状況にも関わらず叙事詩を広めようと決意し、ネパール語へ翻訳したのです。

バヌバクタの翻訳は非常に叙情的で、詩であった元の作品に比べると歌のように仕上がっていると言われます。

ネパールの有名人4:バルクリシュナ・サマ

(出典:wikipedia

バルクリシュナ・サマ(1903〜1981年)は、ネパール生まれの劇作家。

裕福な家庭に生まれた結果、当時としては最上級の教育を受けることが出来、文学や芸術の素養を身につけていき、後にはネパールのシェイクスピアと呼ばれるまでになりました。

サマの作品の多くは、社会的、感情的、そしてロマンチックな内容となっており、また、人間の心理、哲学、宗教、人権問題を扱った劇も書いたことで知られます。

ちなみに、彼の父親の苗字は「ラナ」でしたが、その父は事実上、ネパールを支配していた独裁的なグループに属していたため、そのことを嫌ったサマは縁を断つためにも苗字をサマに変えています。

ネパールの有名人5:テンジン・ノルゲイ

テンジン・ノルゲイ(1914〜1986年)は、近現代にネパールに生まれた人物としては、おそらく最も有名で影響力のあった人物。

(出典:wikipedia

民族的にはチベット人であったものの、ネパールのクンブ地方に生まれ、その後、登山を支援するシェルパとして活躍。1953年5月29日に、ニュージーランドの登山家エドモンド・ヒラリーと共に、エベレストの登頂に世界で初めて成功した二人のうちの一人になりました。

この登頂の成功によってテンジン・ノルゲイは、1953年に女王エリザベスⅡからジョージ・メダルを、そしてエベレスト山チームとともに女王エリザベスⅡ世戴冠記念メダルを受賞。

また同年にはネパールのトリブバン国王からも、ネパール一等星勲章を授与されました。

さらに、1959年にはインド政府から、一般人としては三番目の名誉となるパドマ・ブーシャン勲章を受賞し、1978年にはインド政府によるテンジン・ノルゲイ賞の設立という栄誉を受けました。

2008年にはネパールのルキア空港が、彼とエドモンド・ヒラリーの業績に敬意を表し、その名前をテンジン・ヒラリー空港と変えています。

ネパールの有名人6:マン・モハン・アディカリ

1994年から1995年にかけてネパールの首相を務めたマン・モハン・アディカリ(1920〜1999年)は、ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派から民主的に選出された初の首相となった人物として有名。

1920年6月にカトマンズのラジムパットで生まれ、1938年からはインドで教育を受け、そこで共産主義運動に出会い、その後、生涯のほとんどをかけて君主制およびその独裁的支配と闘いました。

ネパールの有名人7:クリシュナ・プラサード・バッタライ

(出典:wikipedia

クリシュナ・プラサード・バッタライ(1924〜2011年)は、ネパールの政治家でネパール会議党の党首であり、生涯でネパールの首相を二度つとめたことで知られる人物。

また、それまでの絶対君主制から民主的な複数政党制の政府に変えた人物としても評価されています。

バッタライは1990年から1991年にかけて1年間ネパールの首相を務め、その後に再選を果たし、1999年5月から2000年3月まで再度任期を務めました。

ちなみに、ネパールの憲法はバッタライが暫定的に首相であり議会選挙が行われた1990年に布告されましたが、これは、この国の政治史において画期的な出来事とされています。

ネパールの有名人8:ディペンドラ・ビール・ビクラム・シャハ・デーブ

ディペンドラ・ビール・ビクラム・シャハ・デーブ(1971〜2001年)は、ネパール王国における第11代目の君主。

(出典:wikipedia

ネパールとイギリスで教育を受け、イギリスでは名門イートン校で学び、また、パイロットの免許を持っていたことでも知られますが、ディペンドラを世界的に有名にしたのは、過激で悲劇的な人生の結末でした。

ディペンドラの母親アイシュワリヤは、家族に敵対する政党からディベンドラがラナを妻として選んだことに抗議。ディペンドラとアイシュワリアは口論になります。

その後、気分を害したことでディペンドラは大量の飲酒をした結果、感情を抑えられないほどに激高し、母親だけでなく、父親、 弟、妹を殺害。

その後に自らにも傷をつけ、昏睡状態に陥りました。

当時の国王であった父が亡くなったことで、ディペンドラは昏睡状態の中で国王として宣言されましたが、自ら負った傷により、3日後に死亡してしまったのです。

このように、家族を殺害したことに加えて、昏睡状態で3日間しか国王に在位しなかったことで、歴史に名前が残ることになりました。

ネパールの有名人9:ジャマク・ギミレ

(出典:wikipedia

ジャマク・ギミレ(1980年〜)は、1980年7月にネパールのダンクタ地区のカチデ村に生まれた人物で、ネパール国内では著名な詩人の一人。

生まれつき脳性まひを患っていましたが、それにも関わらず強い意思を貫いて読み書きを学びました。

なんと左足を使って文字を書くなど、常人からは信じられないほどの困難と付き合いながらも、素晴らしい詩をこれまで世に送り出しており、国内で最も広く読まれているネパール語の日刊紙カンティプールのコラムニストとしても活躍しています。

ネパールの有名人10:マハブーブ・アラム

マハブーブ・アラム(1981年〜)は、ネパール代表のクリケットチームでプレーする、クリケット界では有名な選手。

オールラウンダーな選手で、左利きのバッツマン(打者)と、右利きのボウラー(投手)として活躍しています。

その活躍は目覚ましく、2004年から2006年までに「マン・オブ・ザ・マッチ」を7度受賞するなど、様々な記録を持っています。

ちなみに、アハブーブのデビューは2000年に行われたネパール対日本の試合でのことです。

ネパールの有名人11:ナムラタ・シェレスタ

ナムラタ・シェレスタ(1985年〜)は、その美しさだけでなく実力派としても知られるネパール出身の女優。

2008年に公開された「Sano Sansar」と呼ばれるラブコメディー映画で女優デビューして以降、これまで数十本の作品へ出演してきており、なんと最優秀女優賞を5回も獲得しています。

さらに、ネパール国内では首都のカトマンズに「Attic」というレストランを持っていたりと、実業家としても有名です。

ネパールの有名人12:アニル・グルン

(出典:wikipedia

アニル・グルン(1988年〜)は、ネパール出身のサッカー選手で、フォワードのポジションを担っています。

また、イギリスの名門チーム「チェルシーFC」のトライアルに、ネパール人としては初めて選ばれた人物として有名です。

残念ながらこのトライアルは通過しなかったものの、故郷では英雄的存在として扱われています。

また、2009年にインドのシロン・ラジョン FCと契約した際には、6.3百万ネパールルピーの契約金が支払われることになり、ネパールにおける当時の最高額プレーヤーとなったことでも知られます。

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ネパールの有名人|歴史的な宗教家から現代に活躍する女優までのまとめ

ネパールの有名人として、歴史的に知られる人物から現代に活躍する人物までを12名紹介してきました。

ネパールに関する雑学として頭に入れておきましょう。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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