バングラデシュの国旗について見ていきます。日本の国旗との類似やデザインや色が持つ意味、そして歴史まで、詳しく解説していきます。
正式名称「バングラデシュ人民共和国」、通称バングラデシュは、「ベンガル人の国」という意味を持つ国で、北と東西をインドに、南東部をミャンマーに接する南アジアのイスラム教国家。
河川が多いことで知られ、それによって緑豊かで肥沃な平野が広がる国土を持ち、国民の過半数が農業に従事しています。
そんなバングラデシュを象徴する国旗には、緑色の背景と赤い丸が描かれていますが、この国旗の色とデザインにはどのような意味が含まれているのでしょうか?
また、日本の国旗とデザインがとても似ていると言われますが、両者には何かしらの関係があるのでしょうか?
この記事ではバングラデシュの国旗に関して、デザインと色が持つ意味、日本の国旗との関係、制定されるまでの歴史、その他の豆知識までを紹介していこうと思います。
バングラデシュの国旗のデザインと色の意味
バングラデシュ国旗のデザイン
バングラデシュ国旗のデザインは「縦横比=3:5」。
例えば、旗の横の長さが100cm(1m)なら、縦は60cmになります。
そして、緑色と赤色の二色で構成され、中央からやや左寄り(旗竿寄り)に赤い丸が描かれているのが特徴です。
このように左寄りにしてあることで、掲揚時には赤い丸が旗の中央にあるように見えるようになっているのです。
バングラデシュの国旗が日本の国旗に似ている理由
また、この「二色で構成されている」と「赤丸が描かれている」という特徴から、バングラデシュの国旗は、同じように「二色」と「赤丸」で構成されている日本の国旗と由来は異なるものの、比較されることがよくあります。
実際、バングラデシュの初代大統領シェイク・ムジブル・ラフマンが国旗を決める際、世界各国の国旗に詳しい旗章学者の吹浦忠正氏に意見を求めたという話が残っており、また、ムジブル・ラフマンの娘は後に、
父は日本の日の丸を参考にした。
と証言していることから、由来や背景となった意味は違うものの、デザイン自体は日本の国旗を参考にしており、これが、バングラデシュの国旗が日本の国旗に似ている大きな理由だと言えるでしょう。
バングラデシュ国旗の色の意味
バングラデシュ国旗を構成する、「緑」と「赤」の各色が持つ意味や由来については諸説ありますが、現在では次のような解釈が最も主流となっています。
- 緑色
- 緑豊かな肥沃な国土
- イスラムの教え(イスラム教の聖なる色)
- 赤色
- 昇る太陽または朝日
- 独立のために戦った人々の血
以下では、なぜ緑と赤がそれぞれ上記のような意味を持っていると解釈されているのかについて、その背景をもう少し解説していきましょう。
緑色の意味と由来の背景
元々この旗をデザインしたのは宗教とは無関係の愛国者で、その人物は「バングラデシュの緑豊かな国土の美しさを表す」ために緑色を採用したと言われます。
このような背景から、バングラデシュ国旗の緑はバングラデシュの国土を表すとされるのです。
一方で、バングラデシュでは国教がイスラム教であることから、緑色はイスラムの教え(イスラム教の聖なる色)を象徴しているという宗教的な解釈もなされるわけです。
赤色の意味と由来の背景
バングラデシュ国旗に採用されている赤色について見ていくにあたっては、バングラデシュがパキスタンから独立するまでの簡単な歴史をおさらいしておく必要があるでしょう。
1947年以前、バングラデシュはイギリス領インド帝国の一部で、東ベンガルと呼ばれていました。
そして、1947年にイギリスからインドとパキスタンが分離独立した際、この東ベンガルはパキスタンの一部となりました。
(黄色がバングラデシュで水色が現在のパキスタン)
しかし、地図上で見ると分かる通り、この東ベンガル(現在のバングラデシュ)は、パキスタンの一部と言っても、今日パキスタンと呼ばれるパキスタン・イスラム共和国とは間をインドに挟まれ、1000km以上も離れた飛び地となり、当時、東ベンガルは東パキスタン、現在のパキスタンは西パキスタンとして区別されました。
さらに東西のパキスタンを統合するにあたって厄介だったのが、民族や文化的な違いです。
地理的に大きく離れていたこともあり、
- 東パキスタン(東ベンガル)
- ベンガル人が人口のほとんどを占める
- ベンガル語でほとんど統一された
- 西パキスタン
- パンジャーブ人が過半数以上
- ウルドゥー語を公用語とした
と、それぞれ民族的・文化的な構成は大きく異なっていたのです。
さらに、西パキスタンが政治の中心となっていたこともあり、西側に偏った政策が実施されることが頻発し、これに不満を持った東ベンガルの人々は、西パキスタンと対立していたインドの支持を得ながら独立のための戦いを開始したのです。
この独立のための戦いは、長く激しい内戦につながり、そして1971年12月16日、バングラデシュ独立戦争はようやく終わりを迎え、ここにバングラデシュ人民共和国という新しい独立国家が誕生しました。
そして、この12月16日は毎年、戦勝記念日として祝われるわけですが、その際に掲げられる国旗の赤丸は「長く続いた内戦で流された血」を表しているとされるのです。
一方で、丸の形をした昇る太陽という意味に関しては、
- 西パキスタンが採用するイスラム主義の象徴「三日月と星」に対抗している
- 長い内線の後で訪れた独立の夜明けを意味している
という背景があるのです。
バングラデシュ国旗の歴史
バングラデシュの国旗は1972年1月17日に公式に採用されたわけですが、そのデザインは1971年の独立戦争で使われたものに似ています。
独立戦争時の旗では、赤い丸の中にバングラデシュの地図が金色で描かれていました。
しかしこの赤丸の中に描かれていた地図は、より単純なデザインを望んだアブドゥル・マンズール将軍の命令で削除されたこともあり、現在のバングラデシュの国旗となることはありませんでした。
現在のバングラデシュ国旗の元になったデザインは、カムルル・ハサンという画家によってデザインされ、1971年の独立戦争で使われた、横断幕から採用されたと言われます。
当時、ダッカ大学の学生組合の副組合長をしていたASM・アブドゥル・ロブに率いられた数名の勇敢な学生が、自由な国を求めてこの旗を芸術学部の西側ポーチの屋上に掲揚。
この歴史的な行為は1971年3月2日に行われ、数百人の学生と群衆がそれを見守りました。
彼らは旗に敬礼して独立運動との団結を表明し、これ以来、この旗はバングラデシュの人々の愛国心の象徴となっていったと言うのです。
旗を掲げた後、学生たちは独立のためにあらゆる犠牲を惜しまないとの激しいスピーチを行い、また、当時は独立運動を主導していた後の初代大統領シェイク・ムジブル・ラフマンの下で自由を求める戦いを続けることを宣言。
その日の午後にダッカ大学ではそれまで掲揚されていたパキスタン国旗が降ろされ、後にバングラデシュ国旗となる新しい旗が掲げられました。
そして、1972年1月17日、正式に国旗として制定されたのです。
バングラデシュ国旗についてその他の豆知識
バングラデシュの国旗が持つデザインや色の意味、そして、採用されるまでの歴史を見てきましたが、最後にその他にも知っておきたいちょっとした豆知識をまとめておきます。
- 自動車、飛行機、船舶に国旗を掲げるのは大統領と首相のみである
- 法律によって政府職員は政府の公館で国旗を掲揚しなければならない
- 国旗はあらゆる政府庁舎や事務所で掲げられる
- ベンガル語国語化運動記念日(2月21日)には半旗を掲げなければならない
- 以下の日には国旗を掲げなければならない
- 独立記念日(3月26日)、戦勝記念日(12月16日)、ムハンマド生誕祭(マウリド・アン=ナビー)
- 2013年に世界最大の人間の国旗を作ってギネスブックに登録されたことがある
- 約2万7000人のバングラデシュ人が巨大な人間の国旗を作った
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バングラデシュの国旗|日本国旗との関係から色の意味や歴史までのまとめ
バングラデシュの国旗について、そのデザインや色の意味、日本国旗との関係、そして歴史や豆知識までを見てきました。
バングラデシュにとって、国旗は独立と主権の象徴です。
自由を求める戦いと、国のために血を流し命を落とした同胞の愛国心とを思い起こさせ、国を発展していくために重要な心の支えとなっているのです。