オベリスクと呼ばれる古代エジプトに起源を持つ建造物について詳しく紹介していきます。フランスやイタリアなど、世界各地に散らばる歴史的に価値の高いものです。
「オベリスク」と呼ばれる建造物を知っていますか?
パリのコンコルド広場を訪れたり、ニューヨークのセントラルパークを横切ったことがある人は、先端部がピラミッド状の四角錐になっている石柱を覚えているかもしれませんが、あれがオベリスクです。
このオベリスク、現在では世界中に点在しているものの、なかでも「真のオベリスク」とも言うべき一部のオベリスクは、今から3000年以上も前の古代エジプト時代に起源を遡ることが出来る、人類にとって非常に価値の高い歴史的建造物なんです。
この記事では、そんなオベリスクについて詳しく見ていこうと思います。
まずは、基本的な概要を抑えることから始め、その後に、興味深い5つの話までを見ていきましょう。
オベリスクとは?
オベリスク(obelisk)とは、古代エジプト時代に製作され、当時の神殿の入り口などに立てられていた記念碑。
大抵はエジプオつのアスワンにあった採石場で取れる花崗岩から彫り出されており、巨大な一枚岩で出来た柱であるのが特徴。
例えば、紀元前1490年頃にトトメス1世(紀元前1524年〜1518年あるいは紀元前1506年〜1493年)によってエジプトのカルナックに建立されたオベリスクは、高さ24m、そして底部の一辺が1.8mで、143トンもの重さがあるとされます。
また、オベリスクの多くは正方形または長方形の断面を持ち、頂点(通常は四角錐の形をしている)に向かっていくにつれてその面積が狭まっていくように作られているのも特徴です。
そして、
- 古代エジプトでは太陽神ラーを崇拝していた
- オベリスクが立ってられた神殿は太陽神ラーを祀っていた
といった理由から、古代エジプト時代に製作されたオベリスクの柱は、
- 「太陽光線」を象徴していたのではないか?
といった仮説が存在し、その頂点部(先端部)は、「琥珀金」と呼ばれる「金と銀の合金」に覆われていたものが多かったと考えられています。
加えて、オベリスクの4つの側面は全て、ヒエログリフ(象形文字)に覆われており、太陽神に捧げる宗教的な文言と統治者を讃える言葉が刻まれています。
ちなみに、オベリスクは古代エジプトを起源とし、この時代に立てられたものが本当の意味でのオベリスクと言えますが、古代エジプト時代以降も、これら「真のオベリスク」を真似て、数々のオベリスク(オベリスク様建造物)が立てられていきました。
例えば、アメリカにあるワシントン記念塔や、アルゼンチンのブエノスアイレスにあるオベリスクは観光名所としても有名。
日本でも、山梨県の謝恩碑(しゃおんひ)や千葉県の日西墨三国交通発祥記念之碑(にっせいぼくさんごくこうつうはっしょうきねんひ)などを見つけることが出来ます。
現存する真のオベリスク
オベリスクはエジプト第4王朝(紀元前2613年頃〜紀元前2494年頃)の時代には建立されていたようですが、その時代のものは現存していません。
現存するオベリスクの中で最も古いと考えられるのは、センウスレト1世(セソトリス1世:元前1971年〜紀元前1926年)の時代に製作された、カイロ近郊のヘリオポリスに立つオベリスクで、そこには当時、太陽神ラーを祀る神殿があったとされています。
世界中に運ばれていったオベリスク
一方で、古代エジプト時代に作られたオベリスクの多くは、帝政ローマ時代に戦利品として略奪され、今日のバチカン市国にあるものも含めれば、13本がイタリアへ運ばれたと言われます。
例えば、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂前の広場にはエジプトから運ばれてきた、トトメス3世(紀元前1479年頃〜1425年頃)によってカルナックに立てられたオベリスクがあります。
このオベリスクは、高さ32メートルで正方形の土台部分の一辺は2.7m、重さは約230トンと、現存する古代エジプト時代のオベリスクとしては最大のものです。
そして、帝政ローマ時代以降も略奪は続き、多くのオベリスクが国外へ運ばれていきました。
さらに、19世紀後半にはエジプト政府によって、1対のオベリスクの1本がアメリカに(ニューヨークのセントラル・パークに立っている)、もう1本がイギリスに(ロンドンのテムズ川沿いに立っている)寄贈されます。
このように、時には略奪され、時にはエジプト政府からの贈り物として世界中へ散らばった結果、世界中に現存する古代オベリスク約30本のうち、エジプト国内に残っているのは7本だと一般的には考えられています。
※ただし、「世界のオベリスク」は、断片などを含めて70本の古代エジプトのオベリスクがあり、うち33本がエジプトにあるとしている。
オベリスク関する5つの興味深い知識
オベリスクは、古代の人々や人類の歴史を知る上でも大変興味深い建造物。
そのオベリスクをさらに深く知るためにも、5つの興味深い知識を確認していきましょう。
① 真のオベリスクの最大の特徴は一枚岩で出来ていること
古代エジプトの「真のオベリスク」を真似て、古代エジプト時代以降もオベリスクが建造されてきましたが、「真のオベリスク」の特徴は、なんと言っても一枚岩(モノリス)で出来ているという点でしょう。
エジプトのカルナックにある、ハトシェプスト女王のオベリスクの土台には、このオベリスク製作に関する記述があります。
その記述によると、採石場からこのオベリスクに使う一枚岩を切り出すだけに「7ヶ月を要した」ようなのです。
また、花崗岩は非常に硬く、モース硬度は6.5(ダイヤモンドは10)。
つまり、花崗岩を削ってオベリスクの形に成型していくには、さらに固いものが必要であったというこであり、当時、入手可能だった金属(金、銅、青銅など)は柔らかすぎました。
そこで考えられるのが、
- エジプト人はオベリスクを成型するためにドレライトと呼ばれる火成岩(マグマが冷えて固まった岩石)の塊を使用したのではないか?
ということ。
結果、ドレライトの塊を用いて何百人もの労働者が花崗岩の成形に携わらなければならなかったはずで、オベリスクの製作は非常に長い時間と忍耐を要するものだったようなのです。
このように、一枚岩でのオベリスク建設は非常に困難な「偉業」であったため、古代エジプト第18王朝第5代のファラオのハトシェプスト(女性であった)は、彼女のオベリスクの土台部分に、日本語で次のような意味になる文言を誇らしげに刻んでいます。
- つなぎ目無し、結合無し
実際、フェニキア人やカナン人を含め、他の民族がエジプトのオベリスクを真似てオベリスクを建造しましたが、その多くは1つの岩から作られることはありませんでした。
② クレオパトラの針はクレオパトラとなんの関係もない
アメリカのニューヨークとイギリスのロンドンで見ることが出来る元々は対を成していた2本のオベリスクに加えて、フランスのパリはコンコルド広場にあるオベリスクの3本は、「クレオパトラの針」と呼ばれています。
しかし、これらクレオパトラの針と呼ばれるオベリスクは、いずれも古代エジプトに作られた真のオベリスクであることは間違いないものの、かの有名なクレオパトラ7世とは何の繋がりもありません。
この3つのクレオパトラの針はそれぞれ、
- ロンドンとニューヨークのオベリスク
- トトメス3世時代に製作された
- 紀元前1479年頃〜紀元前1425年頃
- パリのオベリスク
- ラムセス2世時代に製作された
- 紀元前1314年頃〜紀元前1224年、または紀元前1302年頃〜紀元前1212年
といったように、紀元前69年から紀元前30年まで生きたとされるクレオパトラより、1000年以上も前に製作されたものなのです。
③ 地球の円周が初めて算出された時にオベリスクが利用された
紀元前250年ごろ、古代ギリシャの哲学者エラトステネスは、地球の周囲の長さを算出にあたって、オベリスクからヒントを得て利用したと言われます。
(出典:wikipedia)
エラトステネスは、
- (現在のアスワンもしくはシエネにあたる)スウェネトの街にあったオベリスクが
- 夏至の正午には、太陽が真上に来るために影を作らない
- アレクサンドリアの街にあったオベリスクが
- 全く同じ時刻に影を作る
ことを知りました。
そして、この二つのオベリスクの違いから計算すると、スウェネトとアレクサンドリアの角度の違いは7度14分、つまり円周の50分の1であるという結論に達したのです。
それからエラトステネスは、両都市間の物理的距離を当時の単位で5000スタディアとし、そこから計算した結果、地球の周囲の長さを、
- 5000 × 50 = 250,000スタディア
と割り出したのです。
ちなみにその後、エラトステネスは多少の修正を加えるため、「2000スタディアを足した252,000スタディアが地球の全周長である」としたと言われています。
ただし、この252,000スタディアが、現在の単位でどれほどになるかは議論が続いており、また、アレキサンドリアとスウェネトの正確な距離を知ることが不可能だったため、彼が導き出した地球の周囲の長さは正確ではなかったと考えられています。
一方で、正確な距離を知ることが出来れば、エラトステネスの手法によって、実際の地球の全周長に驚くほど近い数字が得られることになります。
④ 考古学者による象形文字解読にオベリスクは貢献した
ヒエログリフ(象形文字)は謎めいた記号が並ぶ上に、一貫したメッセージも無く、19世紀までは翻訳が不可能だと考えられていました。
しかし、フランスのエジプト考古学者であり言語学者でもあったジャン=フランソワ・シャンポリオンの考えは異なり、象形文字の解読を人生の目的としたのです。
そして、エジプトのロゼッタで1799年に発見された石板「ロゼッタストーン」や、オベリスクに描かれた象形文字の共通項を見つけ出すなどし、シャンポリオンはついに、不可解だと考えられていた象形文字を解読し始め、古代エジプオの秘密を解き明かしていったのです。
⑤ 世界で最も高いオベリスクは「ワシントン記念塔」
古代エジプト時代に作られた「真のオベリスク」以外のオベリスクも含めたなかで、世界一高いオベリスクは、アメリカのワシントンD.C.のナショナルモールに立つ「ワシントン記念塔」。
1832年に最初の考案がされて以降、建造が行われるまで数十年を要し、1884年に完成した近・現代に立てられたオベリスクの一つで、アメリカがイギリスから独立を勝ち取ったアメリカ独立戦争時にアメリカを主導し、その後、アメリカの初代大統領となった「ジョージ・ワシントン」の功績を称えたモニュメントです。
その高さは169mにもなり、古代エジプト時代に作られたオベリスクの高さが高くても30m程度だということを考えると、ワシントン記念塔のオベリスクとしての巨大さが分かります。
一方でワシントン記念塔は、大理石、花崗岩、砂岩など約3万6千個の石で出来ており、また、内部にはエレベーターが設置されていて展望台まで行けるなど、一枚岩で作られた真のオベリスクとは全く異なる建造物です。
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オベリスクとは?フランスなど世界各地に散らばる古代エジプト建造物のまとめ
古代エジプト時代に起源を持つ建造物「オベリスク」について見てきました。
オベリスクは現在、世界中に点在しており、中でも真のオベリスクと呼べる古代エジプト時代に作成されたものは、非常に歴史的価値が高い建造物です。
もしも実際に目で見る機会があれば、その3000年以上にも及ぶ歴史を想像しながら古代人の偉業を感じて見ましょう。