ヤールギュレシやトルコ相撲、そしてオイルレスリングとして知られる、トルコの伝統的文化であり歴史的な格闘技を見ていきましょう。
日本国内で知られている相撲といえば、日本の大相撲やモンゴル相撲が一般的です。
しかし、アジアとヨーロッパの境目にあるトルコでは、「トルコ相撲」と呼ばれるヤールギュレシという格闘技が盛んで、世界的にはオイルレスリングなどとしても知られています。
このヤールギュレシとはどのような格闘技なのでしょうか?
トルコの文化の一つであり、長い歴史を持つために興味深いヤールギュレシについて、詳しく見ていきたいと思います。
オイルレスリングとも呼ばれるヤールギュレシ(トルコ相撲)とは?
トルコ語で「ヤールギュレシ(Yağlı güreş)」と呼ばれるトルコ相撲はトルコの国技で、選手たちが身体中にオリーブオイルを塗りたくることからから、「オイルレスリング」や「グリースレスリング」として世界的にもそれなりに有名です。
その特徴の一つは、オリンピック競技に見る一般的に想像されるレスリングとは違い、トルコ相撲の試合では、相手のクスベット(木綿糸のステッチで強化した牛革を縫い合わせて作られた黒い皮ズボン)をしっかりと捉えて相手をコントロール出来るかが勝敗に左右するところ。
特に、オイルを体に塗りたくっていることで、相手の脇に腕を入れたり腰に手をまわしても滑ってしまうため、対戦者は相手のクスベットに腕を伸ばしてしっかりと捉えることが超重要になってくるのです。
この点は、相手の廻しをしっかりと取れるかどうかが重要な日本の大相撲と似ていると言えるかもしれません。
ちなみに、ヤールギュレシ(トルコ相撲)における力士は、「英雄」または「チャンピオン」を意味する「ペリバン」と呼ばれます。
また、ペリバンが着用するクスベットは、伝統的に水牛の皮で作られていましたが、近年では子牛の皮が使われています。
ヤールギュレシ(トルコ相撲)のルール
ヤールギュレシのルールは数十年前に大幅に変更され、現在ではよりスポーツ化が図られています。
試合時間について
以前のルールでは試合時間は決められておらず、一方が優勢となるまで1日または2日間と続行されることもありました。
しかし、1975年には制限時間が設けられ、部門ごとに以下のようになっています。
- バスペリバン部門(baspehlivan)→ 40分
- ペリバン部門(pehlivan)→ 30分
そして、それぞれ勝者が定まらない場合、バスペリバン部門で15分間、ペリバン部門で10分間の延長戦となります。
ポイント制の導入
また、ヤールギュレシではもともと、ポイント制が無かったものの、2004年に新しいルールが導入された結果、現在ではポイントによっても勝敗が決まるようになりました。
例えば一本勝ちに加えて、いくつかの技を組み合わせてポイントを積み重ねていき、その差によっても勝敗が決まるようになったのです。
有効な攻撃
対戦相手を倒すための攻撃には様々なものがあります。
具体例としては以下の通りです。
- 相手の背中を地面につける
- 相手の尻を地面につける
- 相手を降参させる
- 相手の皮ズボンを脱がす(脱げる)
- 相手の皮ズボンを破る(破れる)
- 相手を持ち上げて3歩以上歩く
無効な攻撃(禁止されていること)
対戦相手、審判員、観客に対して侮辱的な言葉やジェスチャーを発すると処罰の対象となります。
その他にも、試合中に対戦相手と口論したり、不真面目な態度で戦ったり、八百長を行なったりすることなどは全て処分の対象で、また、男性器への攻撃は厳重に禁止されています。
オイルの使用について
オイルレスリングという名前にある通り、この格闘技において重要な要素の一つがオイルです。
オイルを体に塗ると防御面で飛躍的に有利になるからです。
ペリバン達がオイルサーバーを使って油を塗り直すことが許されている点は、ヤールギュレシをオイルレスリングと足らしめる特徴でしょう。
また、使用するオイルについても「オリーブオイルでなくてはならない」というルールがあります。
さらに、ペリバン達は伝統的に、
- 始めに右手を使って左半身にオイルを塗る
- 次に左手を使って右半身にオイルを塗る
という所作に従います。
ヤールギュレシ(トルコ相撲)の歴史
トルコ語を含めたテュルク系の言語を話す人々の間で親しまれてきたレスリングに近い格闘技は、ヨーロッパそして中央アジア(西ユーラシア各地)にみられ、それぞれ「ギュレシ」に近い単語で表現されてきました。
そのため、ヤールギュレシは現代のトルコ共和国よりももっと以前に起源を持ち、テュルク系民族が中央アジアからヨーロッパに広がっていった過程で発展していったことが伺えます。
古代文明にまで起源が遡る?
そして、元々の起源を辿っていくと、紀元前3500年頃から始まった古代シュメール文明や、紀元前1800年頃に台頭してきたバビロニア王国を含む「メソポタミア文明」にまで遡ると考えられています。
さらに、古代ギリシャ文明や古代ローマ文明の伝統も、ヤールギュレシとの繋がりを示していると言います。
ただし、当時の競技は現代のヤールギュレシとはかなり異なり、レスラー達はクスベットの着用などはしていませんでした。
当時の競技は、西洋のレスリングとヤールギュレシが枝分かれする前の状態だったと言えるでしょう。
ヤールギュレシの原型が出来上がったのは10世紀を過ぎた辺りから
10世紀を過ぎた頃、イスラムの法に基づき、へそから膝までの身体の一部を保護するようになります。
さらに、11世紀にテュルク系の遊牧民族「オグズ」達によって、現在のトルコ地域が征服されていくと、「地面での抱擁」を意味する「Karakucak Güreşi」と呼ばれるフリースタイルのレスリングが人気を集め、この競技の中でレスラー達は、特別な皮製の衣類を着用することが求められました。
この時、相手に掴まれないようにとレスラー達は身体中にオリーブオイルを塗るようになり、これが、今日のヤールギュレシまたはトルコ相撲に繋がっていったと言われているのです。
オスマン帝国が成立してから本格的に広まっていった
そして、セルジューク朝が倒れた後に現れたテュルク系の国家「オスマン帝国」の時代が始まると、トルコでは本格的にヤールギュレシが広まっていきます。
例えば、当時は「tekke」と呼ばれる特別な学校でこの競技が教えられていたと言います。
また、1362年からは「クルクプナル」と呼ばれるヤールギュレシの全国大会も開催されるようになりました。
この大会は、過去に70回ほど中止されたことがありますが、それでも現在まで基本的には毎年開催されており、世界の歴史上、最も古くから続いている公式の格闘技大会という称号を持ち、2010年にはユネスコの無形文化遺産へ登録されました。
ただし、ヤールギュレシのクルクプナルは、その歴史の初期(誕生)が伝説に由来しているため、厳密な誕生時期は不明で、1362年や1361年に始まったなど、異なる説がいくつか存在します。
ヤールギュレシ(トルコ相撲)に関して他にも知っておきたいこと
優勝で手に入れられる名誉と賞品(賞金)
毎年、ヤールギュレシの全国大会であるクルクプナルに優勝した者には、「バスペリバン(王者)」の称号が与えられます。
しかし、それが最高の名誉と言うわけではありません。
この大会で3年連続優勝して王者の称号を3度連続で手に入れると、「金のベルト」が授与され、これがヤールギュレシの選手にとっては真に「最高の名誉」となっています。
さらに、優勝者は賞金も与えられるなど、金銭的にも大きな見返りがあります。
ちなみに、かつてオスマン帝国時代に優勝者へは、サラブレッド、ラクダ、雄牛が与えられていました。
試合開始にあたって
呼出の人間が取り組みを告げると、2人のレスラーは近くに置いたオイルや水の入ったポットを手に取り、自分の体にオリーブオイルを塗りたくります。
その後、対戦する2人のレスラーは「男達のフィールド」と呼ばれる牧草地に立ち、音楽が演奏される中で試合開始の儀式を行います。
クルクプナルの起源にまつわる伝説
ヤールギュレシの全国大会「クルクプナル」の起源とされる伝説はいくつが存在していますが、その中で最も有名なのは、オスマン帝国を建国したオスマン1世の息子オルハン・ベイの時代に行われた最初のヨーロッパ遠征にまつわる伝説です。
オスマン帝国軍40人の兵士がトラキアの一部を征服した後、アジアの拠点であるブルサへ戻る途中のことでした。
現在のギリシャ領北西部で2人の兵士がレスリングを始めましたが、勝負がつきませんでした。
そこで帰路の途中にあるエルディネで再試合をしましたが、朝から深夜まで戦い続けても決着がつかず、2人は疲労困憊して命を落としてしまったのです。
それから1年後、別の軍事作戦でその地を再び訪れた兵士たちが、レスリングで決着がつかずに命を落とした2人の兵士が埋葬された場所から泉が湧き出しているのを発見。
その後、その地はクルク(トルコ語で40の意)プナル(トルコ語で泉の意)と呼ばれるようになり、クルクナプルの開催地となっていったという話です。
歴史上最強と言われる伝説のレスラー達
ヤールギュレシの歴史の中では何人もの有名な選手が誕生してきましたが、中でも二人は伝説的な強さを誇ったことで知られています。
まず一人目が、オスマン帝国時代に最も有名なレスラーとなった「アリチョ・ザ・ボールド(Aliço the Bald)」がいます。
彼は「王者」の称号を26年連続で獲得するなど、まさに圧巻すぎる活躍を続け、この記録は現在も破られていません。
さらに、現在のトルコ共和国の建国以来、記憶に新しい最強のレスラーの1人として、コジャエリ県カラミュルセル出身のアフメット・タシジ(Ahmet Taşçı)がいます。
タシジは1990年~1997年に「王者」の称号を獲得しました。
現在はすでに初老近い年齢となっていますが、それでも再び競技会に参加したいと、300kgのトラックのタイヤを使ってトレーニングを続けているらしいです。
合わせて読みたい世界雑学記事
- トルコの食べ物|有名なケバブ・カルヌヤルク・クンピルなど
- トルコ文化やトルコ人の特徴について知るべき12のこと
- オスマン帝国(オスマントルコ)の歴史を知ろう!人類史上最大最高と言っても良い現在のトルコに繋がった帝国
- トルコのスポーツ|人気な競技と伝統競技を5つ紹介!
- →こちらからトルコに関する情報をさらに確認出来ます
ヤールギュレシ|トルコ相撲やオイルレスリングとして有名な伝統文化のまとめ
トルコの伝統的な格闘技であり文化であるヤールギュレシについて見てきました。
トルコ相撲は非常に長い歴史を持ち、西洋と東洋の文化が交わるトルコでこそ花開いた競技だと言えるかもしれません。