南米ペルーに存在した文明に関する謎を8つピックアップして見ていきます。インカ文明以前にそこに生きた人々の痕跡を辿ってみましょう。
南米のペルーは何千年もの間、豊かな歴史を紡ぎあげてきた国。
中でも最も有名なのが、世界史にも名を残すインカ帝国で、ペルーはインカ文明の中心地であったことでも知られています。
しかし、ペルーにはインカ文明がやってくるよりも遥か古代から、様々な文化や文明が存在していた痕跡があり、同時に多くの謎が存在しているんです。
ペルーに存在した文明に関して、未だに解明されていない8つの謎をピックアップして紹介していきます。
ペルー文明の謎① サクサワマン遺跡にある上下逆の階段
ペルーのクスコ市北部郊外にあるサクサワマン遺跡には、数多くの驚くべき石造りの建造物があります。
この古代の遺跡は、様々な理由から謎に包まれていますが、その一つが、非常に硬くて重い巨大な花崗岩から出来ている、上下が逆さまになった階段のような建造物。
(出典:am-sur.com)
この不思議な形をした建造物は、いかにして作られたのでしょうか?
また、何の目的でこのようなものを作ったのでしょうか?
作った後に大きな災害でも起こり、建造物が上下逆になってしまったのでしょうか?
岩は経年を感じさせ、いくつかの部分は風化していますが、切りだされた岩は磨かれ、非常に滑らかで、明らかに人の手が加わっていることが分かります。
未だに多くの謎が残るサクサワマン遺跡の中でも混沌とし、解明されていないことが多い建造物の一つです。
ペルー文明の謎② サクサワマン遺跡の石壁の石
サクサワマン遺跡にはまた、多くの石壁が存在しますが、そのどれもが、様々な大きさの石でピッタリと隙間なく組み立てられ、非常に頑丈な構造をしています。
しかし、ここで謎なのが、
- 一体全体どうやって形の異なる石を正確に当てはめていったのか?
- 中には非常に巨大で現代の機械を用いてやっと動かす事が出来るかどうかの石があるわけで、そのような石を如何にして運んで持ち上げたのか?
- 必要に応じて石は正確に、そして平らにカットされており、どのような技術を用いて成し遂げたのか?
という点で、これらは未だに解明されていません。
そのため、ペルーに存在した古代文明は「石を柔らかくする、または石を溶かすような特殊な技術でも持っていたのではないか?」と考える人もいるほどです。
実際、クスコの花崗岩の壁は、非常に高い温度で加熱された結果、ガラス化しているものもあり、この表面のガラス化した部分は非常に滑らかになっていると言われます。
実際に用いられた技術に関しては様々な憶測が飛び交っているものの、ペルーに存在した古代文明の中には、非常に進んだ技術で花崗岩を加工したという仮説が立てられているのです。
ペルー文明の謎③『チュルパス』として知られる古代の塔
ペルーのシユスタニやクティンボなどで見ることができる「チュルパス」は、円筒形をした塔。
このチュルパスは、インカ以前の文明からの遺産であると考えられていると同時に、インカ文明の建造物と比較しても、遥かに複雑な構造をしていると言われます。
チュルパスには、塔の上部と下部に、小さな穴があるだけで、これらの穴は、ドアとして用いるのには小さすぎ、子供であればかろうじて無理やり通り抜けられる程度のサイズしかありません。
考えられる可能性としては、塔を穀物貯蔵のサイロとして用いていたということ。出入り口の穴が小さいのは、穀物を守るためには理想的です。しかし、これもあくまでも仮説に過ぎません。
- なぜこの場所にそのような塔を建造したのか?
- どの様な目的で建造したのでしょうか?
これらの答えはまだ見つかっておらず、ペルーに興った文明に関する謎の一つとなっています。
ペルー文明の謎④『交差した手の神殿』
(出典:PERU TRAVEL TIPS)
『交差した手の神殿』はペルー中部のワヌコ西方にある、古代建造物跡のコトシュに存在し、4000年ほど前(紀元前2000年ほど前)に建設られたものと推定されることから、ペルーやアメリカ大陸全土で見ても、最古の部類の建造物であると考えられています。
この「交差した手の神殿」の最もユニークな点は、寺院の壁にある石に刻まれた「交差した手の彫刻」。
しかし、そのほとんどが、解明されていない非常に初期の文化に関連していて、謎に包まれているんです。
一方で、交差した腕のデザインは、インカ時代のアンデスイデオロギーにおいて中心的なテーマである、「二重性」を表現した最古の例であるかもしれないと考えられています。
ペルー文明の謎⑤ マルカワシは多くの伝説が残る謎めいた地
ペルーの中でも、マルカワシ高原ほど興味深く謎めいた場所はそう多くはありません。
- 不思議な地下空間に関する多くの伝説
- 光の球の目撃
- 未知の地底人の存在
など、奇想天外な伝説が伝えられる不気味な場所です。
このマルカワシの地名は、インカ文明以前に名づけられたもの。
マルカワシ高原は、ペルーの首都リマから80km程離れた、サンペドロ・カスタという小さな村のそばに位置し、海抜3600〜3800m程のアンデス山脈の中にあります。
そして、マルカワシを築いた古代人はマスマ(Masma)と呼ばれ、彼らはペルー以外にも居住していたと考えられています。
マスマはマルカワシの彫像を、現在でも解明されていない独特の技術で型取り、インカ文明よりもはるか前に作ったとされているのです。
なかでも非常に独特で興味深いのが、数千年も以前に造られた伝説の巨大彫像で、中には30m近くの高さになるものが存在します。
また、この場所では、この地域にいないはずの動物の彫刻や、黒人、セム人、白人のような人種の彫像を見つけることができ、例えばアフリカライオン、ラクダ、馬、亀、ペンギン、カエル、犬、猿、トドなどが含まれているのです。
ペルー文明の謎⑥ 先史時代に作られたであろう青銅の歯車
(出典:Ancient CODE)
青銅の車輪とも呼ばれる、ペルーで発見された青銅製の歯車についてはあまり多くのことが解明されておらず、未だにペルー文明の謎の一つとして存在しています。
- そもそも、これほど精密な歯車がなぜ、先史時代に存在したのか?
- そして、青銅の歯車を利用した目的な何なのか?
などが、はっきりと分かっていないのです。
考古学者の多くは、この青銅の歯車は何らかの儀式に用いたものだと考えていますが、中には、現代の歯車に大変良く似ていると考える人もおり、多くの謎を秘めています。
ペルー文明の謎⑦ チャチャポヤス: 雲の民とはなんだ?
不思議な民族チャチャポヤス(chachapoyas)は、「雲の戦士」または「”雲の人々」として知られていた人々。
ケチュア語(インカ帝国で公用語として使われ、現在でも南米大陸ではおよそ1300万人が使用している言葉)では、「ペルー北部、ウトゥクバンバとマラニョンの谷の上の雲の森に住む人々」という意味だとされています。
このチャチャポヤス達は、インカの支配者であった、トゥパック・ユパンキによって1480年に制圧されるまで、対抗し続けましたが、その後はインカ人によってチャチャポヤス王国は破壊され、また、歴史に関する記録が欠如しているために、彼らの文化や文明については、非常に限られたことしか分かっていません。
ペルー文明の謎⑧ アマラカレイの石の顔
ペルーのアマゾンの熱帯雨林奥地、外界からは離れてアクセスするのが非常に困難な隠れた場所には、石の崖に刻まれた巨大な顔が存在します。
(出典:Ancient CODE)
この巨大な顔は「アマラカレイの顔(The Amarakarei Face)」と呼ばれ、何千年も前からそこに存在しているとされますが、「何のために作られたのか?」そして「誰がいつ作ったのか?」などは謎に包まれたままです。
一方、アマゾンの熱帯雨林には同じような場所が他に複数あるとされ、そのことがさらなる謎を作り出しています。
ちなみに、このアマラカレイの顔に関しては、ペルーの先住民であるハラクンブット(Harakmbut)の人々の間で、その存在が伝説として何世代にも語り継がれてきており、また、彼らにとっては大変重要な意味を持つようです(参照:Ancient CODE)。
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ペルー文明8つの謎|南米ペルーに起こった文明に関する興味深い話のまとめ
インカ文明が栄えたことで有名な南米のペルーには、インカ文明よりも前から複数の文明や文化が興った形跡がありますが、どれも多くの謎を残したままです。
ペルーに観光などで行く際には、そのような謎が残る遺跡を巡ってみるのも良いかもしれません。
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