ラムリー島とラムリー島の戦い|イリエワニで有名な危険な島で日本兵が多く犠牲になった場所

ラムリー島について詳しく見ていきます。イリエワニで有名で、過去に起こったラムリー島の戦いで日本兵に起こった出来事により、「危険な島」と言われる島です。

アジア最後のフロンティアとも言われるミャンマー。経済成長を見込んで、多くの企業やビジネスマンが注目している国です。

そんなミャンマーに、「ラムリー島」という名前の島があるのを知っていますか?

このラムリー島、実は歴史の中で日本兵と非常に深い関係がある場所で、また、世界最大級の爬虫類「イリエワニ」が多く住む危険な島としても知られるんです。

この記事では、そのラムリー島について理解を深めるためにも、基本的な概要から、この地で起こったラムリー島の戦いまでを紹介していこうと思います。

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ラムリー島とは?

ラムリー島(Ramree Island)は、ミャンマー南西に位置してインド洋のベンガル湾に面するラカイン州の沖合いに位置し、ミャンマー領に属する島

(出典:wikipedia

島の大きさは約1,350㎢でミャンマーでは最大の島であり、その中心はラムリー。

平均的な幅がたった150mほどしかない、非常に幅が狭い運河のような海峡によって切り離されているのが特徴で、ミャンマー本土の海岸からラムリー島へは橋が掛けられています。

そして、ラムリー島の周辺にはいくつかの島が存在し、中でも南方には次のような島を見つけることが出来ます。

  • チェドバ島
    • ラムリー島の南西海岸から約10kmの沖合いに位置
    • 面積は523㎢となりミャンマーの島としては2番目に大きな島
  • サグー島
    • ラムリー島の南の岬から、2.4km離れた真下に位置しています。
    • 全長約5km、幅約4kmの島
  • マギイ島
    • サグー島からさらに南へおよそ3km離れた場所に浮かぶ
    • 全長2kmの小さな島

中国の資源戦略上重要な場所でもある

このラムリー島はまた、中国にとって、戦略的に重要な場所であると言えそうです。

というのも、ラムリー島は、インド洋沿岸から中国の雲南省へつながる、天然ガスや原油のパイプラインが建設されている場所だから。

ラムリー島の北端にあるチャウピュ港には中東から石油が運ばれ、また、その沖合では天然ガスが産出されます。

そのため、このチャウピュ港から始まり、ラムリー島を通ってミャンマーの本土へ入り、そして北の中国まで全長1450kmにも伸びるパイプランが通っているのです。

このパイプラインにより中国は、

  • 石油や天然ガスを運ぶのに危険なマラッカ海峡を通る海運ルートの利用を抑えられる
  • 輸送にかかる日数も2週間ほど短縮出来る

など、資源戦略上において、ラムリー島は非常に重要な位置を占めると考えられるのです。

危険な島?ラムリー島の歴史に登場する日本兵とイリエワニ

そんなラムリー島は、実は日本と非常に深い関係がある場所。

第二次世界大戦中、ミャンマー(以前はビルマと表記されていた)では、ビルマを支配していた連合軍と日本軍の戦いである「ビルマの戦い」が続いていました。

そのビルマの戦いの中、南部線戦で起こったのが、1945年の1月から2月のおよそ1ヶ月間、ラムリー島を舞台にした「ラムリーの戦い」。

(出典:wikipedia

この戦いの終盤、日本軍の兵士達はイギリス軍によって、島を取り囲む沼地へと追いやられ、およそ1000人の日本兵が、そこに生息していた大量のワニ達によって命を落としたという話が残っているのです。

しかし、確かに数名の日本兵はイリエワニの被害に遭ったと思われますが(証明できるのは、島の中心地であるラムリーから近いミンガンクリークを渡っている間に10人から15人ほどの兵士がイリエワニの被害にあったということのみ)、多くは脱水、溺水、英国軍による銃撃、赤痢、そしてほんの数名はサメによって襲われたなど、他の様々な原因で死亡したとも考えられ、この説の真偽は議論されて続けています。

そして第二次世界大戦が終了した後、1948年にイギリスからビルマが独立してからは、ラムリー島もイギリスの支配から離れ、現在までミャンマー領となっています。

ラムリー島のイリエワニも楽じゃない!

ちなみに、ラムリー島は上で紹介した話から、「イリエワニ」が大量に生息する場所として有名になりました。

実際、1960年代頃まで、ラムリー島地域ではイリエワニが非常に多く見られたと言います。

しかしその後、おそらくワニ皮を目的に乱獲されたのが原因で、以前と比べたらかなり数が減っているとされます。

そのため、他の地域と比べれば現在も比較的数は多そうですが、日本軍がこの地へやってきた時に比べると、イリエワニによる脅威は弱まっているかもしれません。

ラムリー島の戦いにおける日本兵のワニによる大虐殺の話を掘り下げていこう!

第二次世界大戦が終盤を迎える頃に起こったラムリー島の戦いに関して、「多くの日本兵がイリエワニの襲撃によって命を落とした」とする説があることは先述した通り。

正しいかどうかは別として、これは世界的にも結構知られている話です。

そこでここからは、ラムリー島で多くの日本兵がワニの犠牲になったとされる説に関して、具体的にどのような流れで多くの日本兵がイリエワニの犠牲になったのか、その経緯について見ていきたいと思います。

ワニが多くいる沼を渡るか、敵軍と対峙するか、どちらを選びますか?

自分が「熱帯の島で敵軍に包囲されている兵士」だと想像してみてください。

島の反対側にいる仲間の部隊と合流しなくてはいけませんが、そのためには危険なイリエワニが沢山いる湿地帯を渡らなければいけなく、また、湿地帯を渡らなければ敵軍が迫ってきます。

しかし、湿地帯を渡るとなると、ワニに立ち向かわなければいけません。

あなたなら、どちらを選びますか?

第二次世界大戦中の1945年のラムリー島の戦いの終盤、日本軍の兵士達は、まさにこの状況に陥っていたようなのです。

ラムリー島の戦いの序章

当時のビルマは、イギリス統治下にあったわけですが、太平洋戦争が始まると間も無く、戦略的にビルマが重要だと判断した日本軍がビルマに進攻して全土を制圧。

もちろんベンガル湾のラムリー島も日本軍に占領されていました。

一方、日本と敵対するイギリス側は、日本へ効率的に大規模攻撃を仕掛けるためにも、ラムリー島に空軍基地を必要としていたのです。

(出典:wikipedia

そこで、ラムリー島を奪い返すためにイギリス軍がラムリー島へ上陸したことで引き起こされたのが、およそ1ヶ月続いたラムリー島の戦いです。

この戦いの中ではしばらくの間、日本軍とイギリス軍の戦いは膠着状態にありました。

しかし、イギリス海兵隊とインド歩兵旅団が日本軍の拠点を包囲すると状況が変わります。

イギリス軍の作戦によって、日本軍は2つのグループに分けられてしまい、約1,000人もの日本兵が孤立してしまったのです。

降伏勧告を無視してイリエワニの恐怖に立ち向かった

イギリス軍は、孤立した日本兵達に対して降伏すべきだと伝えました。

もちろん、日本兵達も、イギリス軍の大隊には到底敵わず、また、イギリス軍から逃れられないことも悟っていました。

しかし、この日本兵達は降伏するのではなく、マングローブの茂る湿地帯を通る約13kmの道のりを進むことを選んだのです。

日本兵を取り巻く状況はさらに悪化します。マングローブの茂る湿地帯は泥が濃く、なかなか前に進めません。

一方のイギリス軍は、沼の端で遠くから日本兵を監視していました。

しかしイギリス軍は、逃げる日本兵達を積極的に追跡しようとはしませんでした。イギリスの兵士達は日本兵達が進む沼に、多くのイリエワニが存在することを知っていたのです。

ついにラムリー島のイリエワニと対峙する日本兵

イリエワニは世界最大級の爬虫類の一種で、平均サイズは全長4~5m、体重約450kgにもなり、大きい個体では全長約7m、体重約1トンになる場合もあります。

それに加えて、生息する湿地帯に適応した彼らは非常に俊敏に動けるため、湿地帯で人間は、スピード、俊敏性、大きさ、力など、あらゆる面で太刀打ち出来ません

このことに関しては、湿地帯を進む日本兵達も理解しており、また、イリエワニが人間を襲って食べるらしいことも知っていました。

しかし、それでも沼を渡る選択肢を選んだのです。

長い道のりを進んでいく中で、日本兵の中には、病気や脱水症状、飢餓などで命を落とす者も出始め、深い森に隠れていた蚊やクモ、毒ヘビ、サソリも、日本兵を襲いました。

そして、日本兵が沼の奥へさらに進むと、ついにイリエワニが現れたのです。

イリエワニは夜行性で、その時はちょうど夜でした。

夜の暗闇で獲物を見つけるのが得意なイリエワニが日本兵を襲ったことを、数人のイギリス兵が証言し、ラムリー島の戦いに参加した自然学者のBruce Stanley Writeが、以下のように記録として残しています。

That night was the most horrible that any member of the M.L. [marine launch] crews ever experienced. The crocodiles, alerted by the din of warfare and the smell of blood, gathered among the mangroves, lying with their eyes above water, watchfully alert for their next meal. With the ebb of the tide, the crocodiles moved in on the dead, wounded, and uninjured men who had become mired in the mud.

その夜は、我々にとって最も恐ろしい経験だった。血の匂いと戦闘の騒音によって警戒態勢になったワニ達はマングローブに集まり、水面から目を出して次の獲物を狙っていた。そして、引き潮に乗って、ワニは死者や負傷者、さらに泥沼にはまった無傷の兵士達に近づいていったのだ。

(引用:VINTAGE NEWS

その後、沼から出てイギリス軍に捕らえられた日本兵の数は20人。

さらに、イギリス兵に対して日本兵がワニの話をしたことから、およそ1000人に上る日本兵の大多数が、ワニによって命を落としたのではないかと考えられるようになったのです。

真偽に関して続く議論

しかしながら、先述したように、日本兵が命を落とした理由がワニによるものなのか、そして、本当に約1000人もの日本兵が命を落としたのかについては良く分かっていません。

というのも、ワニの襲撃以外にも、多くは病気や飢餓などによって命を落としたと考えられ、また、イギリス兵に捕らえられた日本兵の数が20人なだけで、実際には捕らえられることなく逃げ延びた可能性も十分にあるからです。

実際、日本側の記録では、ワニに襲われたという記録はなく、比較的多くの日本兵達が無事に島を脱出したとされているようです。

このような状況から2017年には、この出来事を「動物がもたらした最悪の災害」として登録したギネスブックが、「少なくとも死亡者の数については疑問が呈される」と追記を加えています。

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ラムリー島とラムリー島の戦い|イリエワニで有名な危険な島で日本兵が多く犠牲になった場所のまとめ

ミャンマー領の島「ラムリー島」と、そこで起きた「ラムリー島の戦い」について見てきました。

ラムリー島は一般的にそこまで馴染みの深い島ではありませんが、多くのイリエワニが生息していて、過去に、この地でラムリー島の戦いが行われたことを知ると興味が湧いてきますね。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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