ロシアと熊の関係は切っても切れない関係にあります。その具体例や「ロシアと言えば熊」というイメージが出来上がった背景まで、ロシアと熊の関係について詳しく掘り下げていきます。
「ロシアといえば熊」と言われるほど、熊はロシアを象徴するシンボル的存在として広まっています。
16世紀初めから、風刺画、新聞や雑誌記事、戯曲などで使われてきており、ロシア帝国、ソビエト連邦、そして今日のロシア連邦を指す際には「熊」が持ち出されることがあるほどです。
しかし、実は「熊」が正式にロシアのシンボルとされたことはロシアの歴史上で一度もなく、代わりにロシアの正式なシンボルであり続けたのは、ロシアの国旗に描かれている双頭の鷲です。
それにも関わらず、過去数百年もの間、ロシアを象徴するシンボルとして熊は度々使われ、いつの間にかロシア国内はもとより、国外でもロシアを想起させる動物となっていきました。
この記事では、ロシアと熊の関係を表す具体例から、「ロシア ≒ 熊」というイメージが出来上がった背景、そして、モスクワオリンピックに熊のマスコットが採用された理由の仮説までを見ていきたいと思います。
まずはロシアと熊の関係を表す具体例
ロシアを象徴する存在として度々描かれる熊は、ロシア国内で度々シンボル的存在として採用されてきました。
この両者の関係を象徴するいくつかの例を、まずは見ていきましょう。
ロシアの熊の関係具体例1:子熊のミーシャ
まず、ロシアと熊の関係を表す際たる例として挙げられるのが、1980年に開催されたモスクワオリンピックの大会マスコットである子熊の「ミーシャ」でしょう。
このミーシャは巨大で凶暴な生き物として知られる本来の熊とは異なり、可愛らしく笑う子熊でした。
ロシアの熊の関係具体例2:「熊の国章採用」に一定の支持があった
また、ソビエト連邦崩壊後のロシアでは、議会において「熊をロシアの新しい国章として使う」ことに対する一定の支持がありました。
これは、当時は既に世界的に「「熊はロシアのイメージとして定着していた」というのが大きな理由です。
ただし、実際にはロシア帝国の紋章であった双頭の鷲の紋章が、正式なロシアのシンボルとして復活しました。
ロシアの熊の関係具体例3:統一ロシアは熊をシンボルに採用
さらに、2000年代初頭からロシア議会で多数を占める統一ロシア党は、そのシンボルとして熊を採用しています。
加えて、2008年にロシア大統領に当選したドミートリー・メドヴェージェフの名字は、偶然にもロシア語で「熊の」を表す名前です。
ただし、複雑な気持ちを抱えているロシア人も多い
このように、熊をモチーフにしたシンボルは、ロシア国内でも度々採用されたり議題に上ったりといった歴史を持つものの、ロシアでは自国のイメージが熊であることに複雑な反応を持つ人もいるのが事実です。
これに関してはどうやら、「ロシア ≒ 熊」というイメージは元々、ロシア国内の人々の支持によって作られて定着していったというよりは、外国人に依るところが多く、中にはロシアに好意的なものばかりではなかったというのが理由のようです。
例えば、「巨大で凶暴で不器用なロシア」を表すために熊のイメージが使われることもありました。
「ロシア ≒ 熊」というイメージが定着していった4つの主だった理由
では、「ロシア ≒ 熊」が作られていった過程には、どのような歴史的背景や理由があったのでしょうか?
ここでは、主だった4つの理由を解説していきます。
餓えた熊に襲われる恐ろしいロシアという噂
「ロシアと言えば熊」というイメージが出来上がっていった背景の一つとして、1526年当時、オーストリアの外交官として働いていた「ジークムント(ジギスムント)・フォン・ヘルベルシュタイン」が残したロシアの冬についての記述を挙げることが出来ます。
この人物は、ロシアの地理、歴史、慣習に関する詳しい知識を近世のヨーロッパ人たちに伝えたことで有名でしたが、中には真実とは異なる描写もあり、熊に関してはまさにそれでした。
ヘルベルシュタインは、
熊たちは飢え、森を出て、近隣の村を走り回り家々を襲う。それを見た村人は逃げまどい、凍えて死んでいく。痛ましい死だ。
と書き記していたのです。
そして、彼の著書によってこの話が世の中に出回ってから約100年の間に、主にロシアを訪れたヨーロッパ人によってこの噂は広められ、さらに、
ロシアでは普通に熊が街なかをうろついている
というイメージにまで話が誇張されていき、それがヨーロッパを中心に定着していってしまったというのです。
育毛剤の広告が「ロシア ≒ 熊」のイメージ強化を後押しした
また、「ロシア ≒ 熊」の認知が向上し、ヨーロッパで定着していった背景には、16世紀半ば頃より定期的にロシアを訪れるようになったイギリス人商人達による「広告」というのもあったようです。
当時は、現代のように世界各国に関する詳しい資料も無ければインターネットも無かった時代。
そのため、外国に対するイメージは、自国に輸入されてくるその国の商人によって形作られていたと言える状況でした。
そんな状況下で、イギリスにはロシアから、
- ハチミツ
- 毛皮
- 羊毛
- 油脂
- 蝋
- 熊の脂
などが輸入されており、中でも特に熊の脂の印象が強かったとされ、「ロシアと言えば熊の脂」というイメージがある程度広く共有されていたようです。
では、なぜこの「熊の脂」が、当時のイギリス国内で強く印象付けられたのでしょうか?
それに関しては、次のような論理的背景があったとされます。
- 熊は非常に毛深い動物である
- そのため(イギリスの商人たちによって)ロシアの熊の脂は抜け毛予防に有効と宣伝された
- 薄毛が比較的多い英国紳士達は頭髪を守ることで頭がいっぱいだった
- そのため「抜け毛に効く」という宣伝文句は効果てきめんだった
- 結果として「ロシアの熊の毛」は男性を中心にイギリス中で話題になった
このような状況があり、「フランスのパリ ≒ クロワッサン」というように、「ロシア ≒ 熊」のイメージは強く印象付けられるようになっていったというのです。
熊の調教施設
さらに、ヨーロッパにおいて「ロシア ≒ 熊」のイメージが強化された別の理由として挙げられるのが、17世紀にスマルホニという街に設立された、当時有名だった熊の私営調教施設でした。
ここでは、ヨーロッパ中のサーカスに出演する熊が訓練されていました。
しかし、これに関して抑えておきたいのが、このスマルホニは18世紀後半(1793年)にロシア領となったものの、17世紀はまだポーランド・リトアニア共和国の一部だったという点。
当時のヨーロッパに住む人の多くは、正確な地理に関して無頓着であり、スマルホニは「どこか東にある町」程度の認識で、東と言えばロシアのイメージが強かったため、
- スマルホニ = どこが東にある町 = ロシアの町
- スマルホニ = 有名な熊の調教施設がある
- よって、ロシアの町 = 有名な熊の調教施設がある
となっていき、「ロシアと言えば熊」のイメージがヨーロッパで強化されていくこととなったのです。
ちなみに、スマルホニは現在、ロシアの西に隣接するベラルーシに含まれています。
冷戦時代に西側諸国で打たれたネガティブキャンペーン
そして、20世紀に入り第二次世界大戦が終了してから始まった、資本主義の西側諸国と共産主義の東側諸国の対立「冷戦」の時代において、熊を用いたいわゆる「ネガティブキャンペーン」が西側諸国によって度々行われました。
その中ではロシアを中心に形成されていたソ連に対して、「厳格で無慈悲な熊」のイメージが度々使われることになり、そのような政治的風刺も多く描かれました。
このような西側諸国による熊のネガティブなイメージを使ったソ連に対するキャンペーンは、ヨーロッパだけでなく他の西側諸国にも広まり、
- ソ連(ロシア)≒ 熊
- ソ連の後継国家と言えるロシア ≒ 熊
というイメージが広く定着していったのです。
ちなみに、冷戦当時の1984年のアメリカ大統領選でロナルド・レーガンは、有名な「森の中の熊」というテレビコマーシャルを使いました。
それによって、レーガンはソ連の脅威は認識しているが、ライバルの大統領候補は認識するに取るに足らないと揶揄。
これが功を奏したかは別として、レーガンは大統領に再選されることとなりました。
モスクワオリンピックに熊が採用された理由
見てきたように、「ロシアと言えば熊」というイメージは、外国人によって作られて広まってきたと言え、また、決してロシア人にとって気持ちの良いものとは言えない理由やネガティブなイメージが含まれていました。
しかし、ここで気になるのが、「では何故、モスクワオリンピックに熊のキャラクターを採用したのか?」ということです。
これについては簡潔にまとめると、
「ロシア(当時はソ連) ≒ 熊」が持つ悪いイメージを払拭し、ポジティブなイメージとして発展させていきたかったから
というのが核にあるのではないかと考えられます。
つまり、当時のロシア人達が好ましく思っていたかどうかは別として、熊が持つ「非常に勇敢で頑強な動物」というポジティブな面を打ち出し、「ソ連=勇敢で頑強な国家」であることをを西側諸国に対して強調したかったのではないかと言えるのです。
ただし、野生の熊の姿をそのまま採用してしまうと、「巨大で凶暴なロシア(ソ連)」と言う怖いイメージを世界中に対してストレートに与えてしまう可能性があるため、愛らしく笑っている子熊に置き換え、ミーシャが誕生したのではないでしょうか。
1980年モスクワオリンピックの閉会式でたくさんの風船とともに空に舞い上がっていったミーシャの姿は、多くの観客の感動の涙を誘いました。
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ロシアと熊の関係とは?モスクワオリンピックのマスコットミーシャが作られた背景までを探る!のまとめ
ロシアと熊の関係について、歴史的な具体例から、なぜ「ロシア≒熊」というイメージが出来上がったのかの理由、さらには、モスクワオリンピックに熊のマスコットが採用された理由までを見てきました。
正式に象徴とされているわけではないのに、「ロシアと言えば熊」というイメージが広まったのには、外国が大きく関わっていたことが分かり、その結果、ロシア人の中には「ロシア ≒ 熊」というイメージを素直に受け入れられない人もいるようです。
ただし、「ロシアにおいて熊は、古来より敬われ大切にされてきた」点は、最後に触れておくべきでしょう。
ロシア人が属するスラブ民族にとって熊は、「トーテム・アニマル」といわれる部族の守護動物のような存在でした。
また中世における数百年間、ダンスや芸をしこまれた熊を連れた旅芸人の一座が、ロシア全土を回っていました。
さらには、暴君として知られたイワン4世の治世、またその前後では、熊を用いた処刑が行われたこともあると言います。
このように、ロシアと言えば熊のイメージは確かに外国人に依るところは大きいものの、ロシアと熊とはそれ以前の歴史から切っても切れない関係にあることも確かなのです。