シェルパ族について詳しく紹介していきます。エベレスト登山には絶対に欠かせ無いネパールの山岳民族として、世界的にも知られています。
過酷な環境と思われるヒマラヤ山脈にでさえ、複数の山岳民族が暮らしています。
そしてその中の一つとして、主にネパールの山岳地帯を中心に暮らす「シェルパ族」という人々が存在しています。
シェルパ族は、世界的にも名前が知られている人々で、特にエベレストを始めとしたヒマラヤ山脈の登山においては欠かせ無い存在。これまで、ヒマラヤ登山を目指す多くの人たちがシェルパによって助けられてきました。
この記事では、そんなシェルパに焦点を当てながら詳しく紹介していこうかと思います。
シェルパとは?
「シェルパ(sherpa)」と知られるシェルパ族は、ネパール、インドのダージリンやシッキム、ブータン、中国のチベット自治区の主に山中で生活する民族の1グループ。
シェルパ族の大半が住むネパールにおいては主要な山岳民族の一つとして有名で、チベット語の一種である民族特有の言語「シェルパ語」を話す(注)人々。
2001年に行われたネパールの国勢調査によると、ネパール国内には約15万5000人のシェルパがいるとされ、また、全世界に散らばるシェルパ族全体では約28万人と推定されています。
そして、シェルパ族に属する人々はそれぞれ、合計18あるいずれかの氏族に属しており、氏族の名前を持っているのが特徴です。
(注釈)ネパールのシェルパ族は基本的にネパール語も話す。また、チベットで教育を受けた者やチベットの仏教僧院で修行を受けた者はチベット語を、登山関係で生計を立てているシェルパの中には登山客や観光客に対応するための外国語を習得している者がいるなど、必要に応じた言語を操れる人が比較的多い。
シェルパ族はその居住地と優れた能力や技術によって有名
ネパールに住むシェルパ族の多くは、ネパールの東部サガルマタ県、ヒマラヤ山脈の山々に囲まれたソルクンブ郡で生活しています。
この地域は、以下の2つのエリアで構成されており、コシ川(ネパール,インド北部を流れるガンジス川の支流)の主な支流であるスンコシ川で繋がった以下の2つのエリアで構成されています。
- ソル地方
- 標高約2,400mから3,100mに位置する
- クンブ地方
- 標高約3,700mから4,300mにあって牧草地も含まれる
- 東は中国のチベット自治区との国境、西はボテコシ川の土手まで広がっている
そして忘れてならないのが、このヒマラヤの山々に囲まれたシェルパの居住地は世界的に人気な観光地であり、なかにはエベレストなどの登山目的で来る人も多いってこと。
加えて、山岳民族であるシェルパ族の人々は登山に適した身体能力や優れた登山技術を持ち合わせていることから、ヒマラヤの山へ登山する際の支援部隊(ガイドやポーターなど)として雇われることが多く、ヒマラヤ登山においてはなくてはならない重要な存在として有名です。
ちなみに「シェルパ」という言葉は本来「シェルパ族」を指す言葉ですが、言葉が一人歩きした結果、近年では、この地域で生活する優れた登山やトレッキング技術を持つ他の民族も合わせてシェルパと言う場合が多くあります。
とは言うものの、ヒマラヤ登山を支援するガイドはシェルパ族出身の人間であることがほとんどです。
一方で、ポーターに関しても多くのシェルパ族出身の人間が従事していますが、シェルパ族の人間に雇われたその他の山岳民族の人々であることも比較的多いです。
シェルパ族の歴史ダイジェスト
シェルパ族のシェルパ(sherpa)とは、もともと「東部の人」を意味する言葉。
その名前の意味が示す通り、シェルパの原点はチベットの「東部地方」であるカムに遡ると考えられ、西暦15世紀頃に移住が始まり、17〜18世紀頃までには多くのシェルパ達がヒマラヤ山脈を越えてネパールまで移住してきたと言われます。
(チベットのカムにある民家)
また、シェルパ達は何世紀にも渡って、塩、羊毛、米を扱う商人として多民族と交易したり、ヤクや牛などの家畜の世話、そしてじゃがいも、大麦、そばなどを収穫しながら生計を立てていました。
そして、20世紀になるとヒマラヤ登山のために外国人がこのシェルパの居住地へ訪れるようになり、次第にその登山に優れた身体能力と技術が評価され、ガイドやポーターとして雇われることが多くなり、現在の評判に繋がっていったのです。
シェルパ族の信仰
シェルパ族の多くは、古代からの歴史を持つニンマ派または紅帽派(こうぼうは)のチベット仏教教。
しかし、実際に実践されている宗教的儀式や習慣は、仏教と現地のアニミズム(自然界のそれぞれのものに固有の霊が宿るという信仰)が融合されたものとなっています。
また、このアニミズムを象徴するものとして、シェルパ族の人々は登山に秀でた身体能力を有するのにも関わらず、20世紀に外国人がやってくるまでヒマラヤ登山に挑戦することはなかったという話があります。
これは、シェルパの人々は山への敬意を持ち続けているからで、山を汚すことは山の神々の怒りを招くと考えるなど、神聖な存在として認識していたから。
しかし、もともと所得が少なく貧しい生活を強いられていたこともあり、徐々に「外国人の登山を支援することは生き方の一つである」と受け入れるようになりました。
ただ、現在でもシェルパ族の人々にとって山は信仰の対象であり、登山をサポートするシェルパ族の人々も、山の神々に対してしかるべき敬意が払われていないと登山中の事故が起こると信じており、登山前には「プジャ」と呼ばれる神々へ捧げ物をする儀式を行います。
さらに、聖なる山が海外の登山者によって汚され無いように、山を守るための努力も続けています。
山岳民族「シェルパ族」について知っておきたい6つのこと
シェルパ族が行う山岳支援の仕事ってどんなの?
上でも触れた通り、シェルパ族と言えば山岳支援のガイドやポーターとして非常に有名。
「シェルパ ≒ 登山を支援してくれる人」といった感じで捉えられることだってあるぐらいです。
では、登山支援をする上で、シェルパ族の人々は具体的にどのような業務を行っているのでしょうか?
一般的なシェルパが担う登山で担う業務は主に、
- キャンプの設営
- 他のポーター達の管理
- 荷物が体力に応じてバランスよく分配されているかの確認
- トレッキング中のクライアントの安全管理
- クライアントやチームとの連絡
- その他道中のサポート
- 先に行ってロープとハシゴをセットするなど山の危険な部分を担う
- 先に行ってクライアントがキャンプに到着したときに紅茶が沸いているようにする 等
といったもの。
一方で、ベースキャンプ以降の道のりは、シェルパ族や他の山岳民族の中でも、特に登山に関して専門知識を持った一握りの人間がサポートしていくことになります。
そして、この役割を担う人は、シェルパ族出身の優秀で経験豊富な専門家であることがほとんどです。
ちなみに、このような「精鋭のシェルパ」は、月の平均的な月収が100ドルにも満たないネパールにおいて、なんと月に2000〜2500ドルほどを稼ぎ出すこともあり、同国では高給取りになります。
大金を稼いだシェルパの中には移住する者も多い
ネパールの平均収入と比べると圧倒的に稼ぐ一部のシェルパ達の中には、ある程度財を成した後にシェルパを辞め、カトマンズ(首都)へ移住したり、海外へ移住する者もいるそう。
例えば、現在、5000人を超えるシェルパが海外で暮らしているようですが、そのうちの半数はニューヨークにいるらしい。
この元山岳住民の中にはタクシーの運転手として生計を立てたり、登山やトレッキング関連のビジネスを展開している人も存在します。
また、自身はネパールの都市部や海外へ移住しなかったとしても、稼いだお金で子供をカトマンズや海外へ送って教育を受けさせるといった人々もいるようです。
過酷な登山を続けるためにシェルパが好んで食べるもの
エベレストを含め、ヒマラヤ山脈には世界で最も高い標高を誇る過酷な山がいくつも存在するわけですが、これらの山を登頂するには、十分なエネルギー確保のためにもかなりしっかりと食べておく必要があります。
そこで、多くのシェルパが栄養補給のために食べる料理が「ダルバート」と呼ばれるネパールの定番料理。
簡単に言えば、ネパール風カレー定食といった料理で、
- 山盛りの白米
- カレー味に煮込んだ野菜や肉
- レンズ豆のスープ
などが並びます。
高い標高の道のりを長距離歩くだけでなく、重い荷物を支える筋肉も維持しなくてはならないため、筋肉が落ち無いような栄養管理に気をつけているそうです。
シェルパ族の山岳に適応した身体能力は遺伝によるもの?
シェルパ族の登山における異的な能力は、実は遺伝レベルのものだという結果が、1976年に行われたアメリカの研究で明らかになっています。
どうやらシェルパ族の人々は、
- 独特のヘモグロビン結合酵素
- 2倍の一酸化窒素産生能力
- グルコースを利用できる心臓
- 低酸素状態でも高い効率性を持って働く肺
を有しているらしいんです。
世界で最も標高の高い地域に数千年間も住んでいた結果、その環境に適応するために遺伝子レベルで変化が起こり、特に低酸素の高所で優れた能力を発揮出来る体を持つようになったと考えられています。
エベレスト人類初登頂を達成した有名なシェルパ「テンジン・ノルゲイ」
これまで多くのシェルパ達が、登山隊を支援しながらヒマラヤ山脈の山々へ登頂してきましたが、中でも最も有名なのが「テンジン・ノルゲイ」と言うチベット生まれのシェルパでしょう。
(出典:wikipedia)
エベレスト挑戦をするイギリスの登山部隊を、1930年代から荷物を運ぶポーターとして支援し始めますが、6回にもわたる挑戦にも関わらず、エベレスト登頂を達成出来ずにいました。
時は流れ、1953年に新たな登山隊に参加。同年5月29日、ニュージーランド出身のエドモンド・ヒラリーと一緒に、人類初のエベレスト登頂を果たしたのです。
この成功は歴史的偉業で今でもシェルパ族の人々にとっては誇りであり、テンジン・ノルゲイは世界で最も有名なシェルパの一人として知られるようになりました。
登山支援の中で命を落とすシェルパも多い
低酸素の高所で優れた能力を発揮するシェルパ。しかし、そんな彼らも実は登山支援の中で多くが命を落としています。
これまでくつものチームがエベレスト征服を試みてきたわけですが、そこには必ず複数のシェルパ達が同行しています。
そして、過去には200人を超える人々がエベレストに挑戦して命を落としたと言われますが、そのうちの1/3は同行したシェルパ達なのです。
特に、クライアントの安全を出来る限り守ることが仕事であるシェルパは、率先して先回りし、ロープを張ったりハシゴを取り付けたりするわけで、これは登山の中で非常に危険な作業。
また、山頂に行けるチャンスは1度きりかもしれないため(登山は高価なスポーツなので特に)、頂上制覇の熱に取りつかれ、リスクを冒して安全の限界を超えて登山しようとするクライアントもおり、そのような場合もシェルパ達はついていかなくてはいけません。
その結果、どんなに登山に優れた技術や体力を有しようとも、同行したシェルパは命を落としてしまうことがあるのです。
合わせて読みたい世界雑学記事
- グルカ兵|世界最強兵士の伝説的な強さや歴史と知られていない話まで
- ネパールの宗教|割合からヒンドゥー教・仏教・キリスト教などの状況まで
- ネパールの民族|主要民族から少数民族も含めた一覧
- ネパールの標高(海抜)はどれぐらい?【標高が高い国代表格】
- →こちらからネパールと世界の民族に関する情報をさらに確認出来ます
シェルパ族|エベレスト登山に欠かせないネパールの山岳民族のまとめ
ネパールの山岳地帯を中心に暮らすシェルパ族について見てきました。
その登山における優れた能力や技術は、世界的にも非常に有名で、ヒマラヤ登山においては欠かせ無い人々です。