シュメール文明の謎6つの話|神やノアの洪水に関して知りたければ。

シュメール文明の謎の中でも興味深い6つのことについて詳しく紹介していきます。シュメール人の神やノアの洪水の話につながった出来事を見ていきましょう。

歴史上最も謎多き人々とさえ言われるシュメール人は、古代メソポタミア文明の初期を担った人達で、彼らの文明はシュメール文明と呼ばれることもあります。

このシュメール文明は、当時としては驚くほど発展していたと考えられており、そこには今日に通じる技術や思想が多く存在し、さらには、未だに解明されていない謎も数多く残っています。

そこで、シュメール文明に関することの中でも、「謎」とされる6つのことに関して見ていきたいと思います。

シュメール人の生い立ちやノアの洪水につながったであろう出来事、そして、独自の神にまつわることなど、調べていて飽きないシュメール人の謎を紹介していきます。

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シュメール文明の謎① シュメール人の本土(起源)

シュメール人は、およそ6000年前(紀元前4000年頃 ※紀元前5000年と言われることもある)に、現在のイラク・クウェート南部に広がるチグリス川とユーフラテス川の間にやってきて住み始めた人々。

シュメール人は、この地に興った最古の都市文明メソポタミア文明の初期を担ったとされ、人類文明の発展に大きく貢献しましたが、今もなおどこからやってきたのか、つまり、彼らの元々いた土地や起源に関しては謎に包まれたままなんです。

一部の学者達は考古学的なデータと残された文字などを手がかりに、シュメール人達はもともと海岸沿いに住んでいたのではないかと仮説を立てています。

その主張によると、シュメール人は川に沿って移動してきた結果、メソポタミアの地、チグリス川とユーフラテス川のデルタ地帯にたどり着き、最初の村を作って定着したのではということらしいです。

また、この仮説の通りだと、元々海岸沿いに住んでいたということで、

  1. シュメール人は優れた航海技術を持っていたのではないか
  2. よって、川を難なく移動出来たのではないか
  3. そして、船のドッキングに適した場所がデルタ地帯だったのでないか

という3つの仮説を論理的に導き出せます。

一方で、シュメール語では「国(Country)」と「山(Moutain)」に相当する言葉が同じ単語で示されていることから、シュメール人は山岳地帯に国家のようなものを築いて住んでいたと考える学者もいます。

この主張に従った場合、シュメール人の主な都市に建設された、巨大な聖塔「ジッグラト」が山の様な形をしている理由が説明できます。

しかし、いずれにしても確証に至る証拠はなく、また、海と山では全く相反するため、やはりシュメール人の本土(起源)に関しては謎に包まれたままなのです。

ただし、どちらにせよ一つ重要なこととして挙げられるのは、シュメール人は発展した技術を持っていたということ。

優れた灌漑システムや独自の文字による記述、進んだ天文学や建築技術に加え、バイクやロケットを表現したものとしか考えられないような遺物も多く残っています。

シュメール文明の謎② 謎に包まれたシュメールの言語

シュメール人がどこから来たのか分からない人々であるということはまた、彼らの言語的な起源も謎に包まれたままだということ。

シュメール人がメソポタミアの地にやってくるまで、そこにはセム系民族が住んでいましたが、シュメール人とこのセム系民族が使った言語にはなんの関係もないと考えられており、同時にこのことは、民族的にも容姿的にもこの地域に元々いた人々とシュメール人は異なることを意味しています。

さらに、シュメール語はシュメール人の間で統一されていなかったとも言われています。

つまり、男性、女性、漁師、羊飼いはそれぞれ違う方言を使っていたということであり、あれほど発達した都市国家を建設したのにも関わらず、言語が統一されていたなかったという点も謎を呼ぶのです。

そして、シュメール語の発音に関してもまだまだ謎が多く残っていますが、多くの同音異義語を手掛かりにすると、現代の中国語のように、イントネーションやトーンを変えることで言葉に意味を持たせていたのではないかと考えられます。

一方で、幸いなことにシュメール人は文字が書かれた多くの石碑を残しています。

その石碑によって、シュメール人というのは他の民族によって使われていた言葉であり、シュメール人自身は自らを「ウンサンギガ(黒頭の民)」と呼んでおり、また、シュメール人の言語は聖なるものであり、「人間」が使うべき唯一無二の言葉であると考えていたのが分かっているそうです。

ちなみに、宗教の本や教科書にはシュメール語が使用されていたため、シュメール文明の崩壊後もしばらくの間、この地域ではシュメール語が一部の領域で使われていたようです。

シュメール文明の謎③ シュメール人はノアの洪水の生き残り?

シュメール人がメソポタミアにある2つの川の間を選んだのは偶然ではありません。

チグリス川とユーフラテス川はアルメニアの山々を起源にしており、川には豊富や栄養やミネラルを含んだ泥がたくさん含まれて運ばれているからです。

そのためメソポタミアの土地は栄養が肥沃で、果樹園や野菜などの農耕が栄えました。

また、川では魚を捕まえたり、水を飲みに来た野生動物を狩猟することが出来、家畜に与える餌も豊富に取れたのです。

しかし、そのような理想的なチグリス川とユーフラテス川の流域も、季節によっては大災害を引き起こすことを、シュメール人でさえ当初は予期していなかったのかもしれません。

この地帯は山の雪が溶けると一気に水かさが増し、度々洪水が発生するのです。しかも悪いことに、この地域の洪水を予期することは凄く困難だという特徴があります。

そのため、シュメール人がこの地に定住してから何度も洪水に悩まされることになります。

特に大洪水ともなれば都市や村を破壊し、野原は水浸しになり農作物は枯れ、動物や人も多く死んでしまったようなのです。

このような大きな災害に何度か遭遇しているうちに、現在知られるノアの洪水と方舟の話の元となった、ジーウースードラ(大洪水を逃れるための船を建造したといわれる伝説上のシュメールの王)の話が出来上がったのではないかと考えられています。

その伝説は次のようなものです。

神々の会合で、人類を滅亡させるという恐ろしい決断が下されましたが、神々のうちエンキだけが人々の共感者でした。

エンキはジーウースードラの夢に出現し、大きな船を作るようにと告げます。

ジーウースードラはエンキの言う通り大きな船を作りあげ、そこへ自分の所有物に加えて、友達、家族、人類の知識を将来へつなげるための異なる分野の専門家と技術者、動物を残すための家畜、自然動物、鳥などを船に詰め込みました。

その後、船のドアは樹脂で作られた接着剤で固く閉ざされます。そして翌朝、神々も恐れるほどの恐ろしい洪水が起こったのです。

雨と風は6日間、7回の夜を通して続きました。

そして大洪水が引いた後、ジーウースードラは船を出て神々に捧げ物をし、対して神々はジーウースードラの忠誠心を讃え、彼と彼の妻に永遠の命を授けたのです。

この伝説は、ノアの方舟伝説を思い出させるだけでなく、聖書に書かれた物語全体がシュメール文明を基にしたのではないかとさえ思わせる話です。

シュメール文明の謎④ シュメールの国家

シュメール文明ならびにシュメール国家は、現在の国家と異なる点が多く、未だに謎に包まれています。

その大きな特徴として、1つの国で構成されていたわけではないという点を挙げることが出来ます。

多くの都市国家(代表的なものはキシュ、ウル、ウルク、ラガシュ)で成り立っており、言語、宗教、文化は共通していましたが、それぞれの都市国家が独自のルール、支配者、軍隊を保有していたのです。

同じシュメール人でありながら、都市国家は互いに戦ったり、同盟を結んだり、貿易を行うこともありました。

また、それぞれの都市国家には支配者が3人ずついたとされます。

最も権力のある人は「エン」と呼ばれ、王(エンがは女性だった可能性もある)でもあり聖職者でもあったのです。

エンの主な義務は、宗教的な行事をまとめること、また、時には全ての神殿の面倒を見たり、コミュニティ全体の財産を管理することもありました。

そして戦争が起こると、シュメール人は「ルーガル」と呼ばれるもう一人のリーダー(軍隊の将軍みたいな存在)を選ぶことがあったそう。

このルーガルの中で最も有名で、現在でも名前が知れ渡ったいるのが、ギルガメッシュ叙事詩の主役、伝説的な王ギルガメシュです。

シュメール文明の謎⑤ シュメール人の神

シュメール人は発達した宗教制度を持っており、天の神「アヌ」、地球の神「エンリル」、水の神「エンキ」の3人を特に崇めていました。

そして、それぞれの都市国家にはその都市を守る神がいたのです。

例えば、エンリルはシュメール国家の中でもニップルという古代の都市で特に崇拝されており、その都市に住んでいた人々は、エンリルが農業に必要な様々な道具を人間に教えてくれ、また、都市建設の仕方やその都市の周囲を壁で覆うことを教えてくれたと崇めていたようです。

さらに、太陽の神ウトゥと、月の神ナンナもシュメール人にとっては重要な存在で、加えてシュメール文明の神殿において最も重要なのが女神のイナンナ。

このイナンナは、その後シュメールの宗教制度を真似たフェニキア人にはアスタルテと呼ばれたり、また、アッシリア人からはイシュタルと呼ばれた存在です(名前を聞いたことがある人もいるかもしれませんね)

イナンナは愛、繁栄、戦争の神であり、肉体的な愛と情熱の象徴。

そのため、多くのシュメールの町では「天の結婚」という伝統があっとされ、王は都市を肥沃に保ち、市民や家畜の健康を願うため、女神イナンナを具現化した最も位の高い女司祭「イナンナ」と一晩を過ごすという儀式が存在したそうです。

ちなみにシュメール人達は、人は粘土と神の血が混ぜられた結果生まれたと信じており、「人間が泥から作られた」という点は旧約聖書にも反映されている共通項です。

シュメール文明の謎⑥ あまりにも長生きな王達

シュメールの歴代の王が記されているシュメール王名表には、公式な王権や王の移り変わりが在位した期間(年数)と共に記録されていますが、そこには謎なことが一つあります。

それは、初期の王達の在位期間は、人間の寿命を遥かに超えてあり得ないぐらい長いこと。

例えば、エリドゥの王アルリムとアラルガルはそれぞれ、28800年間と36000年間在位したとあり、その後、後世にいくにつれ徐々に在位期間が少なくなり、10人目ぐらいになると在位期間は1000年弱になり、さらに世代を重ねて有名なギルガメシュになると126年と短くなっていくのです。

この点に関しては、「完全なる作り話」だという主張もあれば、「在位記録は事実に基づいており、最初の王達は神自身で、人間と徐々に交わっていった結果、王達の寿命も人間に近づいて短くなっていった」とする主張もあります。

また他の主張として、古代エジプトの例を参考にしたものもあります。

古代エジプトでは、「彼は110歳で亡くなった」といった表現をする時、その年齢は実際に亡くなった時の年齢を表しているのではなく、「どれだけ社会に貢献したか」を表すことがあったと言います。

そのため、シュメール文明でも同じように、社会に対して特に大きな貢献をした王は、その在位期間が長く記録され、そのことは同時に、その王の「貢献度」を示しているのではないかという主張です。

このように、信じられないほど長い初期シュメール王の在位期間に関しては、どの主張も裏付けがなく、多くの謎が残ったままなのです。

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シュメール文明の謎6つの話|神やノアの洪水に関して知りたければ。のまとめ

古代メソポタミア文明の初期の担い手シュメール人の文明は、未だに多くの謎が残ったままです。

これから、どれだけ謎が解明されていくかは分かりませんが、シュメール人の存在は人間の起源に大きな問いかけをしてくれます。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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