イギリスの歴史・イギリス史における重要な事件や出来事13選

イギリスの歴史・イギリス史において重要な13個の事件や出来事を紹介していきます。大きな存在感を示すイギリスを理解するためにも確認してみましょう。

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ヨーロッパにおいて一際大きな存在感を持つイギリス

現在、世界の共通語とも言える「英語」の発祥の地であるなど、イギリスが世界の歴史に与えてきた影響は非常に強いものがありました。

では逆に、そのようなイギリスを形作ってきた出来事とは、どのようなものがあるのでしょうか?

この記事では、イギリスの歴史上で起こった数ある事件や出来事の中でも、特に重要だと言えそうな13個をピックアップして、それぞれ簡単に紹介していきたいと思います。

ちなみに、分かりやすいように、時系列に並べてそれぞれを解説していきます(長い期間をまたぐために、一部当てはまらないものがあります)

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イギリス史における歴史的事件1:ローマによるグレートブリテン島の征服

紀元前55年、当時の政治家で最高権力者であったガイウス・ユリウス・カエサルの指揮により、共和制ローマが現在のイギリスの地「グレートブリテン島」へ侵略を企てます。

これは、ローマとグレートブリテン島の初めての接触でした。

しかし、実際にこのグレートブリテン島の一部(南部)が古代ローマの属州として組み入れられたのは、それからおよそ90年後の紀元後(西暦)43年になってからのこと。

古代ローマは帝政へ移行しており、そのローマ帝国第4第の皇帝クラウディウスによって計画は成し遂げられ、古代ローマの属州となったグレートブリテン島南部は「ブリタンニア」と名付けられました。

このローマによるブリタニアの属州化は、その後、この地へ昔から住んでいたブリトン人や、後に侵攻してきたゲルマン系民族サクソン人などの関係へ、大きな影響を与えることになり、現在のイギリス人のルーツの形成に繋がっていったのです。

イギリス史における歴史的事件2:ウィンウェドの戦い

現在のイギリスはイギリス国教会の信徒が大半を占めるキリスト教国の一つですが、この状況の大元を作り出したのが、西暦655年に起こった宗教戦争「ウィンウェドの戦い」。

イングランドの北東部に7世紀に築かれたノーサンブリア王国の王オスウィンは、キリスト教徒の王でした。

彼は、同じ時期にイングランド中部で強い力を持ったマーシア王国の王ペンダが、イギリスとウェーズルの地において異教を広めようとしているのに対抗するため挙兵し、ウェインウェドの川岸で両軍は戦うこととなったのです。

そして、見事オスウィン王側が勝利してペンダ王はキリスト教に改宗したと同時に、オスウィン王は領主達に12の修道院を建設すると約束。

これを機に、イギリスとウェールズではキリスト教勢力が拡大し、現在のイギリスにおける宗教状況の基盤が出来たのです。

イギリス史における歴史的事件3:1066年

イギリスの歴史の中で最も有名な年一つと言えば、おそらく1066でしょう。

というのも、この年にはイギリスの歴史において重要な、

  1. スタンフォード・ブリッジの戦い
  2. ノルマン・コンクエスト

の二つの出来事が起こったから。

まず、スタンフォード・ブリッジの戦いとは、当時、イギリスが西欧に帰属するのか、それとも北欧に帰属するのかで議論が起こっていた中で始まった戦いで、最終的には当時のイングランド王「ハロルド2世(1066年)」がヴァイキング(ノルウェー人)勢を破ってイングランドから追い出した事件。

イギリスはこの事件を境にして、西欧に帰属することが確固たるものとなったと言えるでしょう。

(ノルマンコンクエスト)

そしてもう一つのノルマン・コンクエストとは、現在のフランスに住んでいたノルマン人が、ドーバー海峡を超えてイングランド王国へ侵攻し、イギリス王の座を奪取してノルマン朝を築いた事件。

これ以降、イギリスとフランスは密接で複雑な関係となり、今日のイギリスが形成されていくことになりました。

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イギリス史における歴史的事件4:マグナ・カルタの制定

1215年は、憲法によって国の法規範が定められたイギリス、そしてその他の国にとって、草分け的な年となりました。

それは、マグナ・カルタ(大憲章)と呼ばれる、重要で根本的なことを定めた取り決め(憲章)が作られた年だから。

マグナ・カルタの制定が当時のイギリス社会に与えた衝撃は、大きくありませんでした。

この憲章は、当時のイングランド王「ジョン王」の権力を制限しようとした貴族が強要した結果として出来たものであったため、最初の憲章は速やかに無効とされただけでなく、これといって社会に大きな影響を与えたわけでもなかったのです。

しかし、ジョン王の死後、息子によって再び制定された憲章に思想は受け継がれ、今日では法律、人権、正義の原理とみなされているなど、このマグナ・カルタによる遺産が非常に重要なのです。

イギリス史における歴史的事件5:ウェールズ侵攻

現在のイギリスはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの国からなる連合型の国家ですが、この姿になるにあたって、13世紀後半に起きた「ウェールズ侵攻」という出来事は重要でした。

当時のイングランド王「エドワード1世」は、独立国であるウェールズを併合したいと考え、ウェーズル征服のために、複数に渡って攻め入ります。

その結果、当時のウェールズ王(ウェールズ大公)であったルウェリン・アプグリフィズは死亡し、ウェールズの独立は失われてイングランドの支配下に入りました

このウェールズ征服後、エドワード1世はスコットランド王位も継承し、現在の連合型国家イギリスに近い国が形成されていったのです。

※ただし、スコットランドは13世紀から14世紀にかけて起きたスコットランド独立戦争に勝利し、その後、アブロース宣言によってスコットランド王国として独立する。

イギリス史における歴史的事件6:百年戦争

百年戦争は1337年に始まり、その後、およそ100年(116年)も散発的に続いた、イングランドと王国とフランス王国の一連の戦いの総称のことで、イギリスの歴史上では決して忘れてはいけない事件でしょう。

この戦争は、イングランド領でありながらフランスの統治下にあったアキテーヌ地方を巡る争いと、イングランド側がフランス王国の王位継承を狙ったという二つの大きな理由によって引き起こされました。

ちなみに、イングランド王国とフランス王国の王室はお互いに共通の血筋を持っており、見方によっては親族間の中で起きた争いとも言えます。

しかし、この戦争中には50を超える戦いが起こり、多くの国民が犠牲となりました。

そして、長く続いた百年戦争は、イングランドのナショナリズムや国民意識を高めることにも繋がったのです。

イギリス史における歴史的事件7:ペストの流行

国中がペストに襲われる中、人々がどれほどの恐怖に怯えることになったかを、最先端の医療や予防法が確立した現代の先進国に住む私たちが想像することは困難です。

14世紀にイギリスも含めたヨーロッパ全体で大流行したペストは、別名「黒死病」として恐れられ、当時のイングランドの総人口の1/3が亡くなり、町や村は荒廃したと言われます。

一方で、黒死病は社会に大きな影響を与えます。

その前から続いていた百年戦争とこの黒死病によって労働不足が顕著になった結果、農民の移動の自由を制限するなど、農奴制が強化されたため、生き残った農民達が大規模な反乱「ワット・タイラーの乱」を起こし、イギリスにおける農奴制終焉への扉が開かれていったのです。

イギリス史における歴史的事件8:薔薇戦争

黒死病の大流行から100年も経たないうちに、イングランドでは再び歴史的な大騒乱が起きます。

その出来事とは、1455年から始まった「薔薇戦争」と呼ばれるもので、ヨーク家とランカスター家という二つの強力な家(王朝)同士の戦いでした。

そして、この薔薇戦争は30年にも渡って続き、その間、イングランド国内では反乱や陰謀が渦巻き、元々存在したイングランド貴族の25%ほどが消滅したとされます。

結局、この薔薇戦争ではランカスター家のヘンリー7世がヨーク家に勝利して、ヨーク家の王女と結婚し、1603年まで続くテューダー朝が開かれることになりました。

イギリス史における歴史的事件9:シェークスピアの誕生

イギリスの歴史の中でも、同国へ文化面から大きな影響を与えた人物と言えば、1564年に生まれたウィリアム・シャークスピア

劇作家で詩人、そして、英文学における最も優れた偉人とされています。

英語の中にはウィリアム・シェークスピアのおかげで使われている言葉が1000語以上もあり、彼の作品中の言葉遣いは、今日でも会話の中でごく普通に使われていたりと、後々のイギリスへ強い影響を与えました。

シェイクスピアによる「ハムレット」、「マクベス」、「リア王」、「ロミオとジュリエット」などはとても有名で、今日でもイギリスはもとより世界各国で上映されています。

イギリス史における歴史的事件10:1707年と1800年の合同法

合同法とは、現在のイギリスに含まれる各国が、一つの国家として合併する上で調印されていった法律のこと。

イギリスの歴史の中で最も最初に成立したのが、ウェールズとイングランド王国の合併を定めた合同法(1536年、1543年)。

そして、それから150年以上経った1707年に成立した、イングランド王国とスコットランド王国の合併を定めた合同法は、両国の姿をグレートブリテン王国へと変えました。

それからおよそ90年後の1800年、今度はグレートブリテン王国とアイルランド王国の統合を定めた合同法が成立し、現在のイギリスの前身となる「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」が形成されたのです。

イギリス史における歴史的事件11:ワーテルローの戦い

19世紀初頭、ナポレオン・ボナパルトの下でフランス軍は、ヨーロッパにおける支配の拡大を進めていました。

このナポレオンを中心として1803年から1815年にかけておこった一連の戦争は「ナポレオン戦争」として知られますが、この戦争を最終的に終わらせることになったのが、1815年6月18日にベルギーのワーテルロー近郊で起きた「ワーテルローの戦い」です

この戦いには、対仏同盟を結ぶイギリス、オランダ、プロイセンなどが参加し、ついにナポレオンの野心を打ち砕くことに成功。

これによって、ヨーロッパではその後、長く平和が続き、イングランドとフランスで何世紀にも渡って起こってきた衝突も終わらせることができました

イギリス史における歴史的事件12:ヴィクトリア女王の即位

1873年は、イギリスを世界で最も強大な国の一つとしたある人物が国王に即位した年でした。

その人物とは、イギリス史の中で燦然と輝く名君の一人「ヴィクトリア女王」で、63年にも及ぶ治世の中で、当時のイギリス帝国(大英帝国)は繁栄を極めることになりました

  • 政治
  • 経済
  • 文化
  • 科学技術

など、あらゆる面でイギリス帝国は発展することになったのです。

また、世界各地に植民地を作り、植民地の臣民達を一つに結びつけ、イギリスを一大帝国にまで成長させました。

かつてのイギリス帝国に属していた主権国家からなるイギリス連邦や、イギリス連邦加盟国の中でもイギリスの国王を自国の王として戴く英連邦王国は、この時の名残として未だに現在の世界に存在しています。

イギリス史における歴史的事件13:世界大戦

第一次世界大戦と第二次世界大戦は、世界にとって大変重要な意味を持った戦争で、近現代の人類史の中で最も特筆すべき出来事と言えるものですが、イギリスにとってもそれは同じです。

1914年7月、イギリス(大英帝国)、イタリア、フランス、ロシアの連合国軍は、ドイツ、トルコ、オーストリア=ハンガリーから成る中央同盟国軍と対峙して開戦。

最終的には連合国側にアメリカが加わり、イギリス側の勝利が決定づけられました。

一方、1939年に始まった第二次世界大戦では、またもイギリスは最終的に勝利する連合国側に加わり、ナチスドイツや大日本帝国が加わった枢軸国陣営を倒すわけですが、勝者側であるイギリスも大きな経済的打撃を受けて植民地の維持が困難った結果、繁栄を誇った大英帝国の崩壊に繋がってしまいました

またこれにより、世界の覇権もアメリカに譲ることになっていったのです。

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イギリスの歴史・イギリス史における重要な事件や出来事13選のまとめ

豊かなイギリス史の中でも、現在のイギリスを形成するにあたって重要だと思われる13の事件や出来事を紹介してきました。

もちろん、他にも多くの歴史的事件が重なって現在のイギリスが作られていったわけですが、今回紹介した13個の出来事を知っておくことは、大まかなイギリス史の流れを理解する上で役立つかと思います。

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