チグリス川とユーフラテス川は古代文明の一つメソポタミア文明の発展に大きく寄与した川で、人類史において非常に重要。地図で場所を確認しながら歴史的な観点から見ていきましょう。
今日、私たちが所有し、使用している物の多くは、海や河川を経由して船で運ばれてきています。
また、砂漠に暮らしていない限りは気づくことはないかもしれませんが、川、湖、小川は地域コミュニティの源泉になっています。
例えば、毎日飲んだり流したりしている水は大抵、川から取り入れられたものでしょう。
このように川は、現代の商取引に不可欠な流通ルートであると同時に、生活においても欠かせない存在ですが、それは古代文明においても同様でした。
そして中でもチグリス川とユーフラテス川は、周辺地域に定住した人々に農業収穫のチャンスを与え、結果として世界最古の文明の一つを育んだ非常に重要な川です。
この記事では、そのチグリス川とユーフラテス川に関して歴史上の役割を理解するために、まずは地図で場所を確認することから始め、文明発展における重要性、そして二つの川の周辺で勃興したいくつかの国や都市について見ていこうと思います。
チグリス・ユーフラテス川の場所を地図で確認してみよう
チグリス川(ティグリス川)の地図と場所
チグリス川は、東トルコのタウルス山脈を源流とし、全長は1,850kmの川。
トルコの源流から北西に伸びるトルコとシリアの国境東端に沿って流れ、その後イラク領内を北から南に流れています。
そして、イラクの都市ナーシリーヤ近郊でユーフラテス川に合流してシャットゥルアラブ川となった後、およそ200km流れてペルシャ湾に注いでいます。
(Tigrisがチグリス川 / Euphratesがユーフラテス川)
かつてのチグリス川は季節によっては氾濫を起こしやすく、それが周辺地域を肥沃な土地にしていました。
一方で、現在は貯水池確保と水力発電両方の目的で大規模なダム開発が行われた結果、チグリス川の流れを抑えて氾濫をコントロール出来るようになっています。
ちなみに、チグリス川の氾濫が、旧約聖書に登場するいわゆるノアの方舟と大洪水の伝説の元になったのではないかとの主張もあります。
ユーフラテス川の地図と場所
ユーフラテス川は中東最長の川で、その全長はチグリス川よりもおよそ1.5倍長い2800km。
カラ川とムラト川という二つの川が東トルコで交わることで現れる川で、トルコで最大の非常に大きな湖「ヴァン湖」の北西にそれぞれ源流を持ちます。
(Tigrisがチグリス川 / Euphratesがユーフラテス川)
そして、トルコとシリアの国境の西寄りを通過してシリアに入ると、ちょうどシリアの中央部を突っ切るようにしてそのままイラクの中央部を流れ、ペルシャ湾からおよそ200kmのところでチグリス川と交わりシャットゥルアラブ川となってペルシャ湾に注ぎます。
このユーフラテス川もチグリス川と同様に、過去に幾度も洪水を引き起こしてきましたが、現在は複数のダムが建設された結果、水量をコントロール出来るようになり、洪水被害は抑えられています。
歴史に見るチグリス川とユーフラテス川の文明発展への寄与
肥沃な三日月地帯とメソポタミア文明の発展
東を流れるチグリス川と西を流れるユーフラテス川は共に、人類最古の文明の一つ「メソポタミア文明」の発展には欠かせなかった「肥沃な三日月地帯」の一部を形成しました。
肥沃な三日月地帯とは、
その範囲はペルシア湾からチグリス川・ユーフラテス川を遡り、シリアを経てパレスチナ、エジプトへと到る半円形の地域
(出典:wikipedia)
のことで、チグリス川とユーフラテス川は氾濫を繰り返したことで、主にこの三日月地帯の中でも、ペルシア湾から地中海まで繋がる地域を定期的に冠水させ、農耕に適した土壌を作り上げたのです。
その結果、紀元前8000年頃〜紀元前7000年頃には、人類最古の定住による農耕社会(集落)が発展することになりました。
そして紀元前6000年代には、ユーフラテス川から集落まで用水路が引かれ始め、紀元前4800〜紀元前4500年頃までには灌漑農法(外部から農地へ人工的に水を供給して行う農業)が考案されて農業生産率が一気に向上。
多くの人口を抱えても養っていけるようになり、紀元前4000年から紀元前3500年頃には都市国家が出現し始め、ここに世界最古の文明の一つメソポタミア文明が誕生します。
このように、チグリスとユーフラテスの二つの川が氾濫して周辺一帯を肥沃な土地に変えたことが、同地域に多くの人を定住させ、メソポタミア文明を出現させることになったのです。
長距離運河の建設や交易路としての役割
また、チグリス川やユーフラテス川は氾濫で土地を肥沃にして農業を発展させただけでなく、逆に人間が工夫して利用することで、同地域の文明を大きく発達させてきました。
例えば紀元前2400年頃には、メソポタミア文明の初期を担っていたシュメール人達が、チグリス川から長距離運河を建設し、新興の都市国家ラガシュへ水を供給していたことが分かっています。
これはつまり、運河によってチグリス川やユーフラテス川を延長させることで、都市国家が広がっても人々の生活を安定させることが出来たということです。
そして、チグリス川やユーフラテス川は、この地域の古代文明が栄えるために必要だった商業にとって、主要な交易路の一つとしても機能していました。
この地域の生産品や収穫物が二つの川を経由して近隣地域へ輸送され、当時の人々の生活を豊かなものにしていたのです。
加えて、都市国家によっては軍隊を素早く移動させるための手段としても用いていたようです。
チグリス川やユーフラテス川を上手く利用することで、領土が広がっても安定した生活を送れるようになり、また、諸都市や周辺地域との連携も測りやすくなったことで、社会の経済的な発展にも大きく貢献したのです。
チグリス川とユーフラテス川によって繁栄した国や都市国家
見てきたように、チグリス川とユーフラテス川の存在は、周辺地域に国や都市国家が建設される条件を満たすための大切な要因となりました。
ここからは、この二つの川によって誕生した国や都市国家の例を3つほど見ていきましょう。
アッカド帝国
アッカド帝国はメソポタミア文明初期の頃に発生し、当時としては広大な地域を支配した、同地域における最古の帝国。
紀元前24世紀頃(紀元前2334年とされる)、セム系民族のアッカド人の王サルゴンによって建国され、紀元前2154年に侵攻してきたグディ人によって滅ぼされるまで続きました。
アッカド帝国はチグリス・ユーフラテス川流域に建国されたことで、川と一緒に成長と発展を遂げ、なかでもこの時期に建設された古代都市アッシュール(チグリス川西岸の都市)はその後、この地域における行政と商取引の重要な要として繁栄していきました。
アッシリア
メソポタミアの北部を起源を持つ国に、チグリス川の川沿いに主要都市を持っていた「アッシリア(帝国)」があります。
アッシリアはアッシリア人によって紀元前2500年頃には誕生していたとされますが、当初はミタンニ王国の勢力圏下に置かれていたため、アッシリアがこの地域に台頭してくるようになったのは、ミタンニ王国が衰退する紀元前14世紀まで待つ必要があります。
ミタンニが衰退したことで打倒し、領土を引き継ぐと、勢いに乗ったままバビロニアやヒッタイトなどにも勝利してアッシリア帝国は確固たる地位を築き、その後は紀元前10世紀の半ばまで、変遷を遂げながらも存続しました。
アッシリア帝国は、国の内部からの衰退および外敵である他の文明からの圧力に屈して、一度は滅びてしまいますが、程なくして「新アッシリア」が紀元前911年、この地域に建国されまます。
そして、最盛期に新アッシリアは、全オリエント世界を支配した初の帝国となり、メソポタミアの全土およびエジプトの一部までも統治下に置き、紀元前7世紀末に、首都ニネヴェが破壊され帝国が滅亡するまで支配しました。
ラガシュ
ラガシュは、古代メソポタミアにおいてユーフラテス川の川岸、チグリス川とユーフラテス川が合流する地点のわずか北西に位置していた都市国家。
(出典:AL-MONITOR)
先に触れたように、耕地に必要な水源を得るためにラガシュの人々は紀元前2400年頃、チグリス川から水を引く水路を建設して国家運営を安定させたのが特徴。
紀元前2500年頃から紀元前2000年頃まで、時にはこの地域の中心都市として、時には他の帝国の属国として、変遷を遂げながらも存続しました。
また、安定した水の供給が実現したことで、紀元前21世紀の半ばにはラガシュが世界一人口の多い大都市であった可能性が指摘されることもあるほどです。
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チグリス川とユーフラテス川は文明発展の鍵!地図で場所も確認しながら歴史を探ってみようのまとめ
メソポタミア地域に起こった古代文明の発展を支えたチグリス川やユーフラテス川がなかったら、西洋文明の発展は数世紀は遅れたかもしれません。
豊富な水資源である2つの川は、今日のトルコからシリアを経てイラクに至る、肥沃で広大な農業地帯を生み、そこで何千年も前に人類最古の文明の一つを誕生させることにつながりました。
そのため、チグリス川とユーフラテス川は人類の歴史上、非常に重要な存在と言えるのです。