オーストラリアの有名人を15人紹介していきます。オーストラリアの歴史上で重要なエディー・マボや、世界的に有名な俳優達までを確認していきましょう。
南半球最大の国オーストラリアは観光地として有名で、毎年多くの人々が同国を訪れます。
中でも、コアラやカンガルーといったオーストラリア固有の動物たちは、そのユニークさや可愛さによって、世界的にも有名で人気です。
一方で、オーストラリアはまた、世界的に有名な数多くの人物たちを送り出してきました。
この記事では、そんな世界的に有名なオーストラリア人を15人ピックアップして、それぞれ簡単に紹介していきたいと思います。
- オーストラリアの有名人1:ネリー・メルバ
- オーストラリアの有名人2:ドナルド・ブラッドマン
- オーストラリアの有名人3:フレッド・ホローズ
- オーストラリアの有名人4:ルパート・マードック
- オーストラリアの有名人5:バリー・ハンフリーズ
- オーストラリアの有名人6:ジャーメイン・グリア
- オーストラリアの有名人7:エディー・マボ
- オーストラリアの有名人8:スティーブ・アーウィン
- オーストラリアの有名人9:ニコール・キッドマン
- オーストラリアの有名人10:ヒュー・ジャックマン
- オーストラリアの有名人11:ケイト・ブランシェット
- オーストラリアの有名人12:サム・ワーシントン
- オーストラリアの有名人13:イアン・ソープ
- オーストラリアの有名人14:クリス・ヘムズワース
- オーストラリアの有名人15:ミランダ・カー
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- オーストラリアの有名人|エディー・マボ等の歴史的人物から俳優までのまとめ
オーストラリアの有名人1:ネリー・メルバ
まだオーストラリアがイギリス領であった時代に生まれたネリー・メルバ(1861〜1931年)は、19世紀後半に、パリからニューヨークまで世界中の観客を楽しませた、国際的に活躍したオペラ歌手。
メルボルンで声楽を学び、オーストラリアで成功を収めた後にヨーロッパへ渡り、そして本場パリで再び声楽を学び直した結果、国際的にもトップレベルの歌手として大成功することとなったのです。
ちなみに、ネリー・メルバは決して自分の故郷を忘れませんでした。
例えば、ネリー・メルバというのは芸名で、本名はヘレン・ポーター・ミッチェル。故郷であるメルボルンの敬意を表するために、芸名を「メルバ」にしていたのです。
また、1931年に亡くなるまで、オーストラリアで公演を度々行ったり、メルボルン音楽院において後進の指導にも力を入れていました。
オーストラリアの有名人2:ドナルド・ブラッドマン
ドナルド・ブラッドマン(1908〜2001年)は、オーストラリアのニューサウスウェールズ州生まれの偉大な歴史的アスリート。
オーストラリアを含めた大英帝国の旧植民地で大人気なスポーツ「クリケット」の歴史において、ブラッドマンは最も偉大で天才だった選手として語り継がれています。
特に、世界恐慌や第二次世界大戦が起こるなど、世界が大変な時に活躍し、オーストラリア人に勇気を与えたこともあり、オーストラリアでは国民的英雄となっています。
ちなみに、クリケットの試合の一種であるテスト・クリケットにおける打率は99.94で、その値はクリケット史上で最も高く、他の選手と比べると約2倍だと言われます。
オーストラリアの有名人3:フレッド・ホローズ
(出典:wikipedia)
フレッド・ホローズ(1929〜1993年)は、ニュージーランドで生まれましたが、その後、オーストラリアへやってきてオーストラリアを主な舞台として活躍した眼科医(※オーストラリアの国籍も取得している)。
生涯の中で患者たちの視力回復に尽力してきた人物で、彼が用いた新しい試みによって、100万人以上の人々が助けられたと言われています。
そのような実績から、過去には「オーストラリアン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれ、また、1992年には自らの意志を後世に託すために「フレッド・ホローズ財団」を立ち上げています。
オーストラリアの有名人4:ルパート・マードック
現在でこそビジネス上の理由から、オーストラリア国籍を放棄してアメリカ人に帰化してしまったルパート・マードック(1931年〜)は、1931年にオーストラリアのメルボルンに生まれた人物で、現代におけるメディア王の一人。
父親の死に伴って1951年、まだ21歳の時にアデレードの新聞社の社長業を継ぎ、その後、世界で2番目に大きいメディア・コングロマリットとなるニューズ・コーポレーションを設立しました。
一方で、アメリカへも進出したマードックは、アメリカのメディア所有に関する条件を満たす必要から、1985年にオーストラリアの市民権を放棄しました。
なお、ニューズ・コーポレーションは、2013年にニューズ・コープと21世紀フォックスに分社化されています。
オーストラリアの有名人5:バリー・ハンフリーズ
伝説的コメディアンのバリー・ハンフリーズ(1934年〜)は、派手な主婦デイム・エドナ・エバレッジというキャラクターを演じたことで、オーストラリアにおける最も偉大なコメディアンとしての地位を築いた人物。
また他にも、典型的なオーストラリア人のパロディーであるバリー・マッケンジーや、レス・パターソンなどを通してオーストラリア文化を風刺する演技は、大きな賞賛を受けています。
ある意味で、コメディーという形を取りながらオーストラリア文化を世界へ伝えた立役者と言えるでしょう。
オーストラリアの有名人6:ジャーメイン・グリア
オーストラリアのメルボルンに生まれたジャーメイン・グリア(1939年〜)は、女性解放運動家(フェミニスト)として世界的に有名な女性。
ベストセラーになった著書「去勢された女」を1970年に発表して以降、オーストラリアのみならず、世界中で名前が知られるようになり、70年代に起こったフェミニズム運動の中では、最も重要な人物の一人ともなりました。
そして、女性が自分自身で自分の価値観を定義し、優先順位を決め、運命を決められると世界に対して訴え、女性の地位向上へ大きく貢献してきたのです。
オーストラリアの有名人7:エディー・マボ
1788年にヨーロッパ人が入植する前には誰もオーストラリア大陸に住んでいなかったとする「テラ・ヌリウス(ラテン語で無主地)」の法解釈は、オーストラリアの先住民であるアボリジニたちを苦しめ続けました。
そんな「テラ・ヌリウス」を覆そうと根気強く活動し続けたのが、自身もアボリジニである「エディー・マボ(1959〜1992年)」
残念ながら、彼が生きている間はその目的が果たされませんでしたが、1992年、エディー・マボの死から5ヶ月後、オーストラリアが「テラ・ヌリウス」ではないと判断を下す、画期的な判決が高等裁判所によってなされたのです。
このような実績から、エディー・マボはオーストラリアの歴史上では非常に有名で抜きん出た人物として知られます。
オーストラリアの有名人8:スティーブ・アーウィン
スティーブ・アーウィン(1962〜2006年)は、伝説的な人気番組「クロコダイルハンター」でホストを努めていたことで有名な、動物園経営者で環境活動家。
いつもカーキ色の服を着て、くしゃくしゃの笑顔を浮かべ、「Crikey(クライキー)!※驚きを表す表現」というキャッチフレーズで有名でした。
しかし2006年、海で危険動物を撮影していた時、アカエイに胸を刺された結果、残念なことに命を落としてしまいます。
スティーブ・アーウィンは野生生物のドキュメンタリーを通じ、オーストラリアのみならず、世界中の人々の、自然環境に対する関心向上に大きく貢献しました。
オーストラリアの有名人9:ニコール・キッドマン
アメリカのハワイで生まれたものの、両親がオーストラリア人だったため、その後オーストラリアへ戻り女優となったニコール・キッドマン(1967年〜)は、オーストラリアの女優としては最も名前が知られている有名人。
オーストラリア人女優としては初めてアカデミー賞を受賞し、かつてはトムクルーズの妻としても知られていました。
さらに、女優としての活動だけでなく、慈善活動にも力を入れており、数々のプロジェクトに関わってきたことでも有名です。
オーストラリアの有名人10:ヒュー・ジャックマン
かっこいいオーストラリア人男性の代表格であり、イケメンオージーとして世界でも認知されているのがヒュー・ジャックマン(1968年〜)。
これまでゴールデングローブ賞主演男優賞の受賞や、アカデミー賞主演男優賞へのノミネートなど、男性の俳優としてはオーストラリアNo.1の実績を誇ります。
さらに、過去にはピープル誌によって「最もセクシーな男」に選出されたことがあるなど、俳優以外の側面でも人気をはくしています。
オーストラリアの有名人11:ケイト・ブランシェット
ハリウッドでは多数のオーストラリア人が活躍していますが、ケイト・ブランシェット(1969年〜)はその中でも卓越していると言えるオーストラリア出身の女優。
オーストラリア国立演劇学院で演劇を学んだ後、舞台女優として活動していた中で高い演技力が評価されてハリウッドの映画デビュー。
その後には、数々の国際的な映画へ出演し、これまで主演女優賞と助演女優賞を含む2度のアカデミー賞受賞を達成しています。
オーストラリア出身の有名な俳優や女優の中でも、実績面では圧倒的だと言えるでしょう。
オーストラリアの有名人12:サム・ワーシントン
イギリスに生まれたものの、オーストラリアで育ったため、現在はオーストラリア人の俳優として活躍するサム・ワーシントン(1976年〜)は、世界手にも良く名の知れた男性俳優の一人。
2009年に当時の世界最高興行収入をあげたことで噂となった映画「アバター」で主人公を演じ、その結果、誰もが知る有名なオーストラリア人となりました。
ちなみに、現在でこそ売れっ子の一人ですが、以前はお金がなくて車の中で生活をしていたなど、興味深い過去を持つことでも多くのファンを惹きつけています。
オーストラリアの有名人13:イアン・ソープ
オリンピックで5つの金メダルを獲得し、オーストラリア人選手としては最多メダル受賞数を誇るイアン・ソープ(1982年〜)は、オーストラリア出身の元水泳選手。
1m96cmの高身長とかっこいい外見によって、オーストラリア国内だけに収まらず、世界的に名前が知られる有名人となりました。
過去には日本のテレビ番組に出演したこともあります。
一方で、引退後の2014年に同性愛者であることを告白し、また、うつ病に悩んでいるなど、華やかな実績と人生の裏で、度々苦悩を抱えてきたことでも知られます。
オーストラリアの有名人14:クリス・ヘムズワース
クリス・ヘムズワース(1983年〜)と言えば、2010年頃から急に有名になりだした、オーストラリア出身の俳優。
2004年から2007年まで、オーストラリアの長寿番組「Hoome and Away」に出演したことで国内で有名になり、そして2011年に公開された映画「マイティ・ソー」に出演したことで、世界的にも名前が知られることとなりました。
その後は、毎年のようにヒット作へ出演するようになり、オーストラリアを代表する男性俳優の一人となっています。
オーストラリアの有名人15:ミランダ・カー
オーストラリアを代表する美人女性であり、世界中のモデルたちが羨む「ビクトリアズ・シークレット」のエンジェルとして活躍していたミランダ・カー(1983年〜)は、世界的にも有名なオーストラリアのトップモデル。
彼女がビクトリアズ・シークレットのエンジェルになったことは、オーストラリア人としては初のことで快挙でした。
また、「KORA Organics」というオーガニックスキンケア商品のブランドを所有している実業家でもあり、2017年には大人気のアプリ「スナップチャット」の共同創業者でCEOのエヴァン・シュピーゲルと結婚したことでも知られています。
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オーストラリアの有名人|エディー・マボ等の歴史的人物から俳優までのまとめ
オーストラリアの有名人達を15名紹介してきました。
オーストラリアは以外にも、非常に多くの有名人達を輩出してきており、特に芸能分野やスポーツ分野では、人口規模のわりに抜きん出ています。