ロシアの宮殿を見ていきましょう。ペテルゴフ大宮殿から、観光地としてとても有名な冬宮殿、そしてニュースなどでも耳にするクレムリン大宮殿など、10の宮殿を紹介していきます。
世界最大の国土を有するロシアは、近現代の世界において大きな影響力を持ち続けてきました。
このロシアが大きな影響力を持つきっかけとなったのが、18世紀にピョートル大帝によって創設されたロシア帝国(帝政ロシア)でしょう。
ロシア帝国時代に入るとロシアは、それまでの辺境の一国という立場から、一気に国際舞台の中心へと踊り出し、他のヨーロッパ諸国にも負けないほどの強大な国へと姿を変えていったのです。
一方で、このロシア帝国時代には非常に多くの宮殿が建設されていき、その多くは現在にも残され、ロシアの繁栄を示す歴史的遺産となっています。
この記事では、そんなロシアにある宮殿の中から10の宮殿をピックアップして、それぞれを簡単に紹介していこうと思います。
ロシアの宮殿1:冬宮殿
冬宮殿は間違いなくサンクトペテルブルクの人気の観光スポットであり、ロシアを訪れた際には是非とも寄ってみたい場所。
帝政ロシアの時代に建てられたこの宮殿はかつて、世界でも有数で豪華な皇族の住居で、ロシア史上で有名な女帝「エカチェリーナ2世」も住んでいました。
また現在は、エミルタージュ美術館の6棟ある建物のうちの一つであり本館となっています。
エルミタージュ美術館の本館としては、世界最大の絵画のコレクションが所蔵されており、その美術作品と世界の文化的工芸品の所蔵数はなんと300万点以上。
一つ一つの作品をじっくり見ていると、メインホールを通過するだけでも数日かかってしまうほどです。
ちなみに、現在の冬宮殿の外観はエメラルドブルー、白、そしてゴールドで塗られていますが、実は歴史の中でこの宮殿の外観は変化しており、元々は暖色の黄色であったものが、薄いピンク色になり、そして最後のロシア皇帝「ニコライ2世」の治世には赤レンガ色に塗り替えられました。
冬宮殿は、まさにロシア帝国の繁栄と威厳を映し出す建物なのです。
ロシアの宮殿2:マリインスキー宮殿
帝政ロシアの時代、サンクトペテルブルクのモイカ川の対岸に建造されたマリインスキー宮殿は、ロシアにおける新古典主義様式の最後の宮殿。
18世紀当初は外国からの要人を迎える迎賓館として利用されていましたが、その後、1825年から1839年までは陸軍士官学校が置かれていました。
一方で、19世紀末期には国家評議会の議事堂や大臣会議が置かれたこともあり、また、ロシア帝国の政治家として活躍していたドミトリー・シピャーギンが、社会革命党員に暗殺された現場としても知られます。
現在は、その荘厳な外観は残したまま、内部にはサンクトペテルブルクの市議会が置かれ、必要な行政が執り行われる場所となっています。
ロシアの宮殿3:タヴリーダ宮殿
元々は、現在の南ウクライナとクリミア地域に相当するタヴリーダの公爵、グリゴリー・ポチョムキンが所有していましたが、彼の死後、タヴリーダ宮殿の名称で呼ばれるようになったこの宮殿は、ロシア古典主義建築の傑作とされるもの。
ポチョムキンが死去したあと、エカチェリーナ2世の命令でこの宮殿が買い上げられ、改築後には夏の離宮として使用されるようになりました。
当時の特徴は、比較的地味な外観とそれとは対照的な豪華な内装でしたが、その後、騎馬隊の宿舎として使われたり、宮殿から見えるネヴァ川までの間に給水場が建設されたことなどもあり、現在のタヴリーダ宮殿には、皇室が離宮として使っていた豪華絢爛な過去を感じることはあまり出来ません。
ただし、それでもタヴリーグ宮殿は、国際会議や要人の接待などに使われることがあります。
ロシアの宮殿4:ニコラエフスキー宮殿
サンクトペテルブルクにあるニコラエフスキー宮殿は、ロシア皇帝ニコライ1世の皇子女のために建設された宮殿。
ロシア正教会の大聖堂である聖イサアク大聖堂からさほど離れていない所に位置している、新古典主義様式の建物で、1894年以降は、クセニア・アレクサンドロヴナ大公女名称女子大学となりました。
独自の装飾がなされた複数の建物による建築のアンサンブルが特徴。
また、古典主義様式、イタリアのルネッサンス様式、そしてバロック様式など、いくつかのスタイルが取り入れられているのも特徴で、このミックスがさらなる特別な魅力を与えています。
そんなニコラエフスキー宮殿はロシア革命後に「労働宮殿」と呼ばれるようになり、現在、建物の大部分は企業に貸し出されています。
ロシアの宮殿5:ペテルゴフ大宮殿
18世紀から19世紀を通して、ロシアとヨーロッパの天才建築家達は大変な努力の末、壮大なぺテルゴフ大宮殿を作り上げました。
ロシアの北西部にあるレニングラード州の都市「ペテルゴフ」にある宮殿で、18世紀にピョートル1世(ピョートル大帝)が夏用の離宮として建設を命じたのが始まりです。
しばしば、「ロシアのベルサイユ宮殿」と呼ばれるほど全体としての姿が非常に美しく、明るい黄色で塗られた建物の外観の装飾は、余計なものが無く、慎ましさが強調されています。
一方で、宮殿の内部には青の客間、舞踏の間、そして白のダイニングルームなど無数の大きな部屋があり、中でもピョートル大帝のオークの書斎は特別で、そこでは彼の私物を確認することが出来ます。
また現在、この宮殿はユネスコの世界遺産に登録されており、約3,500点もの絵画、織物、家具、そしてこの宮殿の歴代の主たちの私物を含むコレクションが所蔵された、歴史博物館や美術館として使われています。
ロシアの宮殿6:エカテリーナ宮殿
主に宮廷建築で用いられた後期バロック建築の一傾向である「ロココ建築」を代表する建築物であるエカテリーナ宮殿は、ロシア帝国を築いたピョートル大帝の妃であるエカテリーナ1世にその名前が由来する宮殿。
サンクトペテルブルクの中心からおよそ25km離れた郊外、プーシキン市に避暑地として作られたのが起源で、当時はエカテリーナ1世の大のお気に入りでした。
また、その後も皇室のメンバーに使われることになり、当時はロシア国内で最も盛大な舞踏会や仮面舞踏会が開かれていました。
青と白の外観は金の造形物や男像柱、女人像柱、そしてライオンの顔で豪華に装飾されており、内部のホールは荘厳極まりないデザインとなっています。
そして、このエカテリーナ宮殿にある部屋の中で最も有名なのが「琥珀の間」。
この部屋は金の葉と鏡と共に、琥珀の壁板で装飾されているのが特徴で、訪れた人をロシア帝国時代の豪華な皇室の生活へ引きずりこんでいきます。
ロシアの宮殿7:モイカ宮殿(ユスポフ宮殿)
サンクトペテルブルクのモイカ川沿いに立つモイカ宮殿(ユスポフ宮殿)は、かつてはロシア帝国時代で最も裕福な貴族だったとされる「ユスポフ家」の住居として使われていた場所。
また、ロシア帝国を崩壊へ導いた元凶の一つと言われるロシアの怪僧「グリゴリー・ラスプーチン」が暗殺された場所としても知られます。
そんなユスポフ宮殿は、サンクトペテルブルクの貴族的インテリアの百科事典と呼ばれることもあります。
この豪邸にはゲストルーム、アートギャラリー、ホームシアター、そしてユスポフ家の豪華な住居が今でも保存されているからです。
誰もが驚くような豪華で富に満ちた舞踏会や晩餐会が常に開かれていたと言われ、当時のサンクトペテルブルク貴族の間では、誰もが知る場所だったのです。
ロシアの宮殿8:アレクサンドロフスキー宮殿
サンクトペテルブルク近郊のツァールスコエ・セローにあるアレクサンドロフスキー宮殿は、18世紀に建設されたロシアの宮殿。
ロシア帝国史上、最もパワフルで優れた女帝として名を残すエカチェリーナ2世が、孫に当たるアレクサンドル1世と、その妃であるエリザヴェータ・アレクセーエヴナの結婚を祝って建設を依頼したのが始まりでした。
その後、19世紀前半から半ばには大規模な改修を行ったこともあり、内側は豪華な家具や内装で占められ、帝政ロシア時代の豪華絢爛な皇室達の生活を忍ばせます。
一方で、ロシア帝国最後の皇帝「ニコライ2世」の一家が好んで使用していたことでも知られ、現在一般公開されている一部の部屋では、当時の皇帝達の所有物を確認することが出来ます。
ロシアの宮殿9:聖ミハイル城(ミハイロフスキー城)
ユニークな建築様式の聖ミハイル城(ミハイロフスキー城)は、サンクトペテルブルクの中心に位置している宮殿で、1797年から1801年にかけて、当時のロシア帝国皇帝「パーヴェル1世」の宮殿として建てられたロシアの宮殿。
ミハイロフスキー城は、当時の優秀な建築家と彫刻家によってデザインされ、皇帝の正式な住居となったばかりでなく、古代ヨーロッパやロシアの芸術作品を所蔵する美術館としての役目も果たしていました。
また、ミハイロフスキー城の外観は部分部分によって全て異なり、さらに当時の人々は宮殿の内部を、贅沢とセンスの奇跡と呼びました。
一方で、パーヴェル1世が亡くなると、ミハイロフスキー城は20年以上も放置されたため、1823年にはロシア軍主要工兵学校の校舎に変えられ、その後、名称もニコラエフスカヤ技術(インジェネールヌィ)アカデミーに変わります。
現在、ミハイロフスキー宮殿は国立ロシア美術館の分館となっています。
絵画の常設展があり、そこにはロシア皇帝や皇后の肖像画、他にも近現代に作られた彫像などが飾られているのです。
ロシアの宮殿10:クレムリン大宮殿(大クレムリン宮殿)
現在はロシアの大統領府や大統領官邸が置かれているため、ロシアに興味がある人で、このモスクワ市内の中心にあるクレムリン大宮殿を知らない人はほとんどいないでしょう。
クレムリン大宮殿はロシア帝国時代に作られた宮殿の一つで、その基盤はロシアが帝政となるずっと以前の12世紀頃に作られた城塞でした。
その後、数々の部屋や建築が増築され、異なる建築物の集合体としてのクレムリン大宮殿が完成し、ロシア帝国時代には皇帝の住居として利用され、ロシア革命以降は政府の中心地となり、今日では大統領の就任式、公式行事、海外の首脳陣を歓迎するレセプション会場などに使われています。
一方で、上述したように、クレムリン大宮殿の建築は異なる時勢を反映しているため、そこを訪れるとタイムスリップしたような気持ちになるかも知れません。
現在は一般公開されており、中に入ると確認出来る豪華な内装は、古きロシア、東洋、そしてイタリアの建築様式が混ざったもので、この豪華絢爛な宮殿を訪れることは一生の思い出になるはずです。
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ロシアにある宮殿を10箇所紹介してきました。
ロシアにある宮殿は、ロシア帝国の繁栄を表す表徴であり、その気高い雰囲気に浸る事は決して忘れられない経験となるでしょう。