ポーランドの有名人を17人まとめて紹介していきます。歴史上の偉人から映画監督やモデル、そしてスポーツ選手まで、世界的に名前が知られるポーランド人を見ていきましょう。
中央ヨーロッパに位置するポーランドと言えば、首都のワルシャワが有名。
今でこそ中欧と呼ばれるものの、冷戦時代はソ連側にくみしていたことから、かつては東欧として扱われていました。
そんなポーランドは一方で、歴史の中で多くの有名人を生み出してきており、中には人間社会の発展へ大きく寄与した人物も含まれています。
この記事では、そんなポーランド出身の有名人の中から、17人をピックアップしてそれぞれ簡単に紹介していこうと思います。
- ポーランドの有名人1:ニコラス・コペルニクス
- ポーランドの有名人2:フレデリック・ショパン
- ポーランドの有名人3:マリー・キュリー
- ポーランドの有名人4:ユゼフ・ピウスツキ
- ポーランドの有名人5:イレーナ・センドラー
- ポーランドの有名人6:チェスワフ・ミウォシュ
- ポーランドの有名人7:ヨハネ・パウロ2世
- ポーランドの有名人8:ヴィスワヴァ・シンボルスカ
- ポーランドの有名人9:アンジェイ・ワイダ
- ポーランドの有名人10:ロマン・ポランスキー
- ポーランドの有名人11:ズビグニェフ・レリガ
- ポーランドの有名人12:クシシュトフ・キェシロフスキ
- ポーランドの有名人13:レフ・ヴァウェンサ
- ポーランドの有名人14:アンジャ・ルービック
- ポーランドの有名人15:ロバート・クビサ
- ポーランドの有名人16:ルーカス・ポドルスキ
- ポーランドの有名人17:ロベルト・レヴァンドフスキ
- 合わせて読みたい世界雑学記事
- ポーランドの有名人|ズビグニェフ・レリガやヴィスワヴァ・シンボルスカなどのまとめ
ポーランドの有名人1:ニコラス・コペルニクス
ニコラス・コペルニクス(1473〜1543年)は、太陽中心説(地動説)を唱えた、歴史的にも有名なポーランド出身の数学者であり天文学者。
当時は宇宙の中心は地球であるとする「地球中心説(天動説)」が主流でしたが、その考えに異を唱えて宇宙の中心は太陽であるとする太陽中心説を唱えたのです。
このコペルニクスによる発想は、天文学史上で最も重要な発見とも言われ、彼のように常識を打ち破る発想は「コペルニクス的転回」や「コペルニクス的発想」と呼ばれます。
ポーランドの有名人2:フレデリック・ショパン
フランスのパリで活動していたことで知られる歴史的に有名な音楽家「フレデリック・ショパン(1810〜1849年)」は、現在のポーランドに当たるワルシャワ公国に生まれた人物(※当時ポーランドの領土は他国に支配されており、国家として存在していなかった)。
ピアニストであると同時に、ポーランドの前期ロマン派音楽を代表する作曲家として有名でした。
ショパンが作った夜想曲やワルツなどは、音楽に詳しくない人でも耳にしたことがあると言える曲で、音楽史に残した彼の影響力を理解出来ます。
ポーランドの有名人3:マリー・キュリー
キュリー夫人という呼び名で親しまれるマリー・キュリー(1867〜1934年)は、ポーランドのワルシャワに生まれた女性物理学者で化学者。
放射能研究によってノーベル賞を受賞した最初の女性で、さらにノーベル賞を二度受賞した最初の人物であり唯一の女性です。
その功績から歴史上で最も偉大な女性と呼ばれることもあるほどで、彼女の研究によって、科学は大きく飛躍することとなりました。
ちなみに、マリー・キュリーは24歳の時にフランスへ移住し、その後、フランス国籍を取得しています。
ポーランドの有名人4:ユゼフ・ピウスツキ
1918年のポーランド独立に大いに貢献してポーランド共和国の建国の父となり、また初代国家元首となったユゼフ・ピウスツキ(1867〜1935年)は、ポーランドの国民的英雄として知られる偉大なポーランド人。
1875年から1918年までの123年間、ポーランドは国家として存在しませんでしたが、ポーランド人は悲願の独立を達成するために長年戦ってきました。
ピウスツキはそうした愛国者の一人で、政治家としてポーランドの独立を夢見て、その実現のために生涯を捧げたのです。
ポーランドの有名人5:イレーナ・センドラー
(出典:wikipedia)
イレーナ・センドラー(1910〜2008年)は、カトリック教徒のポーランド人看護師であり慈善活動家。
第二次世界大戦中にワルシャワを中心に活躍しました。
信頼できる自身の組織と共に、およそ2500人のポーランド系ユダヤ人の子供たちをワルシャワのゲットー(ユダヤ人隔離地域)から脱出させ、ナチスドイツによるホロコーストから守りました。
ポーランド史のみならず、世界史において勇敢な女性の一人として名前が挙げられることがあります。
ポーランドの有名人6:チェスワフ・ミウォシュ
(出典:wikipedia)
チェスワフ・ミウォシュ(1911〜2004年)は1980年にノーベル文学賞を受賞した、ポーランド人の作家で詩人。
ここ最近である2015年には、彼の作品の一つである「世界 ポエマ・ナイヴネ」が、日本語に翻訳されて出版されました。
一方で、ポーランドに生まれたものの、1951年にはフランスへ政治亡命し、1958年からはアメリカへ移住して活動したことでも知られます。
ポーランドの有名人7:ヨハネ・パウロ2世
ヨハネ・パウロ2世(1920〜2005年)は、ポーランド出身の人物としては現代社会で最も有名になった人物の一人。
第264代ローマ教皇として、1978年から2005年まで在位し、宗教指導者である上に政治的影響力を持ちながら、ポーランドの共産主義時代の終焉に貢献しました。
また、冷戦末期には世界平和や戦争反対への呼びかけ、さらには平和を求めるための活動を行ったことから、キリスト教徒のみならず、世界中の多くの人々から尊敬を集めました。
ポーランドの有名人8:ヴィスワヴァ・シンボルスカ
(出典:wikipedia)
ヴィスワヴァ・シンボルスカ(1923〜2012年)は、ポーランド出身の詩人であり随筆家として知られ、様々な賞を受賞してきた女性。
その中には1996年に受賞したノーベル文学賞も含まれます。
彼女が生み出した文学作品は世界各国の言語へ翻訳され、また、ポーランド史上で最も偉大な詩人だと言われることさえあります。
ポーランドの有名人9:アンジェイ・ワイダ
アンジェイ・ワイダ(1926〜2016年)は、知る人ぞ知るポーランド出身の映画監督で、また親日家としても知られた人物。
数々の作品を世に送り出し、同時に世界的な賞も多く受賞してきました。
例えば、フランスにおける映画賞の権威であるセザール賞名誉賞を始め、ヴェネツィア国際映画祭栄誉金獅子賞、ベルリン国際映画祭名誉金熊賞、そして、半世紀にわたる類まれな映画監督の業績に対しアカデミー賞名誉賞などを受賞しています。
ポーランドの有名人10:ロマン・ポランスキー
フランスのパリに生まれたものの、両親はポーランド人であったため、3歳になると家族と一緒にポーランドへ移り、そこで幼少期を過ごすことになったロマン・ポランスキー(1933年〜)は、世界的にも有名なポーランド国籍(※フランス国籍も有する)の映画監督。
自身が監督した映画「戦場のピアニスト」によってアカデミー賞を受賞したことで、名前を覚えている人もいるかもしれません。
ちなみに、父親がユダヤ教徒であったことから、第二次世界大戦中にはナチスドイツによってアウシュビッツ強制収容所に連行されたものの、運良く生き延びた数少ない人物の一人でもあります。
ポーランドの有名人11:ズビグニェフ・レリガ
(出典:wikipedia)
ズビグニェフ・レリガ(1938〜2009年)は、心臓外科医として活躍した有名なポーランド人。
当時、心臓移植手術は実質的に不可能だと思われていましたが、1987年にポーランドで初めて心臓移植手術を成功させました。
そして、その手術後にナショナル・ジオグラフィックがレリガの手術に関する特集を組んで世界に発信したことで、世界的にも名前が知られるようになりました。
ちなみに、2014年に公開された「Bogowie (Gods)」という映画は、レリガを元に作られた作品です。
ポーランドの有名人12:クシシュトフ・キェシロフスキ
クシシュトフ・キェシロフスキ(1941〜1996年)は、ポーランド出身の映画監督であり脚本家として活躍した人物。
「デカローグ(1989年)」、「二人のベロニカ(1991年)」、「トリコロール/青の愛(1993年)・赤の愛(1994年)・白の愛(1994年)」などの作品で世界的に有名になりました。
また、多くの賞を受賞し、その中にはカンヌ国際映画祭の審査員賞、ベルリン国際映画祭の銀熊賞などが含まれます。
さらに1995年には、「トリコロール/赤の愛」がアカデミー賞の3部門にノミネートされたことでも注目を集めました。
ポーランドの有名人13:レフ・ヴァウェンサ
(出典:wikipedia)
レフ・ヴァウェンサ(1943年〜)は、ソビエト圏で最初の独立自主管理労働組合「連帯」の創設者および代表を務め、さらにはノーベル平和賞を受賞したことでも知られるポーランドの政治家。
また1990年、共産主義時代の終焉を迎えたポーランドにおいては初の大統領となったことでも知られます。
ちなみに、独立自主管理労働組合は労働組合から発展した、共産主義への反対を訴える組織で、最終的には全国規模にまで拡大していきました。
ポーランドの有名人14:アンジャ・ルービック
アンジャ・ルービック(1983年〜)は、世界的に有名なポーランド人のスーパーモデル。
2000年代半ばから今日まで、世界でもっとも成功しているスーパーモデルに挙げられ、これまでクリスチャン・ディオール、エルメス、ルイ・ヴィトンなど、世界的に有名なブランドのショーに出演してきました。
ポーランドの有名人15:ロバート・クビサ
F1史上で初のポーランド出身ドライバーとなり、またワールド・シリーズ・バイ・ルノーの初代チャンピオンとなったことで世界的にも有名になったのが、ロバート・クビサ(1984年〜)という名前のポーランド人。
ハミルトン、アロンソ、シューマッハなどと比べると、大きな成功を収めているとは言えませんが、それでもF1業界では名前が良く知られた選手です。
ポーランドの有名人16:ルーカス・ポドルスキ
サッカーの元ドイツ代表で、2017年からはJリーグのヴィッセル神戸に所属するルーカス・ポドルスキ(1985年〜)は、ドイツ国籍を有しながらもポーランド国籍を有するため、れっきとしたポーランド人。
ポーランドのカトヴィツェ近郊の都市グリヴィツェに生まれたものの、1987年、彼が2歳の時に両親と共に西ドイツに移住した結果、ドイツで育ち、そのままドイツの国籍を取得するに至りました。
しかし、彼自身はポーランド人であることを誇りにしているらしく、実際に過去にはポーランドの代表チームでプレーすることを希望していた時期もあると言われます。
ポーランドの有名人17:ロベルト・レヴァンドフスキ
サッカーファンならば恐らく、ロベルト・レヴァンドフスキ(1988年〜)を知っていることでしょう。
レヴァンドフスキはポーランドのワルシャワ出身のサッカー選手で、ポーランド代表チーム史上最も偉大だと言われることさえあるストライカー。
ドイツの名門チームであるドルトムントやバイエルン・ミュンヘンに所属し、これまで(2019年現在)、4度のブンデスリーガ優勝に加えて、2度のリーグ得点王に輝いており、さらにポーランド代表としては歴代で最も多くの得点を記録しています。
合わせて読みたい世界雑学記事
- ポーランド美人女性の美女度知ってる?画像も一緒に紹介するよ!
- →こちらから世界の人々やポーランドに関する情報をさらに確認出来ます
ポーランドの有名人|ズビグニェフ・レリガやヴィスワヴァ・シンボルスカなどのまとめ
歴史的に大きな功績を残した人物からスポーツ選手まで、ポーランド出身の有名人を17人挙げてきました。
ポーランドに興味を持ったなら、彼らの名前も頭に入れておきましょう。