現代社会で暗躍した(暗躍してきた)有名な武器商人を10名紹介していきます。死の商人とも言われる人物も含めた武器商人達です。
世界では今だに戦争が絶えません。
世界大戦規模の戦争は、第二次世界大戦以降起こっていないものの、地域レベルでの紛争は続いています。
そして、戦争が続く限り、銃、弾薬、その他の大型兵器は世界中で大きなビジネスとなり、常に利益を得ようと汚職や犯罪行為が行われ、そこで暗躍する武器商人達は潤い続けるのです。
この記事では、死の商人として恐れられた悪名高き人物を含め、現代史の中で国際情勢にも影響を与えるに至った10人の武器商人を紹介していきます。
武器商人1:ビクトル・ボウト
友敵を問わず、兵器を販売して巨利を得る人物や組織への蔑称、または営利目的で兵器を販売し富を築いた人物や組織への蔑称
とされる「死の商人」の異名を持つ人物の一人ビクトル・アナトリエビッチ・ボウトは、世界的にも良く知られる悪名高い武器商人。
(出典:mundodasarmas.com)
ボウトは1990年代〜2000年代にアフリカや中東に武器を売ってかなりの資産を築いたと言われ、旧ソ連時代に軍事通訳を勤めていたボウトはさらに、1990年代にアフリカ諸国に大量の武器を供与して内戦を煽ったとさえ考えられています。
また、この時期に国連による武器禁輸を破って、アンゴラ、リベリア、シエラレオネ、コンゴと取引した疑いがあり、「休戦バスター」とも呼ばれ、2001年に起きたアフガニスタンから金と現金が持ち出された事件にも関与していました。
5年にわたるDEA(アメリカ麻薬取締局)の麻薬捜査の結果、2010年にタイからアメリカへ引き渡されたロシア国籍のボウトは、米軍を攻撃していたコロンビアの左翼ゲリラ「コロンビア革命軍(FARC)」に対し、違法に武器供与を行ったことで告発され、現在は25年間の刑に服役中です。
武器商人2:サルキス・ソガナリアン
フロリダ州に本拠地を置くサルキス・ソガナリアンは、トルコで生まれたアルメニア系の武器商人。
(出典:Alchetron)
1929年生まれのソガナリアンは、冷戦時代に武器商人として頭角を現し、「死の商人」とあだ名された人物の一人で、1980年代にはイラクの元独裁者サダム・フセインに対し、率先して武器を売ったことでも有名です。
豊富な知識とCIAの後押しを受けて、ソガナリアンはイラン・イラク戦争中にイラクに武器を販売。
また、レバノン内戦時には民兵組織に武器を売ったり、フォークランド紛争中にはアルゼンチンに武器を売ったり、他にもエクアドルとニカラグアに対して武器を売るなど、当時の世界情勢形成において暗躍していた人物です。
ただし、武器の所有とイラクへの販売を企んでいたことを理由に、湾岸戦争後にはソガナリアンに対して、6年間の投獄が決定されました(※米国政府に情報を提供したことで、2年間に減刑された)。
そして、2011年10月5日に死亡し、その波乱に満ちた生涯を閉じました。
武器商人3:レオニド・ミーニン
1947年にウクライナで生まれたレオニド・ミーニン(レオニード・エフィモヴィッチ・ミニン)は、悪名高い国際的な武器商人。
1970年代にイスラエルに移住し、1970年代終わりには偽名を使ったことと美術品窃盗の疑いでドイツに逮捕されました。
一方で、武器取引の顧客には、リベリアの独裁者チャールズ・テイラーや、シエラレオネで活動していた「革命統一戦線(RUF)」がいると疑われています。
ミーニンが扱う武器は元々はロシアの軍需企業アヴィアトレンドが製造した武器だとされ、この企業はユーゴスラビアで打倒されたスロボダン・ミロシェヴィッチ元大統領のマネーロンダリングにも関わっていました。
2000年には不正武器取引の容疑でイタリア政府に逮捕されたミニンは有罪となり、2年間の実刑判決を受けています。
ちなみに、2005年の映画「ロード・オブ・ウォー」でニコラス・ケイジが演じた人物は、レオニド・ミーニン、サルキス・ソガナリアン、ビクトル・ボウトの3人が元になったとされています。
武器商人4:デール・ストッフェル
デール・ストッフェルはアメリカ出身のビジネスマンであり、武器商人として有名だった人物で、武器商人としてはイラク戦争後のイラク復興に深く関わったことで良く知られます。
(出典:wikipedia)
葉巻をくちゃくちゃ噛むことと、人々が思い描く傭兵のように、機関銃を背負っている姿で知られていました。
2003年に彼の会社であるワイ・オーク・テクノロジー社は、イラク防衛省が結んだ最初の契約の一つを取りつけ、誕生したばかりのイラク政府との間の契約価値は、なんと最終的に4000万ドルを超えるまでになったと言います。
その一年後の2004年、バグダッドへ向かう途中で殺されてしまいましたが、自身の死に至るまでの間、自身に対して降りかかったイラク政府の不正行為や汚職、他の武器商人への批判を堂々と口にしていました。
また、死の直前にストッフェルがイラク政府に貸付けていた金額は2470万ドルも残っていたとされ、ストッフェルの死後、彼の妻バーバラは、2009年にイラク政府を相手取って2500万ドルの訴訟を起こしました。
武器商人5:サミュエル・カミングス
サミュエル・カミングスはアメリカ出身の武器商人で、彼のインターナショナル・アーマメント・コーポレーション(インターアームズ社)社は、民間向けの武器取引において世界市場を独占するまでに成長しました。
1950年にCIAから武器の専門家としてリクルートされ、1950年代初めはヨーロッパを回って第二次世界大戦で余った大量の武器の買い取りに従事。
そこからカミングスはインターアームズ社を起こして武器取引を行うようになり、インターアームズ社は1950〜60年代の米国で小型武器市場を独占するまでになりました。
カミングスはまた、世界の有名な指導者の多くと取引を行ったことで知られ、その一人はかの有名なキューバの元最高指導者フィデル・カストロでした。
このような実績により、1998年に脳卒中によって71歳で死亡するまで、武器商人として世界中で恐れられ、また、「武器取引における比類なき哲学王」と呼ばれたこともありました。
武器商人6:ファレス・マナア
ファレス・マナア(ファレス・ムハメド・マナア)は、イエメンで最も悪名高い武器商人。
(出典:Alchetron)
マナアの公式の職業はイエメン北西部の都市サダーの知事したが、そのような立場にも関わらず不正な活動を行なっていたことが、国連安全保障理事会で問題になったことがあります。
そして、ソマリアで反政府運動を行い、アルカイダとの繋がりが疑われている「ハラカト・アル・シャバーブ・アル・ムジャヒディン」と武器取引をしている人物リストに、その名前が挙がったこともありました。
さらにマナアは、リビアの故カダフィ大佐のためにスパイ活動を行い、その見返りに数百万ドルのファンドを受け取っていたことでも告発されていたり、フーシ派の反政府勢力に武器を供与したことでも告発されています。
武器商人7:ジャン=ベルナール・ラスノー
ジャン=ベルナール・ラスノーは、フランス生まれの国際的な武器商人です。
1992〜1995年にかけて、何千トン分にも及ぶアルゼンチンの武器を、クロアチアとエクアドルに仲介したと告発されたことで悪名が轟きましたが、ラスノー自身は、その取引を自慢することさえ厭わない性格を持っていることで知られます。
彼が所有するカリビアン・グループ・オブ・カンパニーズ社は、毎年100〜250万ドルの武器を売っていましたが、ラスノー自身はセキュリティの堅固な超高級住宅から武器取引を指示し、安全を確保しながら中国やソマリアに武器を提供していたと疑われています。
このような環境に身を置いていたこともあり、ヨーロッパの裁判所から武器密輸と詐欺罪で告発されたにも関わらず、ラスノーはアメリカの南フロリダで10年以上も静かな暮らしをすることを許されていたり、ついに2002年にスイスで逮捕された際、その逮捕までにアルゼンチンの裁判所とインターポールは3年もの月日を要しました。
ラスノーが関わった複雑な汚職とスキャンダルのいくつかは、今後も十分に解明されることがないと考えられています。
武器商人8:ムーサ・ビン・シャムシャー
ムーサ・ビン・シャムシャーは、1970〜80年代の国際的な武器取引において、主要な人物の一人として暗躍したバングラデシュ出身のビジネスマンでで、他にも数多くのビジネスを手がけてきました。
(出典:Alchetron)
南アジアのメディアからは「ムーサ王子」の愛称で呼ばれている有名人で、アドナン・カショギやサルキス・ソガナリアンといった、他の大物武器商人との取引を良く行っていたことでも知られます。
1974年にシャムシャーが起業したDATCO社は世界的に武器取引を行い、戦車、戦闘機、弾道ミサイルも扱ってきました。
また、武器取引を始めとした多くのビジネスで大金を稼いで大富豪となったシャムシャーは、ロールスロイスやリムジンを含む自動車を100台近く所有し、ダイアモンドが埋め込まれた3億円以上の価値のある靴を履いているなど、その贅沢な暮らしでも有名です。
ちなみに、シャムシャーが保有するスイスの銀行口座にある700万ドルは、「不正な」取引のため凍結されていると噂されています。
武器商人9:モンゼル・アル・カサール
シリア生まれのモンゼル・アル・カサールは、「マルベーリャの王子」という華やかなあだ名を持つ悪名高い武器商人。
(出典:Alchetron)
1970年代初めに武器取引を始め、本人の言葉によれば、これは、ポーランドから武器を購入するようイエメン政府から要請されたことがきっかけだったと言われます。
1972年頃から1984年までロンドンに居住していたものの、武器と麻薬取引のためにイギリス政府によって国外追放。
ロンドンからマルベーリャに移り、「マルベーリャの王子」というあだ名がつきました。
武器取引にまつわる疑惑は複数に上り、その中にはクルーズ船アキレ・ラウロ号ハイジャック事件の犯人グループへ武器を売り支援した疑惑も含まれます。
また、国連によって武器禁輸が実施されていた、クロアチア、ボスニア、ソマリアに武器を売って数百万ドルを手に入れたことでも知られます。
しかし、アル・カサールは2006年に始まったDEA(アメリカ麻薬取締局)の大掛かりなおとり捜査によってマドリードで逮捕され、一年後に米国へ引き渡され、そこで有罪を宣告されました。
武器商人10:アドナン・カショギ
アドナン・カショギは大成功を収めたサウジアラビアのビジネスマンであり、傑出した武器商人としても有名だった人物であり、死の商人と呼ばれた一人。
1980年代には世界一の金持ちと見なされたこともありました。
アメリカで教育を受け、武器の取引を始めたのは1960年代のこと。米国の企業とサウジアラビア王室の間を取りまとめました。
また、カショギの最も有名な顧客はロッキード社(現在のロッキード・マーチン社)で、1970年代初めには手数料として1億600万ドルを受け取っていたと言います。
他にも、ウォーターゲート事件で有名なニクソン大統領の政治資金を拠出していたり、イラン・コントラ事件で、(亡命した故フェルディナンド・マルコス元フィリピン大統領の妻イメルダ)とともに1988年に逮捕されたり(2年後に無罪となった)、ロッキード事件でも暗躍してきた武器商人としても有名です。
さらには、金融取引を隠すために、スイスのようなタックスヘイブンでフロント企業を設立していたことでも知られます。
2017年6月に死去する直前まではモナコに居住し、2003年にアメリカ軍のイラク侵攻直前に米国の政治アドバイザーであるリチャード・パールと会ったと考えられているなど、ときおりファシリテーターとして活動していたなど、世界政治への影響力も持っていた人物です。
ちなみに、2018年にトルコのサウジアラビア総領事館内で不可解な死を遂げたジャーナリストのジャマル・カショギは、親族の一人にあたります。
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有名な武器商人10名|死の商人を含め世界で暗躍した人物達のまとめ
現代に国際情勢にまで影響を与える武器商人を10名紹介してきました。
戦争が無くならない以上、今後も、こういった武器商人達は暗躍していくのでしょう。