カンボジアの宗教と割合を見ていきましょう。上座部仏教が主要な宗教とされるカンボジアの宗教構成から各宗教状況までを、詳しく紹介していきます。
東南アジアのインドシナ半島南部に位置する国「カンボジア王国」、通称カンボジアは、ベトナム、タイ、ラオス、タイランド湾と国境を接し、仏教の影響が強い国々に隣接していることから、仏教国として知られます。
カンボジアで主に信仰される仏教の宗派とは?
また、仏教以外で信仰される宗教とは?
この記事では、カンボジアの宗教事情を各宗教の割合や解説も含め、詳しく紹介していきます。
カンボジアの宗教状況とそれぞれの割合
カンボジアの文化は常に宗教に根ざしてきました。
2000年近くにわたり、カンボジアの人々は、アニミズムからヒンドゥー教、そして仏教の信仰に基づく独特の文化であるクメール文化またはカンボジア文化を築いたのです。
カンボジアの宗教に大きな影響を与えたのは、南東アジアの港を経由してインド・中国と交易をしていた海の商人達。
これら商人がもたらした宗教を取りこんだ古代国家「扶南国(ふなんこく)」が、1世紀から7世紀までメコン川下流域からチャオプラヤーデルタ(タイのバンコクなどを中心に流れる河川チャオプラヤー川が作る中央湿地帯)にかけて栄えました。
そして、この時期に扶南国へ入ってきたのがヒンドゥー教であり、また、仏教で、時を経てカンボジアでは、仏教の中でも上座部仏教(東南アジア地域で主要な現存する最古の仏教宗派)が国教とされるなど、カンボジアでの宗教事情を語る上では超重要な宗教となっていったのです。
現在、全人口の約98%が上座部仏教を信仰しているとされ、今日のカンボジア王国では国教にも指定されています(※信教の自由も保証されている)。
そして、現在のカンボジアで次に信徒数を抱えるのが全人口の1%強が信仰するイスラム教で、次いでキリスト教が三番目に多くの信徒を抱える宗教となります。
一方で、カンボジアに最初に入ってきた外国を起源とする宗教のヒンドゥー教は、上座部仏教が普及していくことで、カンボジア国内では宗教としての影響力を失い、現在は全くと言って良いほど信仰する人はいません。
各カンボジアの宗教の割合
上で示したカンボジアの宗教の割合をより正確に分かりやすく示すと以下の通りです。
- 上座部仏教:97.9%
- イスラム教:1.1%
- キリスト教:0.5%
- その他:0.6%
(参照:CIA World Fact Book, 2013)
カンボジアの各宗教についてもう少し詳しく見ていこう
カンボジアの宗教状況から各宗教の割合について見てきましたが、ここからはそれぞれについてさらに詳しく見ていきたいと思います。
上座部仏教
カンボジアの仏教の歴史は、扶南国の時代であった西暦5世紀に遡るというのが一般的な説ですが、早くは紀元前3世紀に遡るという説も存在します。
仏教はカンボジアへ、二つのルートで伝わりました。
一つ目は扶南国に渡来した商人達によってであり、二つ目はアンコール王朝時代に、古くから東南アジアに居住しているモン族の仏教信仰が、カンボジアの人々(クメール人)とそのクメール文化に浸透したことによってです。
いずれにせよ、13世紀当時、カンボジアを中心に東南アジアで一大勢力を誇った、カンボジアの主要民族であるクメール人の王国「クメール王朝(アンコール王朝)」によって国教として採用された結果、上座部仏教は広く社会に浸透していき、現在のカンボジア人口のほとんどが信仰するまでに至ったのです。
またこのことはつまり、カンボジアでは仏教が過去2000年にわたって信仰され続けてきたことを意味し、カンボジアの伝統、文化、社会の根底を成していることをも意味します。
ちなみに、13世紀に上座部仏教がスリランカ方面から入って来るまでの仏教は大乗仏教で、実際には大乗仏教とヒンドゥー教が混じった宗教が信仰されていました。
ポルポト政権下の圧政に苦しんだ仏教
一方で、近現代のカンボジアの歴史において仏教は、圧政に苦しんだ時期もありました。
それは、共産主義政党「クメール・ルージュ」を率いるポルポトによって、1975年から1979年までカンボジアが支配された時期でした。
短期間とは言え、ポルポトによる激しい宗教弾圧は、多くの仏教僧や仏教学者達の犠牲を生み、また、仏教寺院の多くも破壊された結果、上座部仏教は存続の危機に瀕しました。
ポルポトの支配が終わった後もしばらくの間、仏教は以前のような状態には戻れず、非常に苦しい時期を過ごすことになりますが、1991年に当時のカンボジアの政権を握っていたカンボジア人民党が仏教を国教として復活させると宣言した結果、ようやく上座部仏教はその影響力を回復していくことになったのです。
イスラム教
ほとんどが仏教徒であるクメール人が人口の大多数を占めるカンボジアにおいて、イスラム教を信仰するムスリムは、カンボジアに暮らす少数民族のチャム族や、マレー人によって信仰され、国の人口の1.1%を信徒と抱える状況になっています。
毎年、チャム族のイスラム教徒コミュニティからは、コーランを勉強するために数名がマレーシアのクランタン州か、サウジアラビアのメッカに出向くとされ、また、ムスリムにとって一生に一度は成し遂げたいとされるメッカへの巡礼をする人もいます。
仏教と同様に、クメール・ルージュ政権下で弾圧された結果、かつてに比べてイスラム教徒の数は激減してしまいました。
キリスト教
カトリックの修道会「ドミニコ会」に所属するポルトガル人のドミニコ会士ガスパル・ダ・クルズは、1555年から1556年にカンボジアに入った最初のキリスト教宣教師となりました。
ただし、当時のカンボジア国王が承認しなかったため、現地の人々を改宗させることはとてつもなく困難でした。
カンボジアでの宣教活動によって洗礼を受けたのは、クルズの活動中、死の床にあった一人のみで、それもクルズがカンボジアを去る前のことだったと言います。
このような状況もあり、キリスト教がカンボジア国内に広がることはありませんでしたが、その後にバプテスト会がバッタンバンとシェムリアップ地方で活動し、1923年にはカンボジアでキリスト教徒宣教師同盟が設立され、1962年までに約2000人が改宗するなど、少ないながら信徒の数は増えていきました。
また、アメリカのプロテスタント教会が山岳地帯の少数民族やチャム族に宣教活動を行った結果、同地域で一定の効果を上げ、キリスト教人口が増加しました。
現在は、カンボジア人口およそ1600万人中の0.6%がキリスト教徒という状況になっています。
ヒンドゥー教
ヒンドゥー教は、扶南国の初期からカンボジア文化の中に浸透し、仏教よりも以前にカンボジアへ入ってきた宗教と一般的には考えられています。
そして、クメール王朝時代には、仏教と共にヒンドゥー教も国教とされていました。
しかし、上座部仏教が13世紀にクメール王朝の支配地域へ徐々に広がっていくと同時に、クメール王朝の当時の王「ジャヤーヴァルマン7世」は、それまでの王が掲げていたヒンドゥー教ではなく仏教を信仰したことから上座部仏教が支持され、ヒンドゥー教はゆっくりと影響力を失っていきました。
しかしながら、ヒンドゥー教に由来する儀式や慣習の一部は今だに残っており、信仰としてではないものの、カンボジア文化の中では所々でヒンドゥーの影響を垣間見ることが出来ます。
例えば、カンボジアの観光名所であり、現在は仏教寺院として知られるアンコール・ワットは元々、ヒンドゥー教寺院として建設されたものです。
その他の信仰
仏教、イスラム教、キリスト教以外にも、規模は小さいものの、カンボジアには様々な異なる信仰が存在します。
例えば、異なる民間信仰がカンボジアの様々な少数民族で信仰されており、山岳民族のほとんどはアニミズムを信仰しています。
一例を挙げると、目に見えない精霊を信じ、人知を超越する自然の力を、水、米、石、火などと結びつけていると言ったものです。
また、コミュニティによっては、動物が供物として捧げられることがあったり、カンボジアの大多数派のクメール人文化にはないタブーや慣習が実践されていたりします。
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カンボジアの宗教と割合|上座部仏教など宗教構成を確認!のまとめ
カンボジアの宗教を割合について詳しく見てきました。
最後にちょっとした豆知識を紹介しておきます。
上座部仏教が国教として制定されているものの、カンボジア憲法では宗教の自由が認められており、政府も信仰の権利を保障しています。
しかし、それでもカンボジア国内では宗教による差別が確認されており、カンボジアが直面している宗教問題として浮上しています。