パブロ・エスコバルはコロンビアの麻薬王として20世紀後半に暗躍した人物。彼を題材にしたNetflixのドラマによって、再び注目を集めました。
20世紀の世界では、大きな世界大戦を含めた多くの戦争が起こり、そこではジェノサイドなどの人道に対する犯罪も頻繁に起こりました。
一方で、20世紀後半になるとアメリカを筆頭に先進諸国の市場は巨大化し、巨大なマーケットを狙って違法なビジネスが横行するようになります。
その違法ビジネスの中でも代表的なものと言えば「麻薬の密売」でしょう。
そして、20世紀後半にコカインを大量にアメリカへ密輸し続けたことで、巨額の富と大きな権力を手に入れた男性がいます。
それが、パブロ・エスコバルと呼ばれるコロンビアの麻薬王。
この記事では、そのパブロ・エスコバルについて、彼の生涯から知っておきたい4つの話までを紹介していきたいと思います。
パブロ・エスコバルとは?
パブロ・エスコバル(全名:パブロ・エミリオ・エスコバル・ガビリア/1949年12月1日〜1993年12月2日)は、コロンビアの麻薬王だった人物。
コロンビアさらに世界の歴史の中で、これまで組織された麻薬密売組織としては最も影響力のあった「メデジン・カルテル」を創設し、そのリーダーを務め、麻薬に関しては世界一のマーケットを誇ったアメリカを筆頭に、世界中でコカインを密売して大富豪にまで上りつめました。
その権力が絶頂期を迎えていた1980年代、パブロ・エスコバルは世界中の殺人や薬物の広大な帝国をコントロールし、何十億ドルもの大金を稼いで大豪邸をいつくも所有し、広大な敷地の中にはプライベートな動物園さえもあったほどです。
さらに、パブロ・エスコバルが築いた「帝国」は、兵士と犯罪者で構成された軍隊を所有し、コロンビアを混乱の渦に巻き込んだのです。
ちなみに、パブロ・エスコバルを題材にしたドラマ「ナルコス(Narcos)」が、2015年8月からNetflixで放送された結果、世界中が再びこの人物に対して注目を寄せ、彼が犯した凶悪犯罪の数々を多くの人が知ることになりました。
パブロ・エスコバルの生涯
青年時代と権力を手にするまで
少年時代に犯罪に手を染めて成人になるとコカインの密売を始める
1949年12月1日、パブロ・エスコバルはコロンビアの下〜中流家庭に生まれ、コロンビアで首都ボゴタに続く第二の都市「メデジン」で育ちました。
パブロ少年は元々頭がよく優しい少年であった一方、衝動的かつ野心的で、友達や家族にいつかコロンビア大統領になると話していたと言われます。
そして、高校生だった頃、墓石を盗んで磨き、名前を取り除いてからパナマ人に転売したことで犯罪ビジネスに目覚めると共に高校を中退。
その後は、車の盗難や強盗などを繰り返し、そして1970年代、ついにパブロは富と権力を得る方法を見つけます。
それが、ボリビアとペルーでコカの葉ペーストを購入し、精製してからアメリカに輸送して売却する「コカインの密売」だったのです。
権力の空白を埋めるように台頭していったパブロエスコバル
1975年、当時地元の麻薬王だったファビオ・オチョア・レストレポが殺害されるという事件が発生。
これは、パブロ・エスコバルによる指示だったと言われますが、とにかくこの事件によって生じた権力の空白を埋めるようにパブロ・エスコバルが現れ、レストレポの組織を乗っ取り、自身の活動を拡大していきました。
パブロはメデジンのほぼ全ての犯罪、そしてアメリカに輸送されるコカインの80%をコントロールするようになったのです。
そして1982年、彼はコロンビア国会議員に選ばれ、経済的・犯罪的・政治的権力を手にすることに成功。
パブロ・エスコバルは大きな権力を手に入れたのです。
権力の絶頂期を迎えたパブロ・エスコバル
1980年代半ば、パブロ・エスコバルは世界で最も権力のある、そして影響力のある人物の一人であったと言えるでしょう。
例えば、フォーブス誌は当時、パブロ・エスコバルを世界で7番目に裕福な人として掲載し、そのことを賞賛していたのです。
また、彼の「帝国」には、
- 兵士と犯罪者による軍隊
- プライベートな動物園
- コロンビア中のマンションやアパート
- 麻薬輸送のためのプライベート滑走路や飛行機
などが含まれ、さらに240億ドルの個人資産を抱えていました。
そのため、パブロ・エスコバルは、必要であれば(必要でなくても)、指示一つで「いつでもどこでも誰でも」殺すことが出来た一方で、頭脳明晰な彼は、何百万ドルもの大金を費やし、公園や学校、スタジアム、教会に加え、メデジンで貧困にあえぐ住民のための住居も提供。
「メデジンの庶民に愛されれば自らの身の安全が保たれる」ということを知っていたのです。
この戦略は功を奏し、パブロ・エスコバルは、大成功して自らのコミュニティに恩返ししている地元出身のヒーローとして、メデジン庶民に愛されることとなります。
伝説的な非情さでも知られるようになる
地元民には愛された反面、他のコロンビア人達の間でパブロ・エスコバルは、その非情さで有名になっていきました。
そして、政治家、裁判官、警察が、パブロに対して公に反対するような態度を示し始めます。
しかし、パブロ・エスコバルは敵に対する対処法を知っていました。
それは通常、政治家や裁判官、警察官が自分の邪魔をしようとした場合、
- まず贈賄を試みる
- 賄賂が上手くいかない時には、本人と必要ならその家族の殺害を指示する
といった方法で対処することでした。
パブロ・エスコバルに反対して殺されたこれらの人々の数は不明ですが、何百人または何千人にもの人が殺害されたと推定されています。
このように、パブロ・エスコバルにとって敵が持つ社会的地位は意味を持たなかったのです。
もし誰かが邪魔であれば、やり方はどうであれ排除してしまうだけでした。
ある時、大統領候補者3名を邪魔に思ったパブロ・エスコバルは、3人の殺害をメデジン・カルテルに命令。
1989年11月27日、メデジン・カルテルは、その3人が搭乗したとされるアヴィアンカ203機に爆弾を仕掛けて爆破。
目的であった3人の大統領候補者達は乗っていなかったものの、110人の乗客が死亡したのです。
また、これらの目立った殺人事件に加え、パブロ・エスコバルと彼の組織は、数えきれないほどの判事、ジャーナリスト、警察官、そして邪魔となれば自らが雇っていた者でさえ殺したのです。
「エスコバルの引渡しとアメリカ国内での裁判」取引
ちなみに、パブロ・エスコバルとメデジン・カルテルの賄賂工作や殺人行為が激化した裏には、1980年代後半に取り交わされたアメリカ政府とコロンビア政府の協定があります。
これは、大量のコカインが国内へ流入してくることに困っていたアメリカ政府が、「エスコバルの引渡しとアメリカ国内での裁判」をコロンビア政府に迫ったものでした。
この協定が結ばれた結果、パブロ・エスコバルは激怒し、「銀か鉛か(お金か銃弾か)」という言葉を残し、敵へ積極的に賄賂を渡し、賄賂を見せても態度を崩さない人間には銃弾を与えて命を奪っていったのです。
豪華な「刑務所」へ自ら収監された
アメリカ政府からの圧力は高まる一方でした。
それに対応するためにも、コロンビア政府はパブロ・エスコバルの弁護士と相談し、興味深い提案を思いつきます。
それは、
- パブロ・エスコバルが出頭してくれば、
- 5年投獄される代わりに、
- 刑務所を好きなように改築でき、
- アメリカを含むいかなる場所へも送還されないという権利を得る
というも。
アメリカ政府、コロンビア政府、そして同業の敵との抗争に疲れていたパブロ・エスコバルは、この提案を受け入れ、エスコバル個人向けに用意されていた刑務所に収監されたのです。
そして、パブロ・エスコバルはその刑務所を改築し、ジャクジーやあらゆるお酒が揃っているバー、そしてサッカー場を備え付け、この刑務所は「ラ・カテドラル(教会)」や「オテル・エウコバル(ホテル・エスコバル)」と称されるようになります。
さらにパブロ・エスコバルは、自身の「監視役」を選ぶ権利についても交渉し、「刑務所」の中にいながらも電話を通じて、外側の「メデジン・カルテル」を動かし続けたのです。
パブロ・エスコバルの逃亡そして最期
一般の刑務所への移送計画
パブロ・エスコバルがラ・カテドラルの中から未だに外へ向けた活動を続けていることは、誰もが知っていましたが、及び腰だったコロンビア政府は何もしていませんでした。
しかし1992年7月、パブロ・エスコバルが自らの部下を「刑務所」に呼び、拷問して殺害したことが世の中に知れ渡ります。
すると、世論が沸騰。
その圧力に押される形で、コロンビア政府はとうとう、パブロ・エスコバルを一般の刑務所に移送する計画を打ち立てます。
そして移管当日の7月22日、パブロ・エスコバルは刑務所を出ると、そのままメデジン市内へ逃げて姿を隠してしまったのです。
本気になったアメリカ政府&地元警察とパブロ・エスコバルの最期
なんとかしてコカインの大量流入を止めたいアメリカは、隠れ身となったエスコバルをあぶり出すために、地元警察と強力して大規模な捜索を開始。
1992年の末には、エスコバルを探す以下二つのチーム(または組織)が、偶然にも存在していました。
- サーチ・ブロック
- アメリカによる特殊訓練を受けたコロンビアの特別部隊
- ロス・ペペス
- パブロ・エスコバルの商売敵であるカリ・カルテルにより支援され、彼の犠牲者の家族によって構成された裏組織
このような状況の下、パブロ・エスコバルは潜伏先を転々としながらも追い込まれていき、1993年12月3日、ついに、コロンビアの治安部隊がパブロ・エスコバルの潜伏先を特定。
サーチ・ブロックが潜入し、エスコバルの身柄を確保しようとしましたが、それに対してエスコバルは反撃して銃撃戦となります。
しかし最終的には、屋上に逃げようとしたところをパブロ・エスコバルは射殺されたのです。
この銃撃戦の中でエスコバルは、胴体や脚にも銃弾を受けていましたが、致命傷となったのは耳を突き抜けた銃弾だと言われます。
そして、パブロ・エスコバルの死亡を境に、メデジン・カルテルはライバルである「カリ・カルテル」に対して急激に力を失い、コロンビア政府により1990年台半ばに活動停止とされるまで、麻薬ビジネスはカリ・カルテルによって支配されていくことになったのです。
パブロ・エスコバルについて知っておきたい4つの話
パブロ・エスコバルの生涯を追ってきましたが、ここからはそれ以外にも知っておきたい4つの話を紹介していきます。
愛人を持ちながらも妻を愛し続けたパブロ・エスコバル
1976年、パブロ・エスコバルは、当時15歳のマリア・ビクトリアという女性と結婚。
その後二人は、「フアン・パブロ」と「マヌエラ・パブロ」の二人の子供を授かりました。
一方で、パブロ・エスコバルは多くの愛人を抱えていたことでも知られ、特に未成年の女性を好む傾向があったと言われます。
その中には、バージニア・バジェホという名前の、コロンビアで有名なテレビタレントになった女性も含まれています。
しかし、こうした愛人関係にもかかわらず、パブロ・エスコバルは妻であるマリア・ビクトリアを愛し続け、また、マリア・ビクトリアもパブロ・エスコバルを愛し続けました。
パブロエスコバルの家族は地獄を生きた
夫が犯した様々な悪事によって、パブロ・エスコバルの死後でさえも、彼の妻と子供は身を隠して生活しなければならず、アルゼンチンに亡命。
さらに、パブロ・エスコバルの妻マリア・ビクトリアは、マリア・サントス・カバレロと改名し、子供も改名しています。
親子は2000年にマネーロンダリングの疑いで逮捕され、懲役15年の刑に服しましたが、後に証拠不十分で釈放されました。
このことについてエスコバルの妻は、
アルゼンチンでは私は囚人です。アルゼンチン政府は麻薬の密売と闘っていることを証明したいがため、パブロ・エスコバルの亡霊に挑みたがっているのです。
と、エスコバル亡き後の生活の苦悩を語っています。
殺し屋のネットワークを操ったことが成功の鍵
パブロ・エスコバルは、「自身のゲームでトップに立つには、仲間とライバルの両方に恐怖を煽る必要がある」と理解していました。
そこで、恐怖支配を確実なものするために、殺し屋のネットワークに目をつけて操ったのです。
この殺し屋ネットワークの中でも、エスコバルに絶大な信頼を置かれ、エスコバルの代わりに多くの殺人を犯したエスコバル第一の殺し屋「ジョン・ハイロ・ベラスケス・バスケス」、通称「ポパイ」は、およそ300人を直接殺し、他の3000件の殺人を指示したと後に自白しています。
このように、自らの手を血に染めることはほとんどなく、代わりにいつでも自由な時に動いてくれる殺し屋の強力なバックアップがあったからこそ、パブロ・エスコバルは圧倒的な権力を手にすることが出来たのです。
ちなみに、1992年、ポパイは懲役52年の実刑判決を受けましたが、2014年には釈放され、現在は犯罪組織の全要解明へ向けて警察に協力したり、また、パブロ・エスコバルの足跡を辿るツアーなどを開催しています。
パブロエスコバルはメデジンをコロンビアの殺人の「首都」に変えた
1989年、人口200万人のメデジン1都市で2600人を超える人が惨殺され、メデジンの殺人率はコロンビア国内で最高だったと言われます。
実際、1985年から1988年までコロンビアに駐在したアメリカ合衆国の大使は、
コロンビアでは殺し屋の階級が発展した。彼らはの多くは、ギャングから人を殺す方法を教わりながら育ったストリートチルドレンだった者が多い。
ギャングから人殺しの方法を学ぶ中で子供達は、銃を与えられ、バイクに乗って出かけ、誰かの後ろから後頭部や車の後部窓にできるだけ近づき、銃を発射する。あるいは車が信号で止まった時に発射する。
人殺しのテストが課されたのだ。
と語っており、メデジンでは麻薬組織の支配下で日常の殺人は制御不可能。
このことはまた、メデジンがコロンビアにおける「殺人の首都」となってしまったことを表しています。
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パブロエスコバル|Netflixで話題になったコロンビアの麻薬王のまとめ
20世紀後半にアメリカへ向けたコカインの密売ビジネスに手を染め、コロンビアを混乱の渦に巻き込んだパブロ・エスコバルについて見てきました。
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