シュメール人やシュメール文明が持つ特徴や謎は興味深いものばかりです。古代文明に突然現れ、そしていつの間にか表舞台から消えていったシュメールについて見ていきます。
メソポタミア文明と言えば、人類最古の文明の一つとして有名ですが、その初期を担ったシュメール人について知っていますか?
世界の歴史の中でも非常に謎に包まれた人たちである一方、当時のシュメール文明は非常に高度な技術から成り立っていたため、現代でも興味が絶えない人類集団です。
そんなシュメール人と文明の特徴や謎について迫っていきます。
- シュメール人とは?
- シュメール人の特徴や謎が分かるかも?シュメール人やシュメール文明の知られざる9つのこと!
- シュメール人や文明の特徴や謎① シュメール文化は19世紀になるまで歴史の闇に葬られていた
- シュメール人や文明の特徴や謎② 楔形文字と文学
- シュメール人や文明の特徴や謎③ シュメール人の大規模都市を覗いてみよう
- シュメール人や文明の特徴や謎④ 都市国家どうしの争いが絶えなかった
- シュメール人や文明の特徴や謎⑤ ビール好きだった!
- シュメール人や文明の特徴や謎⑥ 旅慣れた貿易商人だった
- シュメール人や文明の特徴や謎⑦ 歴代支配者のなかには女性が一人含まれている
- シュメール人や文明の特徴や謎⑧ ギルガメシュ叙事詩の英雄はシュメール文明にいた実在の人物をモデルにしているか?
- シュメール人や文明の特徴や謎⑨ シュメール人の数学や測量法は今日でも使われ続けている
- 次の世界雑学記事も合わせて読みたい
- シュメール人や文明の特徴や謎|怖いと言われる古代文明の人々は実は!?のまとめ
シュメール人とは?
シュメール人とは、人類史上最古の文明の一つとして知られるメソポタミア文明の初期を担った人たちのこと。
ティグリス・ユーフラテス川流域(メソポタミア地方南部)で都市国家(キシュ、ウル、ウルク、ラガシュなど)を生み出し、メソポタミア文明の基盤を構築していった人々です。
自らのことを「ウンサンギガ」と呼んでいたようですが、その後シュメール文明を征服してこの地に栄えたアッカド人達によって、その地域が「シュメール(葦の多い地域という意味だとされる)」と呼ばれたことから、そこに住む人々を指して「シュメール人(Sumerians)」と呼ばれたとされます。
シュメール人の起源は謎のままである
そんなシュメール人ですが、紀元前3800年頃に突如としてこの地に現れ、そこから一気にメソポタミア文明が開花し、目覚ましい発展を遂げます。
(出典:Quora)
美術、数学、天文学、建築、宗教などに加えて、社会機構や軍事の発展、文字や文学の発明などをもたらし、非常に高度な都市国家を形成したのです。
また、シュメール人の都市国家は、ジッグラトと呼ばれる巨大な神殿を囲むようにして栄えた特徴を持っていました。
このように、非常に高度な文明を築いたシュメール人ですが、その民族的な起源は解き明かされておらず、その先進的な技術や知識がどのように持ち込まれたのかも謎のままなのです。
シュメール人の特徴や謎が分かるかも?シュメール人やシュメール文明の知られざる9つのこと!
シュメール人について、おおよその概要を確認したところで、シュメール人とそのシュメール人が築いた文明に関する9つのことを見ていきましょう。
謎多きシュメール人や彼らの文明のことを、もう少しだけ理解出来るようになるかもしれません。
シュメール人や文明の特徴や謎① シュメール文化は19世紀になるまで歴史の闇に葬られていた
紀元前2000年初頭、メソポタミアがアムル人およびバビロニア人に支配されると、シュメール人は徐々に文化的アイデンティティを失っていき、政治勢力としては消滅してしまいます。
シュメール人の歴史、言語、技術に関する知識は全て、またシュメールの名そのものさえも、だんだんと忘れ去られていってしまうのです。
そんなシュメール人の謎は19世紀になって、フランスとイギリスの考古学者たちが古代アッシリアの遺跡発掘に乗り出し、シュメール文明の遺物を偶然発見するまで、イラクの砂漠に埋もれたままになっていました。
当時の考古学者が後に、シュメールの言語や楔形文字を解読する先駆け的な役割を果たし、世の歴史学者たちへ、長く失われた古代メソポタミア文明の初期の歴史や文学について初めて紹介したのです。
それ以降、考古学者によって、シュメール人の芸術作品、陶芸品、彫刻品が数多く発掘され、同時に約50万枚におよぶ粘土板が出土しており、その大半は現在もなお翻訳作業が進められています。
シュメール人や文明の特徴や謎② 楔形文字と文学
古代シュメール人が発明した楔形(くさびがた)文字)の歴史は、紀元前3400年頃まで遡るとされます。
楔形文字は当時最も洗練された文字文化であり、水で練った粘土板に葦を削って作った尖筆(せんぴつ:先の尖った棒状の筆記具)で書き記され、言葉や音節を記すのに使用した数百の文字から成っていました。
シュメール人の楔形文字は、当初の商取引の記録を残す必要性から生まれたものと考えられますが、時代が進むにつれて成熟した文字体系として、詩や歴史から法典や文学にまで使用され、それによってシュメール文明の特徴の一つである文学が花開くことになるのです。
また、シュメール人の楔形文字は多数の言語に借用されたため、その後、数千年の長きにわたって多くの様々な文化で使用され続けることになります。
シュメール人や文明の特徴や謎③ シュメール人の大規模都市を覗いてみよう
古代メソポタミア文明の基盤となったシュメール文明、そのシュメール文明を担ったシュメール人の都市国家の数は、紀元前4000年ごろまでにおよそ十数個程度は存在していたとも言われます。
こうした都市国家はたいてい、シュメール人の宗教に関連した数階層のピラミッド形の聖塔、ジッグラトを中心に、城壁に囲まれたメトロポリスでした。
家々は束ねた葦や泥レンガで建てられ、また、チグリス・ユーフラテス川の泥水を農作に利用するために、複雑に入り組んだ灌漑用水路が整備されていたとされます。
古代シュメール文明の主な都市国家には、エリドゥ、ウル、ニップル、ラガシュ、キシュなどがありましたが、そのなかでも最古の歴史と最も広大な面積を誇る都市国家の一つウルクは、全長およそ10kmにも及ぶ防御壁に囲まれ、4~8万人の人口を擁し、貿易の中心地として繁栄したようなのです。
最盛期の紀元前2800年頃には、ウルクは世界最大の都市であったと言えるかもしれません。
シュメール人や文明の特徴や謎④ 都市国家どうしの争いが絶えなかった
言語や文化的伝統を共有していたにもかかわらず、シュメール人の都市国家どうしは頻繁に戦争状態にあり、結果として複数の王朝や王権が誕生したとされます。
歴史上最古の戦争として知られるこうした都市国家どうしの戦いの一つとして、ラガシュ(都市国家の一つ)のエアンナトゥム王がライバルの都市国家ウンマを打ち倒した紀元前2450年頃の争いを挙げることが出来ます。
エアンナトゥム王の統治下で、ラガシュはシュメール全土を制圧し続けましたが、古代メソポタミアの歴史をみれば、ラガシュはメソポタミアに君臨していた複数の都市国家のうちの一つにすぎません。
こうした都市国家どうしの争いは、シュメール文明の特徴である先進的な軍事の発達に結びついたと考えられます。
一方で、この内紛の結果としてシュメールの都市国家は外敵の侵入に対して脆弱になってしまった可能性があり、シュメール王朝の末期には、エラム人、アッカド人、グディ人の侵攻を受け、制圧されてしまうことになります。
シュメール人や文明の特徴や謎⑤ ビール好きだった!
シュメール人は様々なものを発明、発展させましたが、人類最古のビール醸造を行っていた民族の一つであるとも考えられています。
(出典:AncientOrigins)
その製法は現在謎につつまれたままですが、シュメール人が好んだエールは大麦ベースの混合飲料で非常に濃厚だったため、ろ過機能の付いたストローのようなものですすって飲なければならないかったとも言われ、決して「喉越し爽やか!」ではなかったビールのよう!
そんなシュメール人ですが、彼らにとっては「肝臓を幸福にし、心を喜びで満たす」ためにビールは大切なものであると考えられていたようです。
ちなみに、シュメールの神々のなかには「ニンカシ」というビールの女神までいて、「ニンカシよ、あなたは樽からビールを注ぐ、チグリス、ユーフラテスの流れのように」という、ニンカシを讃える歌まであったそうです。
シュメール人や文明の特徴や謎⑥ 旅慣れた貿易商人だった
シュメール人の地には木材、石材、鉱物などの資源がほとんどなかったため、シュメール人は、陸路および海路のどちらにも、人類史上最古の貿易ネットワークを築かざるを得ませんでした。
シュメール人の最も重要な交易相手は(現在のバーレーンにあたる)ディルムンという地域だったとされます。
さらにシュメール人は、美術品や宝石に用いられた青色の貴重な鉱石、ラピスラズリを特に好んだようで、ラピスラズリを求めてアフガニスタンまでもさまよい歩いていたと言われます。
この他、シュメールの文書に登場する2つの交易地「マガン」と「メルハ」が、エジプトとエチオピアを意味するとする説もあり、シュメール人が交易に盛んであった可能性が分かります。
シュメール人や文明の特徴や謎⑦ 歴代支配者のなかには女性が一人含まれている
古代メソポタミア文明について知る手がかりとなる最も有益な情報源の一つに、「シュメール王名表」と呼ばれる、古代シュメール歴代王朝のほとんどの王の名が、在位期間と共に列記された粘土製の書字板があります。
(出典:ALL MESOPOTAMIA)
この王名表は、歴史的事実と作り話が混在しているのが特徴で、初期の王朝の王には43,200年も生きたと記載されている者もありますが、紀元前2500年頃、都市国家キシュの君主であったと考えられているシュメール文明唯一の女王、ク・バウ(Ku-Bau:クババと呼ばれることもある)という名の女性も記されています。
ク・バウがどのように政治を動かしたのかや、どのように権力を握るに至ったのかについてはほとんど分かっていませんが、王名表から、ク・バウによる統治のおかげで「都市国家キシュの基盤固めが実現」し、王朝が100年間続いたことが分かるとされています。
シュメール人や文明の特徴や謎⑧ ギルガメシュ叙事詩の英雄はシュメール文明にいた実在の人物をモデルにしているか?
メソポタミア文学の最高傑作の一つ「ギルガメシュ叙事詩」は、あるシュメールの王の、森に住む怪物との闘いや不老不死を追い求める冒険を描く3000行から成る叙事詩です。
ギルガメシュ叙事詩の英雄はヘラクレスのような怪力をもつ半神半人とされますが、そのモデルは都市国家ウルクの王であるかもしれないと言われます。
また、歴史上でもギルガメシュはシュメールの「王名表」に登場し、紀元前2600または700年頃に実在していたと考えられています。
ギルガメシュ王の統治に関する同時代の記録はほとんど現存していませんが、碑文によれば、王はウルクの巨大な防御壁を建設し、女神ニンリルを祀る寺院を修復していることから、その行為が後に神話化された可能性が示唆されています。
シュメール人や文明の特徴や謎⑨ シュメール人の数学や測量法は今日でも使われ続けている
1分は60秒、1時間は60分であるとする60進法の起源は、はるか昔古代メソポタミアまで遡ります。
現代の数学が10を基数とした十進法に基づいているのと同じように、シュメール人は60ごとに繰り上がる60進法を主に用いていました。
この容易に割り切れる記数法(適当な文字や記号と一定の規則を用いて数を表現する方法)は、後に古代バビロニア人にも取り入れられ、月や年の長さを計算する天文の分野に活用されました。
60進法はやがて使われなくなっていきますが、時間や分の計測においては今もなお使われ続けています。
この他にも、円が360度であることなどの空間的な計測法に、現在でもシュメール人が考案した60進法の名残がみられます。
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シュメール人や文明の特徴や謎|怖いと言われる古代文明の人々は実は!?のまとめ
謎多きシュメール人や、彼らの築いた文明に関して、その特徴やちょっとした謎に迫ってみました。
古代文明に見る彼らの痕跡は、興味の尽きないものとしていつまでも光り輝いています。
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