メキシコの有名人たちをまとめていきます。歴史的な政治家や革命から画家や俳優まで、世界的にも名前が知られたメキシコ人たちを見ていきましょう。
メキシコと言えばテキーラとタコスが有名!
しかしそれだけではありません。
比較的浅い歴史を持つ国にも関わらず、メキシコはこれまで数々の有名人を送り出してきました。
彼らは、歴史的な政治家や革命運動の指導者、他にも映画スター、映画監督、芸術家、作家、サッカー選手、ミュージシャンなど、多岐の分野にまたがります。
メキシコにまつわる有名人の中から15人をピックアップして、一覧として紹介していきます。
- メキシコの有名人1:エルナン・コルテス
- メキシコの有名人2:ミゲル・イダルゴ
- メキシコの有名人3:アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
- メキシコの有名人4:ベニート・フアレス
- メキシコの有名人5:パンチョ・ビリャ
- メキシコの有名人6:ディエゴ・リベラ
- メキシコの有名人7:フリーダ・カーロ
- メキシコの有名人8:オクタビオ・パス
- メキシコの有名人9:ペドロ・インファンテ
- メキシコの有名人10:カルロス・スリム・ヘル
- メキシコの有名人11:ビセンテ・フォックス・ケサーダ
- メキシコの有名人12:カルロス・サンタナ
- メキシコの有名人13:ギレルモ・デル・トロ
- メキシコの有名人14:サルマ・ハエック
- メキシコの有名人15:ハビエル・エルナンデス
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- メキシコの有名人まとめ|歴史的な政治家や革命家から画家や俳優までのまとめ
メキシコの有名人1:エルナン・コルテス
エルナン・コルテス(1485~1547年)はスペイン出身のコンキスタドール(征服者)で、カリブ海の島々の原住民を征服し、その後、メキシコ高原にあったアステカ帝国にも手を伸ばして征服しました。
1519年、コルテスはたった600人の部下を連れてメキシコの本土に上陸し、内陸へと突き進み、アステカの人々を強引に従属させていきました。
そして、アステカの首都テノチティトランにたどり着いたコルテスは、戦うこともなく首都を占領。皇帝モクテスマを人質に取り、しばらくの間アステカの指導者として君臨します。
しかし、原住民に対する扱いがあまりにも酷かったためアステカ側が反乱を起こした結果、大きな戦いが始まり、コルテスは1521年にアステカ文明を完膚なきまでに粉砕して滅ぼしたのです。
彼がいなければ現在のメキシコはなかったことを考えると歴史的には重要な人物である一方で、多くの原住民の大量虐殺を行ったとして批判もされています。
メキシコの有名人2:ミゲル・イダルゴ
地元教区で牧師として尊敬されていたミゲル・イダルゴ(1753~1811年)は、スペイン領メキシコで独立に向けた革命(メキシコ独立運動)の初期の指導者となった人物。
カトリックの教義を追求する厳格な聖職者としての顔と同時に、革命家としての精神も持ち合わせていました。
1810年9月16日、50代だったイダルゴはドローレスという村の教会で演説を行い、スペイン人に対する武装蜂起を呼びかけた結果、抑圧的な支配に耐えられなくなった人々が蜂起に加わり、あっという間に強力な軍隊に発展。
イダルゴは首都メキシコシティの攻略を試みますが失敗し、捉えられたイダルゴは1811年に処刑されてしまいました。
しかし、彼が始めた革命は受け継がれ、メキシコは1821年に独立を勝ち取ったのです。
メキシコ人には「メキシコ独立の父」として称えられています。
メキシコの有名人3:アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ(1794~1876年)は、メキシコ独立戦争においてスペイン植民地軍に加わって戦った軍人。
しかし戦争の途中でメキシコ側に寝返り、その後、軍人・政治家として権力の頂点に上り詰め、1833年から1855年にかけては11回もメキシコの大統領に選出されています。
ただし、政治家としての腕前はあまり良くなかったようで、1836年の反乱でテキサスを失い、また米墨戦争でアメリカに敗北、さらに1839年にはフランスにも敗北してしまいました。
メキシコの有名人4:ベニート・フアレス
ベニート・フアレス(1806~1872年)は、インディオ(現地の先住民)から選ばれた初のメキシコ大統領。
生粋のインディオの両親と極貧の環境に生まれ、十代の頃まで全くスペイン語を話すことが出来ませんでしたが、その後に掴んだ勉学のチャンスをフル活用して高度なスペイン語を習得しました。
1858年、レフォルマ戦争に反政府自由党軍(革命派)の指導者として参加し、大勝利をおさめると、直前には法務大臣として活躍していたフアレスが革命派によって樹立された臨時政府の大統領に選出されます。
しかし1861年にフランスがメキシコに侵略すると、フアレスは大統領の座を追われてしまいました。
1864年、フランスはオーストリアのマクシミリアンをメキシコ皇帝として即位させますが、フアレスはこれに対して徹底的に抵抗し、ついに1867年に彼を打倒。
フランス軍をメキシコから撤退させ、1872年に亡くなるまで再び大統領職につきました。
在任中、彼は政教分離やメキシコの近代化など様々な改革を実行したことで有名で、メキシコでは今でも愛されている「建国の父」です。
メキシコの有名人5:パンチョ・ビリャ
パンチョ・ビリャ(1878〜1923年)は、1910年か1920年にかけて起きたメキシコ革命の立役者の1人。
貧しいメキシコ北部に生まれた彼は、地元の山賊(ギャング集団)に加わり、そこでビリャは恐れを知らぬ戦士として有名になり、すぐに山賊のリーダーとなりました。
そして、メキシコ革命が起こるとすぐに反応し、その後10年間にわたってビリャは、ポルフィリオ・ディアス、ビクトリアーノ・ウエルタ、ベヌスティアーノ・カランサ、アルバロ・オブレゴンといった政権側の指導者たちを相手に戦闘を繰り広げました。
ちなみに、この革命運動を通して1917年には新憲法が制定され、現代メキシコの礎が築かれたことから、1923年に暗殺されてからもメキシコの大衆にとって彼は、常に英雄として扱われてきました。
メキシコの有名人6:ディエゴ・リベラ
壁画家のディエゴ・リベラ(1886〜1957年)は世界的に有名なメキシコ出身の画家で、メキシコ紙幣の顔にもなっている歴史的人物。
パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックから始まった、キュビスムと呼ばれる美術の動向を取り入れた画風で知られ、メキシコを飛び越えてアメリカでも壁画を書き上げました。
また、1920年代から1930年代にかけて起こった、メキシコ革命の意義やメキシコ人のアイデンティティーを伝える運動「メキシコ壁画運動」のリーダー的存在となったことでも有名です。
メキシコの有名人7:フリーダ・カーロ
(出典:wikipedia)
フリーダ・カーロ(1907~1954年)はメキシコの画家で、その特徴的な画風で世界中の人々を魅了した、世界的に有名なメキシコ人女性。
また、多くの壁画作品で知られたメキシコ生まれのディエゴ・リベラの妻であったことでも知られます。
カーロの作品は鮮やかな色使いが特徴的で、メキシコの伝統文化のイメージを多く取り入れています。
一方で、残念ながら彼女はあまり多くの作品を残しませんでした。若い頃の事故の影響でカーロは生涯痛みに苦しんだのが主な理由です。
メキシコの有名人8:オクタビオ・パス
オクタビオ・パス(1914〜1998年)は、詩人や外交官として活躍したメキシコ人で、特に作家としては歴史的にも高い評価を受けています。
外交官としてヨーロッパ諸国を周っていた頃に執筆活動を並行して行い、数々の作品を世の中に送り出しました。
また、外交官を辞めたあとは大学で教鞭を取りながら引き続き執筆活動を行い、生涯の中でノーベル文学賞を始めとして数々の世界的な賞を受賞した、メキシコ文学界に輝く歴史的偉人の一人です。
メキシコの有名人9:ペドロ・インファンテ
メキシコ映画の黄金時代に活躍したペドロ・インファンテ(1917〜1957年)は、ホルヘ・ネグレテとハビエル・ソリスと並んでメキシコで最も有名なクルーナー(低い声で感傷的に歌う歌手)の1人。
「シエリト・リンド」や世界的に有名な「ベサメ・ムーチョ」などのボレロを歌った事で有名です。
また、映画にも出演し、俳優としても人々の記憶に残りました。
当時はメキシコのみならず、ベネズエラやグアテマラ、そしてペルーなど、他のラテンアメリカ諸国でも人気を博し、いわゆるアイドル的存在でした。
メキシコの有名人10:カルロス・スリム・ヘル
2009年には世界の長者番付で1位になったこともあるカルロス・スリム・ヘル(1940年〜)は、おそらく現在最も多くの資産を持つメキシコ人実業家で、コングロマリットの「グルポ・カルソ(Grupo Carso)」を築き上げた人物。
メキシコシティで最も人気がある美術館の1つであるソウマヤ美術館のオーナーでもあります。
ラテンアメリカの通信産業に多大な影響力を持つと言われ、実際にウィキリークスによってメキシコの携帯電話市場の約80%を独占していることが判明しました。
さらに、メキシコ証券取引所の上場企業の約40%は、カルロス・スリム・ヘルに多かれ少なかれ帰属するのではと考えられています。
メキシコの有名人11:ビセンテ・フォックス・ケサーダ
ビセンテ・フォックス・ケサーダ(1942年〜)は、長年与党の座にあった制度的革命党(PRI)に勝利し、2000年から2006年までメキシコの国民行動党(PAN)初の大統領を務めた人物。
メキシコ革命の始まりと共に1911年から1913年までメキシコ大統領に就任したフランシスコ・マデロ以来、野党から大統領に就任した初めての人物となりました。
大統領退任後の現在も精力的に活動を行なっていることで有名で、アメリカのトランプ大統領によるアメリカとメキシコの国境の壁の建設に対して強く反対しています。
ちなみに、メキシコ人としては非常に高身長(197cm)なことでも知られ、また、口髭が一つのシンボルとなっています。
メキシコの有名人12:カルロス・サンタナ
メキシコのハリスコ州生まれのカルロス・サンタナ(1947年〜)は、自身の名を冠したラテン・ロックのアメリカのジャズバンド「サンタナ」のリーダー。
ただし、1965年にアメリカへ帰化したため、現在、国籍上はアメリカ人となります。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において、2011年には第20位に選ばれるなど、世界トップレベルのギタリストとして知られ、現在もアメリカを中心に活躍しています。
メキシコの有名人13:ギレルモ・デル・トロ
メキシコのハリスコ州で生まれたギレルモ・デル・トロ(1964年〜)は、映画監督、脚本家、そして小説家として活躍するメキシコ人男性で、2017年に公開された「シェイプ・オブ・ウォーター」でアカデミー賞の監督賞と作品賞を受賞したことでとても有名です。
ただ、2006年にメキシコ人映画監督アルフォンソ・キュアロンと製作したダーク・ファンタジー映画「パンズ・ラビリンス」から注目されていたこともあり、アカデミー賞受賞は時間の問題だと言われていました。
ギレルモ・デル・トロは、この先もずっとメキシコ出身の映画監督として、世界中で注目を集め続けるでしょう。
メキシコの有名人14:サルマ・ハエック
メキシコのベラクルス州で生まれたサルマ・ハエック(1966年〜)は、2002年に公開された映画「フリーダ」で、フリーダ・カーロを演じたことで知られるメキシコ出身の女優。
「フリーダ」で見せた迫真の演技によって、アカデミー主演女優賞の候補にもなりました。
また、1988年にメキシコ国内でデビューした後、アメリカへ移ってきた際には英語が全く話せなかったなど、当時の苦労話もエンタメ業界で良く知られています。
現在は女優業だけでなく製作側にも進出しており、アメリカのテレビシリーズ「アグリー・ベティ(2006〜2010年)」の製作総指揮を務めるなど、今日に至るまでアメリカのエンタメ業界で活躍し続けています。
メキシコの有名人15:ハビエル・エルナンデス
スポーツ界で有名なメキシコ人と言えば、ハビエル・エルナンデス(1988年〜)。
過去には名門マンチェスター・ユナイテッドに在籍していたこともあるメキシコ出身のサッカー選手で、チチャリートのニックネームで世界的に有名なフォワードです。
もちろんメキシコ代表としても活躍しており、2019年現在、メキシコ代表の歴代最多得点記録を持っています。
ちなみに、ニックネームのチチャリートは「小さなエンドウ豆」という意味で、ハビエル・エルナンデスの瞳が緑色で、それがえんどう豆っぽいことに由来するそうです。
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