アルゼンチンの有名人を紹介していきます。サッカー選手やテニス選手を始め、他にも宗教界で絶大な知名度を誇る人物や歴史的な人物まで11名を確認していきましょう。
アルゼンチンはスペインから独立して、まだ200年ほどしか経っていない比較的新しい国です。
しかしそれでも、この南米で二番目に大きな領土を抱えるアルゼンチンからは、サッカーやテレビ、宗教など、様々な分野において国際的に注目を集める有名人が多く誕生してきました。
この記事では、そんなアルゼンチンの有名人を、歴史的な人物からテニス選手まで11名紹介していこうと思います。
アルゼンチンの有名人1:フアン・ペロン
アルゼンチンの軍人であり政治家、そして大統領として知られるフアン・ペロン(1895〜1974年)は、良い意味でも悪い意味でも知られるアルゼンチンの歴史的有名人です。
1946年に大統領に初当選すると、労働組合の保護や労働者の賃上げ、女性参政権の実現、イギリス系、アメリカ系などの外資系企業の国営化、貿易の国家統制などの政策を推し進めたことで、主に労働者層から圧倒的な支持を受け、生涯で三度に渡って大統領に当選しました。
一方で、反対派は強制収容所に投獄するといった独裁体制を敷いた独裁者としても知られます。
また、1974年に病死した後には、副大統領であった妻のイサベルが世界初の女性大統領に昇格したことも、フアン・ペロンの独裁者としてのイメージを強めています。
アルゼンチンの有名人2:エバ・ペロン
マドンナが主演を務めた1996年のミュージカル映画「エビータ」の影響もあり、アルゼンチン出身の女優エバ・ペロン(1919〜1952年)は、海外においてエビータとして知られています。
また、エバ・ペロンは、極貧から大金持ちになった人物です。
田舎出身のエバ・ペロンは、女優として成功するために大都会ブエノスアイレスに移住し、後にアルゼンチンの大統領になるフアン・ペロンに出会って恋に落ち、最終的には大統領夫人になりました。
さらに、労働者の権利と女性の権利の擁護者でもありました。
しかし、33歳の時に人気が高いまま子宮頸がんで亡くなってしまいました。
ちなみにその後、エバ・ペロンの遺体は行方不明になり、ヨーロッパを転々とし、1976年にようやくブエノスアイレスの有名なレコレータ墓地に埋葬されました。
アルゼンチンの有名人3:ローマ教皇フランシスコ
アルゼンチンや世界中のリベラル派の人々に愛されている第266代のローマ教皇フランシスコ(1936年〜)は、ブエノスアイレス出身の世界的有名人。
史上初のイエズス会出身のローマ教皇であり、史上初のアメリカ大陸出身のローマ教皇であり、また、8世紀以降初のヨーロッパ外出身のローマ教皇として、就任時は世界的な注目を集めました。
ローマ教皇フランシスコはその進歩的な見解で有名で、司祭になる前にはナイトクラブの用心棒として働いていたこともあるそうです。
アルゼンチンの有名人4:リカルド・ダリン
リカルド・ダリン(1957年〜)は、アルゼンチンの映画界に大きく貢献した俳優。
俳優の家系に生まれたリカルド・ダリンは、10歳の時に両親と共に劇場デビューを果たし、アルゼンチンにおいては誰もが知る映画界の重鎮にまでなりました。
カルト映画である「NINE QUEENS 華麗なる詐欺師たち」や、アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「瞳の奥の秘密」、ブラックコメディの「人生スイッチ」など、リカルド・ダリンは数々のアルゼンチンの名作映画で主演を務めています。
アルゼンチンの有名人5:ディエゴ・マラドーナ
アルゼンチンの最も有名なサッカー選手であり、また伝説的存在のディエゴ・マラドーナ(1960年〜)は、多くの人にとって憎めない存在。
史上最高のサッカー選手の1人として挙げられることが多いですが、もしかするとその不祥事の多い人生の方が有名かもしれません。
イタリアやスペイン、アルゼンチンの様々なチームに在籍し、アルゼンチン代表としても活躍したディエゴ・マラドーナは、1986年のFIFAワールドカップでチームを優勝に導きます。
そして、準々決勝のイングランド戦で有名な「神の手(ハンドによるゴール)」を繰り出したのです。
一方で、FIFAのウェブサイトでの投票で「ゴール・オブ・ザ・センチュリー(世紀のゴール)」に選ばれた、5人抜きのドリブルゴールでも有名です。
しかし、サッカーで輝かしい活躍を遂げた後、ディエゴ・マラドーナは薬物依存や不倫、暴行、不適切な政治発言など、様々な問題から長い間抜け出せずにいました。
アルゼンチンの有名人6:スサナ・ヒメネス
アルゼンチンのテレビ界においてはある意味で「黒柳徹子」的な存在感を持っているのが、スサナ・ヒメネス(1944年〜)。
女優やモデル、そしてテレビの司会者として長く活躍してきた女性で、アルゼンチンテレビ業界では最大のセレブの一人だと考えられています。
アルゼンチンの有名人7:ギリェルモ・ビラス
ギリェルモ・ビラス(1952年〜)は、アルゼンチンのブエノスアイレス出身の元プロテニス選手で、アルゼンチンテニス史に燦然と名前が輝く人物です。
世界四大大会を通算で4勝し、シングルスの最高ランキングも世界2位にまで上り詰めるなど、現役当時は世界トップ選手の中に名を連ねていました。
特に、ビラスが活躍した時代は男子テニスの黄金時代とも言われる時代だったことを考えると、彼の偉大さが分かります。
アルゼンチンの有名人8:ガブリエラ・サバティーニ
アルゼンチンは時々、世界レベルのテニス選手を生み出しますが、ガブリエラ・サバティーニ(1970年〜)は、アルゼンチン女子テニス選手の代表格的な存在と言えるでしょう。
すでに引退していますが、現役時代には四大大会の一つである全米オープンの女子シングルスを制しており、世界ランキングで3位にまで上り詰めたことがあります。
特に、1990年に全米オープンを制した際に決勝戦で対戦した相手は、当時最強を誇っていた女王「シュテフィ・グラフ」であったため、その勝利は世界中から大きな注目を集めました。
アルゼンチンの有名人9:マクシマ・ソレギエタ
ブエノスアイレスで生まれたマクシマ・ソレギエタ(1971年〜)は、現在のオランダ王妃となったことで有名なアルゼンチン人女性。
また、彼女の父は、1983年に幕を閉じたアルゼンチン最後の軍事政権の農林大臣を務めていました。
独裁政権が犯した人権犯罪に反感を抱かせないために、マクシマ・ソレギエタの両親がマクシマ・ソレギエタの結婚式と戴冠式に参列することを拒否した際は議論が生じたことでも注目を集めました。
アルゼンチンの有名人10:マヌ・ジノビリ
マヌ・ジノビリ(1977年〜)は、アルゼンチン出身の元プロバスケットボール選手で、世界最高峰のリーグNBAで活躍しました。
現役時代にはNBAチャンピオンに加え、ユーロリーグ優勝、オリンピック金メダル獲得、FIBAアメリカ選手権優勝などを果たし、世界でも稀にみる4冠を制した人物として名前を残しています。
アルゼンチンの有名人11:リオネル・メッシ
リオネル・メッシ(1987年〜)もまた、アルゼンチン出身のサッカースターとして有名な人物。
FCバルセロナに所属し、アルゼンチン代表としても目覚ましい活躍をしてきました。
実際、何度も世界最高の選手としてFIFA最優秀選手賞やバロンドールを受賞してきました。
また、リオネル・メッシは家族と共にアサードを作ったり妻や子供に対して忠実だったりと、世間一般から愛される親しみやすい人物としても知られます。
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アルゼンチンの有名人|サッカー選手やテニス選手から歴史的人物までのまとめ
アルゼンチン出身の有名人を11名紹介してきました。
アルゼンチンは非常に興味深い国ですが、この国の出身者達も同じように興味深い人々ばかりです。