イスラエルの有名人|ボリス・シャッツからオムリ・カスピまで

イスラエルの有名人を15名紹介していきます。ボリス・シャッツからオムリ・カスピまで、イスラエル出身者として知られる人々を見ていきましょう。

中東のパレスチナ地域に1948年に建国されたイスラエルは、国家としては比較的まだ歴史が浅い国です。

しかしそれにも関わらず、イスラエルはその後の短期間の間に、世界的にも影響を与える有名人を多く輩出してきました。

この記事ではそんなイスラエルの有名人を15人ピックアップして紹介していきます。

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イスラエルの有名人1:ボリス・シャッツ

リトアニア生まれのボリス・シャッツ(1866〜1932年)は、ブルガリア王の宮廷彫刻家で、シオニズム運動(イスラエルの地に故郷を再建しよう、あるいはユダヤ教、ユダヤ・イディッシュ・イスラエル文化の復興運動を興そうとするユダヤ人の近代的運動)を起こした一人である、テオドール・ヘルツルの熱烈な支持者でした。

1906年にエルサレムに移り住んだボリス・シャッツは、いつかイスラエルが生まれ変わると信じ、イスラエル固有の芸術的伝統を発展させる目的で、ベツァルエル美術デザイン学院を設立。

ベツァルエル美術デザイン学院は、以前はへんぴで宗教的なコミュニティでしかなかったエルサレムに、現代カルチャーの種を蒔きました。

イスラエルの芸術に対する並外れた取り組みは、芸術は新興国にとって欠かせない要素であるというボリス・シャッツの考えに大いに起因しているのです。

また、過去にはイスラエルの紙幣に肖像が使用されていたことでも知られます。

イスラエルの有名人2:ダヴィド・ベン=グリオン

ポーランド生まれのシオニスト指導者ダヴィド・ベン=グリオン(1886〜1973年)は、イスラエルの初代首相になったことで有名で、また第3代首相にも就きました。

1906年に当時オスマン帝国支配下にあったパレスチナに移住。

しかし、第一次世界大戦中にオスマン帝国から追放されてアメリカに移住しましたが、1918年にはイギリス陸軍のユダヤ人部隊に志願してパレスチナへ帰還。

その後、シオニストのリーダーとなって独立の準備を進め、1948年にイスラエルの独立を宣言し、また、イスラエル初の首相となりました。

さらに、1948年の第一次中東戦争では国を勝利へと導きました。

イスラエルの有名人3:ゴルダ・メイア

ゴルダ・メイア(1898年〜1978年)は、イスラエルにおいて初の女性首相となった人物。

ロシアで生まれましたが小さい頃にアメリカに移住し、学校で教師として働いた後、1921年にイギリス委任統治下のパレスチナに移り住みます。

そして、イスラエル労働党で多くの役職に就きました。

ゴルダ・メイアは勇敢さで有名で、1948年のイスラエル独立前夜には命がけでヨルダンに行き(アラブ人女性に変装したらしい)、アブドゥッラー1世にイスラエル相手に戦争を仕掛けないよう懇願したとして知られています。

一方でゴルダ・メイアが率いた政権は、1973年の第四次中東戦争において、エジプトとシリアからの奇襲攻撃を見抜けなかったことを批判され、多くの死傷者を出した点に対して責任を負いました。

イスラエルの有名人4:テディ・コレック

28年もの間イスラエルの首都であるエルサレムの市長を務めたテディ・コレック(1910〜2007年)は、ナチスが台頭した1930年代にウィーンからパレスチナに移り住みました。

テディ・コレックは「ワン・エルサレム連合」の指導者として、多くの民族や宗教団体が存在するエルサレムの平和を維持することに力を尽くし、街に芸術的、文化的、市民的な施設を造りました。

テディ・コレックはエルサレム市民にとってとても親しみやすく、職員が出勤する前の早朝には市宛の電話に出ることもよくあったそうです。

イスラエルの有名人5:メナヘム・ベギン

(出典:wikipedia

ポーランド領下にあったロシアのブレスト・リトフスクに生まれた、シオニストのメナヘム・ベギン(1913〜1992年)はイスラエルの政治家であり政治活動家。

家族の多くをホロコーストで失い、第二次世界大戦中にパレスチナに移り住みました。

そして当時、パレスチナを委任統治していたイギリスに対する攻撃を行う地下組織で指揮を執り始めます。

その戦術はダヴィド・ベン=グリオンやイスラエル暫定政府から非難されましたが、メナヘム・ベギンは1948年から1977年まで続いた労働党政権に対する反対運動を率い続けました。

その後、1977年に第7代イスラエル首相となり、キャンプ・デービッド合意や1979年のエジプト・イスラエル平和条約の締結を成し遂げました。

1978年には、エジプト大統領を務めたアンワル・アッ=サーダートと共にノーベル平和賞を受賞したことでも有名です。

イスラエルの有名人6:アバ・エバン

南アフリカで生まれ、ケンブリッジ大学で学んだアバ・エバン(1915〜2002年)は、作家、外交官、そして外務大臣として活躍した歴史的なイスラエル人。

アバ・エバンは、西洋の指導者の中ではウィンストン・チャーチル以来の優れた雄弁と機知で有名でした。

たとえば、第三次中東戦争前の緊迫した時期にイスラエル内閣のタカ派とハト派の対立について記者に尋ねられた際、アバ・エバンは「イスラエル政府は鳥小屋ではない」と皮肉を交えて答えました。

なお、アバ・エバンはアラビア語の学者でもあり、ヨルダン川西岸地区とガザに関しては穏健政策を支持していたことでも知られます。

また、アバ・エバンは「他のすべての選択肢を使い尽くしたら、人と国家は賢く行動するということを歴史は教えてくれます」という言葉を残しました。

イスラエルの有名人7:イガエル・ヤディン

イガエル・ヤディン(1917〜1984年)は、イスラエルの軍人であり考古学者。イスラエル国防軍参謀総長として比類なき才能を発揮したことでも知られます。

1940年代のハガナ(イスラエル国防軍の基礎となるかつてのユダヤ人軍事組織)の主要メンバーだった彼は、第一次中東戦争においてハガナのエルサレム防衛策の策定と実施を担当。

そして、1952年までイスラエル国防軍の参謀総長を務めた後は、考古学者になってハツォルやマサダ、ユダヤ砂漠の洞窟などの発掘を率いて文書に残したり、死海文書に関して論文を書いたりするなど、より学者としての活動で頭角を表していきました。

また、優れた講師だったイガエル・ヤディンは、イスラエル人にとって考古学を刺激的で身近なものにした結果、国民的ヒーローにもなりました。

イスラエルにおいて考古学は国民的スポーツと称されるほど人気になったのです。

イスラエルの有名人8:イツハク・ラビン

Yitzhak Rabin

イツハク・ラビン(1922〜1995年)は、現在のイスラエルの土地に生まれた人物としては初めてイスラエルの首相に選ばれたことで有名。

元々は農学を学んでいましたが、ユダヤ人軍事組織ハガナの戦闘部隊であるパルマッハに入隊し、第二次世界大戦では連合国軍と共に中東で戦いました。

そして、優れた戦略家として名を馳せたイツハク・ラビンは、1967年の第三次中東戦争ではイスラエル軍の最高司令官として、イスラエルを偉大な軍事的勝利へと導きました。

その後、1974年から1977年までは第6代首相に就任。さらに、1992年から1995年までは第11代首相として再び国を率いました。

また、1995年にはノーベル平和賞を受賞しています。しかし残念ながら同年、イツハク・ラビンの政策に反対したイスラエル人によって暗殺されてしまいました。

イスラエルの有名人9:デイヴィッド・グロスマン

(出典:wikipedia

エルサレム生まれの作家として有名なデイヴィッド・グロスマン(1954年〜)が執筆した書籍の中で、少なくとも7作品は30以上の言語に翻訳されています。

グロスマンは自身の作品の中で、イスラエル人とパレスチナ人の紛争や若者の恋愛、寂しい子供時代などについて取り上げ、また、母と息子の関係についての児童書や詩もいくつか書いています。

このように多くの作品を世に送り出し、世界中で読まれて愛された結果、これまで多くの賞を受賞してきました。

例えば、ネリー・ザックス賞やブッカー国際賞、フランクフルト平和賞やイスラエル賞などです。

国際ブッカー賞の選考委員によると、グロスマンは「物語作家の巨匠」として評価されているようです。

イスラエルの有名人10:マイケル・ソロモノフ

How To Make The Famous Goldie Falafel With Michael Solomonov

マイケル・ソロモノフ(1978年〜)はイスラエル出身の有名シェフ。

アメリカのフィラデルフィアに高評価のレストランを持っていることで知られ、また、最高品質の料理を世の中に送り出すことで、イスラエル料理に再び脚光を浴びせた功績で有名です。

2008年5月にモダンイスラエル料理の人気ビストロ「ザハヴ」を開店して以来、この謙虚な料理店主にとっては毎年が成功に次ぐ成功の日々となっています。

彼のレストランの中ではザハヴが一番有名ですが、他にもフムス専門店やファラフェル専門店など、「故郷」の味を思い起こさせる伝統的なイスラエル料理レストランをいくつかオープンさせています。

またソロモノフは、「料理のアカデミー賞」とも呼ばれる名誉あるジェームズ・ビアード賞の最優秀シェフ賞を受賞しました。

イスラエルの有名人11:シヴァン・ヤアリ

シヴァン・ヤアリ(1978年〜)は、イスラエル出身の社会起業家として知る人ぞ知る存在。

アフリカの地方の村々にイスラエル製の太陽光発電や水、そして農業革新をもたらす非営利団体である「イノベーション:アフリカ」の創設者です。

イスラエルで生まれ、フランスで育ち、アメリカの教育を受けました。

現在のキャリアは、彼女がまだとても若く、国際的な衣料品会社に勤務していた時にアフリカを訪れたことから始まります。

その後、2008年にニューヨークを拠点としてイノベーション:アフリカを設立。

2009年にはイスラエルのヘルズリヤピトゥアハにオフィスを移し、会社を率いてきました。

イノベーション:アフリカは国連のイノベーション賞を受賞し、ヤアリ自身も「イスラエル人の真心と精神が100万人のアフリカ人の人生を永久に変えた」として称賛されています。

イスラエルの有名人12:アダム・ニューマン

イスラエル生まれのアダム・ニューマン(1979年〜)は、世界的なコワーキングスペースを主力サービスとするWeWork(ウィーワーク)の共同創業者の一人。

ソフトバンクからの20億ドルを含めた巨大な額の調達を成功させ続けた結果、ビジネスインサイダーによってWeWorkは「ニューヨーク市で最も価値の高いスタートアップ企業」と呼ばれ、また、ニューマン自身も時の人となりました。

しかしその後、上場を計画していた中で不正会計などが報道され、一気に失墜。

上場が白紙となり、ウィーワークは大規模なリストラを余儀なくされるなどし、また、ニューマン自身もCEOの役職を解かれました。

イスラエルの有名人13:ナタリー・ポートマン

アカデミー賞を手にした名女優でイスラエル生まれの女性と聞けば、おそらく誰でもその名前を思い出すのがナタリー・ポートマン(1981年〜)。

また、ハーバード卒という頭脳明晰な点に加え、社会的・政治活動家としても知られ、イスラエル人社会にも強い影響を与え続けています。

結果、ユダヤ文化の普及に貢献した人物対象の賞として知られる「ジェネシス賞」も受賞しています。

他にも、活発に男女平等の促進に尽力しており、多くの尊敬を集めています。

現代に生きるイスラエル出身の人物の中では、最も有名な一人でしょう。

イスラエルの有名人14:ガル・ガドット

イスラエル人のモデルで女優のガル・ガドット(1985年〜)は、2017年に最もブレイクしたイスラエル出身の人物。

同年に公開された映画「ワンダーウーマン」で爆発的な人気を得たガドットは、一気に世界中に名前が知られるようになり、同年で最も稼いだ女優の一人になるなど、女優としての地位を確固たるものとしました。

また、過去にはミス・イスラエルに輝いたことでも知られ、イスラエルではモデル、そしてファッションブランドの広告塔として有名でした。

また、イスラエル国防軍で戦闘トレーナーの職務に就いていたことは、彼女を語る上で良く話題に上がります。

イスラエルの有名人15:オムリ・カスピ

NBA史上初のイスラエル人としてオムリ・カスピ(1988年〜)は、ここ何年もイスラエルを代表してきました。

206cmの高身長を武器にしてスモールフォワードとして活躍し、過去には自己最多となる1試合31得点を決めたこともありました。

イスラエルにとっては、れっきとした誇り高きスポーツ界の大使とも言える存在です。

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イスラエルの有名人|ボリス・シャッツからオムリ・カスピまでのまとめ

イスラエルの有名人を15名紹介してきました。

イスラエル生まれの人の中には他にもまだ多くの有名人がいますが、紹介した15名をまずは抑えておくと良いかと思います。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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