ウクライナの有名人|歴史的有名人から歌手として活躍する名前まで

ウクライナの有名人を紹介していきます。歴史的な有名人から現代に活躍する歌手まで、20名のウクライナの有名人達を見ていきましょう。

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東隣りに大国ロシアがあるため、東ヨーロッパのウクライナは常にロシアの影に隠れがちですが、その歴史の中では数々の偉大な人物を輩出してきました。

ウクライナの歴史上の有名人は近代国家成立に貢献し、ウクライナの文化をより豊かかつ多様にし、世界的な発明を生み出してきたのです。

そしてまた、現代においてもウクライナは、度々世界的な有名人を世に送り出しており、その存在感を示しています。

この記事では、そんなウクライナが誇る有名人を20名、歴史的人物から歌手まで紹介していこうと思います。

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ウクライナの有名人1:ウラジーミル1世

ウラジーミル1世(955年頃〜1015年)は、全てのウクライナ人が誇りに思っていると言って良い、ウクライナの歴史的有名人。

洗礼者や聖人、さらには使徒に等しい働きをした「亜使徒」としても知られています。

ウラジーミル1世はキエフ大公国の大公であり、988年にはキエフ大公国をキリスト教化。ウクライナ史の新たな1ページを開きました。

また、自身のマークである三叉戟(さんさそう)のデザインを施した硬貨を鋳造したのは、ウラジーミル1世が初めてでした。

ちなみに現在、その三叉戟のマークはウクライナの国章になっています。

ウクライナの有名人2:ボフダン・フメリニツキー

ウクライナ・コサックの初代ヘーチマン(元首)であるボフダン・フメリニツキー(1595〜1657年)は、ウクライナ独立のためにフメリニツキーの乱を起こした人物です。

フメリニツキーの乱は現地において、初めて成功を収めた蜂起となりました。

また、1654年に開催されたペラヤースラウ会議でボフダン・フメリニツキーは、ロシア・ツァーリ国と条約を結び、ポーランド・リトアニア共和国からウクライナの自治権を獲得したことでも知られ、キエフ・ルーシ崩壊後のウクライナ史では、最大の英雄と言われることがあります。

ウクライナの有名人3:フルィホーリイ・スコヴォロダ

フルィホーリイ・スコヴォロダ(1722〜1794年)は、近世ウクライナの偉大な哲学者、詩人、文人、そして教師だった有名人。

さらに、「ランドスケープ・リリクス」と呼ばれる、自然に対する筆者の考え方を表現する詩のジャンルの創始者であり、古代ギリシアの哲学者の業績をウクライナの文化と教育に取り入れたことから、「ウクライナのソクラテス」とも呼ばれます。

また、幸福を得る方法の理解を容易にした、本質的労働の概念を生み出し、「自分がすることを愛し、自分が愛することをしよう」という考え方を確立したとも言われます。

ウクライナの有名人4:タラス・シェフチェンコ

タラス・シェフチェンコ(1814〜1861年)は、ウクライナの偉大な詩人、散文作家、劇作家、画家であり、政治的にも有名な人物。

さらに、近代ウクライナ語の始祖とも言われ、彼の詩や歌の多くは民謡になっています。

また、タラス・シェフチェンコの作品は世界的にも有名で、詩集「コブザール(1840年)」は100か国語以上に翻訳され、35か国にタラス・シェフチェンコのモニュメントが建てられているのです。

自身の作品の中でウクライナの独立を夢見ていたことで知られ、ウクライナ人にとっては自由の象徴であるとさえ言えます。

ウクライナの有名人5:ムィハーイロ・ドラホマーノウ

19世紀におけるウクライナの社会思想のリーダーだったムィハーイロ・ドラホマーノウ(1841〜1895年)は、ロシア帝国によるウクライナ語と文化に対する弾圧を世界に知らしめた人物として有名。

当時、1876年に制定された秘密指令であるエムス法により、ウクライナ語での印刷刊行は禁じられていたのです。

ムィハーイロ・ドラホマーノウは科学と文学の共同体であるフロマダを結成し、1878年にパリで開催された国際文学会議で、ウクライナ語と文化に対する弾圧の問題について演説を行いました。

ウクライナの有名人6:イヴァン・フランコ

イヴァン・フランコ(1856〜1916年)は偉大な作家であり文化人。また、ウクライナ民族解放運動における重要人物。

その示唆に富んだ詩や小説と共に、イヴァン・フランコの遺産はウクライナの文化に結びついています。

イヴァン・フランコは1916年にノーベル賞にノミネートされましたが、受賞者が発表される前に亡くなってしまいました。

ウクライナの有名人7:ムィハーイロ・フルシェーウシクィイ

ムィハーイロ・フルシェーウシクィイ(1866〜1934年)は、歴史家、学者、文芸評論家、社会学者、記者、著作家、政治家として、多くの分野で活躍したウクライナ出身の人物。

ウクライナの歴史について基礎研究を行ったことで有名で、30年かけて「ウクライナ=ルーシの歴史」を執筆しました。

また、ウクライナ人民共和国のウクライナ中央ラーダ(ウクライナ中央議会)の議長(事実上のウクライナ人民共和国の元首)を務めた経験もあります。

ウクライナの有名人8:ミコラ・レオントヴィチ

ウクライナ人にとって誇りであるミコラ・レオントヴィチ(1877〜1921年)は、クリスマスソング「Shchedrik(英語名:キャロル・オブ・ザ・ベル)」を作曲したことで知られる、ウクライナ出身の有名人。

ミコラ・レオントヴィチは、一生をかけて「Shchedrik」を作曲し、そのメロディーは世界中で有名になりました。

ウクライナの有名人9:ネストル・マフノ

ネストル・マフノ(1888〜1934年)は、無政府主義(アナキスト)の父であり、ウクライナの歴史における重要な革命家です。

ネストル・マフノは当時、ウクライナの人口の大多数を占めた農民階級の支持を得て有名になりました。

彼の支持者は敬意を込めて、ネストル・マフノのことを「父(ウクライナ語ではバトゥコ)」と呼んでいました。

ネストル・マフノはまた、擁護者、教育者、救世主などとして崇められていました。

ウクライナの有名人10:イーゴリ・シコールスキイ

イーゴリ・シコールスキイ(1889〜1972年)は、航空機のパイオニアとして知られるウクライナの歴史的有名人。

多くの国が彼を自国出身だと主張していますが、実際のところイーゴリ・シコールスキイは、ウクライナの首都キエフで生まれました。

キエフ工科大学(現在はイーゴリ・シコールスキイ・キエフ工科大学となっている)で学び、ヘリコプターの設計を開始。

そして、世界初のヘリコプターと世界初の4発機イリヤー・ムーロメツを設計したのです。

後にイーゴリ・シコールスキイの設計は、旅客機、軍用機、貨物機などの開発の基礎となりました。

ウクライナの有名人11:ステパーン・バンデーラ

ステパーン・バンデーラ(1909〜1959年)は、20世紀前半のウクライナの独立運動における主要な指導者の1人。

当時、西ウクライナはポーランドに属していました。

その中でポーランド人によるウクライナ人に対する弾圧を目の当たりにしたステパーン・バンデーラは、抗議運動を始めたのです。

強制収容所に送られたり、暗殺事件に関与した容疑で投獄されたり、ステパーン・バンデーラの人生は波瀾万丈でした。

しかし、一貫してウクライナ独立へ生涯を費やし、その経歴の多くは謎に包まれているものの、ウクライナでステパーン・バンデーラは、独立のための闘いの象徴となっています。

ウクライナの有名人12:大鵬幸喜

ウクライナで生まれたわけでも、ウクライナで育ったわけでもないため、厳密にはウクライナの有名人とは言えないかもしれませんが、ウクライナの有名人とされることがある大鵬幸喜(1940〜2013年)は、言わずと知れた元大相撲力士であり大横綱だった人物。

母は日本人でしたが、父はロシア革命後に樺太へ亡命したウクライナ人のコサック騎兵隊将校でした。

第69代横綱の白鵬翔が記録を破るまで、大鵬の記録の数々は歴代史上最高のものとして立ちはだかっていました。

ウクライナの有名人13:ユーリア・ティモシェンコ

ユーリア・ティモシェンコ(1960年〜)は、美人すぎるウクライナの政治家や首相として世界的にも有名になった女性。

当時はまだまだ珍しかった女性政治家として、さらにはウクライナ国内で最大の保有財産を持つ資産家として注目を集めました。

しかし、2010年に首相の座を降りた後、2011年には汚職行為を理由に逮捕され、2014年になるとようやく釈放されたものの、その後、選挙からの落選が続き、ウクライナの政界で以前ほどの影響力を取り戻せないでいます。

ウクライナの有名人14:ビタリ・クリチコ

21世紀の始まり前後にボクシング界を震撼させた「クリチコ兄弟」の兄、ビタリ・クリチコ(1971年〜)は、元WBA・IBF・WBO世界ヘビー級スーパー王者として有名なウクライナ人。

ボクシングを引退してからは政治家へ転身し、ウクライナ民主改革連合の党首であり、また、2014年からはキエフの市長になっています。

現役ボクサー時代は弟のウラジミールと一緒に、200cmの高身長と203cmのリーチからなる体格で圧倒的な強さを誇り、クリチコ時代を築き上げました。

ウクライナの有名人15:ミラ・ジョヴォヴィッチ

アメリカで女優として活躍し、ハリウッド女優として世界的にも有名なミラ・ジョヴォヴィッチ(1975年〜)は、ウクライナのキエフ出身です。

スーパーモデルやファッションデザイナーなどとしても活躍し、数々のヒット映画作品に出演してきただけでなく、多くのブランドの広告や雑誌のカバーを飾ってきました。

ハリウッドでは主にアクション映画のヒロインを演じることが多く、また過去には映画界の巨匠リュック・ベッソンと結婚していたことでも知られます。

ウクライナの有名人16:マックス・レヴチン

起業家として有名なマックス・レヴチン(1975年〜)は、ウクライナのキエフに生まれた実業界の有名人です。

計算機科学者の顔も持つマックス・レヴチンは、世界的なオンラインペイメントプラットフォームとして知られる「PayPal」の共同設立者であり元CTO。

また、2004年にはSlideという名前のメディア共有サービスを立ち上げ、2010年にはGoogleへ1億8200万ドルで買収するなど、シリアルアントレプレナーとしても知られています。

ウクライナの有名人17:ウラジミール・クリチコ

「クリチコ兄弟」の弟ウラジミール・クリチコ(1976年〜)もまた、兄と同様にプロボクサーとして活躍したウクライナの有名人で、WBAスーパー・IFB・WBO世界ヘビー級王者に輝き、さらにはアトランタオリンピックでスーパーヘビー級の金メダルを獲得しました。

198cmの身長と206cmのリーチを持つ圧倒的な体格で相手を圧倒し、現役時代は向かう所敵なしの状況が続きました。

ウクライナの有名人18:アンドリー・シェフチェンコ

アンドリー・シェフチェンコ(1976年〜)は、ウクライナの元サッカー選手であり、現在はサッカー指導者として活躍する有名人。

現役選手だった頃にはフォワードのポジションを担い、世界的なサッカーチームとして知られるACミランやチェルシーで活躍しました。

また、ウクライナ代表として、そこまでサッカーが強くなかったウクライナを強豪国の1つにまで引き上げるなど、ウクライナの英雄的なストライカーとして歴史に名を刻んでいます。

ウクライナの有名人19:ルスラン・ポノマリョフ

かつて国際チェス連盟の世界チャンピオンになったルスラン・ポノマリョフ(1983年〜)は、ウクライナを代表するチェス選手の一人。

1998年、14歳の頃にはグランドマスターの称号を獲得するなど、その才能はずば抜けており、当時の最年少記録を樹立しました。

また、2002年には国際チェス連盟の世界チャンピオンとなり、当時18歳だったルスラン・ポノマリョフは、史上初の10代の世界チャンピオンにもなりました。

ウクライナの有名人20:チーナ・カーロリ

チーナ・カローリ(1985年〜)、本名をテチャーナ・フルィホーリウナ・テチャーナ・リベルマーンは、ウクライナ人の歌手であり女優。

歌手としては世界的にも名前が知られ、ウクライナのブリトニー・スピアーズと呼ばれることもあります。

2006年には、ギリシャのアテネで開催された、ヨーロッパの歌の祭典「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」にウクライナを代表して出場しました。

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ウクライナの有名人|歴史的有名人から歌手として活躍する名前までのまとめ

ウクライナの有名人を20名紹介してきました。

見てきたように、ウクライナは数々の有名人を世の中に送り出してきており、中には世界へ大きな影響を与えた人物も含まれています。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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