フランスの有名人を見ていきましょう。歴史的に有名な人物から、現代において広く知られているフランス人まで13名を紹介していきます。
フランスと言えば世界的にも有名な都市パリを抱え、また、その文化的な資源や観光資源によって、現在では世界で最も多くの観光客が訪れる国として知られています。
さらにフランスは、その歴史の中で数々の有名人を輩出してきており、また、現代に生きるフランス人の中にも、世界的な名声を得ている人が多くいます。
この記事では、そんなフランスの有名人の中から歴史的に有名な人物と現在でも活躍する人物の合計13人をピックアップして、まとめていこうと思います。
- フランスの有名人1:ジャンヌ・ダルク(1412 – 1431)
- フランスの有名人2:ノストラダムス(1503〜1566)
- フランスの有名人3:ルネ・デカルト(1596〜1650)
- フランスの有名人4:マリー・アントワネット(1755〜1793)
- フランスの有名人5:ナポレオン・ボナパルト(1769〜1821)
- フランスの有名人6:ルイ・ヴィトン(1821〜1892)
- フランスの有名人7:マリー・キュリー(1867〜1934)
- フランスの有名人8:ココ・シャネル(1883〜1971)
- フランスの有名人9:アンドレ・ザ・ジャイアント(1946〜1993)
- フランスの有名人10:ジャン・レノ(1948〜)
- フランスの有名人11:リュック・ベッソン(1959〜)
- フランスの有名人12:ジネディーヌ・ジダン(1972〜)
- フランスの有名人13:マリオン・コティヤール(1975〜)
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フランスの有名人1:ジャンヌ・ダルク(1412 – 1431)
フランスとイギリスの間で勃発した百年戦争の中で起きた「オルレアン包囲戦」に参加し、この戦いでフランスを勝利に導いたジャンヌ・ダルクは、フランスの歴史上で最も有名な女性の一人であり、これまで彼女をモデルにした数々の作品が作られてきました。
「フランスのシャルル7世を支援してフランスを守るように」と、天からの掲示を受けたとして主張し、ジャンヌダルクは若干17歳で女性であったにも関わらず、鎧をまとってオルレアンの軍隊に参加。
フランス側の兵士たちを鼓舞激励し続け、ジャンヌダルクがオルレアンに到着してから9日後にはイングランドの包囲網を崩壊させたのです。
一方で、彼女の悲劇的な最期は皮肉にも、ジャンヌダルクをフランス史上で最も有名な人物の一人にしました。
彼女はイングランド側へ引き渡されて裁判にかけられ、火あぶりの刑にされてしまったのです。
彼女の人生はわずか19年でしたが、その功績と悲劇的な最期によって、後世に語り継がれることとなりました。
フランスの有名人2:ノストラダムス(1503〜1566)
20年ほど前、「1999年に恐怖の大王が降ってくる」などという予言が日本を騒がしていましたが、この予言も含め、いくつもの未来予測または予言をしたことで知られるのが、ミシェル・ノストラダムス。
ルネサンス期にフランスに生まれた医師であり占星術師です。
ノストラダムスは900を超える予言を集めた「ノストラダムスの大予言」と呼ばれる詩集を残し、これによって、世界的にもその名前が広く後世にまで知られることになりました。
ちなみに、このノストラダムスの大予言は現在でも入手可能です。
フランスの有名人3:ルネ・デカルト(1596〜1650)
西洋哲学の中では数多くの偉大な哲学者が生まれてきましたが、その中の一人がフランス生まれのルネ・デカルトでしょう。
「我思う、ゆえに我あり」というデカルトが残した言葉は有名で、合理主義哲学や近代哲学の祖として知られています。
さらに、フランスを含めた当時の西洋では、いくつかの職業を並行して持つことが一般的だったこともあり、ルネ・デカルトはまた、数学者としても有名でした。
中でも、2つの実数で平面上の位置を表す座標「直交座標系」は、デカルト座標系としても知られるようにデカルトが確立したものであり、現在においても広く普及しています。
一方で、デカルトの母は非常に体が弱かったため、デカルトが生まれて13ヶ月後には亡くなり、デカルト自身も命が危ないと思われていたことを考えると、周囲の予想を裏切って大出世したフランスの有名人だと言えます。
フランスの有名人4:マリー・アントワネット(1755〜1793)
マリー・アントワネットと言う名前は、フランスに詳しくなくても一度は聞いたことがあるかと思います。
彼女はフランス最後の女王であり、フランス革命によって人生の最期を迎えた歴史的人物。
元々は当時の神聖ローマ帝国(現在のドイツやオーストリア)に生まれたため、フランス人とは言えないかもしれませんが、フランス国王のルイ16世に嫁ぎ、フランスで暮らすようになったため、ここではフランスの有名人に含めておきます。
当時のフランスは混乱期にあり、庶民は貧しい中での暮らしを余儀なくされていたものの、マリー・アントワネットと夫のルイ16世は豪勢な生活を送り続け、それが理由の一つとなり、フランス革命の中で最期はギロチンに処されてしまいました。
彼女の人生は、裕福な権力者が貧しい民衆をそのままにするとどのような最期を迎えるかの例と言えるでしょう。
フランスの有名人5:ナポレオン・ボナパルト(1769〜1821)
フランスの歴史上で恐らく最も有名な人物であり、また世界史全体で見ても非常に有名な人物と言えば「ナポレオン・ボナパルト」。
フランス革命の時代において名を馳せ、「ナポレオン1世」としてフランス第一帝政のフランス皇帝にさえ即位したフランスの偉人です。
「ナポレオン戦争」と総称されるいくたの戦争において、当時のフランス軍である「大陸軍」を率いて他のヨーロッパ諸国と戦い、天才的な軍事戦略によって数々の軍事作戦を成功へ導きました。
その結果、ナポレオンはヨーロッパの大部分をフランスの支配下へ置くことに成功したのです。
最終的にはフランスに対抗するために組まれた「対仏大同盟」との戦いで破れ、島流しに会った結果51歳で亡くなっていますが、現在でもナポレオンが用いた戦略や戦術は、世界中の軍事学校で研究されて教えられています。
フランスの有名人6:ルイ・ヴィトン(1821〜1892)
世界的なトップブランド「ルイ・ヴィトン」は、その創始者である「ルイ・ヴィトン」の名前に由来しています。
(出典:wikipedia)
1821年8月4日、フランスのジュラ県にある小さな村の労働者階級家庭に、「ルイ」と名付けられた男の子が誕生しました。
そして、このルイ少年は大人になると、フランスの歴史上で、そして世界史上で、最も有名でかつ象徴的なファッションブランドの一つを1854年に創業することになるのです。
ただし、ルイ・ヴィトンが創業したブランド「ルイ・ヴィトン」が現在のように評価され始めたのは、残念ながらルイが亡くなってからのことでした。
フランスの有名人7:マリー・キュリー(1867〜1934)
マリー・キュリーは現在のポーランドに生まれたものの、その後フランスに居住してフランス人へ帰化し、フランスの歴史上で最も愛される有名人の一人となった偉大な女性でした。
生きていた当時は物理学者や化学者として活躍し、1903年にはノーベル物理学賞を、1911年にはノーベル化学賞を受賞するなど、異なる2つのカテゴリーでノーベル賞を受賞した人類史上においても数少ない人物の一人です。
また、パリ大学において初の女性教授となったこともあり、社会で活躍する女性の先駆けとなったとさえ言えるでしょう。
最終的には長年の放射能研究の中で被爆した結果、様々な健康問題を抱えるようになり、1934年、66歳の時に亡くなってしまいましたが、彼女の功績はフランスのみならず全世界の科学を発展させることとなったのです。
フランスの有名人8:ココ・シャネル(1883〜1971)
フランスの有名なファッションブランドの一つに「シャネル」がありますが、このシャネルを創業したのが「ココ・シャネル」と呼ばれるフランス人女性。
現在、フランスは「愛とファッションの都パリ」で有名ですが、このフランスのイメージ作りに貢献した人物の一人がココ・シャネルだと言えるかもしれません。
もともとは歌手を目指していたものの、芽が出ずにその道を諦め、趣味で作っていた帽子のデザインが認められた結果、帽子のアトリエとして開業したのがシャネルの始まりです。
その後、事業は順調に拡大するものの第二次世界大戦を経験し、また私生活では愛人生活や亡命生活などを送った彼女の人生は、まさに波乱万丈そのものでした。
ちなみに、ココ・シャネルと一般的には知られますが、本名はガブリエル・シャネルです。
フランスの有名人9:アンドレ・ザ・ジャイアント(1946〜1993)
プロレス好きなら、恐らく「アンドレ・ザ・ジャイアント」を知っているでしょう。
(出典:wikipedia)
223cmにもなる超高身長を武器に世界中で活躍し、1970年代には日本でも活躍した、大型プロレスラーでありエンターテイナーで、その巨体を活かしてアメリカの映画やドラマに出演したこともある有名人です。
そんなアンドレ・ザ・ジャイアントは、本名をアンドレ・レネ・ロシモフと言い、フランスのグルノーブル出身。
ちなみに、その巨体から当時の世界では、世界七不思議に加えて世界8番目の不思議と言われることもありました。
フランスの有名人10:ジャン・レノ(1948〜)
フランスの有名人を思い浮かべる時に、恐らく必ずと言って良いほど名前が含まれそうな有名人のの一人が、フランス人俳優のジャン・レノでしょう。
元々はモロッコのカサブランカにてアンダルシア人の両親の下へ生まれたものの、12歳の時には家族と共にフランスへ移住。
そこで演劇学校に通い、現在の俳優業としてのキャリアを築いていきました。
特に、フランスの映画監督リュックベッソンとのタッグは有名で、ジャン・レノを世界的に有名にした「グラン・ブルー(1988)」や「レオン(1994)」を始め、リュックベッソンの多くの作品へ出演しています。
フランスの有名人11:リュック・ベッソン(1959〜)
フランスの映画界における重鎮であり、フランスを代表する有名人の一人と言えばリュック・ベッソン。
映画監督として知られ、世界的にヒットした映画をいくつも作り出してきました。
1983年に公開された映画「最後の戦い」で映画監督デビューし、現在(2019年3月現在)まで17本の映画に監督として携わり、また、製作や脚本作品を含めれば、その数は50本を超える大映画監督です。
ちなみに、2006年公開の映画「アーサーとミニモイの不思議な国」以降、一時期は映画監督を引退していましたが、現在は再び監督業に復帰しています。
フランスの有名人12:ジネディーヌ・ジダン(1972〜)
現代に生きるフランスの有名人を挙げるなら、ジネディーヌ・ジダンを忘れてはダメでしょう。
元フランス代表のサッカー選手で、ボールが足に吸い付くようなボール捌きは、まさに芸術と言って良いほどのものでした。
現役時代はサッカー選手として最高の賞であるバロンドールやFIFA最優秀選手賞の受賞に始まり、数多くの賞を受賞。また、過去50年の欧州サッカー選手として、最も優れた選手に選ばれている天才です。
現在は現役を引退しているものの、サッカー選手ジダンの記憶はこれからも語り継がれ、世界のサッカー史において色あせることなく残り続けることでしょう。
フランスの有名人13:マリオン・コティヤール(1975〜)
映画女優としては世界最高の賞である「アカデミー賞主演女優賞」を受賞したことがあるマリオン・コティヤールは、現代フランスの女性としては最も有名人と言っても過言でない人物。
その演技力は若い頃から際立っていたようで、通っていた演劇学校を首席で卒業し、若干16歳で映画デビューを果たしました。
また、これまで受賞した賞も「セザール賞(フランスにおける最高の賞)」や、ゴールデングローブ賞などがあり、また、2010年にはフランス文化省によって、フランスの名誉勲章「フランス芸術文化勲章」が与えられるなど、フランスを代表する女性有名人となっています。
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フランスの有名人13名まとめ!歴史的な有名人から現代に生きる人のまとめ
歴史上の人物から現代に生きる人物まで、フランスの有名人を13人まとめて来ました。
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