アメリカの歴史・アメリカ史において重要な、8つの事件または出来事を紹介していきます。国際情勢において重要な位置を占めるアメリカについての理解を深めていきましょう。
近現代の人類史の中で燦然と輝く大国「アメリカ合衆国」は、世界の政治や経済に大きな影響を与え続けてきました。
そのため、国際情勢を読み解くためにはアメリカの存在を無視することは出来ず、アメリカの動向を知ることは、今後の世界を予想をするためにも必要です。
しかし、それほど重要なアメリカであっても、その歴史について知っている人というのは思った以上に少ないかもしれません。
そこで、この記事では国際社会の最重要プレーヤーアメリカをより深く理解するために、アメリカ史における8つの重大な事件や出来事を紹介していきたいと思います。
アメリカ史における歴史的事件1:アメリカ独立戦争
アメリカ独立戦争とはその名の通り、アメリカが独立国家としての立場を勝ち取ることになった、アメリカ史において非常に重要な歴史的事件です。
当時、アメリカはイギリスの植民地という立ち位置にありました。
イギリスは、北アメリカ大陸の13の植民地を大英帝国の一部であるとしか見ておらず、当時のイギリス国王「ジョージ3世」は、この地域の富の大部分を自国の物と考え、課税の強化などを行おうとしたのです。
一方で、アメリカ合衆国建国の父たち(アメリカ合衆国独立宣言またはアメリカ合衆国憲法に署名した政治的指導者、あるいは愛国者達の指導者としてアメリカ独立戦争に関わった者達)は、イギリス側の扱いに対して耐えられなっていきました。
そして、マサチューセッツ州のレキシントンで8人の兵士が殺害された事件をきっかけに、イギリスとアメリカは後にアメリカ独立戦争と呼ばれた戦争に突入します。
このアメリカ独立戦争の中で、ジョージ・ワシントン率いるアメリカ軍は、6つの重要な戦いで敗北し、勝利したのはたったの3つでしたが、この3つこそが戦局を変えた重要なものだったのです。
中でも、ワシントン将軍の最大の敵であり圧倒的な強さを誇ったチャールズ・コーンウォリス卿と、1781年にヨークタウンで戦った「ヨークタウンの戦い」は最も重要でした。
コーンウォリスは非常に手強い名将でしたが、この戦いにおいてワシントンは、
- アメリカ軍の戦力
- フランスのギルベール・ドゥモティエの軍隊
- フランスのマルキーズ・ラファイエットの軍隊
(※独立戦争中、フランスはアメリカを支援した)
をこの地に呼んで一点に戦力を集中させた結果、最終的に数の上ではアメリカ側がおよそ2倍とイギリス側を圧倒することになり、太刀打ち出来なくなったコーンウォリス軍は1781年10月19日に降伏し、これによって南北戦争の実質的な戦闘は終了したのです。
それからおよそ2年後の1783年にパリ条約が結ばれ、イギリスはアメリカ合衆国の独立を認めました。
アメリカ史における歴史的事件2:ルイジアナ買収
ルイジアナ買収は、1803年にアメリカがフランスから「仏領ルイジアナ」と呼ばれた、210万㎢を超える広大な領地を購入した出来事のこと。
これにより、アメリカ合衆国は世界的に見ても広大な国土を誇る国になったと言え、アメリカ史において非常に重要な出来事で、簡単に言ってしまえば大規模な「土地売買取引」のようなものです。
(薄い中央部分が仏領ルイジアナ:出典:wikipedia)
現在、アメリカの一部と認識されている土地は常にそこにありましたが、必ずしも全てをアメリカ合衆国が所有していたわけではありませんでした。
アメリカは当初、バーモント州、ケンタッキー州、テネシー州、オハイオ州など13個の植民地のみで構成されていました。
その後、アメリカ独立戦争を終結させたパリ条約の条件によって、ミシシッピ地域と呼ばれた小さなエリアがイギリスからアメリカ合衆国に譲渡され、また、それから少しすると、インディアナ地域として知られる広範囲の土地(現在のインディアナ州、イリノイ州、ウィスコンシン州、ミシガン州、ミネソタ州などのいくつかの地域)がアメリカ合衆国に加入していきました。
しかしそれでもまだ、現在のアメリカに含まれる多くの土地は、スペインかフランスが所有していたのです。
1803年、フランスはアメリカに多額の負債を抱えていたため、当時のアメリカ大統領トーマス・ジェファーソンは、フランスへ仏領ルイジアナの買収取引を持ちかけます。
そして、アメリカ合衆国はわずか1500万ドルを支払い、フランスの負債を取り消す代わりに仏領ルイジアナを獲得し、アメリカの領土を2倍に広げたのです。
ちなみに、仏領ルイジアナは現在の
- アイオワ
- アーカンソー
- オクラホマ
- カンザス
- コロラド
- サウスダコタ
- テキサス
- ニューメキシコ
- ネブラスカ
- ノースダコタ
- ミズーリ
- ミネソタ
- モンタナ
- ルイジアナ
- ワイオミング
の15州にまたがっていました。
アメリカ史における歴史的事件3:南北戦争
アメリカ史における歴史的事件として重要なものの一つが、「南北戦争」と呼ばれるアメリカ国内で起きた内戦。
奴隷制継続の意思表示をした11州の南部州がアメリカ合衆国を抜けて結成した南側の「アメリカ連合国」と、「アメリカ合衆国」に留まった北側の23の州との間で、1861年から1865年にかけて起こりました。
当時、南部側の白人の多くは、「黒人は人間ではなくて、わずかに人間に劣った種」だと考えていました。
事実、1787年まで黒人は人口の統計に含まれておらず、その後も「黒人1人は白人3/5人」分相当であるとして数えられていました。
よりその性格を適切に表現するなら「州の権利に関する戦争」とでも表現出来る南北戦争の原因は、単に奴隷制だけではありませんでしたが、
- 「奴隷制が続けられるか廃止されるか」
に関して全国民が注目した結果、黒人奴隷制度の存続の可否が主な争点となり、アメリカの歴史の中で、これほど一つの問題を巡って国内の分裂したことはないほどの内戦となったのです。
一方で、多くの戦争や歴史の専門家によると、南北戦争は史上初の「近代的な機械技術が主戦力」となった「現代的な」戦争であると言われ、また、およそ60万人の人々が犠牲になったとされる、アメリカ史上最悪の内戦でした。
そして、この南北戦争が続いた結果、南部側の首都リッチモンド(バージニア州)は廃墟と化し、大都市アトランタは焼き尽くされ、南部連合の軍司令官であったロバート・E・リーが降伏したことで、ついに南北戦争は北側の勝利で事実上の終結を迎えたのです。
北部はエイブラハム・リンカーン(リンカーンは南北戦争の最末期に暗殺されてしまった)の遺志を継いで、無条件降伏した南部の州を再び国の一部として迎え入れ、奴隷制を完全に違法としました。
憲法は改正され、黒人は選挙権と被選挙権を与えられ、西半球においてようやく今日の姿とほとんど変わらない近代的なアメリカ合衆国が誕生したのです。
アメリカ史における歴史的事件4:世界恐慌(大恐慌)
世界恐慌と言う場合、世界的規模で起こる経済の深刻な不況全般を指すこともありますが、アメリカ史の中で起こった歴史的事件の文脈で挙げられるものは、1929年に始まった世界恐慌(大恐慌)を指すことが一般的です。
この大恐慌は、歴史上消すことのできない痕跡をアメリカ史と世界史に残しました。
1929年10月24日、ニューヨークの株式市場が劇的に大暴落したことにより、アメリカから始まり、世界の多くの国へ影響を与え、世界的な長期不況がその後10年近くも続いてしまったのです。
アメリカの株式市場の崩壊は、大規模な経済活動の減少を引き起こし、1932年までに株価は、1929年時の平均価格に対して20%ほどになってしまいました。
この経済恐慌は各家庭、各企業、特に銀行や金融業界に影響を及ぼし、1933年までにアメリカの約半数の銀行が破綻し、アメリカは深刻な金融危機に陥ってしまいます。
また、失業率は25~30%に上り、製造業生産高は54%近く落ち込みました。
加えて、この世界恐慌はヨーロッパに暗い影を落とします。
例えば、イギリスでは失業率が20%にまで高まり、地域によっては70%にまで膨れ上がったとされるほどです。
そして、忘れてはいけないのが、このヨーロッパへの影響が第二次世界大戦の素地を作ってしまったということ。
第一次大戦で敗戦したドイツは、賠償金が重くのしかかるなど、大恐慌の前からすでに経済的に疲弊していましたが、大恐慌によって経済はさらに逼迫。
この状況下で変化を切望するドイツ国民達は、アドルフ・ヒトラーを支持し始め、1933年にはドイツの首相に指名されたことでナチスドイツが誕生し、その後の第二次世界大戦へと繋がっていってしまうのです。
アメリカ史における歴史的事件5:マンハッタン計画
マンハッタン計画は、第二次世界大戦中に計画されて実施された、世界初の核兵器研究開発プロジェクトのこと。
これにより、日本の長崎と広島に核爆弾が落とされ、また、大戦終了後に起きた冷戦下では、ソ連とアメリカによる核開発の競争へと繋がっていった、歴史的に非常に重要な出来事でした。
このマンハッタン計画の根源は、かの有名な科学者アルバート・アインシュタイン博士とレオ・シラード博士が、当時のアメリカ大統領ルーズベルトに当てた手紙でした。
手紙の内容は、
- ナチス・ドイツが原子爆弾を開発しようといる
- 開発に成功すればモスクワやロンドンなどの大都市(又はユダヤ人の多く住む地域)に投下する
可能性があることを、大統領に警告するものでした。
この手紙により、アメリカは世界で初めて核分裂反応を理解し、その技術を使った兵器を開発した国となっていったのです。
そして1945年、当時のアメリカ大統領ハリー・トルーマンは、連合国に対して唯一の脅威として残っていた「大日本帝国」の民間人居住地に対し、この兵器を使用することを決断。
この決断の正当性は今日でも議論されていますが、目的が達成されたことは確かでしょう。
「リトル・ボーイ(広島に投下された)」と「ファット・マン(長崎に投下された)」という2体の原子爆弾は、たった4日で日本に敗北を認めされることになったのです。
これにより、人間の歴史の中で最も激しい戦争はようやく終わりを迎えたのです。
アメリカ史における歴史的事件6:ベトナム戦争
1955年11月から1975年4月30日まで続いたベトナム戦争は、長く続いた怠慢政治の産物であったと言えます。
また、世界中で広がった共産主義の波がベトナム戦争の原因の一つであることを考えると、アメリカ史だけでなく世界史の中でも重要な歴史的事件であったと言えるでしょう。
共産主義は素晴らしい理想論ではありますが、実際に人の生活に当てはめてみると崩壊してしまいます。
当時のアメリカは共産主義イデオロギーが民主主義の南ベトナムに広まることを恐れ、民主主義を守るためにこの「北ベトナム vs 南ベトナム」の対立に介入したのです。
残念なことに、一歩下がってこの戦争の全景を見つめることのできた唯一の大統領「ジョン・F・ケネディ」は、テキサス州ダラスで1963年11月22日に暗殺されてしまいます。
そのためアメリカは、東南アジアから兵を撤退させることなく軍事介入を継続。
ケネディの次に大統領となった「リンドン・ジョンソン」は、何が何でも戦争を継続したいと考え、様々な当てつけ的な理由を基に、ベトナム戦争により一層深入りしていきました。
一方、戦争とは巨大な産業で、この戦争のおかげで数多くの職が生まれ兵器が生産されたために、アメリカの経済状況は歴史的な跳躍を見せました。
しかし、ベトナム戦争を実際に続けたいと思っていた人はそう多くありませんでした。
特に、この戦争には第二次世界大戦の時のような明らかな「敵」がいなかった点が、アメリカ国内で反ベトナム戦争の声が大きくなっていった大きな理由の一つでしょう。
20世紀に入ってアメリカは、第一次世界大戦、第二次世界大戦そして朝鮮戦争と戦争を繰り返しており、大多数の国民は戦争にこりごりだったのです。
アメリカ国内における反戦デモの拡大
結果、アメリカ国内では大規模な平和的な反戦デモが広がっていきます。
戦争期間中、何十万というアメリカ人が戦争反対を訴えて、首都ワシントンD.C.やニューヨークを含む様々な場所でデモや行進を行いました。
1975年に南ベトナムのサイゴンが陥落すると、ジェラルド・フォード政権は(メンツを保つために)様々な再侵攻の計画を練りましたが、アメリカ国民はもう戦争にうんざりしていました。
毎日のようにニュースでアメリカ兵が死んでいく様子や、ナパーム弾で大やけどを負ったベトナム人の少女、ミライ村の大虐殺が報道されるのだから当然でしょう。
また、この戦争にはっきりとした理由がないことを皆知っていました。
ここでようやくアメリカ政府は、もうこれ以上損失を出さないことを決めます。
58万人もの兵士を無駄死にさせた後、南ベトナムを支援したアメリカ合衆国の敗北が決定したのです。
アメリカ史における歴史的事件7:アポロ11号と月面着陸
1960年代、ケネディ大統領率いるアメリカは、ソ連との軍拡競争下にありました。
この軍拡競争の中で重要だったのがミサイルに繋がるロケット技術の開発で、その過程では「宇宙開発競争」が起こっていきます。
この宇宙開発競争の中でアメリカは、ソ連よりも先に人類を月面着陸させることを目指し、1960年代中には月面を人を着陸させる目標を立てます。
そして1969年7月16日、アポロ11号が挑戦を受け、ケネディスペースセンターから打ち上げられました。
月へ到着するまでには数日掛かりましたが、1969年7月20日、ついに人類で始めてニール・アームストロング船長とバズ・オルドリン操縦士が月面へ一歩を踏み出したのです。
ちなみに、このアメリカ史に残る歴史的な月面着陸は、もちろん重大事件でしたが、実は、この出来事にはアメリカの文化に多大な影響を与えた別の側面もありました。
テレビの生放送です。
歴史上で初めてテレビが、重要事件をライブ中継する主要な情報伝達手段となったのです。
世界中で6億人もの人が月面着陸を生放送で目の当たりにし、アメリカは「宇宙戦争の勝者」とみなされたのでした。
宇宙飛行士たちはアメリカの英雄、そしてソビエトは悪役として扱われ、冷戦をさらに加速させていきました。
アメリカ史における歴史的事件8:アメリカ同時多発テロ事件
2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件(9.11)は、アメリカ国内で同時多発的に発生したテロ事件で、近年のアメリカ史においては、最も重要な事件としてアメリカ国民の記憶に残るものでしょう。
2001年9月11日の朝は、恐らくほとんどのアメリカ人にとっては、いつもと変わらない日常の始まりだったはずです。
しかし、19人のテロリストとハイジャック犯がこれを変えてしまおうと企てていました。
ハイジャック犯たちは4機の飛行機に乗り込んでハイジャックし、うち2機がニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込んでいきました。
3機目はペンタゴンに突入し、アメリカ合衆国議会議事堂に向かっていた4機目は、乗客がハイジャック犯と戦ったのちにペンシルバニア州へ墜落しました。
数時間のうちにおよそ3,000人もの人が犠牲になり、うち2,606人はただ日常生活を送ろうとしていた一般市民だったのです。
テロ事件の首謀者はイスラム系テロ組織アルカイダとされ、アメリカは直ちに状況調査を開始。
調査は世界規模で行われ、アルカイダ指導者であるウサーマ・ビン・ラディンの捜索へ焦点が当てられ、テロからほぼ10年後の2011年、ラディンはパキスタンで発見されてアメリカ軍によって殺害され、ここに一応の決着を見たのです。
しかしこの9.11を引き金としてブッシュ政権下にあったアメリカは、「対テロ戦争」を掲げてアフガニスタンやイラクへ侵攻した結果、中東情勢の悪化に拍車を掛けてしまい、大枠で見ると、これが今日まで続くシリア内戦などの原因の一つとなってしまったのです。
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アメリカの歴史・アメリカ史における重大な事件や出来事8選のまとめ
国際情勢において重要なプレーヤーであるアメリカの歴史における、8つの重要な事件を見てきました。
アメリカをより深く理解するためにも、知識として頭に入れておくと良いかと思います。