マララ・ユスフザイの名言や日本語字幕付きのスピーチ(演説)を紹介していきます。彼女の半生や強い意思を物語る言葉を見ていきましょう。
マララ・ユスフザイ(Malala Yousafzai)は、1997年7月12日にパキスタンのカイバル・パクトゥンクワ州で生まれた、フェミニストであり人権運動家として活動している女性。
地元でいくつかの学校を経営するようになった父「ジアウディン・ユスフザイ」の下に生まれ、その父親の考えや人道的な仕事に触発された結果、自らも人道的な仕事へ興味を持ち始め、医者を目指すようになりました。
そして2009年の始めにはBBCの依頼に答える形で、ウルドゥー語のブログへ仮名で、当時のパキスタンで起こっていたタリバンによる女子学校の破壊活動を発信して批判。
一躍世界から脚光を浴びると同時に「国際子ども平和賞」にノミネートされました。
しかし、マララ・ユスフザイをさらに有名にしたのは皮肉にも、2012年10月9日、スワット地区のバスに乗っている時に起きた、彼女の活動に対する報復としての暗殺未遂事件で、この事件の中でマララは弾丸で頭を打たれ、危険な状態となりました。
一命を取り止め、その後も再び命を狙われたことがあったものの、回復した後のマララは(特に女性の)教育の権利のために活動する著名な人物となり、2014年にはノーベル平和賞を受賞し、さらに2017年には19歳という若さで史上最年少の国連平和対しに任命されるなど活躍を続けています。
マララ・ユスフザイの名言集
マララの名言1
(10年後、20年後 何をしていると思うか?)という質問に対して
すべての子どもたちが学校に通っている姿を見ていたいです。(あなた自身は?)それが私の望むことです。
多くの学校を建て、この目で見てみたいのです。学校に行くというのは、単に教室で本を読むことではなく、学ぶことを通じて、新しい世界と出会うことだと思います。
大切なのは、友達と机や、いすを並べることで、みんな平等なのだと学ぶことなのです。
黒人でも白人でも、イスラム教徒でもヒンズー教徒でも、お金持ちでも貧しくても、そんなことは重要ではなく、私たちは平等なのだと教えてくれるのです。
私は、それを実現するためにも政治家になりたいんです。
(引用:NHK)
マララの名言2
(政治家に対する不信感と同時に政治家になりたい 矛盾では?)という質問に対して
すべての政治家が堕落しているわけではないと思います。私が政治家になりたいのは、それが国全体を発展させるのに最善の方法だと思うからです。
医師になれば、地域の人たちを助けることができると思います。教師になれば、多くの人を育てられるでしょうが、国全体を変えることはできません。
だから私は政治家になりたいのです。
そしてパキスタンで、オレンジを売っていたあの女の子が学校に行く姿を見たいんです。できるだけ早くパキスタンに戻って、ふるさとの人たちの力になりたいと思っています。
(引用:NHK)
マララの名言3
私たちは沈黙させられてから初めて声を上げることの大切さに気づきます
(引用:eStoryPost)
マララの名言4
私の人生は常に危険にさらされていると思います。
その状況を恐れる人もいれば、前に進めない人もいるでしょう。
しかし目標を達成するためには進むしかありません。動かなければなりません…。
私たちはパキスタンのスワートで残忍な状況を目撃してきました。いまさら恐れることはありません
(引用:eStoryPost)
マララの名言5
「今日の夢」が「明日の現実」になると信じています。私たちの夢を「明日の現実」へと変えましょう
(引用:eStoryPost)
マララの名言6
もし一人の男がすべてを破壊できるのであれば、ひとりの少女がそれを変えられない理由はありますか?
(引用:eStoryPost)
マララの名言7
過激派は本とペンを恐れます。
教育の力は彼らをおびえさせます。彼らは女性が怖いのです。
女性の声の力が彼らをおびえさせるのです
(引用:eStoryPost)
マララの名言8
タリバンに復讐したいとは思いません。
私はタリバンの息子や娘たちに教育を受けさせてあげたいのです
(引用:eStoryPost)
マララの名言9
私は声を上げます。声高に叫ぶためではありません。「声なき人たち」の声を届けるためです
(引用:eStoryPost)
マララの名言10
1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペン、それで世界は変えられます
(引用:eStoryPost)
マララの名言11
何千もの書物を読み、私は知識で力をつけます。
ペンと本はテロリズムに打ち勝つ武器です
マララの名言12
1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます。
教育こそがただ一つの解決策です。
エデュケーション・ファースト(教育を第一に)。
(引用:NAVERまとめ)
マララの名言13
そして、私はここに立っています。傷ついた数多くの人たちのなかの、一人の少女です。
私は訴えます。自分自身のためではありません。
すべての少年少女のためにです。
(引用:NAVERまとめ)
マララの名言14
私たちの学校にいた少年に、あるジャーナリストがこんなことを尋ねていたのを覚えています。
「なぜタリバンは教育に反対しているの?」。
彼は自分の本を指さしながら、とてもシンプルに答えました。
「タリバンはこの本の中に書かれていることがわからないからだよ」
(引用:NAVERまとめ)
マララの名言15
無学、貧困、そしてテロリズムと闘いましょう。
本を手に取り、ペンを握りましょう。
それが私たちにとってもっとも強力な武器なのです。
(引用:NAVERまとめ)
マララの名言16
私たちは学校が大好きでした。
しかしタリバンに邪魔されるまで、教育の大切さに気づくことができませんでした。
学校に通って、本を読み、宿題をすることは、ただの時間つぶしではありません。それは私たちの未来だったのです
(引用:まるちょん名言)
マララの名言17
私は今、こう考えています。
女の子が学校に行くべきでないのは、長年の文化で決められているからと言う人がいるけれど、その文化を創ったのは私たち自身であり、変える権利も私たちにあるのだと思います
(引用:まるちょん名言)
マララの名言18
もし明日から学校に行かず、ずっと家にいなさい、唯一の仕事は、料理や皿洗いをし結婚して子どもを産み、子どもたちの世話をすることだけ。
それが、たった1つの生き方だと言われたら、そんな日々を想像できますか?だから私はふるさと・スワートではこんなことが起きている、私たちの存在を無視しないでほしいと世界に訴えることにしたのです
(引用:まるちょん名言)
マララの名言19
あるとき、オレンジを売る小さな少女に会いました。その子は手に紙を持っていて、何かを書こうとしていたんです。
「勉強は好き?」と尋ねると「大好き」と答えました。
話を聞いてみると、学校には行きたいけれど、家族のためにお金を稼がなければいけないと言うんです。
まだ、とても小さな女の子でした。
そのとき、私は思いました。この子はオレンジを売るのではなく、学校に行ってオレンジがどうやってできるのか、自然や生物について学ぶべきではないかと
(引用:まるちょん名言)
マララの名言20
私たちは今もなお何百万人もの人たちが貧困、不当な扱い、そして無学に苦しめられていることを忘れてはいけません。
何百万人もの子どもたちが学校に行っていないことを忘れてはいけません。
少女たち、少年たちが明るい、平和な未来を待ち望んでいることを忘れてはいけません
(引用:まるちょん名言)
マララの名言21
タリバンは私の額の左側を撃ちました。私の友達も撃たれました。彼らは銃弾で私たちを沈黙させようと考えたのでしょう。
でも彼らは失敗しました。その沈黙から、幾千もの声が生まれたのです。
(引用:まるちょん名言)
マララの名言22
テロリストたちは私の目的を変えさせ、大志を阻止しよう と考えました。
しかし、私の人生で変わったところはこれ だけです: 弱さ、恐怖、絶望が死に、その反面、強さ、力、勇氣が生 まれたことです。
(引用:小林事務機株式会社)
マララの名言23
私は自分にこう言い聞かせました、「マララ、あな たはすでに死に直面しました。これはあなたの第二 の人生です。恐れてはなりません。臆病になれば、 前に進むことができなくなってしまいます」
(引用:小林事務機株式会社)
マララ・ユスフザイのスピーチ(演説)※日本語字幕付き
マララのスピーチ① 2013年に国連本部で行われた演説
2013年7月12日にニューヨークの国連本部で行われたマララ・ユサフザイによるスピーチ。
2012年10月9日、タリバンによって左側頭部を撃たれた後の演説であったため、世界的にも大きな注目を集めました。
マララのスピーチ② 2014年にノーベル平和賞を受賞した際の演説
ノルウェーのオスロで2014年12月10日に開かれたノーベル平和賞の授賞式において、マララ・ユスフザイが行ったスピーチ。
史上最年少での受賞となったこともあって注目を集め、演説の中でマララは、世界へ向けてより教育に対して力を入れるように訴えかけました。
スピーチ動画1/2
スピーチ動画2/2
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