ミャオ族について見ていきましょう。中国の少数民族に数えられる彼らの文化や暮らしについて、ポイントに分けながらわかりやすく、そして詳しく紹介していきます。
中国や東南アジアには数多くの少数民族が暮らしていますが、そのうちの一つの民族集団にミャオ族と呼ばれる人々がいます。
ミャオ族は中国の多数派である漢民族とは異なる言語や文化的背景を持った人々で、その独特な習慣や文化様式は非常に興味深いものがあると言えるでしょう。
この記事では、そのミャオ族について詳しく見ていきます。
ミャオ族の料理や宗教、歴史や風習など、気になったら確認してみましょう。
中国の少数民族「ミャオ族」とは?
ミャオ族とは、中国を中心にタイやミャンマーなどにある風光明媚な山岳農村地帯で暮らしている民族グループの名前。
中国政府が公式に認めている55の少数民族のうちの一つに数えられる人々です。
ただし、「ミャオ」という名前はあくまでも外部の人間である漢民族によって差別と結びつきながら使われている他称であり、ミャオ族の人々は、
- モン
- コーション
- ムー
などといった、一般的にはミャオ族の下位グループ(一支族)に用いられる名前で、自らを称します。
また、言語学的にはミャオ・ヤオ語族に属する言葉を話す人々です。
現在は、中国国内におよそ950万人のミャオ族がいるとされ、それ以外の地域を含めると世界全体ではおよそ1100万から1200万人のミャオ族が暮らしていると考えられています。
そんなミャオ族はまた、歴史的には勇猛果敢な戦士として、独立した存在として、そして優れた職人技を持った人々として知られており、女性は特別な機会に、大がかりな銀合金の宝飾品を身につけることで有名です。
ミャオ族が暮らす地域
中国の少数民族ミャオ族の人口分布は、中国南部の貴州省とその周辺の省(雲南省、四川省、湖南省、海南省、広西チワン族自治区)の広範囲に広がっており、ミャオ族の大多数は、都市部から遠く離れた山岳地帯に暮らしています。
また主に、
- ベトナム
- ラオス
- タイ
- ミャンマー
の東南アジア諸国周辺地域の山岳地帯にも居住しており、加えて、アメリカやフランス、そしてオーストラリアにも、比較的大きな規模(30万人弱)のミャオ族の人々が離散民(ディアスポラ:元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団)として暮らしています。
ちなみに、東南アジアでミャオ族達はモンと呼ばれ、タイやラオスでは白モンと青モンに、ベトナムでは黒モン、赤モン、花モンなどに分かれます。
ミャオ族の故郷「貴州省」
ミャオ族が暮らす広範囲の地域の中でも、特に中国の貴州省は「ミャオ族の故郷」と言われます。
これは、中国国内のミャオ族の約半数近い400万人以上がそこで暮らしているからで、「黔東南ミャオ族トン族自治州(けんとうなんみゃおぞくとんぞくじちしゅう)」は、ミャオ族の人口が集中する主要地域です。
中でも、自治州の中心部に位置する台江県の人口の97%はミャオ族だと言われます。
ただし、こういったミャオ族の地域周辺には他の少数民族、例えばヤオ族やチワン族なども居住しており、ミャオ族達に混ざって暮らしているケースも多くあります。
ミャオ族の言語
ミャオ族が話す言語は、かつてシナ・チベット語族の一部とされたこともあるミャオ・ヤオ語族に属します。
このミャオ・ヤオ語族は、中国南部から東南アジア北部の山岳地帯に分布する少数民族の言語からなる語族で、中国では主に、
- 湘西方言(湖南省の西)
- 黔東方言(貴州省の東)
- 川黔滇方言(四川・貴州・雲南省)
3つの方言があるようです。
ただし、ミャオ族達は漢民族を始めとした他の民族達と長年共生してきたため、居住地域の言葉、例えば中国語やチワン語などを話せる場合がほとんどです。
ミャオ族の宗教
ミャオ族の多くは、自然界のすべてのものに精霊が宿ると考えており、精霊と通じることによって生活を上手に送ることが出来ると考えている傾向にあります。
また、伝統的には災害が起きた際、魔術師を呼び、悪霊を追い払うための儀式をしてもらうといったこともあります。
さらに、祖先を大変大事にするため、慰霊式をとても重んじます。
このような特徴から、ミャオ族の伝統的な宗教または信仰は、いわゆるアニミズムやシャーマニズムといった自然崇拝に近いものであると言えるでしょう。
ただし、外部や現地社会の影響によって、ミャオ族の中には仏教やキリスト教を信仰する者も存在します。
ミャオ族に関して他にも知っておきたい豆知識
起源と歴史
ミャオ族の祖先伝説や漢民族の起源伝説、古代の歴史文書によると、ミャオ族の祖先は元々、北京の東に住んでいたようです。
しかし、漢の時代以前に中原の黄河流域に暮らした部族「華夏族」との戦いに敗れた結果、ミャオ族は南下し、中国南部および南西部へ移住。
漢民族の記録では、この戦いは紀元前2500年頃のことであったとされています。
その後、明朝(1368年〜1644年)の興隆を機に、現在の湖南省および湖北省付近に住んでいたミャオ族とヤオ族は、明軍に対して相次ぐ戦いを挑みました。
しかしここでもミャオ族とヤオ族は明との戦いに敗れ、その多くは現在の居住地域である南西部(貴州省および雲南省付近)に移り住み、なかにはさらにベトナムまで南下し、「モン族」として知られるようになっていった人々もいました。
一方で、1970年代および1980年代には、フランスやアメリカへ移住する機会に恵まれた人々もおり、彼らが主に、離散民(ディアスポラ)のミャオ族として知られる人々にあたります。
ミャオ族の風習と伝統
高いホスピタリティ精神
ミャオ族は礼儀作法を大変重んじる人々であると同時に、もてなしの精神に溢れた人々だと言われ、来訪者に対しての敬意を忘れません。
例えば、自宅に来客を迎える際、ミャオ族の家族にとって大切な家畜の鶏を絞め、客人に鶏料理としてふるまい、来客を楽しませようとする工夫も欠かしません。
さらに、遠方からはるばる来訪した客人には、敬意を表すために振舞う「牛角酒」と呼ばれる特別な飲み物で歓迎します。
鶏肉に関する儀式
また、ミャオ族の家庭で一般的にみられる風習に、鶏肉に関するものがいくつかあります。
その一つは、祝宴に参加している者の中で、年配者には「鶏の頭」が捧げられ、最も若年者には「鶏の足」が与えられるというものです。
また鶏肉に関するものとして他にも、鶏の心臓を分け合う風習があります。
これは、アヒルか鶏を殺生し、その心臓が客人に提供される際、その家庭の年長者が箸を使って心臓を進呈するというものです。
ホスト側は注意深く心臓を箸でつまみ上げて客人に差し出し、それに対する返礼として、客は心臓を差し出してくれた人と分け合うことになります。
結婚に関する風習
ミャオ族の結婚にまつわる伝統的な風習は独特なものです。
カップルは結婚したいと思い始めたら二人で餅を食べ、ミャオ族の男女は恋愛感情を表すために餅を交換し合います。
また、ミャオ族の男女は「歌う」ことでパートナーを惹きつけ恋愛をすると言われ、陰暦の3月3日、若い男女が伝統衣装に身をつつみ、丘の上や川沿いに一堂に会し、歌の掛け合いをして目当ての相手を口説こうとするのです。
そして、カップルが結婚するとなれば、花嫁の親戚や友人が花婿の家へやって来て、3日間、祝宴を催し、婚礼の儀式では竜と不死鳥の装飾を施した餅を食べ、新郎新婦はお互いの手首を交差させてそれぞれが持った角杯を飲んで祝います。
ちなみに、婚礼の期間中、新婚の二人は共に寝ることは禁じされている上に、さらに結婚してから3年間、夫婦は共に暮らすことができません(つまり通い婚になる)。
3年が経過して新婦が妊娠すると、夫婦はようやく共に暮らせるようになるのです。
ミャオ族の食文化や代表的な料理
食文化の一例
ミャオ族達は広範囲に広がって暮らし、その土地それぞれの影響を受けてきたため、地域によって彼らの食文化は微妙に異なります。
一例として中国にある最大のミャオ族の村と言われる「西江村」でのミャオ族の食文化として、
「長卓宴」とよばれる何百人もの人々が横に長く伸びた食卓について楽しむ、現地のミャオ族にとって最も重要な宴会
を挙げることが出来ます。
ミャオ族の料理
ミャオ族の主食は米。
しかし他にも、緑ピーマンと新鮮な魚の料理、酸湯魚、鶏肉料理、酢漬けにした魚や肉も有名で、野菜の漬物、辛い香辛料、自家製ワインも一般的。
また、お祭りや儀式の際にはもち米が必需品になります。
さらに、ミャオ族が一般的に食べる汁物として、油茶があります。
これは、茶葉と米と思われる材料を油で炒め、朝鮮人参や生姜と一緒に煮出したもの。そこへ塩、チリパウダー、米、ピーナッツ、揚げた豆などを加えるとさらに栄養価の高い食べ物となります。
ミャオ族の祭り
芦笙祭
芦笙祭(ろしょうまつり)は、陰暦1月の16日から20日(太陽暦の2月または3月初旬)にかけて、貴州省の凱里市(がいりし)付近の地域で行われる祝いの祭りで、雲南省、貴州省、四川省で盛大に開催されるため、ミャオ族の祭りのなかでも最も影響力があると考えられています。
芦笙祭では、芦笙が奏でる音楽のリズムにあわせて踊る芦笙舞など、特徴的なミャオ族独特の民族文化が多くみられるのです。
ちなみに、芦笙(ルーシェン)とはミャオ族の伝統的な民族楽器で、ミャオ族の人々の多くが上手に芦笙を演奏することができます。
新米試食祭
新米試食祭りは、収穫に感謝するために新米を蒸し、新米でワインを醸造し、新たに収穫した野菜と取れたての魚の料理を用意する祭り。
言ってみれば収穫祭のようなものです。
姉妹飯節
姉妹飯節は、台江県および剣河県のミャオ族の間で開催される祭りの一つで、「ミャオ族の恋の祭り」とも呼ばれます。
いわゆるバレンタインデーに似た祭りで、陰暦3月の16日から18日(太陽暦の通常4月)に開催されます。
新年
ミャオ族の人々は、陰暦10月(太陽暦の10月下旬から11月)に民族独自の新年を祝います。
正月は少数民族ミャオ族にとって最も重要な祭りで、新年は新しい実りの始まりを象徴しているとされ、ミャオ族の女性や少女たちは伝統的な民族衣装に身を包み、大規模なパレードや集団による演技の数々が繰り広げられます。
一方で、ミャオ族の正月は日付が定められておらず、正月の元日がいつになるのかについては、毎年、およそ2ヵ月前に発表されるのが恒例です。
ミャオ族の民族衣装
ミャオ族の衣服は地域によって微妙に異なりますが、
- 男性
- 短めのコートにズボン
- 女性
- 優美で魅力的なスカートを履き、宝飾品を付けて着飾る
- スカートには花や鳥といった生き物をかたどった図柄がたくさんあしらわれているのが一般的
といった傾向にあると言えます。
また、特別な機会や祭りの際、ミャオ族の女性達は、華やかな銀合金製の帽子や胸飾り、かんざし、数珠玉、髪飾りなどの装飾品を身につけることでも知られます。
ミャオ族の工芸と建築
手工芸品に関して高度な技術を持つミャオ族
ミャオ族は、刺繍、機織り、切り絵、染め物、宝飾品の鋳造など、手工芸に関して高度な技術を持つことで有名。
刺繍と銀細工の宝飾品は繊細で優美であり、女の子は7歳頃から母親や姉から手工芸を習い始めると言われます。
伝統的なミャオ族の建築様式
伝統的なミャオ族の家は一般的に、チワン族やヤオ族の家屋と似ているとされます。
ミャオ族が多く住むことで有名な西江村では、こうした民家は高床式の建築物であることが多く、急勾配の丘の斜面に建てられているため、母屋の一側面は地面の上に、残りの三側面は支柱を使って建てられているのが特徴的です。
こうした建物へは、山の斜面に造られた階段を使って行きます。
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ミャオ族とは?中国の少数民族の一つである彼らの料理や文化のまとめ
中国の少数民族に数えられるミャオ族について見てきました。
その少数民族という特徴から、あまり馴染み深い人たちではありませんが、その分、とても興味深い暮らしをしているのがミャオ族だと言えるでしょう。