ウイグル人(ウイグル族)|中国との問題で注目される新疆ウイグル自治区に多く住む人々

ウイグル人(ウイグル族)は中国の少数民族の一つで、新疆ウイグル自治区に多く住む人々です。近年は、中国による弾圧問題が激しさを増しているとして取り上げられることが増えています。

広大な国土を持つ中国には、多数派を締める漢民族以外にも多くの民族が暮らしていますが、その一つがウイグル族(ウイグル人)と呼ばれる人々。

中国における少数民族の一つで、これまでは中国国内のチベット民族に対する弾圧が注目されてきたため、そのチベット民族の影に隠れていたウイグル人達はあまり注目の的になっていませんでした。

しかし、中国国内でのウイグル人に対する問題が拡大してきた結果、特に西洋のメディアなどにおいて、新疆ウイグル自治区に住むウイグル人が注目されるようになってきています。

この記事では、そのウイグル人について、基本的な概要から中国との関係などまで見ていき、また、ウイグル人問題において鍵を握るトルコとの関係も見ていこうと思います。

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ウイグル人(ウイグル族)とは?

ウイグル人またはウイグル族とは、中国にある55の少数民族のうちの1つで、その中国の少数民族の中では最大とも言える数(1100万〜1500万)を誇っているグループ

国土の最も西の地域に集中して居住しており、人種的にはテュルク系(注)の遊牧民族(トルコ人、アゼルバイジャン人、トルクメン人、キルギス人、ウズベク人など)の末裔で、文化的にも言語的にも、多数派である漢民族とは共通点はほとんど持っていない人々です

過去には「イタリアの小作人」と表現されたこともあるように、日本人と近い外見を持つ「漢民族」に比べて、

  • 体格は大きめ(恰幅が良い)
  • 肌はより浅黒い
  • より地中海沿岸に暮らす人々に似ている

といった外見的特徴を有するのが目立ちます。

ただし、より地中海沿岸の人々に外見が近いと言っても、コーカソイドである南ヨーロッパ人やトルコ人に比べると、コーカソイドとモンゴロイドの中間のような外見(いわゆる中央アジア系の外見)を持っている違いを見つけることが出来ます。

そんなウイグル人は現在、国際社会によって度々注目されることがあります。

国土をめぐる複雑な歴史問題などから、一部のウイグル人が中心となって中国政府からの分離独立を求めて活動している一方、一連の行動をテロ行為とみなした中国政府によって、人権を無視した弾圧行為が行われているとされるのがその理由です。

(注釈)テュルク系民族とは、中央アジアを中心にシベリアからアナトリア半島にいたる広大な地域に広がって居住する、テュルク諸語を母語とする人々のこと。民族的にはトルコ人と共通した祖先を持つとされ、トルコ人も含めた大枠での民族グループを指す名称。

ウイグル人達の主な居住地

中国にいるウイグル族の大半は現在、新疆(しんきょう)地区に居住しています。

正式名称は「新疆ウイグル自治区」で、分離独立派の人々からは「東トルキスタン」の名で呼ばれており、世界でも有数の、地理的な変化に富んだ地域で、湖や砂漠、草地、山々に囲まれているのが特徴的です。

ウイグル自治区の首府はウルムチで、古くからあるシルクロードの中継地であり、実にさまざまな文化が交わる場所となってきました。

一方、新疆ウイグル自治区に住むウイグル人のおよそ8割は現在、同自治区の南西地域、天山山脈によって他地区と隔たれたタリム盆地周辺に居住しているとされます。

ちなみに、ウイグル人の大多数は中国国内に暮らしていますが、中央アジアを中心としたその他の国にも居住しており、以下の国には比較的多くのウイグル人が確認されています。

  • カザフスタン(約23万人)
  • ウズベキスタン(約5.5万人)
  • キルギス(約5万人)
  • トルコ(約4〜5万人)
  • サウジアラビア(約5万人)

ウイグル人の文化

宗教:人口の大半はイスラム教スンニ派

多くのウイグル族の文化や生活の核を成すのが宗教。

現在のウイグル人の大半はイスラム教のスンニ派を信仰するイスラム教徒(ムスリム)で、ムスリムであることがウイグル人のアイデンティティの一部となっていると言われるほどです。

また、同じ様に少数民族として知られる「回族(かいぞく、フェイ族とも言われる)」と並んで、ウイグル族のムスリム達は、中国における最大のムスリム集団となっています。

言語:ウイグル語

ウイグル人達が話す言語は、中央アジアで使用されているテュルク諸語の一つであるウイグル語(厳密には新ウイグル語と呼ばれる)で、同じテュルク系民族の国であるウズベキスタンの公用語「ウズベク語」に近いと言われる言語です。

ウイグル人の伝統的な生活スタイル

ウイグル族は伝統的に土地を耕し、穀物を育て、家畜を飼育することで生活してきました

残念ながらこうした生活様式は失われつつありますが、そのなごりは毎週日曜日に、ウイグルのコミュニティが存在するアフガニスタン、パキスタン、キルギスタン、そしてタジキスタンの国境沿いの町カシガルで開催される市場に残っています。

そこでは地元の農家によって、農作物に加え、羊、ヤギ、馬、ロバ、そしてラクダまでもが売り買いされており、昔、シルクロードの交易が盛んだった頃には頻繁に見られたであろう売買が行われています

ウイグル族の料理

世界的にはあまり知られていないものの、ウイグル人が居住する地域で食べられるウイグル料理を試した人は、その美味しさに魅了されると言われます。

その料理は通常、「新疆料理」と表現されるイスラム教の戒律に従った食物ハラール料理(特定の作法によって加工または調理された、イスラム法の下で食べることが許される料理)

主に羊肉や牛肉、ラクダ肉を使うことが多く、中華料理とトルコ料理がバランスよく混ざったような味がすると言われます。

また、料理と一緒に平たいパン(いわゆるピタパンのような物)をよく食べます。

中国との関係も含めたウイグル族の歴史ダイジェスト

中国政府と独立派の対立が続くウイグル族の歴史は、争いに満ちた複雑なものです。

意見が分かれるウイグル族の起源

まず、ウイグル人の歴史家達は、現在の新疆ウイグル自治区がある地域に、およそ9千年間も暮らしていると主張しています。

対して中国側は、現在「ウイグル人」と呼ばれる人々は、9世紀に崩壊したウイグル帝国(744年から840年まで続いたモンゴル高原からジュンガル盆地東部に勢力を誇った遊牧国家)から、新疆に逃れてきたテュルク系遊牧民の直系の子孫であるという見解を一貫して示しています。

ゆっくりとイスラム化が進んだことに関しては意見は一致している

一方、両サイドが争うことなく一致している見解は、10世紀から始まり、17世紀までかけてゆっくりと進んだウイグル人のイスラム化に関することです。

文化の部分でも触れた通り、イスラム文化は現代のウイグル文化の核をなし、彼らのアイデンティティを大きく特徴づけます。

漢民族の清による支配から中華人民共和国による現在の支配まで

そして、18世紀後半に新疆一帯が中国最後の王朝「清」の手に落ち、「漢民族」に支配されるようになってからも数世紀の間は、緩い支配体制によって現地のウイグル人達は、イスラムを核とした自らの文化や宗教を、ほとんど自由に実践することが可能な状況にいました。

しかし、共産党が支配する「中華人民共和国」となった後の1955年、中国政府によって同地域が「新疆ウイグル自治区」となってからは、ウイグル人達を取り巻く環境が徐々に変化していくことになります。

例えば、

  • 1962年
    • 中国が施行した農業と工業の大増産政策「大躍進政策」が失敗すると飢饉が起こり、中国共産党による支配に絶望した国境地帯の住民7万人以上がソ連領内に逃亡した
  • 1966年
    • 文化大革命の波及によって、同地域でもウイグル人にとって大切なイスラム教のモスクなどの一部が破壊された
  • 2001年以降
    • 近年の世界的な反テロ的な潮流(特にイスラム教徒に対して)が強まったことで、人口の大半がムスリムであるウイグル族は弾圧の対象となっている
    • 例)
      • ウイグル自治区内のいくつかの地方政府が、イスラム教徒にとって大切なラマダン(断食)を恒常的に禁じた
      • 「中国は(ウイグル)文化の平和的表現を分離主義活動とみなして非合法化した」とアムネスティ・インターナショナルが2013年に報じた など

といった感じで、ここ数十年の間にウイグル族を取り巻く環境は悪化していったと言えるのです。

中華人民共和国は同地域を公式に自治区として指定しましたが、ウイグル文化の抑制と、産出される豊富な石油への権利拡大のために、近年では漢民族の大量移民を認めて非ウイグル人の人口割合と影響力を高め、ウイグル人の力を弱めようとしていると言われます。

このような状況の中、中国に住むウイグル人の環境は年々厳しさを増していると考えられるのです。

トルコを軸に見るウイグル人

ウイグル人について、中国との関係を基本としながら、その概要から歴史までを見てきましたが、ここからは焦点が当てられることは少ないものの、実はウイグル人を知る上で結構大切な、同じテュルク系民族の国家「トルコ」との関係を中心に、ウイグル人に関して見ておきたいと思います。

トルコはウイグル人を寛大に扱っている

高まる中国政府による弾圧の結果、新疆ウィグル自治区に暮らしていた多くのイスラム系ウイグル人達が、東南アジアなどを経由して中国から避難するケースが増加していますが、その後、多くのウイグル人は、民族的そして文化的に強い結びつきのあるトルコへ難民として受け入れられています

これは特に、トルコ国内の民族主義者達が同じテュルク系民族のウイグル人を、大きな意味で「ユーラシア大陸の縦横に広がるテュルク語族として血縁関係にある人々」と考えているから。

トルコの民族主義者達がトルコ政府に働きかけた結果、トルコ政府はウイグル人を中国からの難民として認定し、さらに、ウイグル人達がトルコ国内から中国政府の弾圧に対して抗議することも容認しています。

また、1965年にトルコ政府は、中国から逃れ、徒歩でアフガニスタンを目指してやってきた200人に上るウィグル人へ「保護地区」を提供した点も、ウイグル人に対するトルコの姿勢を示す良い例でしょう。

トルコ政府は、彼らウイグル人をアフガニスタンの首都カブールから飛行機に乗せて救出し、トルコ中部の都市カイセリに居住を許可したのです。

少なくとも1950年代にまで遡るとされるウイグル人の保護

ちなみに、トルコによるウイグル人の保護は少なくとも1950年代にまで遡るとされます。

1933年から1946年にかけて、現在の新疆ウイグル自治区の一部に「東トルキスタン共和国」という、ウイグル人による政権が2度に渡って樹立したことがあります。

その当時のウイグルの指導者「エイサ・ユスプ・アルプテキン」が、1949年に中国から逃れてインドへ亡命した後の1950年代、トルコ政府はアルプテキンをトルコへ受け入れて保護しているのです。

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ウイグル人(ウイグル族)|中国との問題で注目される新疆ウイグル自治区に多く住む人々のまとめ

中国に住む少数民族の一つウイグル人達について見てきました。

ウイグル人をとりまく民族問題はウイグル族の歴史同様に複雑なものですが、結局は、宗教も含めた文化と経済の問題に行きつくと言えるでしょう。

ウイグル族の話す言語は標準中国語とは全く関連がなく、その文化は中国よりも、中央アジア諸国のいくつかや、中東地域の近隣国と似通っています。

また、民族的にも文化的にも近いトルコは、これまで多くのウイグル人を難民として受け入れてきていますが、今後、このことがキッカケで、トルコと中国の外交関係が脅かされる可能性があるとも示唆されています。

とにかく、ウイグル人は様々な問題を抱えながら生きている人々であり、国際社会においても今後注目が増えて行く可能性があると言えるでしょう。

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