ナスカの地上絵と謎|どうやって誰が何の目的で描いたか?宇宙人との関係は?

ナスカの地上絵とその謎について見ていきます。誰が何の目的でどうやって描いたのか?ナスカの地上絵にまつわる謎や、近年、問題視されることの多い保存に関する課題についてまでを確認してみましょう。

南米ペルーで見つかったナスカの地上絵については、詳しいことを知らなくても見聞きしたことがあるでしょう。

非常に大きなサイズで動物や植物の絵が地面に描かれ、その描き方や描いた目的が謎に包まれていることから、考古学好きや世界のミステリー好きの間で、長年、興味の対象となってきました。

  • このナスカの地上絵とは一体何なのか?
  • 誰が何の目的で、どうやって描いたのか?
  • たまに耳にする宇宙人との関係はあるのか?

ナスカの地上絵について、その概要からいくつかの謎、そして現在の地上絵が直面する保存問題に関してまでを紹介していこうと思います。

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ナスカの地上絵とは?

ナスカの地上絵とは、ペルーの首都「リマ」から南へ約450kmほどの海岸平野ナスカ高原(ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた乾燥した盆地状の高原)」の地表を削って描かれた、デザインやモチーフからなる巨大な地上絵の集まり

南米の古代ナスカ文化に由来し、植物、動物、それ以外の形が、およそ450㎢に広がって描かれています。

その起源は2000年以上も前に遡るとされ、また、非常に大きな規模であるために、空中から確認することでしかその全容にふれることが出来ないことで有名。

一方で、およそ1世紀にわたり研究が行われてきたにも関わらず、現在も謎に包まれています

ちなみに、ナサの地上絵は当初、「ナスカとフマナ平原の地上絵」という名称で1994年にユネスコによって世界文化遺産に登録されましたが、2016年以降は正式名称を「ナスカとパルパの地上絵」へ変更されています。

ナスカの地上絵にはどんな「絵」や「模様」が含まれるの?

ナスカの地上絵は大きく分けて、

  1. 直線
  2. 幾何学模様
  3. 絵画

の3つの基本形式に分けられます。

まず、ナスカの地上絵に含まれている直線の数は800以上にもなり、その中には48kmの長さに及ぶものも存在します。

また三角形、長方形、台形などの基本図形、螺旋模様、矢印、ジグザグ模様、波線など、300以上の幾何学模様が見つかっています。

さらに、ナスカの地上絵と言えば、動物植物の描写で覚えている人が多いでしょう。

これら動植物の絵の数はおよそ70個にもなり、長さ370m近くにもなる地上絵も存在。

例えば、蜘蛛、ハチドリ、サボテン、猿、クジラ、ラマ、カモ、花、樹木、トカゲ、犬、ペリカン、シャチなどが描かれています。

また「宇宙飛行士」のニックネームがつけられている人型や手の描写、装身具や織物のような日常生活の道具、そして描かれているものが不明な地上絵の存在も明らかになっています。

現在でも発見が続くナスカの地上絵

このように、ナスカの地上絵とされる描写は数多く発見されてきましたが、近年でも新しい発見が続いています。

例えば、2011年には日本の研究チーム(山形大学のグループ)がナスカ川の北岸付近で、新たな地上絵を2つ発見。

その地上絵とは、

  1. 人間の頭部
    1. 横が約4.2mで縦が約3.1m
  2. 動物
    1. 横が約2.7mで縦が約6.9m

と、これまで発見されてきた地上絵よりはるかに小さく、空中測量では目につきにくい大きさのものでした。

さらにその後、山形大学のチームは2013年と2014年に、非常に多くのラクダの仲間やリャマなどの動物の絵を発見し、2015年に実施した調査では、「長さ30mに及ぶ多くの手足(突起物)を持ち、斑点のような模様が描かれた舌を出している謎の生き物」の絵が発見されます(参照:ハザードラボ

そして2018年には、ペルーの考古学者たちがドローンを使って、より詳細に地上絵の位置を記録して確認調査したところ、新たに50の地上絵を発見したと発表がありました。

このように、ナスカでは近年でも新しい発見が続き、まだまだ確認されていないナスカの地上絵が多く存在していると考えられるのです。

誰がどうやって何の目的で作ったのか?ナスカの地上絵にまつわる謎を追っていこう

ナスカの地上絵はいつ誰に描かれたのか?

ナスカの地上絵にはいくつかの謎が存在しますが、いつ誰に描かれたのか?」については、比較的意見がまとまっています

その時期とは、おおよそ紀元前200-100年頃から紀元後800年頃までの間と考えられており、ペルーのナスカ市に栄えたナスカ文化の人々によって、多くの地上絵が手がけられたと考えられています。

ただし、ナスカ以前に栄えたチャビン、パラカス文化も一部の地上絵に貢献していたかもしれず、最初期の地上絵は紀元前500年頃にまで遡るとする意見があることは、覚えておくと良いでしょう。

ナスカの地上絵はどう作られたのかの謎

ナスカの地上絵は、リオ・グランデ川支流のナスカ川流域にある砂漠地帯に位置しているわけですが、この一帯は地球上で最も乾燥している地域の一つ。

砂漠の地表は、酸化鉄によって濃い赤錆色になった岩や石で覆われています(過去に何度も起きた大洪水によって、この地には多くの岩石が流されてきて地表が覆われることとなった)

このような環境の中で古代の人々は、次のような手法を用いて地上絵の線を「描いた」と考えられています。

  1. 特定の場所から赤錆色の岩や石を深さ30cm前後、幅1m-2mの範囲で取り除く
    1. 深い部分の石は酸化していないため、地表の岩石より明るい
  2. 明るい岩石が露出することで他の部分と比べてその部分が線のように映る

そして、この地上絵は小規模のものからスタートし、徐々に大規模な地上絵を手がけるようになっていったのではないかと考えられています。

この「大規模な絵を描く方法」については、

  • 拡大法
    • 十分な大きさの原画に適当な中心点を決め、そこを起点にして放射状に原画の各点を相似拡大していくことで、デザインと比率を保ちながら大きな絵を完成させる方法
  • 目と歩幅で距離を測定して描く方法
    • 現地で行われている畑に種をまく時の方法を応用したもの

など、いくつかの説が唱えられており、空中から目視せずとも規模の大きな絵を描くことが可能であると証明されていますが、実際に古代の人々がどういった手法を用いたのかはまだ謎に包まれたままとなっています。

ちなみに、地上絵が作成された後、何世紀にも渡り大きく風化することなく残っているのは、雨量、風、侵食の少ない砂漠の気候が主な理由です。

ナスカの地上絵は天文学や宇宙人と関係している?

ペルーの考古学者トリビオ・メヒア・ゼスペは、1927年に徒歩で地上絵に出くわし、地上絵の体系的な研究を始め、ナスカの地上絵を詳細に研究し報告した最初の考古学者です。

しかし、1930年代にパイロットが飛行して確認するまでは、地上絵の存在は幅広く認識されていませんでした。

この空中からの確認以降は、一定数の旅行者が訪れるなど、世間一般にもナスカの地上絵は広く知られていくようになります。

そして、ナスカの地上絵が描かれた目的は、この頃から議論され続けてきました。

1930年代後半および1940年代前半に、アメリカの考古学者ポール・コソックは、地上および空中より地上絵の研究を行います。

結果、冬至前後の太陽との相対的な位置関係が調査対象となった地上絵の1つに見つかり、「地上絵は天文学に関連した目的を持っていた」のではないかとコソックは結論付けました

その後、ドイツの考古学者および数学者であったマリア・ライヒェもこれに続き、ナスカの地上絵には天文学および、カレンダーや時間の測定に関する目的があるという結論を出します。

またライヒェは「動物の地上絵は夜空の星群を描いたものである」と信じていたようです。

さらに、この天文学的な関係性がオカルト的に発展し、中には「地上絵は宇宙人の乗る宇宙船が着陸する際の滑走路として使用されていた」などの主張も現れ始めます。

しかし、1960年代後半から1970年代前半にナスカの地上絵を調査した、アメリカの宇宙学者ジェラルド・ホーキンズをはじめとする研究者達によって、天文学や宇宙と地上絵の関係性に疑問が呈され、また、宇宙人や古代の宇宙飛行士との関係を主張に対しても反論が示されました

地上絵が作られた目的や役割に関する謎

古代ナスカ文化は先史時代のものであるために記録が残っていなく、地上絵が描かれた目的は謎として研究者を悩まし続け、上で触れたように宇宙と関係があるなど、様々な推測がなされてきました。

ただし近年の研究では、地上絵が描かれた目的は水と関係していたのではないかという説が挙げられています。

水は乾燥したペルーの海岸平野において貴重な資源でした。

しかし、同地域は砂漠地帯であるため水を入手することが難しく、その水をどうにか確保したいという「想い」が、ナスカの地上絵が描かれる理由となったのではないかという説です。

とは言っても、ナスカの地上絵は決して「灌漑システム」や「水源を確保する」ような実用的な機能を備えた物ではなく、より信仰的な意味合い、つまり、

  • 必要な雨をもたらすための神々への儀式の一部

として用いられたのではないかと考えられています。

この主張を裏付ける理由として、他の古代ペルーの遺跡や陶器類にも発見されている、

  • 雨、水、繁殖力」を象徴する動物の描写

こそ、この説を証明するものではないかという主張があります。

ただし、ナスカの地上絵は巡礼に関する役割を持っていたという別の説もあります。

それは「聖なる場所にたどり着くために人々が地上絵を歩いて渡った」のではないかというものです。

このように、確固たる考古学的な結論が出ていないため、宇宙に始まり水や巡礼路など、様々な説が現れ、中には考古学的な根拠のない「宇宙人の船の着陸場所」などという説も現れたのです。

一方で現在、ナスカの地上絵の役割に関しては「時とともに変化していったのではないか」という議論も存在します。

その議論によるとナスカの地上絵は、

  • 当初はペルーの寺院に巡礼に向かう人々の儀式的なルートに用いられていた
  • しかし、後に宗教的な儀式の一部として利用されるようになった

ということらしいです。

ナスカの地上絵の保存課題

世界中に存在する遺跡の数々に比べ、ナスカの地上絵は地理的な理由もあり、ダメージから大きく守られてきました。

しかし、今後も地上絵へが確実に保存されるという保証はありません。

実際に2009年、ナスカの地上絵は記録上では初めてとなる雨の被害を受けました。

この大雨により、太平洋に面したアメリカ大陸の国々を結ぶ幹線道路から流れ出た水が、ナスカの地上絵を襲い、「手形」に描かれた地上絵の3本の指が、砂と泥によって被害を受けたのです。

またその5年後、環境保護を訴える団体「グリーンピース」がこの地で宣伝活動を展開している最中、ハチドリが描かれた地上絵付近にダメージを与えました

活動家一行が、再生可能なエネルギーを推進するための標識を設置するため、進入禁止となっている区域を踏み荒らし、ハチドリの地上絵付近の石が乱されてしまったのです。

そして2018年には、商用トラックが地上絵の一部に進入。同地の一角に跡が深く残ることとなりました。

このように、ナスカの地上絵に関しては、謎を解決するという課題だけでなく、自然被害や人的被害から保護するという課題にも対処していく必要性が、近年になって唱えられ始めているのです。

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ナスカの地上絵と謎|どうやって誰が何の目的で描いたか?宇宙人との関係は?のまとめ

南米のペルーに存在する有名なナスカの地上絵に関して、いくつかの謎や、近年問題になっている課題について見てきました。

ナスカの地上絵についてはまだまだ全容が解明されていないため、今後も新しい発見が続くはずです。

そして、将来的にはより詳しいことが判明するかもしれません。

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