ブリヤート共和国はロシア連邦を構成する共和国の一つ。日本人のルーツの一つと言われたり、バイカル湖、そして仏教で有名です。
現在のロシア(世紀名称:ロシア連邦)は、複数の国(州)が一つの主権の元に結合した連邦制国家。
そのため、タタールスタン共和国やチェチェン共和国など、多くの共和国が存在するわけですが、その中の一つ、ブリヤート共和国を知っていますか?
このブリヤート共和国は、ロシア連邦の中でも珍しく仏教を信じる人口の割合が非常に多い国で、また、日本人のルーツの一つかもしれないという場所。
そして、世界的にも有名なバイカル湖がある国です。
そのブリヤート共和国について、基本情報からいくつかの観光名所までを紹介していきます。
ブリヤート共和国とは?
ブリヤート共和国はウラン・ウデを首都に置き、ロシア連邦を構成する共和国の一つ。
アジア大陸の東シベリアにあるバイカル湖の東に位置し、細長い形をした南部はバイカル湖の南端から西へと広がってモンゴル国に接しています。
地理的な理由や後述する理由によって、ロシア連邦の一地域と言っても、そこに向かいから住むブリヤート人はモンゴロイドであるのが際立つ特徴。
また、モンゴロイドとしてブリヤート人と日本人は外見的にも近しいわけですが、実はこの地域が日本人のルーツの一つになったという「日本人バイカル湖畔起源説」があり、その説が正しいとすれば、日本人とは浅はかならぬ関係がある国だとも言えます。
ちなみに、ブリヤート共和国の現在の人口は97万人から98万人で、ブリヤート共和国人口の7割以上がロシア人となっており、ブリヤート人はおよそ1/4程度。
それ以外は、混血かそれ以外の少数民族となっています。
ちなみに、その日本人バイカル湖畔起源説とは、「日本人の起源は基本的に北アジアであり、特にシベリアのバイカル地方の可能性が高い」とした説。
その根拠としては次のような点が挙げられています。
- 縄文人のミトコンドリアDNA配列が高確立で一致している
- 縄文人29体のうち17体がシベリア平原に暮らすブリヤート人とDNA配列が一致
- 細石刃文化の一致
- 1万2千年前~1万3千年前に東日本に広がったクサビ型細石核をもつ細石刃文化を担った集団の技術は、バイカル湖周辺から拡散してきたのではないか?
- 細石刃は革新的技術であり、各地で自然発生したとは考えにくいためバイカル湖付近から広がると考えるのが論理的
ただし、これは日本人の起源の可能性を探る上での一つの仮説に過ぎず、まだ断定されていない点は頭に入れておきましょう。
ブリヤート共和国の地理
ブリヤート共和国は、351,300㎢の面積を抱え、実は日本に匹敵する面積を有しています(日本の面積は377,972㎢)。
しかし、それほどの面積を抱えながらも人口はわずか100万人弱。
山脈、高原、盆地、河谷の複合体で構成されており、細長い形で西に折れ曲がった南部には、標高3,000mを超えるサヤン山脈があり、バイカル湖の南端にはハマル=ダバン山脈があります。
対して、バイカル湖の北東岸に沿うようにしてあるのがバルグジン山脈で、バルグジン山脈のさらに東側にはヴィチム高原が広がります。
また、ブリヤート共和国の国土のおよそ70%は、水はけが悪い密林かタイガ(シベリア地方の針葉樹林)で覆われていますが、山間盆地や峡谷にはステップ植生(森林を形成するほど湿潤ではないが、砂漠というほど乾燥していないような地域)が広がっています。
そして、気候に関して言えば、ブリヤート共和国は大陸性気候のため、冬は長くて短い夏は比較的暖かいのが特徴です。
ブリヤート共和国の歴史
ブリヤート共和国が位置するバイカル地方には、青銅器文化時代後期と鉄器時代初期において、モンゴルとの関わりを示す文化的な石碑が発見されています。
また古来より、以下のような国にに治められてきたことからも分かる通り、モンゴル系を中心としたアジア系民族に長年に渡って支配されてきた地域です。
- 紀元前209年から西暦93年
- 匈奴単于国
- 93年から234年
- 鮮卑大人国
- 330年から555年
- 柔然可汗国
- 1206年から1368年
- モンゴル帝国
- 1368年から1691年
- 北元
しかし、17世紀に、毛皮や金を求めてやってきたロシア人達によって植民地化されます。
そして1923年には、ブリヤート・モンゴル州とモンゴル・ブリヤート自治州の合併によって、ソビエト共和国を構成した「ブリヤート・モンゴル自治ソビエト社会主義共和国(ASSR)」が設立。
1937年には「アガ・ブリヤート自治管区」および「ウスチオルダ・ブリヤート自治管区」がブリヤート・モンゴルASSRを離れ、それぞれ中国、そしてイルクーツク自治州に吸収され、また、「モンゴル」の名は1958年に共和国名から外されます。
その後、ソ連の求心力が弱くなったソ連時代の末期、ブリヤートASSRは1990年に主権を宣言し、1991年12月にソ連が崩壊すると、1992年にはブリヤート共和国へ国名が変更。
また、ロシア連邦の自治共和国である立場は維持されることになりました。
ブリヤート共和国の政治
ブリヤート共和国では以前、大統領を置いていましたが、現在は呼び名を改め「首長」としており、基本的には国民による選挙で選ばれ、その任期は4年です。
そして現在(2018年9月現在)の首長は、2017年9月の選挙で国民の支持を得て当選したアレクセイ・ツィデノフ。2017年2月にロシア大統領ウラジーミル・プーチンによって首長の代行に任命され、就任前から任務にあたっていた人物です。
一方で、ブリヤート共和国の議会は国民のクラル(Khural:議会)と呼ばれ、5年ごとの選挙によって選ばれています。
国民を代表する議員66名からなっており、現在は最も支持を集めている党派、統一ロシアが過半数を占め45議席を獲得しています。
ブリヤート共和国の経済
ブリヤート共和国は、金、タングステン、モリブデン、ニッケル、アルミニウム、鉄、マンガン、石炭といった豊かな鉱物資源を抱えている強みがあり、採掘業や冶金業が盛ん。
また他にも主な産業として、機械製造業、木材加工業、製材業、セメント・ガラス・石綿といった建築材料の製造業、革・織物・食品・水産加工業などがあります。
そして、主要な農業活動は、牧畜(牛、羊、山羊、豚、トナカイ)と馬の繁殖で、耕作が行われる主な地域である広大なセレンガ川流域では、小麦、ジャガイモ、野菜、テンサイなどが育てられています。
さらに、毛皮動物(ギンギツネ、アライグマ)の飼育や狩猟(主にリスとクロテン)、バイカル湖での漁業も、ブリヤート共和国の経済では重要な位置を占めます。
ブリヤート共和国の宗教
この地に元々あった自然崇拝とシャーマニズム
ブリヤート共和国周辺地域に古来より住んでいる、モンゴロイド系(アジア系)民族のブリヤート人は、伝統的に自然を神格化して精霊の存在と自然の力を信じる信仰を持っていました。
いわゆるシャーマンが、民族を宗教的に導いていたのです。
その後17世紀後半には人々の間に仏教の教えが普及し、シャーマニズムへの信仰や崇拝が排除されるようになりました。
その結果、19世紀の終わり頃には、ブリヤート人のほとんどが仏教の伝統を重んじるようになっていったようで、現在はロシアにありながら多くの仏教徒が住む地域としても知られています。
ちなみに、この仏教と伝統的な自然崇拝が融合し、現在のブリヤート人の文化的特徴として知られる「環境に配慮した伝統」が築かれてきたようです。
現在の宗教状況
現在、ブリヤート共和国に住む人々が信仰する宗教には、次のようなものがあるとされます。
- 人口の27%前後
- ロシア正教
- 人口の20%前後
- 仏教
- 人口の25%前後
- スピリチュアルであるものの宗教は信仰していない
- 人口の13%前後
- 無神論者
- それ以外の人口
- その他の宗教
このようなことから、現在のブリヤート共和国においては、ロシア正教と仏教(チベット仏教)が主な宗教となっていることが分かります。
ただし、農村部に昔から住むブリヤート人の間では、シャーマニズムと仏教が融合された独特の信仰が存在しているようです。
ブリヤート共和国へ行ってら訪れてみたい観光名所
さて、ブリヤート共和国に関する基本情報を抑えたところで、「この国に興味があるから訪れてみたい!」という人向けに、いくつかの観光名所を紹介しておきます。
バイカル湖
ブリヤート共和国に行くなら「シベリアの真珠」と言われる、この地域最大の観光名所に訪れないわけにはいかないはず!
湖としては水の透明度が世界一とも言われ、その美しさは想像を絶するとか!?
また、琵琶湖の47倍の面積を誇る超巨大な湖でその周りにある山脈との組み合わせが素敵すぎ。
ちなみに夏には泳ぐことも出来るので、その時期に訪れて世界一美しい湖で泳いだ写真をインスタグラムやFacebookにアップすれば、「いいね!」獲得間違いなしかと。
一方で、冬は湖面が凍るので、その上を歩くことが出来るみたいですよ。
世界一大きなレーニンの頭の像
ブリヤート共和国の首都ウラン・ウデの中心、ソヴェトフ・スクエア(Sovetov Square)には、この街のシンボルと行っても良いレーニンの頭の像があります。
で、このレーニンの頭の像、ただこの街のシンボルとして有名なだけでなく、レーニングの頭だけを像にした世にも珍しい像で、しかも、他のどのレーニン像の頭よりも大きいんだとか。
これは写真を撮ってSNSに上げるしかなさそうです!
ブリヤート共和国の仏教を感じられる寺院
ウラン・ウデの中心地から車で15分ぐらい行くと、階段を登った最上段にチベット仏教のお寺がある「Datsan Rinpoche Bagsha」という場所があります。
ロシアなのに仏教が盛んに信仰されているブリヤート共和国ならではの場所で、この国の歴史や文化を感じたいなら絶対に行きたいところ。
また、丘の上に建ってるため、ウラン・ウデの市街地全体を見渡すにも良いらしい。
少数民族を知るためにどうぞ
この地域の歴史や文化に関してもっと知見を深めたいなら、ウランウデにある「Ethnographic Museum of the People of Transbaikalia Culture Gau」という博物館を訪れてみたいかも。
バイカル湖周辺の地域に昔から住んでいた様々な民族の住居が再現されているので、彼らの伝統文化を知って、ロシアがどれだけ広大で多民族が入り混じった国なのかを理解するために良さげ。
また、ちょっとした動物園みたいな場所も併設されているので、現地の動物を知る上でも良いかと思います。
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ブリヤート共和国|日本人のルーツやバイカル湖そして仏教で有名なロシア連邦の共和国のまとめ
日本人のルーツだとか、バイカル湖や仏教で知られているロシアの一共和国「ブリヤート共和国」を紹介してきました。
広いロシアの中でも、日本人は特に親近感を覚えやすい場所かもしれませんね。