ロマ人(ロマ族)は移動型民族の一つ。ジプシーと揶揄されることもあります。そのロマ人の生活スタイルや歴史、そして特徴などを見ていきます。
「◯◯人」という時、多くの人は「国籍」と関連付けて考えることが多いはずです。
例えば、「日本人は日本に生まれて日本の国籍を有している人」とか、「イギリス人はイギリスの国籍を有している人」といった具合。
一方で、どこの国にも属することが出来ず、いわゆる「国籍」を有していない「ロマ人(ロマ族)」と言われる民族が存在します。
そしてこのロマ人は、蔑称としてジプシーとも呼ばれることがある人々です。
この記事では、そんなロマ人について、基本的な概要から歴史、そして生活スタイルや特徴などを紹介しながら詳しく見ていこうと思います。
ロマ人(ロマ族)とは?
ロマ人(ロマ族)とは、歴史的にみれば「ヒターノ」、「カーレ」、「マヌーシュ」、または卑俗的に「ジプシー」などと呼ばれてきた民族。
国を持たずに主にヨーロッパで移動型の生活をしている集団「ジプシー(※ジプシーにはロマ人以外の民族も含まれる)」のうち最大勢力であり、ジプシーと言えばこの「ロマ人」を指すことがほとんど。
もともとは北インド辺りに住んでいた人々だと言われ、長い歴史の中で「北インド→ペルシャ→東ヨーロッパ→ヨーロッパ全土」に広がっていったと考えられており、全世界には1000万から2000万人ほどのロマ人がいるのではないかと推定されています。
一方、移動型民族という特徴柄、国境で定められた一つの国に集まって暮らしているというわけではなく、それに伴って「ロマ人」という国籍も持っていないため、居住先では常によそ者扱いされてきた結果、長い迫害の歴史を持つ人々でもあります。
現在のロマ人の分布
現在、ロマ人はどこに住んでいるのでしょうか?
多くのロマ人は南ヨーロッパや東ヨーロッパで暮らし、バルカン半島からスペインやフランスまで広がっており、中でもルーマニアには多くのロマ人が住んでいます。
しかし、移動型の生活を続けてきたロマ人のコミュニティは世界規模で広がっており、ヨーロッパ以外にも以下のような国に多くのロマ人が居住しているとされます。
- エジプト(約170万人)
- アメリカ合衆国(約100万人)
- ブラジル(約80万人)
- トルコ(50~275万人)
- イラン(約10万人)
(参照:wikipedia)
※ロマ族の人は基本的に定住先を持たない生活をしているが、現代では定住先を見つけ、安定した仕事について生活する人々も増えてきている。
ちなみに、ロマ人の蔑称である「ジプシー」という言葉は、元々、「エジプト人」という単語を起源としたもの。
ジプシーの英語表記は「Gypsy」で、エジプト人の英語表記は「Egyptian」。
この、Egyptianが短略化されたのが「Gyptian」で、さらに短略化されて「Gypsy」になりました。
これはまた、ロマ人が1400年代に西ヨーロッパに入った際、自らのことを「エジプト出身である」と言ったことが理由であると言われます。
これ以降、ロマ族を中心に、他にも国を持たない移動型民族を「ジプシー」と呼び、また、「様々な地域や団体を転々とする人」を比喩する言葉としても使われるようになっていきました。
ロマ人の歴史
移住を繰り返して決まった国に住まない生活スタイルを持ち、遊牧民に近い社会構造を有するロマ人。
歴史的書物をみてみると、何世紀にも渡ってところどころにロマ人に関する記載があります。
しかし、移住を繰り返すことでどこへ行っても「部外者」として軽視され、その存在は重要視されてこなかったため、歴史的書物にロマ人の記載があるとしても、その記載は散在していました。
ロマ人はインド北部を起源に持つ
そのため、ロマ人に関する起源については、長い間謎に包まれていましたが、近年の遺伝子研究や言語学研究などによって、ロマ人はインド北部周辺地域を起源するという説が最も有力になっています。
西暦500年頃、自発的または奴隷として、インド北部から、ペルシャを中心として中東や中央アジアまで広がり、西暦1100頃にはバルカン半島にロマ人の一部が到着。
その後、東ヨーロッパを中心に広がっていったと考えられています。
ちなみに、西暦500年からペルシャや中央アジアに広がっていく「移住」の過程で、多くのロマ人が命を落としたとも言われます。
ヨーロッパで部外者として扱われるようにロマ人達
東ヨーロッパに進出した後も、住む場所を転々とする生活スタイル(または文化的特徴)は、ロマ族達の間で続けられていくことになります。
その結果、ロマ人達はヨーロッパ大陸全土へとその移住先を広げていきました。
(出典:wikipedia)
しかし、住む場所を転々とする移動型生活を続け、ヨーロッパに元々あった言語を話すわけでもなく、ヨーロッパの習慣とは異なる習慣を持つロマ人達は、「部外者」として扱われていくことになります。
そのため、ヨーロッパ各地の社会や政策から除外され、「ジプシー」と差別的に呼ばれるようになり、迫害を受けるようになっていったのです。
さらに何世紀にも渡って、紛争や病気の蔓延などでヨーロッパ諸国が大きな問題に直面した際には度々、「ロマ人が魔術を使ったせいだ」などと非難されてきました。
1900年代に入って脱工業化が進んだ時代でもロマ人への偏見は収まらず、「貧困をもたらす」とか「犯罪が増加する」などと非難され続けたのです。
長く迫害された一方でヨーロッパ文化に大きな影響を与えてきたロマ人達
一方で、その迫害にも関わらず、何世紀にも渡ってロマ人達はヨーロッパの文化に大きな影響を与えてきた人々でもあります。
例えば、スペインで盛んなフラメンコや、フランスやイタリアのストリートパフォーマンスの起源は、ロマ人にあると考えられています。
ロマ人の文化に関して知っておきたい2つのこと
移住先の地域文化と混ざった文化
ヨーロッパを中心に世界各地に移り住んだロマ人の文化は、その移り住んだ地域や属するコミュニティによって様々。
しかし、ロマ人文化の共通点として言えるのが、
- ロマ人の伝統の文化や慣習とその地域の文化が混ざっている
ということ。
例えば、元々インド北部辺りに起源を持つロマ人の多くはヒンドゥー教徒だったと考えられていますが、キリスト教が主流のヨーロッパに住んでいるロマ人はキリスト教徒に、イスラム教が主流の中東に住んでいるロマ人はイスラム教徒になっています。
そしてどちらの場合でも、ヒンドゥー教の儀式や信仰に似ている、ロマ人の伝統的慣習が混ざっているのが特徴です。
また、その土地の文化を取り入れているロマ人文化の例に、ロマ族の言葉「ロマ語」も挙げられます。
文法的に見ればロマ語はヒンディー語に似ていますが、語彙の面ではヨーロッパの言語に影響を受けており、3つの大きな流れと13の言語グループがあると言われます。
そして、それぞれ異なる単語や使い回しが存在するため、同じロマ語同士でも意思疎通が難しいとさえ言われるのです。
ロマ人にとって大切な家族観や結婚観に対する非難
ロマ人のコミュニティは国境を越えた親族同士の強い繋がり、家族観、結婚観、性別ごとの役割分担が基盤となって支えられている点は、ロマ人の文化を象徴している一つのポイントでしょう。
一方、ロマ人の独特な家族観や結婚観に対し、ヨーロッパ先進国からは懸念の声が挙がっている点を忘れてはいけません。
例えば、ロマ人社会では、繋がりの強いロマ人コミュニティのなかでお見合い結婚が行われることがあり、その際、「花嫁となるロマ人女性がヨーロッパの国々で結婚可能な年齢に達していない」ことが多々あります。
そして、そういった女性が国境を越えて花婿が暮らす国へと移住するため、西洋的な「人権」や「法律」に照らし合わせて、「人身売買」だとヨーロッパ諸国から非難されることがあるのです。
こういったこともまた、ロマ人への非難や偏見、そしてジプシーという差別的な呼び名が未だに根強く残っている理由の一つと言えるでしょう。
ジプシーの生活や特徴など抑えておきたい5つのこと
ロマ人の人口規模は未だに定かではない
ロマ族の中に一体どれほどの人々が含まれるのか、未だに具体的な数字は明らかになっていません。
(出典:wikipedia)
これは、「長い歴史の中で移動型の生活を送ってきた」という理由に加えて、直面する差別のために、公的機関に登録したり自らロマ人であると明らかにする人は多くないから。
また、法的には「透明な存在」であるために、子供たちの多くは出生時の記録がなく、移動生活のため、多くが人口調査の対象になることも、存在を知られることもありません。
一方で、2013年に「ニューヨークタイムズ」は、当時のロマ人の人口規模は約1100万であったと発表していますが、この数字への反論も多くあります。
そのため、推定されるロマ人の人口規模の範囲は、1000万や2000万と非常に広くなっているのです。
移動生活は必ずしも自由意思によるものではなかったかもしれない
ロマ人は長いことエキゾチックな存在と捉えられてきました。
特に、「あちこちに移動して生活する」というイメージが、エキゾチックな存在としてロマ人を特徴づけていると言ってよいでしょう。
その一般的なイメージの中でロマ人は、
- 社会規範に縛られて生きるよりは、社会の主流から外れた移動生活を選ぶ
と考えられています。
しかし実際のところ、何世紀もの間、ロマ人達は迫害の対象として移住先から頻繁に追い出されてきた歴史を持つため、必ずしも自らの意思だけで移動型民族となったわけではないと言えるのです。
そして強制的な排除は今日でも続いており、特定の地域または国から数多くのロマ人が日常的に追放されています。
したがって、ロマ人が移動生活を送る本当の理由は、単純に「生き残るためである」とさえ考えられるのです。
地上で最も激しい迫害を受けている民族の一つではないのか?
ロマ人はヨーロッパで奴隷として搾取された歴史を持ち、特に酷かったのが14〜19世紀のルーマニア。
当時、ルーマニアに住んでいたロマ人達の多くは、物々交換や売買の対象とされ、人間以下の存在と見なされていたと言われます。
また1700年代、オーストリア=ハンガリー帝国のヨーゼフ2世とマリア・テレジアは、
- ロマ人同士の結婚を禁止する
- ロマ人の子供はロマ人でない家庭に入れて育てる
- ロマ人を徴兵する
- ロマ人へ職業訓練を行う
などして、ロマ人達へ無理やりロマ人としてのアイデンティティや文化を捨てさせる「同化政策」を進めていき、同じような政策は他のヨーロッパ諸国でも取られていきました。
さらに、ロマ人はナチスが起こしたジェノサイド「ホロコースト」において、見えざる犠牲者でもあったのです。
一般的にホロコーストと言えば、ユダヤ人が虐殺されたことで知られますが、数万から数十万とも言われるロマ人達も虐殺されました。
そして、今日でも続く差別や迫害を考えると、ロマ人達は歴史的に見て最も迫害を受けてきた民族の一つであると言えるのです。
ロマ人をジプシーと呼ぶのは差別に当たる
「ジプシー」という単語には、ロマ人以外の移動型民族も含まれ、また、常に各地や各界を転々とする人を指す単語でもあるため、多くの人は、民族的な差別用語として見なしていないかもしれません。
しかし、「ジプシー」と呼ばれて社会の部外者や犯罪者というレッテルを貼られ、ナチス政権下では肌に「ジプシー」という言葉が刺青または焼きつけらるなどした過去を持つロマ人にとって、「ジプシー」という音葉は非常に強い差別用語に当たります。
そのため、ロマ人は自分たちをジプシーと呼ぶことはなく、またロマ人でない人がロマ人に対して「ジプシー」と使うことは、非常に失礼であり人種差別になるので絶対に控えるべきでしょう。
国を持たないから最低限のサービスさえ受けられない
ロマ人の多くは定住せず、差別の対象になることを恐れて公的な登録もしていないため、生まれた国で市民権やパスポートをもらうことが出来ません。
その結果、法的に透明な存在となってしまうことで、医療サービスや教育などの最低限の公的サービスさえ受けられない状況にいます。
またこのことは同時に、正規の仕事へ就くことも困難にしており、結果、ロマ人の多くは非合法のビジネスやスリなどの犯罪を犯してなんとか生活をしています。
そしてこの状況がまた、ヨーロッパ諸国において注意する対象や、近づいてはならない対象として、忌み嫌われ続けてしまっている悪循環を生み出しています。
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ロマ人(ロマ族)|ジプシーと軽蔑される人々の生活・歴史・特徴のまとめ
ロマ人は主に南ヨーロッパや東ヨーロッパに居住する移住型民族で、ジプシーとして揶揄されることもあります。
そんなロマ人は元々、インド北部に起源を持つと考えられ、その後の長い歴史の中で迫害を受けながらもヨーロッパ文化に影響を与えてきた人々です。
今日でも多くのロマ人は居住が定まらない生活を続けています。