旧約聖書の箱舟伝説で知られるアララト山は、アルメニア人にとって非常に重要。アララト山の基本的な紹介だけでなく、歴史的なことや富士山との比較まで詳しく見ていきます。
アララト山は方舟伝説に出てくる山としても世界的に有名であり、未だに方舟が実際にたどり着いたかどうかを調査する研究がされるほど、神秘的な存在感を放っています。
また、トルコの右隣にある小国アルメニアにとっては、非常に大切な山であり、国家のあり方やそこに住むアルメニア人のアイデンティティに強い影響を与え続けているとさえ言えます。
そんなアララト山について、客観的な情報から神話やノアの方舟伝説に繋がる話、そして、アルメニア人との関係から、たまに話題に上る富士山との比較までを見ていこうと思います。
アララト山とは?
聖なる山として知られるアララト山(アルメニア語:Masis; トルコ語:AğrıDağı; クルド語:ÇiyayeAgiri; アゼリ語:Ağrıdağ)は、アルメニアとの国境に近い現在のトルコ東端部に位置する2つの火山円錐丘(火山噴火によって造られた円錐状の丘)から成る山。
それぞれ標高5,137mを記録する大アララト山と、標高3,896mを記録する小アララト山と呼ばれており、現在のトルコ領土内に存在する山としては最も標高が高い山になります。
また、トルコの東隣にある小国アルメニアとは深い関係にあり、アルメニアの文化や神話、アルメニア人のアイデンティティに強く影響している山としても知られています。
さらに、伝説によるとアララト山は、聖書に出てくる洪水の後にノアの方舟が辿り着いた場所と言われ、世界的にも多くの人が聖なる山として信じています。
アララト山の地理
アララト山は、トルコ南東部に位置するヴァン湖と、アルメニアのセヴァン湖のほぼ中間に位置してアルメニア高地に広がっており、また、アララト平原の南端に位置するため、周囲には気候が温暖な肥沃な農業地帯を作りだしています。
一方、アララト山は現在トルコ領に含まれ、東北側にあるアルメニアの国境まで32km、南東にあるイランの国境まで16kmのところに位置しています。
このような位置関係から、アララト山をシンボルとするアルメニア側でもその大きな存在を日頃から眺めることができ、晴れた日にはおよそ54~55km離れたアルメニアの首都エレバンの中心地からも、このアララト山の荘厳さを感じることができます。
(ホルヴィラップ修道院とアララト山)
さらに、トルコとの国境付近にあるアルメニアのホル・ヴィラップ修道院は、アララト山を眺める絶景ポイントとして、一般人から観光客までが訪れる場所となっています。
アララト山と古代神話と伝説
アララト山は、古代メソポタミア文明に生きた人々にとっても神聖な存在でした。
例えば、メソポタミア文明を担ったシュメール人、アッカド人、アッシリア人は、アララト山のことを神の住む場所としてだけではなく、彼ら自身の文明の源とも捉えていたようです。
これは、メソポタミア文明はチグリス川とユーフラテス川流域に栄えた都市国家文明であり、その川の水はアララト山から流れ出ていたから。
つまり、古代メソポタミアに生きた人々にとって、アララト山は、彼らの土地を肥沃なものにしていたとっても神聖な存在だったのです。
実際、アッシリアの古代文書には、アララト山を「天上の鳥も到達できない場所」として、その神聖さと威厳さを称賛していた記録が残っているとされます。
大洪水とアララト山
また、当時のメソポタミア地域では、度重なる大洪水に人々が悩まされていたことも分かっていますが、その大洪水から生き延びた人々の避難所を見つけた場所がアララト山にあると言われています。
例えば、紀元前3千年紀(紀元前3000年前から2001年前)の古代アッカドの物語では、ウトナピシュティム(Utnapishtim)と呼ばれる男の偉業を描写しています。
ウトナピシュティムは不死になり、彼の船を彼の国の北部で最も高い山々に着陸させて破滅的な洪水から生き延びたと記されています。
また、有名なシュメール人のヒーロー、ギルガメシュは、毎日太陽が昇りかつ沈む場所である「マシュ(Mashu)」と呼ばれる北部に位置する山にたどり着いたとしています。
この物語に出てくる山が具体的にどこの山なのか絶対的なことは言えませんが、アララト山である可能性が高いと考えられます。
ノアの方舟とアララト山
見てきた様に、古代メソポタミア文明に生きた人たちにとって、度重なる洪水から避難して安全を確保できる場所とされていた結果、旧約聖書に出てくる大洪水から逃れたノアの方舟が着陸した山として、アララト山が描写されるようになったのではとされています。
ただ、ノアと大洪水の聖書の話が、いつ、どのようにして最初にアララト山に関連づけられたのかについてはまだ具体的には分かっていません。
言語学者の中には「アララト」とは、当時、アッシリア北部の代表的な古代国家であった「ウラルトゥ(現在のアルメニアとトルコの一部に広がっていた国家)」の変形であると主張する人もいます。
一方で、一部の歴史家は、アルメニアのアラス渓谷にユダヤ人が存在していることから、アララト山とノアの方舟を結び付けていました(※ユダヤ人にとってノアは全ての人類の祖先となった人物)。
さらに、11世紀と12世紀に起こったヨーロッパからの十字軍の到来による、アルメニア人(注1)とヨーロッパの十字軍間の婚姻は、「アララト山はノアの方舟が上陸した場所」だという再評価を加速させたとも言われています。
つまり、ヨーロッパ人が聖地やアルメニアからヨーロッパ大陸に戻ったとき、彼らはアルメニアの中心に位置するアララト山こそ、ノアの方舟が発見される場所だとする主張を強めていったという見解です。
とにもかくにも、アララト山はノアの方舟がたどり着いた最終地点だという話は広く世界中に広がっており、アララト山に関する話として、未だに議論が絶えないトピックでもあります。
(注釈1)アルメニア人の中には、アララト山へ方舟がたどり着いたと信じている人が多い。また、ノアの方舟の一部とされるものが、アルメニアのエチミアジン大聖堂に併設される博物館に展示されている。
アルメニアとアララト山の関係
何千年もの間、アルメニア人はアララト山を国家的、または文化的アイデンティティの象徴として活用してきました。
現在ではトルコ領内に位置しているため、20世紀に起こったアルメニア人虐殺(オスマントルコによってオスマン帝国に住んでいた多くのアルメニア人が強制移住させられ、同時に虐殺させられたとする歴史)に対する深い喪失と悲劇の象徴としてとらえられていますが、それでもアルメニア人は信仰、芸術、伝統が複雑に絡み合っているものとして、アララト山をとらえています。
そのアララト山とアルメニア人の関係をここからは少し見ていきましょう。
古代アルメニア人とアララト山
古代アルメニア人は当時のアルメニア語で「聖なる」と「自由」を意味する山として、アララト山を「Azatn Masis」と呼んでいました。
さらに、王族と貴族の守護神であったカジス(Kajs)は、アララト山に住んでいるとも信じていました。
そして同時に、夜になると太陽が休息する場所だと信じていたため、当時のアルメニア人にとってアララト山は決して登ってはいけない山として考えられており、その信仰は、301年にアルメニアが世界で初めてのキリスト教国となった後もしばらくは変わらなかったとされています。
(※ただし、アルメニアの最初のキリスト教徒の王であるティリダテス3世は、アララト山に登り、8つの新しい教会の基盤となる石を持ち帰ったという伝説がある)
アララト山に関連するアルメニアの神話や伝説
アルメニア人は、アララト山に関連する多くの神話や伝説を持っています。
その多くはキリスト教以前に遡り、ドラゴン、ヘビ、その他爬虫類系の怪物が登場するようなもので、噴火や地震の際にアララト山から噴出した火山の蒸気、灰、黒い水と強く関係しているようです。
また、アルメニア人の歴史家でありアルメニア史の著者でもあるモヴセス・ホレナツは次の様に記しています。
アルメニア人は彼の息子ヤペテを通したノアの直系子孫であり、アルメニアの神秘的な創始者かつ全アルメニア人の祖先であるハイクが、アララト山のかたわらに自分の国を建国した。
この様に、アルメニア人はアララト山と昔から切っても切り離せない人々であるのが分かります。
今日のアルメニア人とアララト山
アララト山は今日であっても、アルメニア人にとっては象徴的なシンボルであることは間違いありません。
例えば、多くの公的団体や、ブランデー(有名なブランデーの一つはAraratと言う)やワインのラベル、チョコレートのラベルなど、様々な名称やロゴなどにアララト山が起用されていることからも分かります。
また、歴史に翻弄された結果、1921年に正式にトルコ領になってしまってからも、アララト山は常にアルメニアの首都エレバンの街を荘厳な佇まいで見下ろしており、そのことがアルメニア人の心の中で、常に精神的なシンボルとして生き続けている理由の一つになっているのではと思います。
ちなみに、アララト山を失ってしまった現在のアルメニアにおいては、エレバンから北西へ40km行った所に位置するアラガツ山(標高4090m)が、国内で最も大きな山になります。
アララト山と富士山
ちなみに、日本のシンボルの一つである富士山とアララト山は、見る角度によっては見分けがつかないほど似ていると良く比較されるので、最後に二つの山の画像を比較として並べておきます。
もしもアルメニアに訪れるのであれば、アララト山と富士山の比較を話題に上げると、アルメニア人と結構話が盛り上がるので知っておくと便利だと思います!
(上はアララト山)
(上は富士山)
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アララト山|方舟やアルメニアとの関係から富士山との比較まで!トルコ領にある神聖な山!のまとめ
方舟伝説で有名で、アルメニア人のシンボルとも言えるアララト山は、絶対に一度はその目で確かめたい山。
もしもアルメニアやトルコを訪れる機会があるのであれば、近くでその荘厳さを感じてみましょう。
ちなみに、2018年現在、アララト山は過激派集団の拠点となっているとされ、トルコ政府によって登山が向こう三年間は禁止されているようです。(※状況が変わることも考えられるため、ご自身でも確認してください)。
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