スヌープ・ドッグの伝説を名言や生い立ちの話を交えながら紹介していきます。スヌープ・ドッグの成功の鍵は、偉大な個性と努力だったようです。
スヌープ・ドッグ(1971年〜)はアメリカ生まれのラッパーで、「ラップ界のキング」とさえ目される他とは一線を画した独特な存在。
ワイルドで辛辣でありながら、愉快で大胆でありながら繊細な心を持つ点がとても魅力的なことで知られます。
君には車や金のアクセサリーを買うお金がないかもしれない。でも自分らしくいることをやめないで。そうすれば変化はやって来る。
これは、スヌープ・ドッグ自身が発した紛れもない言葉で、この言葉の中にスヌープ・ドッグの魅力や信念、そして、その独特な存在感を作り上げた彼の哲学が詰め込まれていると言っても良いでしょう。
人々がスヌープ・ドッグにこれだけ惹かれるのは、彼のユニークな個性と社会の規範に従うことを断固として拒否する姿勢のためではないでしょうか?
スヌープ・ドッグは、他に類のない独特な音楽やエンターテイメント作品をこの世に送り出してきました。
90年代半ばに一躍スターの座に踊り出てから既に20年、彼はのんびりとした雰囲気、思わず笑いを誘う行動の数々、そして天才的な言葉遣いによって、今も強い存在感を放っています。
スヌープ・ドッグがなぜそれほどまで個性的な魅力を兼ね備えるのか、彼の伝説とされる話を名言や生い立ちも交えながらいくつかのポイントにまとめていきます。
スヌープ・ドッグの伝説1:劣悪な環境下で幼少期を過ごした
「カルバン・ブローダス」という本名を持つスヌープ・ドッグの物語は、70年代カリフォルニアのロング・ビーチから始まります。彼は母と兄弟二人と共に育ちます。
幼いころからクールで柔らかい性格が特徴的で、どこか人気漫画「ピーナッツ」のキャラクターである「スヌーピー」を思わせたため、彼の母親は彼を「スヌープ」というあだ名で呼ぶようになりました。
そして彼は後に、そのような穏便で平和的な性格こそが自分のユニークさであることを悟ります。
父親のいない家庭で育ったためか悲しいことにスヌープは、善悪の判断をうまくできない青年に育ち、しばしば悪行に走りました。
学校をさぼるようになり、デートに時間を費やし、さらには万引きやマリファナにも手を出すようになりました。
まるでそれが僕の義務であるかのように、できるだけたくさんの女の子と出かけようとしたものさ。
スヌープ・ドッグは後に、当時の自分をこのように振り返っています。
彼がティーンエージャーになる頃には、ロング・ビーチはドラッグや暴力の巣窟となっていました。
スヌープもその地域のプレッシャーに飲まれ、家を出てギャングの一員として名を挙げることを志したのです。
若きスヌープのラップへの愛はこのような環境の中で育まれました。
ラップは「スラム地区で巣立った黒人少年である彼に自信とプライドを与えるもの」であり、彼のライフスタイルを見事に表現したものだったのです。
スヌープは13歳のころから友人のウォーレン・Gと共にラップを歌い始めます。
実はこのウォーレン・Gは、当時世界で最も活躍していたラッパーの「ドクター・ドレー」の異父兄弟だったのです。
スヌープは当時からすでに才能に溢れていましたが、音楽界にデビューするためのスキルと自信は持ち合わせていませんでした。
スヌープ・ドッグの伝説2:自分という人間に夢中になること
ラップは好きだったものの毎日を生き抜くためにはお金が必要だと悟ったスヌープは、「Rollin’ 20 Crips Gang」と呼ばれるギャング団に加わり、コカインを売るディーラーとなります。
個性を生かし、ラップの才能を追求するのではなく、当時の貧しい黒人青年としては典型的な選択肢であった「ギャングになる」道を選んだのです。
ロング・ビーチのポリテクニック高校から卒業する数日前、スヌープは学校が嫌いであることを見せつけ、わざと退学になるような行動に出ます。
ある朝、俺はできる限り大きなブラント(マリファナたばこのこと)を作り、それを口に加えて教室に入ったんだ。
この事件の結果、スヌープは逮捕されますが、それはその後、何度も繰り返される逮捕歴の始まりに過ぎませんでした。
ラップへの愛が衰えることはなかったものの、スヌープは「ラップで成功できるわけなんかない」と考えて野望を追求することなく、少しずつ悪のスパイラルにはまっていきました。
変化が訪れたのは1988年のことです。
ウォーレン・Gの度重なる説得に押され、スヌープ、ウォーレン、そして知り合いネート・ドッグの3人はとあるパーティーでラップを披露することになったのです。
そのショーは大成功をおさめ、スヌープの独特なゆっくりとしたスタイルは注目を集めました。
その後何週間にも渡り、スヌープは友人だけでなく全く知らない人からも褒めの言葉をもらったと言います。
そして、この経験が彼の人生のターニングポイントになったとスヌープ・ドッグは後に振り替えっています。
「ギャングであること以外に自分には何らかの他の才能があるのではないか」と考えるようになったというのです。
自伝において彼は、
自分という人間に夢中になった。そしておそらく人生ではじめて、自分の使命を理解できたような気がしたんだ。
と語っています。
スヌープはようやく自分の人生の目的を理解し、彼の霧に包まれたような性格を適切に反映したメロウなラップスタイルを見つけたのです。
これを使えば、もしかしたらスラムを抜け出し、それだけでなく「ラップ界に革命をもたらすことすらできるのではないか?」と考えるようになりました。
次のステップは明確でした。
それは、「世界に自分の個性を見せつけること」でした。
スヌープ・ドッグの伝説3:たった数ヶ月でラップ界を席巻した
ラップの道に進むことを決心したスヌープは、ウォーレン・Gとネート・ドッグと共に「213」という名のラップグループを結成します。
活動を始めて少し経った頃、彼らはウォーレンの異父兄弟であるドクター・ドレーがパーティー用に集めたテープの中に、自分たちの録音テープを忍び込ませることに成功します。
そして、これがドクター・ドレーの目に留まります。
(ドクター・ドレー)
スヌープの才能に感動した結果、ドクター・ドレーはスヌープに対して一緒に活動しないかと誘ったのです。
1992年、ドクター・ドレーはアルバム「ザ・クロニック」をリリース。
この中の数曲に、スヌープは「スヌープ・ドギー・ドッグ」という名前で参加していました。
単なるフィーチャーに過ぎず、当時全く無名だったにも関わらず、スヌープ・ドッグはたちまち注目の的となったのです。
翌年、ドクター・ドレーの助けを借りてスヌープは自身初のソロアルバム「ドギースタイル」をリリース。
このアルバムはビルボードで1位を記録する大ヒットとなり、スヌープのクリエイティブな才能を世界に見せつけたのでした。
スヌープ・ドッグは90年代のラップ界を席巻しました。
スヌープが無名のギャングから世界的なスターとなるまでに要した時間は、1992年のほんの数ヶ月だけだったのです。
スヌープ・ドッグの伝説4:唯一大事なのは個性を磨くことだ!
世界中で何百万という人に愛されているスヌープ・ドッグは、成功したスターになるために大事な1つのことを、何度もはっきりと述べ続けています。
それは、「自分にしかない独特なキャラクターを見つけ、それを極めること」です。
彼のヒット曲の中には、しばしば自分らしくあることの重要性を歌ったメッセージが込められています。
スヌープ・ドッグが世界的な有名人に上り詰めたのも、まさにこのメッセージの通り、彼だけのユニークなギフトを発見したからなのです。
周りの人から真似されるような存在になること。そのためには、自分にしかできないオリジナルな何かを見つけなきゃいけない。
「オリジナリティにはどこか魅了されずにはいられない、ミステリアスな力がある」ことをスヌープ・ドッグは証明しています。
スヌープ・ドッグは何をしても独特なオーラを放ち、力強い魔法と魅力を持っています。
磁石のように人を引き付ける力を持っているからこそ、スヌープ・ドッグは数々の困難を乗り越え、現在の才能あふれるスターへと成長できたのです。
このことはこれからの「個の時代」と言われる時代において、重要な教えなのかもしれません。
スヌープ・ドッグの伝説5:ラップ以外の世界にも大きく羽ばたいた
21世紀になり、自伝が出版された後、スヌープ・ドッグは演技にも挑戦するようになります。
彼のユーモラスでユニークな存在は映画やテレビ界でも重宝されました。
ラップの世界を超えて多彩なエンターテイナーとして活動するようになったのです。
今日でも彼は一切衰えを見せてはいません。
何をするにしても、スヌープのチルな姿勢と愉快なあり方は人々に愛されています。
スヌープ・ドッグの伝説6:努力+自分だけの独特な何か
1992年、ほんの数ヶ月の間にスヌープは無名のギャングから世界的なスターとなりました。
1988年のショーで自分の才能を発見していなければ、ドクター・ドレーの目に留まることも、ラップ界に革命をもたらすこともなかったでしょう。
あの時、何時間も内省の時間を過ごし、自分だけのスキルを磨くこと、自分らしい道を歩むこと、そして自分の個性を輝かせることの重要性に気が付いたからこそ、今のスヌープ・ドッグがあるのです。
スヌープは自分が信じる真理を以下の名言で表現しています。
俺には俺だけのアプローチがある。それは100%俺のものだ。真似されることはよくあるけれど、第二の俺になった人は誰もいない。
スヌープ・ドッグのメッセージは明確です。
単に努力するだけでは成功することはできません。重要なのは、自分だけの独特な何かを提示することなのです。
スヌープの人生から学べることはたくさんあります。
そして、それらは以下のポイントでまとめることが出来ます。
- 何をするにしても、自分らしさを忘れないこと
- そしてその自分らしさを磨くこと
- 偉大な人物をコピーするのではなく、ありのままの自分を受け入れ自分だけの声で歌うこと
これこそが、スヌープ・ドッグの成功の鍵なのです。
俺が耳にしたアドバイスの中で、一番役に立ったのは「自分であれ」というものだ。ありのままの自分を信じ、自分の個性を守り抜け。そうすれば成功できる。
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スヌープ・ドッグの伝説と名言:偉大な個性と努力が成功の鍵のまとめ
スヌープ・ドッグの伝説を、名言や生い立ちから見てきました。
一見するとやんちゃなラッパーといったイメージがあるスヌープ・ドッグですが、その生き方や考え方からは、非常の多くの学びがあります。