ジッグラト|古代メソポタミアの宗教的な聖塔でウルの物は現存する

ジッグラトは古代メソポタミアに出現した都市国家において、重要な役割を担ったとされる宗教的な聖塔です。現在もかつての古代都市「ウル」があった場所などには、ジッグラトの一部が残されています。

世界四大文明に含まれるメソポタミア文明は、紀元前3500年頃から紀元前4世紀頃まで続いた古代文明の一つで、初期の時代においてはシュメール人による都市国家が数多く出現しました。

そして、そのメソポタミア文明の都市国家には、中心的な存在となっていた建築物が存在していました。

その名も「ジッグラト」。

ジッグラトは古代メソポタミア時代に建造された巨大な「神殿」や「聖塔」で、完全には解明されていないものの、宗教的な役割を中心に、都市国家を運営するにあたっていくつかの重要な役割を持っていたと考えられています。

また、そのような理由からジッグラトは、メソポタミア文明を理解する上ではとても大切なのです。

この記事では、古代メソポタミア時代に存在した建造物「ジッグラト」について、詳しく見ていこうと思います。

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ジッグラトとは?

ジッグラトまたはジグラート(Ziggurat)とは、古代メソポタミアにおいて建設されていた超巨大な聖塔

高い峰」や「高い所」を意味する言葉であったことからも分かる通り、ジッグラトは何層かに積み重なる山形をした建造物で、シュメール人が支配した様々な地域で紀元前3000年期から建設が始まったとされます。

言ってみれば、「古代エジプト」と言われて多くの人が思い浮かべるのは「巨大ピラミッド」であるように、古代メソポタミアを象徴する建造物がジッグラトであり、ピラミットに引けを取らないくらい立派な建造物だったのです。

ジッグラトが作られた目的

複数ある階層(例えばウルのジッグラトは三層構造であった)のそれぞれが、どういった目的で作られたのかについて、未だに解明されていない部分が多いものの、各階は異なった目的や活動のために作られたのではないかと考えられています。

例えば、

  • 下層階は社会的・商業的コミュニケーションの場として使われて、上層階は司祭の中でもごく限られた者が、神とコミュニケーションをとるために使われた場所だったのではないか

という説です。

また、頂上に神殿が備えられ、地上には神殿や神殿群が付属した「神が訪れる山、つまりジッグラトを人工的に作ることで、

  • ジッグラトが建設された各都市国家の神を祀り、神に対しての献身を現していた

という主張は、ジッズグラト建設の目的として最も一般的に受け入れられています。

そしてこの主張によると、各諸都市にいた司祭は宗教的儀式をこのジッグラトで行い、また建設にあたっては、神がいる天上界に近づけるため、出来る限り高く作ろうとしたのではないかと考えられているのです。

さらに、ジッグラトは古代メソポタミアの各都市の中心でもありました。

中庭付きの住宅や倉庫、その他にも国を治めるのに必要な設備がジッグラトを囲むように建設され、ジッグラトではその都市に関する管理・行政業務が行われていたとも考えられています。

ジッグラトの形や規模感

ジッグラトの形

ジッグラトの基盤部分は正方形長方形で形成されていて、日干しレンガを用いて建築されていました。

そして、古代エジプトに建てられたピラミットと異なることとして、ジッグラトには階段が整備されていて、人々が上層階まで行くことができるようにデザインされていた点が挙げられます。

また、その階段構造も、通常の階段だけでなく、段によっては庭があったものや、螺旋状の階段が頂上まで続いていたジッグラトも存在したのではないかと言われます。

なかでも、螺旋状階段のジッグラトが7世紀頃にこの地に入植してきたアラブ人にインスピレーションを与え、それが、現在のイラクのサーマッラーにある「マルウィーヤ・ミナレット」というイスラム教寺院の尖塔の建設に、繋がったのではないかという考えが存在するのです。

(マルウィーヤ・ミナレット)

当時としては非常に高い建造物だった

また、古代エジプトの巨大ピラミッドには及ばないものの、現存するジッグラトの一部から、当時としてはとても高い建造物であったことが解っています。

古代の記録には、バビロン(メソポタミアの古代都市でイラクのバグダード南方約90kmの地点に広がる)に建造された巨大建造物が記載されており、これはジッグラトではないかと推測されています。

そして、底面は約91m×91mで、その高さは高さ90メートルに達し、7階層に分かれていたようなのです。

誰がジッグラトを建造したのか?

現代のイラクのほとんど、クウェート、サウジアラビア北部の一部、シリア東部、トルコの南東部にまたがるメソポタミア地域では、紀元前4900年頃、メソポタミア南部に古代都市「エリドゥ」が現れ、それと同時に神殿の建設が始まったと言われます。

この時、メソポタミアに住んでいたのは紀元前5500年頃から同地に住み始めたとされる先住民「ウバイド人」で、彼らが建築した段型の神殿は、初期のジッグラトといくつかの共通点があるとされます。

そして、この地に紀元前4000年頃からシュメール人が登場すると、彼らによって都市国家が形成されていき、時が経つにつれて巨大化していった神殿は、紀元前3000年期の前半にジッグラトとして現れたと考えられるのです。

今でも現存するジッグラトをいくつか紹介

古代メソポタミア時代には多く建てられたジッグラットも、その長い歴史の中で、ほとんどが倒壊または破壊されてしまいました。

例えば、ジッグラトの中でも最も有名だった、巨大な「バビロンのジッグラト」は、紀元前330年にアレキサンダー大王がバビロニア(現代のイラク南部でチグリス川とユーフラテス川下流の一帯を指す歴史な地域)の地へやってきた時には、すでに廃墟となっていと言われます。

しかし、中には修復や再建によって、現代まで一部が残っているジッグラトも存在します。

ここでは、そんな現存するジッグラトを2つ紹介していこうと思います。

ウルのジッグラト

メソポタミア南部に存在した古代の大都市「ウル(現在のイラク領ジーカール県ナーシリーヤ近郊)」では、紀元前2100年頃に巨大なジグラットが建設されました

1922年に、残っていたジッグラトの下層部が発見され、その大きさは底面が「62.5m × 43m」で3層となり、研究者によると全体の高さは30m以上で、その最上部には月の神「ナンナ」を祀る神殿があったとされます。

ただし、現存していたのは下層部だけであったため、全体の高さはあくまで推測であり正確には分かっていません。

また、ウルのジッグラトの第一層の外観と、巨大な階段構造は1985年、当時のイラクの指導者「サダム・フセイン」の命令で修復・再建されています。

チョガ・ザンビールのジッグラト

チョガ・ザンビールは、紀元前1250年頃に、古代エラム人がスーサ(現在のイラン南西部にあるフーゼスターン州に存在した古代都市)に作った複合遺跡。

この複合遺跡は3つのエリアに分かれ、その最も内側には、スーサの守護神である「インシュシナク」へ捧げるためのジッグラト(チョガ・ザンビールのジッグラト)が建設されました

現存する下層部の高さは24.75mしかないものの、元々は5階層に分かれ、また、その高さは53m近くあったと考えられています。

ちなみに、20世紀に行われた考古学調査によって、この複合遺跡の全貌とジッグラトの保存が良い状態にあることが判明すると、1979年にはイランで初の世界遺産(文化遺産)として認められました

その他にもジッグラトに関して知っておきたい2つの豆知識

古代メソポタミアの聖塔「ジッグラト」について、基本的なことから現存する遺跡までを紹介してきましたが、最後にその他にも知っておくと良さそうな、2つの豆知識を紹介しておきます。

ジッグラトが日干しレンガで作られた理由

ジッグラトは、古代エジプトのピラミッドと異なり、石ではなく泥をベースにした粘土を形成し、そして天日乾燥させた日干しレンガを基に建設されたのが一つの特徴。

なぜ、古代メソポタミアの人々が石ではなく日干しレンガを作ったかについて、本当の理由は分かりませんが、次のような仮説が成り立ちます。

  1. メソポタミアはチグリス川とユーフラテス川の2つの川に挟まれた流域に位置する
  2. 川の流域では巨大な建築物に使える十分な大きさの石を見つけるのが難しい
  3. その結果、日干しレンガを使って建造物を作る技術を高めていったのではないか

実際に、メソポタミアは泥しかない土地だと言われるほど、泥が周りに溢れていたため、その天然資源を建築物へ使うことは自然な流れだったと言えるかと思います。

バベルの塔のモデルはジッグラトだった!?

バベルの塔と言えば、旧約聖書の創世記に出てくる巨大な塔ですが、このバベルの塔のモデルとなったのがジッグラトだったのではないかという説があります。

というのも、「バベルの塔」という言葉を分解していくと、「バベル」と「塔」は、次のように説明出来るから。

  • バベル(Babel)
    • バビロンの旧約聖書におけるヘブライ語表記
    • 「高い所」・「高い峰」⇒ つまり「塔」を表現してもおかしくない

そのため、バビロン(バベル)に建設され、7階層で90mを超す高さがあったと言われるエ・テメン・アン・キ」のジッグラト(塔)が、バベルの塔のモデルとなったと考えられているのです。

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ジッグラト|古代メソポタミアの宗教的な聖塔でウルの物は現存するのまとめ

古代建造物であるジグラットは、古代において、メソポタミア地域の各地で建造されました。

その建設目的や用途などに関して、全貌が解明されているとは言い難いですが、基本的にな神を祀るための宗教的な利用目的を中心に建設され、また、都市運営に関しても重要な役割を持っていたのでないかと推測されています。

そして、長い年月の間に多くは倒壊し、または破壊されてしまったものの、ウルのジッグラットを始め、ジッグラットのいくつかは、未だに一部を残して現代に存在しているのです。

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