スペインの有名人を14人ピックアップして紹介していきます。歴史的に知られる画家や王を始め、現代に活躍する俳優やスポーツ選手までを見ていきましょう。
一時期は世界中に広大な領土を持ったことで「太陽の沈まない国」と形容されたスペイン帝国を築くなど、歴史の中で大きな存在感を示してきたスペインは、世界へ多大な影響を与えてきました。
そしてそれは同時に、数多くの文化的作品に加えて、世界へ影響を与える人々が多くスペインから輩出されてきたということでもあります。
スペインが誇る有名人には、どのような人物達が含まれるのか?
歴史的に知られるスペイン人から、現在を生きる有名なスペイン人までを14人ピックアップして紹介していきます。
- スペインの有名人1:エル・シッド
- スペインの有名人2&3:イザベル1世とフェルナンド2世
- スペインの有名人4:エルナン・コルテス
- スペインの有名人5:ミゲル・デ・セルバンテス
- スペインの有名人6:ディエゴ・ベラスケス
- スペインの有名人7:アントニ・ガウディ
- スペインの有名人8:パブロ・ピカソ
- スペインの有名人9:サルバドール・ダリ
- スペインの有名人10:ホセ・カレーラス
- スペインの有名人11:ぺネロペ・クルス
- スペインの有名人12:アンドレス・イニエスタ
- スペインの有名人13:ラファエル・ナダル
- スペインの有名人14:クララ・アロンソ
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- スペインの有名人一覧!歴史的な画家や王から俳優やスポーツ選手までのまとめ
スペインの有名人1:エル・シッド
エル・シッド(1045年頃〜1099年)は、全時代を通したスペインの戦争の英雄。
彼はスペインの下級貴族の息子として生まれ、初代カスティーリャ王でありレオン王であるフェルナンド1世の宮廷で育ちました。
そして、エル・シッドはスペインの皇太子サンチョ(後のカスティーリャ王国並びにレオン王国の王)に仕えることにより、その地位を上げて行き、1065年にサンチョが王として即位した時、エル・シッドは軍の指揮官となりました。
その後は、イベリア半島をイスラム教徒達の手からキリスト教カトリック国の手に取り返すためのレコンキスタで何度も戦い、そこでの勇敢な姿によって英雄的な地位を得ることになったのです。
また、12世紀後半頃には、エル・シッドに関する英雄叙事詩「わがシッドの歌」が描かれたことで、エル・シッドの英雄としての姿がさらに強化されることとなりました。
スペインの有名人2&3:イザベル1世とフェルナンド2世
(出典:wikipedia)
この二人の君主はスペインの基礎を築いた歴史的人物と言われており、彼らについて語る上では二人を分けて考えることは出来ません。
アラゴン王フェルナンド2世(1452〜1516年)と、カスティーリャ女王イザベル1世(1451〜1504年)は1469年に結婚し、彼らの子孫の下で、複数の君主国の君主が同一人物である「同君連合」としてスペイン王国が成立したのです。
さらに、二人はどちらともキリスト教カトリックの信奉者で、イベリア半島を再びカトリック国家の手に再奪取する「レコンキスタ」を完遂させた実績から、カトリック両王と呼ばれました。
このように、二人は世界でスペインが侮れない存在となる上で多大なる貢献をしてきたのです。
また、クリストファー・コロンブスの大航海事業に対して資金を提供したことでも有名です。
これによってコロンブスはアメリカ大陸を発見し、現在のアメリカ大陸の情勢が作られていくこととなりました。
スペインの有名人4:エルナン・コルテス
エルナン・コルテス(1485〜1547年)はスペイン人の探検家で、現在のメキシコの中央部に存在したアステカ帝国を征服したことで良く知られるコンキスタドール(スペインのアメリカ大陸征服者)。
彼はイギリス、スペイン、フランス、そしてポルトガルなどのヨーロッパ勢力による、アメリカ大陸植民地化の道を切り開いたと考えられています。
一方で、現在でこそコルテスの実績はスペインや世界中で有名ですが、生きている当時、彼はスペインで一般的に人気のある人物ではありませんでした。
1541年にスペインに帰国した時、コルテスは借金と露骨な権力の乱用で、次々と訴訟を起こされる事になったからです。
探検家として、またコンキスタドールとして大きな財を成したものの、晩年、彼は大金持ちから借金まみれへと堕ちてしまったのです。
スペインの有名人5:ミゲル・デ・セルバンテス
ミゲル・デ・セルバンテス(1547〜1616年)は16世紀から17世紀に生きたスペインの作家で、間違いなくスペインの歴史上で最も有名な文豪の一人です。
彼は多作な小説家、詩人、そして劇作家で、数々の作品を遺してきましたが、最も有名で不朽の名作として「ドン・キホーテ」があります。
ドン・キホーテは、ヨーロッパの近代文学の最初の作品と評されることもある作品で、2002年5月8日には、ノーベル研究所と愛書家団体によって、「史上最高の文学百選」で1位を獲得したと発表されたこともあります。
また、その他の作品も含め、ミゲル・デ・セルバンテスが世に送り出した文学作品は、スペイン文学だけでなく、言語そのものに磨きをかけたと考えられています。
スペインの有名人6:ディエゴ・ベラスケス
1599年から1660年まで生きたディエゴ・ベラスケスは、スペインの歴史において有名な画家の一人で、当時ヨーロッパに広まっていたバロック様式の絵画をいくつも世に送り出した人物。
また、スペイン絵画の黄金時代とも言われる17世紀において実力が飛び抜けていたことから、17世紀を代表するスペイン絵画の巨匠と言われます。
なかでも「ラス・メニーナス」と呼ばれる作品は、ベラスケスの最高傑作と言われ、西洋美術史における重要作品であると同時に、19世紀の画家トーマス・ローレンスには「芸術の原理」と評されたことがあるほどです。
スペインの有名人7:アントニ・ガウディ
世界的に有名な建築家アントニ・ガウディ(1852〜1926年)は、無比の輝きを放つデザインを作り出した歴史的に有名なスペイン人。
非常に多くの建築作品を残してきており、そのうち7つは世界遺産にも認められ「アントニ・ガウディの作品群」として知られています。
中でも代表的なプロジェクト「サグラダ・ファミリア」は、誰もが知る歴史的な作品であり、スペイン国内で最も人が訪れる観光名所の一つ。
1882年に工事が着工してから現在も建設が続いており、その完成はもう少し未来になるとされる、非常に壮大な歴史的建築物です。
スペインの有名人8:パブロ・ピカソ
スペイン生まれのパブロ・ピカソ(1881〜1973年)は、フランスでの制作活動中に数多くの優れた作品を残した画家であり彫刻家で、20世紀の画家としては最も偉大な一人として広く知られている人物。
生涯において約13,500点の油絵と素描、100,000点の版画、34,000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、この記録はギネスブックにも登録されているほど。
中でも、一番の大作であろう「ゲルニカ」の作者として、ピカソは世界中の何百万人もの人に知られています。
また、彼は絵画や彫刻へのキュビスム(20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創始され、多くの追随者を生んだ現代美術の大きな動向)の手法の採用を提議した人物として影響力がありました。
ピカソの遺した作品は今でも生きており、マラガ(ピカソの故郷)、パリ、そしてバルセロナなどの都市にある、いくつかの美術館に不朽の名作として貯蔵され、彼の名前や功績が称えられています。
スペインの有名人9:サルバドール・ダリ
1904年にスペインのカタルーニャ地方で生まれたサルバドール・ダリ(1904〜1989年)は、その個性的で派手やかな技法で知られるスペインの歴史的な画家。
ダリの作品はキュビスムとシュルレアリスム(現実を無視したかのような世界を絵画や文学で描き、独特の非現実感をもたらす不思議な特徴を持つ)に非常に強い影響を受けているのが特徴です。
彫刻や版画などと共に、1500点をゆうに超える絵画の作品を作り出してきており、中でも「記憶の固執」と名付けれた作品は最も有名でしょう。
ちなみに、ある時を境にダリは口ひげを上にピンと持ち上げた独特なスタイルを維持するようになりましたが、この口ひげは「水あめ」で固めていると主張していました。
スペインの有名人10:ホセ・カレーラス
ホセ・カレーラス(1946年〜)は、世界的に有名なオペラ歌手。
特にプッチーニやヴェルディの作品への出演で多くの人に知られており、テノール歌手としては2000年代まで三大テノール歌手の一人として知られていました(※三大テノールの一人パヴァロッティが2007年に亡くなってしまったため、三大テノールとは呼ばれなくなった)。
ホセ・カレーラスが一躍有名になったのは、1990年代に三大テノールの一人としてスペイン人のプラシド・ドミンゴ、イタリア人のルチアーノ・パヴァロッティと共にパフォーマンスをしたのがきっかけです。
また、ステージ上でのパフォーマンスだけではなく、慈善活動についても良く知られています。
例えば、カレーラスは自らも経験した白血病や、そのための骨髄提供者の登録に関する慈善事業として「ホセ・カレーラス国際白血病財団」を1988年に立ち上げており、その運営は順調に進んでいるようです。
スペインの有名人11:ぺネロペ・クルス
ぺネロペ・クルス(1974年〜)は、スペイン出身の世界的に有名な女優。
おそらくスペイン出身の俳優または女優としては、最も名前が知られている人物でしょう。
彼女の女優としてのキャリアは2000年前後には既に輝かしいものでしたが、それが頂点に達したのが、2008年の大ヒット作「それでも恋するバルセロナ」でアカデミー助演女優賞(オスカー)を受賞した時。
彼女はスペイン人の女優としては初めてオスカーを手にし、そしてハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム(ハリウッド大通りとヴァイン通り沿いの歩道のことで、有名人の名前が掘られた星型のプレートが多く埋め込まれている)に星を飾ったのです。
ぺネロペ・クルスはまた、チャリティー活動を行っていることでも広く知られており、過去にはウガンダやインドに赴いたり、発展途上国に対する必要物資の支援をしています。
また彼女は、1998年に公開された映画「ハイロー・カントリー」で得た出演料を全て、マザー・テレサのチャリティー団体に寄付していたりします。
スペインの有名人12:アンドレス・イニエスタ
アンドレス・イニエスタ(1984年〜)は、スペインのサッカー史上で最も優れた選手と言われることもある有名なサッカー選手。
その実績から現地では「ドン・アンドレス」と呼ばれることもあるほどで、2010年のワールドカップでは中心的な役割をしたのに加えて、決勝のオランダ戦で決勝ゴールを挙げてスペインを初優勝に導くなど、歴史に大きく名前を刻みました。
また、生涯のほとんどにおいてFCバルセロナでプレーしていたものの、2018年4月に退団し、日本のヴィッセル神戸へ移籍したことで世界を驚かせました。
スペインの有名人13:ラファエル・ナダル
ラファエル・ナダル(1986年〜)は、過去に世界ランク1位になったこともあるスペイン人のテニスプレーヤー。
クレーコートで行われる同世代の選手たちとの試合で、その勝率が型破りだった(クレーコート最高勝率、81連勝、50セット連続奪取など)ことから、ナダルは「クレーコートの王(キング・オブ・クレー)」として良く知られています。
事実、多くのスポーツジャーナリストや専門家はナダルを、クレーコート上の史上最も優れたテニスプレーヤーであると評価しています。
現時点(2019年5月時点)での、テニス四大大会「グランドスラム」の通算優勝回数は合計17回で、2008年に出場した北京オリンピックでは、男子シングルスで金メダル、そして2016年に出場したリオデジャネイロオリンピックでは男子ダブルスで金メダルを獲得。
選手生活の中でオリンピックでの金メダルに加えて4大大会を制する「キャリアゴールデンスラム」を、史上最年少で達成している超天才プレーヤーです。
スペインの有名人14:クララ・アロンソ
クララ・アロンソ(1987年〜)は、スペイン出身のファッションモデルで、スペイン人としてはこれまで最も活躍しているトップモデル。
スペイン人モデルは彼女の前に2人しか参加したことがない、女性モデルであれば誰もが羨むヴィクトリアズシークレットのファッションショーへ、1999年から2008年まで参加し、他にも様々なショーへ参加してきました。
また、GUESSやArmaniといった、数多くの国際ブランドの広告塔として活躍してきています。
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スペインの有名人一覧!歴史的な画家や王から俳優やスポーツ選手までのまとめ
スペインは近現代において、間違えなく世界の中で最も主要で影響力のある国家の一つとなってきました。
そして、そのような歴史を抱えるスペインからは、これまで多くの有名人が輩出され、また現在でも多くの有名人が活躍しています。