スフィンクスの謎|ギザの大スフィンクスにまつわるピラミッドにも劣らない歴史的ミステリー!

スフィンクスの謎に迫っていきましょう。エジプトのピラミッドの近くにあって同じように有名な、ギザの大スフィンクスに関する歴史的なミステリーを紹介していきます。

エジプトのピラミッドのそばに建造されているギザの大スフィンクスには、いつでもミステリアスな雰囲気が漂っています。

いつ、何の目的で、どのような方法で建造されたのか?

他にも、隠し通路や隠し部屋の存在、その外見に関する疑問などについて、様々な憶測を呼び謎に包まれたままになっています。

この記事では、そんなギザの大スフィンクスに関して未だに残る謎をいくつかピックアップして紹介していきたいと思います。

まずは、ギザの大スフィンクスに関する基本的な知識を確認することから始め、それぞれの謎に迫っていきましょう。

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そもそもギザの大スフィンクスとは何だ?

 ギザの大スフィンクスは、登る太陽と向き合うかたちで、ナイル川の西岸、直線距離でカイロの西約10kmにあるギザ台地に位置しているスフィンクスの石像。

スフィンクスとは、エジプト神話やギリシャ神話、メソポタミア神話などに登場するライオンの身体と人間の顔を持った神聖な存在あるいは怪物です。

ギザの大ピラミッド(クフ王のピラミッド)、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッドの三大ピラミッドからほど近い、ファラオの御膝元であった古代都市メンフィスの共同墓地に鎮座しており、後のエジプト王たちは、スフィンクスを「ホル・エム・アケト」と呼び、太陽神の化身として崇拝しました。

ギザの大スフィンクスは、現存する古代遺跡の彫像としては最大のもので、全長73.5m、全高20m、全幅19m

鼻やあごヒゲの部分(※あごヒゲ部分は現在、大英博物館にて展示公開されている)が破損しているなど、何千年にも及ぶ浸食や一部は破壊行為の影響で損傷が著しいものの、今もなお、片耳の近くに色痕を見ることが出来ます。

例えば、スフィンクスの顔は元々、濃紅色で塗られていたようで、身体は青や黄色だった可能性が示唆され、もっとカラフルだったようなのです。

一方で、建造されてから非常に長い時間が経つのにも関わらず完全崩壊を免れているのは、建造されてからほとんどの期間、砂漠の砂の中に埋没していたから。

それに加えて、紀元前1400年当時のファラオ「トトメス4世」主導の修復に始まり、何千年にもわたってこのギザの大スフィンクスを保存しようとする様々な試みがなされてきたのも理由です。

スフィンクスに関する歴史的な謎を追っていこう!

そんなギザの大スフィンクスですが、この石像に関しては様々な謎が存在するのも確かです。

ここからは、この記事の主題である「スフィンクスに関する歴史的な謎」について、フォーカスしていきたいと思います。

スフィンクスの謎① 誰を表しているのか?

スフィンクスの謎として一般的にも浮上する問いが、「スフィンクスは誰なのか?」または「誰を表しているのか?」というのも。

この点に関して一般的に支持されているのは、紀元前2540年頃、第4王朝のファラオ「カフラー王」が、カフラー王のピラミッド建造に併せて「石灰岩を削ってライオンの体と自身の顔をもつスフィンクスを掘らせた」という説。

しかし、カフラー王とスフィンクスとを結びつけるような歴史的な記述は見当たらず、スフィンクスの建造について史実の記録が存在しないため、ギザの大スフィンクスが「誰によって作られたものなのか」そして「誰を表しているのか」に関して、確実なことは謎のままなのです。

また1996年、ニューヨークの識別鑑定の専門家が、ギザの大スフィンクスの顔立ちとカフラー王の顔立ちと言われているものとが一致しないとの結論を出し、一方でカフラー王の兄の「ジェドエフラー王の方がスフィンクスの顔に似ている」と主張し、議論を巻き起こしました。

加えて、大スフィンクスに関する謎として「頭と体の釣り合いがとれていない」点も挙げられます。

そして、このことが示唆する可能性として、

  • 最初の顔立ちが作られた後、後継のファラオたちによって、頭部が幾度も彫り直された

という説があるのです。

おそらく、元々の頭部は鷹か何かの形をしており、後になって人の顔の形に彫り直されたのではないかといった説であり、何千年にも渡って損傷を受けた頭部を様々な形で修復したことによって、頭部が小さくなり、頭と体のバランスが変化してしまったということらしいです。

とにかく、「スフィンクスが誰を表しているのか?」という点については多くの謎が残されたままなのです。

スフィンクスの謎② 建造年代

ギザの大スフィンクスの建造年代に関しても、活発な議論が沸き起こっているなど、謎に包まれていると言えるでしょう。

まず一つの仮説として浮上しているのが、ギザの大スフィンクスは紀元前7000頃に建造されたのではないかというもの。

これは、ギザの大スフィンクスの風化パターンが「風や砂によるというよりも、水による浸食と一致する」という発見を基に導かれた説で、今日のエジプトは乾燥地ですが、約1万年前の大昔、エジプトの地は「湿地であり降水量の多い土地」だったという説と併せて主張されています。

しかし、この主張については、

  • エジプトの地ではスフィンクスが建造された時代よりはるか昔に、大豪雨に見舞われることはなくなっていた
  • 水による浸食痕がギザ台地では他にどこにも発見されていない

といったことなどを理由に批判されています。

また、別の仮説では「紀元前10500年頃に建設された」というものも存在します。

この説は、大スフィンクスと近くにあるピラミッド、そして古代文字による記録が、オリオン座に関連した星図のようなものを構成しているという主張を基にしており、それによると、

  • この仮説上の星図が、紀元前10500年当時の星座の位置と完全に一致する

らしく、それによって、大スフィンクスの建造年代がさらに古い時代へと遡ることとなったのです。

しかし、紀元前10500年当時の考古学的遺物が同地域から何一つとして発掘されていないことから、この主張も反論されることとなりました。

よって、現在は先述したように、古代エジプト第4王朝のカフラーの命令によってカフラー王のピラミッドと一緒に、紀元前2500年頃に作られたという説が最も有力視されていますが、確実な結論には達しておらず、未だにスフィンクスがいつ建造されたかについては謎が残ります。

また、カフラー王時代以外の説の場合、「誰が」ギザの大スフィンクスを建造したのかの謎も残ることになります。

スフィンクスの謎③ 古代エジプト最古のスフィンクスはどれなのか?

ギザの大スフィンクスは古代エジプトを象徴する石像であり、エジプトのスフィンクスと言えばこの石像を指すことがほとんどですが、実は他にも古代エジプトで作られたスフィンクス像は存在します

ヘテプヘレス2世のスフィンクス像出典:wikipedia

そのスフィンクス像とは、カフラー王の異母兄弟であるジェドエフラーのスフィンクス像と、姉にあたるヘテプヘレス2世のスフィンクス像とされるもの。

ギザの大スフィンクスがカフラー王の時代に作られたとしたら、この2体の像はそれよりも以前に作られた可能性も考えられ、古代エジプト最古のスフィンクス建造がどれなのかについて謎が残っているのです。

もちろん上で述べたように、ギザの大スフィンクスが紀元前7000年かそれ以前に建造されたのであるならば、ほぼ確実に最古のスフィンクス像となりますが・・・。

スフィンクスの謎④ 隠し通路や隠し部屋の存在?

ギザの大スフィンクスに関する謎として、「隠し通路(?)」が存在している点も挙げられるでしょう。

過去、フロリダ州立大学、早稲田大学、ボストン大学の調査団は、大スフィンクスの周囲付近に、自然の産物である可能性はあるものの、幾つかの矛盾点を発見

1995年には、近隣の駐車場の補修工事を行っていた作業員が、一連のトンネルや通路を発見し、そのうち2つは大スフィンクスに近い地下へとさらに伸びていました

そして、この通路はギザの大スフィンクスが作られた時と同じ時期に作られたという主張があり、「一体何のための通路なのか?」また「そもそも通路なのか?」などについて謎が残ったままになっているのです。

一方で、別の調査チームは、大スフィンクスの両足の間と体部分の片側にのみ、地下数メートルに、空洞で規則的な形状の「空間」あるいは「隠し部屋」のような、謎めいたものが存在していることを発見しました。

しかし、エジプト政府によって禁止されているため、それ以上の詳しいことは今のところ明らかになっておらず、「通路」との関係などを含めて謎を呼んでいます。

スフィンクスの謎⑤ 誰が又は何が「鼻」を壊したのか?

スフィンクスの石像はところどころが破損した状態になっていますが、ちょっとした謎として議論を呼んでいるのが「スフィンクスの鼻」について。

誰が」または「何が」スフィンクスの鼻を壊してしまったのかについて、様々な説が飛び交っているんです。

1798年、ナポレオンがエジプトに到着した際、鼻が欠けた状態の大スフィンクスを発見しました。

18世紀に描かれた絵を見ると、スフィンクスの鼻はナポレオンがエジプトに到着するよりはるか前の時点ですでに破損していたことが分かります。

そのため、一つの説によれば、1517年にエジプトがオスマン帝国の支配下に入って以降、どこかのタイミングで、砲撃訓練の標的にされて破損されたのではないかという説が存在しています。

その他の可能性(これが最も可能性が高いと思われる説)として、スフィンクスは神を冒涜する偶像であると考えていたスーフィー教徒(イスラムの唯一神アッラーとの合一を目指し、清貧行を主として様々な修行に励む人々)によって8世紀頃に、鼻がノミで取り外されたという説もあります。

スフィンクスの謎⑥ そもそもスフィンクスではない?

ギザの大スフィンクスにまつわる謎として、そもそもこの石像は「本当にスフィンクスなのか?」という疑問が上がることがあります。

というのも、同じスフィンクスであっても、メソポタミアや古代ギリシャに見られるスフィンクスは「女性の頭部」と「翼を持っている」のに対して、ギザの大スフィンクスは「男性の頭部」を持ち「翼を持たない」から。

これに関しては最初の方でも挙げた通り、長い年月をかけて(主に頭部に関しては)幾度も彫り直されたためとも考えられますが、いわゆる「伝統的」なスフィンクスと比べると、ギザの大スフィンクスの違いは際立ちます。

そのため、「ギザの大スフィンクスはそもそもスフィンクスなのか?」という疑問が謎として浮上することがあるのです。

スフィンクスの謎⑦ あごヒゲは後付け?

ギザの大スフィンクスにはあごヒゲが付いていたことが、スフィンクスから削ぎ落ちたあごヒゲの断片で判明しています。

しかし実は、ギザの大スフィンクスにとって大切だと思われるこのあごヒゲは、元々存在したものではなく「後日追加されたのでは?」という主張があり謎を呼んでいるのです。

この主張の根拠とは、

  • もし最初からあごひげがついていたなら、それが切断されたことによってあご部分にダメージが残るはずだが、そのような痕跡が明らかに見られない

というもの。

実は、現在あごヒゲの断片が展示されている大英博物館もこの主張を支持しており、スフィンクスのあごヒゲはカフラー王の時代から1100年ほど経過した紀元前1400年頃、トトメス4世による修復計画の最中、またはその直後に追加されたものであると考えられています。

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スフィンクスの謎|ギザの大スフィンクスにまつわるピラミッドにも劣らない歴史的ミステリー!のまとめ

ギザの大スフィンクスに関する謎をいくつかピックアップして紹介してきました。

今日、ギザの大スフィンクスは風や湿気、都市部から運ばれてくる大気汚染によるスモッグのため崩壊しつつあります。

1950年以降、多額の費用をかけた大規模な復元作業と保存プロジェクトが進行中ですが、このプロジェクトが開始された当初、石灰岩とは相性の良くないセメントが修復に使われたこと、そして、それ以降に行われた化学物質の注入などは、大スフィンクスにさらなる損傷を加える事態となってしまいました。

復元作業は今なお進行中のプロジェクトとなっており、その結果、今日では大スフィンクスの謎に迫る、さらなる探究や発掘作業よりも、保存のほうにより重点が置かれています。

そのため、ギザの大スフィンクスの謎が解き明かされるまでには、まだまだ長い時間が必要になりそうです。

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