シリア内戦(シリア騒乱)について見ていきます。内戦の原因から難民の状況などを確認して、シリア史上未曾有と言われる紛争についての理解を深めていきましょう。
シリア内戦(シリア騒乱)は、2011年から現在(2018年9月)まで続く、シリアの歴史上で「最悪」とっても過言でないかもしれない紛争。
残虐行為を幾度も起こして世界中にテロの脅威をもたらしたイスラム国(IS)や、アサド大統領による独裁、アメリカやロシア、他にも近隣の中東諸国の介入など、多くの組織や国が入り乱れたことで、非常に多くの市民が犠牲になりました。
この記事は「シリア内戦とは何なのか?」をテーマに、原因や内戦によって生まれた難民達の状況などを見ていこうと思います。
シリア内戦(シリア騒乱)とは?
シリア内戦とは、別名「シリア騒乱」としても知られる、21世紀最大の人道的危機の一つで、2011年に北アフリカのチュニジアに端を発したアラブの春から派生して起こった、シリア国内の内戦または武力衝突。
当初は、シリアの事実上の独裁政権となっていたアサド政権を批判するための市民による抗議活動から始まったものですが、状況がエスカレートしたことでアサド政権、反体制派とその同盟組織、イスラム過激派組織「IS」、トルコ、イラン、サウジアラビア、ロシア、アメリカなど、数多くの組織や人々が入り乱れるようになった、シリアの歴史上「未曾有の内戦」です。
加えて、シリアを舞台にしながら、各国の代理戦争の様相を呈しているの、シリア内戦の特徴と言えます。
よって、シリア内戦を簡潔に表現するならば、
民主的な反体制運動から拡大してしまった、同地域を舞台にした様々な組織や人々による利権や覇権を巡る武力衝突または暴力行為、そしてそれに伴う国内の混乱
と言えるかと思います。
シリア内戦の原因を簡潔に見ていこう
独裁者アサドへ対抗するためにアラブの春に乗じて立ち上がった若者たち
シリアは2000年から同国の大統領に就任した、バッシャール・アル=アサドによって統治されていました。
大統領に就任する前のアサドは、「腐敗との戦い」を標榜し、当時のシリア政府の腐敗の一掃や、各分野の改革を訴えていましたが、いざ大統領に就任すると徐々に独裁的な側面を見せ始め、シリア市民がどんなに困窮しようとも、自らの権力を守るような政治に固執していくようになります。
そして時は流れ、アラブ諸国における民主社会を求める運動として2010年12月にチュニジアから始まった「アラブの春」に乗じて、2011年にはシリアの市民の一部(特に若者たち)が、アサドの独裁に反対するために立ち上がります。
しかし、この一連の抗議運動はシリアで政権を変えるまでには至らず、政府は抗議運動に関わった者を厳しく処罰し、時には殺害しました。
抗議運動は拡大して他国を巻き込んでいくようになる
この一連の騒動が引き金になり、より多くの市民がアサドの独裁政治に立ち向かおうと行動を開始します。
その結果、反体制派の人々や組織は次第に、シリア国内の地域の一部をコントロール出来るほどまで拡大していき、シリア国内はアサドに反対する反体制派とその同盟組織による地域と、アサド大統領とその軍事下に置かれた体制派の地域とに分かれていきました。
そして、この二つのグループの対立が徐々に加熱していった結果、トルコ、イラン、サウジアラビアなどの近隣諸国をも次第に巻き込んでいくことになったのです。
国内の混乱の隙をついて過激派グループISが台頭して状況をさらに悪化させた
さらにシリア内戦を悪化させたのが、イスラム教の教えに沿った国家の樹立を中東諸国全土に目指すとした、イスラム過激派組織「IS(イスラム国、ISIS、ISILとも呼ばれるがここではISに統一する)」の台頭。
アサド政権によるコントロールが効かない無政府状態の隙をついて現れ、同時にSNSなどのインターネットを上手に利用することで、シリア国外から多くの参加者を取り組んで拡大したのです。
そして、ISはシリア内戦の中でも特に残虐な戦いや行為を繰り返したため、シリア国内の状況を酷く悪化させることになります。
他国による軍事介入が始まりISの力は削がれたものの長期化している
ISの力が大きくなってアサド政権も苦戦し始めると、ISの影響を他国も無視できない状況となり、アメリカを始めとした多国籍軍やロシアがISを掃討する目的で空爆による介入を開始します。
結果、ISの力をかなり削ぐことに成功して形勢は政府軍側へ傾き、次々とISによって支配されていた地域を取り戻していきました。
しかし今度は、盛り返してきたアサド政権とその支持勢力により、反体制派や少数派のクルド人に対する武力または暴力行為(化学兵器も用いられたと言われる)がエスカレートするなど、現在(2018年現在)まで、力関係は変化しながらも国内の混乱は収まっていません。
加えて、アメリカが反政府軍を、ロシアがアサド政権を支援しているため、これもまた、シリア内戦を長期化させる原因になってしまっているのです(アメリカはオバマ政権の下で、CIAのトレーニングを通じてシリア反乱軍を支援し、一方のロシアはアサド政権を支援したことで、国際政治において大きな影響力を持つ2国間の代理戦争となった)。
シリア内戦による難民問題
見てきたようにシリア内戦は未曾有の混乱が続く、暴力的で悲惨な内戦となってしまい、その中では何十万(50万人弱の人が殺害され、そこには約5万5千人の子供が含まれるとされる)の人々が殺害され、また何百万もの人々が住む場所を失ったとされます。
加えて、住む場所を失っていなかった市民の多くも、度重なる紛争と膨れ続ける死者を目の当たりにした結果、故郷を後にせざるをえませんでした。
そして、住む場所を失った人や自ら故郷を後にした人々が難民となり、周辺国やヨーロッパ各国に大量に押し寄せた結果、各国はこの難民問題に四苦八苦する状況になってしまったのです。
シリア難民の行き先と状況
そんなシリア難民の状況を理解するためにも、彼らの行き先や状況に関して、WorldVisionが公開している情報を以下に掲載しておきます。
- シリア難民およそ560万人のうちほとんどが、陸地か海を渡って近隣諸国へ渡っている。また大半は中東に残っている
- トルコ:約350万人のシリア難民がいる
- 90%のシリア難民は難民キャンプの外に住んでり、また、基本的なサービスへのアクセスはほとんどない
- レバノン:約100万人のシリア難民がいる(レバノン人口の1/5の規模)
- 多くは非常に粗末なテントに住んでいる
- 合法的に収入を得る機会がなく、生活するためのお金に苦労している
- ヨルダン:約67万人のシリア難民がいる
- 12万6千人は難民キャンプで暮らしている
- イラク:約24万9千人のシリア難民がいる
- イラク北部のクルド人地域クルディスタン地域に集中している
- 現地コミュニティに上手く溶け込んでいるが、難民が大量に押し寄せた結果、現地のサービスへ大きな負担が掛かっている
- エジプト:約13万人のシリア難民がいる
- トルコ:約350万人のシリア難民がいる
- シリア難民が大量にヨーロッパへ流れ込んだ「ヨーロッパ難民問題」は2015年がピークであり、当時は最大で130万人がヨーロッパへ押し寄せた。しかし、それ以降は激減している。
- アメリカは2011年10月から2016年の末までに18000人のシリア難民を受け入れた
シリア内戦に関して知っておきたい5つのこと
シリア内戦に関してはまた、これから触れていく5つのことも抑えておくと、より全体像が分かりやすくなると思います。
イスラム強スンニ派とシーア派の代理戦争
シリア内戦はイスラム教の異なった宗派(スンニ派とシーア派)による、代理戦争となっている側面も持っています。
まず覚えておきたいのが、アサド大統領はシーア派の一派とされるアラウィー派の人間という点。
そのため、近隣諸国のうちシーア派が多数を占めるイランはアサド政権側につき、将校や物資を政府側に供給しました。
それに対し、トルコ、サウジアラビア、ヨルダンなどのスンニ派が多数を占める近隣諸国は、イランに対抗するためにも反乱軍を支援したのです。
ISの掃討にはほぼ全ての組織や国家が関わった
シリア内戦では異なる思惑を持つ組織や国家が入り乱れるような状況になっており、それぞれが敵対しあうこともあれば、協力しあうこともありますが、IS掃討はほぼ全ての組織や国家が一致した瞬間でした。
例えば、アメリカとロシアはそれぞれ異なる勢力を支援してきたわけですが、ISを打倒する点では一致しています。
また、シリアのクルド人はシリアの北部と北東部に半自治区を持ち、政府側にも他の反体制派にもついていませんでしたが、ISと戦う上では連携しています。
このことは見方を変えると、それだけISの攻略は難しく、当初は苦戦していたことの裏返しでもあります。
政府軍や反乱軍による残虐行為
シリア内戦においては、主にISの残虐行為が目立っていましたが、政府軍や反乱軍による残虐行為も忘れてはなりません。
まず、シリア内戦の中で、アサド政権は市民に対して化学兵器を用いたと批判されています。
アサド大統領や政府軍はそのような主張を否定していますが、ヒューマンライツウォッチなどの国際的なNGOは、シリア政府が国民に対してサリンなどの化学兵器を用いたと報告しています。
さらに、あまり強調されることはありませんが、シリア政府軍やISと同様に、反体制派の反乱軍による犯罪行為も存在しています。
具体的には、
- 殺人
- 拷問
- レイプ
- 強制失踪
などが、国連調査委員会によって報告されています。
難民問題が自国第一主義を加速させた可能性
近年、自国第一主義が欧米諸国で目立った時期がありましたが、これは各国内の経済状況などに加えて、難民問題によって加速した可能性もあるのではないでしょうか。
ヨーロッパへ一気に大量の難民が押し寄せた時期と同じくして、ヨーロッパ各国では右翼ポピュリズム政党が頭角を表すようになりました。
ヨーロッパ圏の経済成長が鈍化していた中で、大量の難民が押し寄せてきたことで、多くの国民が不安に駆られ、保護主義や愛国心を訴える政治家が支持されたのだと思います。
強制退去を余儀なくされたのはシリア人口の半分近く
国外へ難民として流出した人以外にも、国内で避難民となった人間も含まれば、シリア内戦でおよそ1100〜1200万人の人々が強制退去を余儀なくされたと考えられており、これは、戦争前のシリア人口の半分近くです。
一方で、強制退去したものの、シリア国内に残っている人はまだ600万人近くいるとされますが、安心して住む場所もない状況下で、非常に脆弱で不安定な生活を送っています。
しかも、国際援助団体も紛争地帯に入ることは容易ではないため、海外からの支援もままならない状況なのです。
シリア内戦の経過
最後にシリア内戦の経過を時系列に追って、また、各時期に共通するポイントにまとめて分けながら紹介しておきます。
シリア国内全体で暴動が拡大
2011.3
- 南部のダルアーで、政治犯の釈放を求めて抗議デモを行っていた市民に対し軍隊が発砲して多数の死傷者が出る
- この事件によって暴力的な抗議運動がシリア全土に広がる
- これに反応してアサド大統領は融和政策として複数の政治犯を釈放し、また議会を解散させることで、なんとか緊急事態を脱する
2011.5
- 陸軍の戦車が、反体制派の抗議運動を制圧する目的でダルアー、バニヤース、ホムス、そしてダマスカス郊外に突入
- アメリカとEUは経済制裁をさらに強める
2011.6
- 国際原子力機関(IAEA)の監視機関が、シリアが秘密裏に原子炉を開発しているとして国連安全保障理事会に報告することを決定
- レポートされた原子炉の主要構造は2007年にイスラエルによる空爆で破壊されていた
反対勢力の組織化
2011.7
- 北部の県ハマーで起こった大規模デモの後、アサド大統領がその地域の知事を解雇し、さらにデモ鎮圧と秩序回復のため軍隊を送り込む
- その結果、何十人もの市民が犠牲になる
2011.10
- 新シリア国民評議会が、国内外の反政府勢力・反体制派を結集して前線を結成したと発表
2011.11
- アラブ連盟はシリアがアラブ平和計画を遂行していないとして、シリアを連盟から除名することを決議し、経済制裁を課す
2012.2
- シリア政府はホムスとその他の都市に対する空爆をより強くする
2012.3
- 国連安全保障理事会は、国連理事長コフィ・アナンによって作成された拘束力のない平和計画を承認する
- 最初に出された厳しい平和計画が若干緩和されると、ロシアと中国がこれに署名する
2012.6
- シリアがトルコ機を爆撃したため、トルコは対シリア路線を変更し、シリア軍がトルコ国境に近づくことがあればその行為を軍事的な威嚇とみなすと発表
2012.7
- 自由シリア軍がダマスカスにおいて国防相など3人を殺害し、さらに北部の都市アレッポの一部を制圧する
2012.8
- 首相のリヤド・ヒジャブが国外に逃亡
- また、アメリカのオバマ大統領が、化学兵器の使用があればアメリカが軍事介入することも厭わないと警告する
2012.10
- アレッポにおける戦闘により、旧市街の大半が破壊される
- 他の都市でも戦闘や爆撃が続く
2012.11
- シリア革命・反体制派諸勢力国民連合(シリア国民連合)がカタールで設立される
- イスラム原理主義者の民兵組織は除外されるが、アラブ連盟による完全承認には至らなかった
2012.12
- アメリカ、イギリス、フランス、トルコ、そして湾岸諸国がシリア国民連合をシリア国民の「正式な代表者」として認める
2013.1
- シリアはイスラエルがダマスカスの近くの軍隊基地を爆撃したとして、イスラエルを非難
- この基地には、ヒズボラがレバノンに向けた対空ミサイルの護衛隊を集結していたと考えられている
イスラム原理主義者の台頭
2013.9
- 国連武器査察官はダマスカスのグータ地域における戦闘で8月に化学兵器が使用され、その結果300人近くが犠牲になったと結論づけるが、その責任を負わせることはしなかった
- シリア政府は国連が化学兵器を破壊することに同意、2014年6月までにその作業は完了する
2013.12
- イスラム原理主義者の反乱軍が、西側諸国によって支援されていた自由シリア軍の基地を占領したとの報告を受け、国連とイギリスは北部の反乱勢力に対する「非殺傷」支援を見送ることを決定
2014.1.2
- 国連が指導したジェノバ平和会議は失敗に終わる
- シリアの代表者が移行政府設置に関する議論を拒んだことが最大の理由である
2014.3
- シリア政府軍とヒズボラが、レバノン国境近くにある反乱軍の最後の砦であるヤブルードを取り返す
2014.6
- イラクのISとシリアの過激派が、アレッポからイラク東部のディヤーラー県までの地域でカリフ制の国家を建設すると発表
2014.9
- アメリカと5つのアラブ諸国が、アレッポとラッカ周辺のISに対する空爆を開始する
2015.1
- クルド人の民兵組織が4か月に及ぶ戦闘の末、トルコ国境の街コバニからISを撃退する
2015.5
- ISがシリア中部に位置する古代都市パルミラを制圧し、イスラム時代以前の世界遺産である遺跡の多くを破壊する
- 反体制派のイスラム武装組織であるファトフ軍(ジャイシュ・アル・ファトフ)がイドリブ県を支配下におさめ、政府側の牙城であった港湾都市ラタキアに圧力をかける
ロシアの介入
2015.9
- ロシアがシリアに対する空爆を開始
- ロシア側はISをターゲットにしていると言うが、西欧諸国とシリアの反体制派は反政府勢力を標的にしているのではないかとロシアを非難する
2015.12
- シリア政府軍は、ホムス地域からの反体制派の撤退を許可
- シリア第三の都市であるホムスが4年ぶりに政府の管理下に戻る
2016.3
- シリア政府軍がロシアの援助を受け、ISに占領されていたパルミラを奪還することに成功するが、同年12月に再び追い出される
2016.8
- 反体制派と協力して、ISの過激派とクルド人勢力を国境地域から追い出すために、トルコ軍がシリアに入る
2016.12
- ロシア空軍とイランが支援する民兵組織のサポートを受けたシリア政府軍が、シリア最大の都市であるアレッポの奪還に成功
- 反体制派は最後の主要な都市拠点を失う
2017.1
- ロシア、イラン、そしてトルコはカザフスタンにおける交渉の結果、政府とイスラム過激派ではない反体制派との間の停戦に合意する
アメリカの介入
2017.4
- ドナルド・トランプ大統領は、シリア政府が反体制派掌握の町カーン・シェイクンに対する化学兵器攻撃を指揮した空軍基地に対してミサイル攻撃を加えるように命令する
2017.5
- アメリカはクルド人民防衛隊(YPG)に武器提供することを決定
- YPGは反体制派として反体制派の主要組織であるシリア民主軍と協力して戦っており、共に重要なタブカ・ダム(ユーフラテス・ダム)をISから奪還した
2017.6
- アメリカが支援していたシリア民主軍を攻撃したと考えられるシリアの戦闘機を、ラッカ付近でアメリカが撃墜する
2017.7
- レバノンの過激派ヒズボラとシリア政府軍は、レバノンとシリアの国境付近のアーサル地域からジハーディスト(聖戦士集団)を追い出すための軍事作戦を開始
2017.10
- ISがシリアにおける「首都」であったラッカを失い、事実上崩壊する
2017.11
- シリア政府軍がデリゾール地域ISから完全に奪還する
- シリアとイラクの当局は、減少しつつあるもののまだ残っているISの勢力地域に圧力をかける
2017.12
- ロシアのプーチン大統領がシリアを訪問し、ISに対する戦闘ミッションは完結したと発表する
- シリア政府軍はロシアの支援を受け、未だに反体制派が制圧している北西部のイドリブ県の奪還作戦を続ける
2018.1
- トルコがアフリーン周辺を制圧しているクルド人反体制派を追い出すために北部シリアを攻撃
- トルコは3月にアフリーンを制圧する
2018.2
- シリア政府軍は、ダマスカス付近の反体制派の最後の要塞である東グータ地域に激しい攻撃を仕掛ける
2018.4
- 東グータ地域の最大都市ドゥーマで化学兵器が使われた疑いが生じ、これに反応してアメリカ、イギリス、フランスがシリアに対し懲罰的なミサイル攻撃を数度加える
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シリア内戦とは?原因や難民状況を追っていく。シリア騒乱と呼ばれる未曾有の紛争についてのまとめ
近年起こった紛争の中で最も激しいと言えるシリア内戦。
この内戦はシリアの独裁者アサド大統領に対する抗議から始まり、様々な組織や国が入り乱れることで複雑化して長期化してしまっています。
長引く内戦が多くの死亡者だけでなく、多くの難民を生み出す結果となり、人道的にも最悪な出来事の一つなのです。