ハザラ人と言うアフガニスタンに住む民族について見ていきます。他のアフガニスタンに住む民族とは違い、日本人に顔が似ている人々です。
中東・中央アジアに位置する内陸国アフガニスタンは、現在、国内が非常に不安定な状態で、あまり良いイメージがありません。
しかし、歴史的にもこの地は多くの民族が交錯した土地であり、過去には、世界史において最も偉大な人物の一人アレキサンダー大王も、この地に訪れたことがあります。
このように、多くの人々が行き来する場所であったため、アフガニスタンには非常に長い歴史と文化があり、また、現在も複数の民族が入り混じる多民族国家でもあるのです。
そんなアフガニスタンに、日本人と顔の特徴が似た「ハザラ人」という人々が住んでいます。
彼らは、外見的にも宗教的にも他のアフガニスタンに住む民族と異なり、非常に特徴的である一方、その違いから、様々な迫害を受けて来た歴史を持っています。
ハザラ人について、詳しく見ていきましょう。
日本人に顔が似ているハザラ人とは?
ハザラ人は、ハザラジャ(Hazarajat)として知られるアフガニスタン中部の山岳地帯に多く住んでいる人々。
近隣のパキスタンやイランにも小さなコミュニティがあり、少数のハザラ人が居住しています。
(出典:Hazara International Network)
民族的に、ハザラ人はジンギスカンによって建国されたモンゴル帝国に起源を持つ可能性があり、容貌が東アジア人に似ているため、我々日本人と非常に近い外見を持っているのが特徴(※そのため、現地で日本人がアフガニスタンの伝統的な服を着ているとハザラ人だと勘違いされる可能性がある)。
また、中央アジアのウズベキスタンからトルコに広がる、トルコ系民族(テュルク系民族)に繋がるとも言われ、ハザラ人の中には自分たちのことをノアの箱舟で有名なノアの子孫であると考えている人々もいます。
いずれにせよ、ハザラ人の特徴である東アジア的容貌は、その他のアフガニスタン人とはとても異なっていて、アフガニスタンでは少数民族となるため、アフガニスタンでは多数派のパシュトゥーン人やタジク人によって、迫害を受けてきた長い歴史があります。
ハザラ人の言語
アフガニスタンにはパシュト語とダリー語の二つが公用語とされていますが、ハザラ人はダリー語の方言である「ハザラギ(Hazaragi)」を主にしゃべります。
この言葉は、1964年にアフガニスタン政府が「ダリー語」という公式名称を付けるまでは、ペルシア語と呼ばれていたもので、発音や語彙に多少の違いはあるものの、ペルシア語(ファルシ語)を公用語とするイランでも通じます。
ハザラ人の人口規模
ハザラ人はアフガニスタンだけに収まらず、近隣のパキスタンやイランにも住んでいるため、また、海外へ移住した者も多くいると考えられているため、世界中にいるハザラ人の人口規模はおよそ700〜800万人であると推定されます。
そして、最もハザラ人が多く居住するアフガニスタンではおよそ230〜350万人が、次に多いパキスタンでは約90万人が、その次に多いイランでは約50万人が暮らしているようです。
ハザラ人の宗教
ハザラ人は隣国のイランと同様に、イスラム教の中でもシーア派を信じる人々です。
一方で、他のアフガニスタン人の多くはスンニ派であるため、これが、ハザラ人を迫害する一つの理由となっています。
特に、1978年に始まったアフガニスタン紛争以降、アフガニスタン国内ではスンニ派の過激組織が台頭し始め、ハザラ人に対する迫害を深刻化することになりました。
アフガニスタンにおけるハザラ人の歴史は迫害の歴史
アフガニスタンで最も力を持つスンニ派の下、シーア派であり民族的にも外見的にも他のアフガニスタンの人々と異なるハザラ人は、何世代にも渡り、教育、仕事、公共サービスなどにおける差別によって、限られた経済的機会しか与えられず苦しんできました。
例えば、アフガニスタンの首都カブールであっても、ハザラ人が高級取りの仕事に就くことは難しく、通常は非常に賃金の低い仕事や、他のアフガニスタン人がやりたがらない社会的地位の低い仕事にしかつけないことがほとんです。
そして、特にタリバン政権やISISなどのイスラム過激派の新勢力が台頭した結果、一部では虐殺なども起こり、民族全体で甚大な被害を受けてきました。
結果、この宗教的、民族的迫害に加え、アフガニスタン全体の不安定な状況により、ハザラ人の多くは国外へ活路を見出し、難民や移民として海外へ出ていくことに拍車が掛かったのです。
カナダ、アメリカ合衆国、スウェーデン、デンマーク、ニュージーランド、オーストラリアには、大きなハザラ人コミュニティがあり、また、イランには不法入国しているハザラ人だけでも200万を超える人がいると言われることがあります。
一方、多くのハザラ人が海外へ出るために身を危険に晒し、その間に命を失いました。
ハザラ人は興味深い文化を持つ勤勉な人々でもある
一般的に貧しく、経済的機会に恵まれないにも関わらず、ハザラ人は皆誇りを持っており、客人には温かく友好的で、また勤勉です。
そんなハザラ人に関して、もう少し文化的な側面からいくつか興味深い点を紹介していきましょう。
ハザラ人の文化は豊か
ハザラ人の文化には、過去の出来事を伝える多くの民話が存在したり、日本人と同じように幽霊の存在を信じたり、また、たくさんのことわざがあります。
そして、ハザラ人が皆で集まると、ドゥバイティス(Dubaitis)という伝統的なフォークソングを歌い、ダンスを踊り、歴史や愛を語る叙事詩の物語などを語るのです。
また、ダムボラ(dambora)と呼ばれるリュート(ギターのようなもの)のような楽器を用いて音楽を奏でます。
さらに、イスラム教で重要な断食期間ラマダンの終了を盛大に祝ったり、イランと同じようにペルシャ暦上の新年を皆で祝ったりします。
大家族で暮らすハザラ人
ハザラ人は習慣的に、一つ屋根の下に大家族で暮らすことが普通。
祖父や祖母に加えて両親、その家族の息子たちと息子たちの嫁、そして息子に嫁いだ嫁達とその子供達が一緒に暮らしています。
祖父母は積極的に孫の面倒を見たり、必要な際は他の家族のメンバーがお世話をしたりと、経済的に難しいからこそ、この大家族がお互いに助け合い、社会保障システムのような役割をしているのです。
一方、ハザラ人の習慣では、大家族の最年長者である祖父母が亡くなると、息子達の家族がそれぞれ独立した世帯を持って暮らし始めるのが特徴的です。
男性と女性で異なるハザラ人の服装
ハザラ人の服装を見ていくと、女性と男性でかなりテイストが異なることが分かります。
まず、ハザラ人の女性は、色鮮やかでカラフルなデザインをした服を身にまといます。そして、多くの時間を家の中で過ごすため、女性が着る服は軽めの素材で作られていることがほとんどです。
(男性がよく着るperahan-u-tunban)
一方、男性はたいてい、ウールまたはコットンで出来た、パジャマのような「ペラハン・ウ・トゥンバン(perahan-u-tunban)」を身につけます。
この服は見た目的には少しかっこ悪いものの、急激に天候が変わるアフガニスタンにおいては、非常に機能性に優れているのです。
ちなみに、ハザラ人は男女ともに無駄に多くの服を所持することは少なく、いわゆるミニマリスト的な生活を送っています。
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ハザラ人とは?アフガニスタンに住む日本人に顔が似た民族のまとめ
ハザラ人はアフガニスタン中央部に多く住む人々。
シーア派イスラム教徒のハザラ人は、日本人に顔が似た特徴的な容貌や宗教的信念により、他のアフガニスタンの民族から、宗教的迫害のみならず文化的、経済的差別に直面してきました。
しかし、それでも屈することなく自分たちの文化を誇りに思い、また、現在は海外のハザラ人達が、アフガニスタンで起こっているハザラ人に対する迫害を無くそうと、様々な活動を始めています。
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