アフリカ分割から始まったアフリカの植民地化は、その後のアフリカの発展や開発に多大な影響を与えました。その影響について詳しく見ていきたいと思います。
現在の世界においてアフリカ(一部の北アフリカを除く)は、西洋的なスタンダードで見れば最も発展や開発が遅れている地域と言え、そこには多くの失敗国家や貧困国が存在します。
そして、このアフリカの状況を詳しく見ていくと、その原因の一つとして1、9世紀後半から20世紀初頭にかけて起こった「アフリカ分割」に始まるアフリカの植民地化が影響していることが分かります。
そのアフリカ分割によるアフリカ植民地化の影響は、現在のアフリカの発展や開発にどのような暗い影を落としたのか?
この記事では、この問いに対する答えを考えていきたいと思います。
アフリカ分割から始まるアフリカの植民地化について
19世紀後半、帝国主義を土台に世界中へ領土を拡大していたヨーロッパの列強による、アフリカ諸地域の支配権奪取または植民地化を目的とした激しい争いが始まり、ほどなくして、ベルリン会議(1884年~1885年)の合意に基づき、アフリカが分割されることになりました(アフリカ分割:1880年代から1914年まで)。
リベリアとエチオピアを除くアフリカ全土がたった7つのヨーロッパ列強によって分割され、そして支配されたのです。
アフリカには多様な民族言語グループが存在していたにも関わらず、そのことを無視して、ヨーロッパの列強は、自国の政治または経済的意図に沿った形で勝手に境界線を引いてアフリカを分割し、20世紀後半まで続くアフリカの植民地化が始まっていきました。
アフリカの大地は、分割されてヨーロッパ列強の植民地となったわけですが、リベリアとエチオピアは例外でした。
まずエチオピアに関して言うと、エチオピアは当時、二度に渡ってイタリアの侵攻を受けましたが、1896年3月2日の「アドワの戦い」で、エチオピア軍がイタリア軍を破ったことから、ヨーロッパ列強によるアフリカ分割を乗り切ることが出来ました(1930年代になってその一部が占領されるまでエチオピアは独立国家を維持した)。
一方のリベリアは当初、アメリカ植民地協会(ACS)が経済的な支援と援助を行い、アメリカやカリブ海地域から移住させられアフリカへ帰還した黒人解放奴隷によって設立された領地であったため、アメリカの保護領となっており、アフリカ分割に巻き込まれることはなかったのです。
アフリカ植民地化がその後のアフリカの発展や開発に与えた影響
アフリカ分割から始まったヨーロッパによるアフリカの植民地化は、アフリカの発展や開発へ大きな影響を与えました。
植民地化により、政治、経済、文化面で多大な影響を受け、金、ダイヤモンド、天然ゴムなどの天然資源が減少した結果、アフリカは政治的、そして社会的にも荒廃していきました。
ヨーロッパの列強はまた、人種の概念(差別的な意味合いで)をアフリカに持ち込み、それが南アフリカのような地域で人種差別的なアパルトヘイトが起こったり、アフリカ文化に対する抑圧が起こったりするきっかけになったと言えるでしょう。
19世紀後半には、数時間のうちに何千人ものスーダン人がイギリスによって殺害され、コンゴに侵攻してこの地を支配したベルギーが、「ノルマが達成できなかった」ことを理由にして、現地のゴム農園で働くアフリカ人の手を切り落とすような残虐行為も起こりました。
一方で、アフリカ植民地化の悪影響は、
- 「ヨーロッパの列強 ⇒ アフリカ諸国」
という図式だけでなく、
- 「アフリカ人 vs アフリカ人」
の図式でも現れ始めます。
民族言語グループに関係なく同じ地域に組み込まれ、他者との差別に繋がる「人種」の概念が入ってきた結果、異なる民族感で、特定の地域における支配権争いやライバル関係が発生して悪化し、以前は問題なく共存していたアフリカ人同士がお互いに争うようになってしまったのです。
この争いが最高潮になった結果、コンゴ、スーダン、そしてルワンダ虐殺といった大量虐殺の悲劇を生み出してしまいました。
そして、このアフリカの植民地化による影響は、今日でもなお色濃く残り、アフリカ大陸の国々は経済面、環境面、政治面で不安定な状況にあり、社会的な危機状態が蔓延しています。
アフリカの植民地化による影響をポイントごとにもう少し詳しく簡潔に見ていこう
アフリカ分割か始まって20世紀後半まで続いたヨーロッパ列強によるアフリカの植民地化の影響を、上記では大まかにまとめてみたわけですが、ここからは、その影響をもう少しポイントごとにわけて簡単に見ていきたいと思います。
アフリカ植民地化の影響1:アフリカ文化の衰退
同じ文化背景や言語背景を共有していた民族言語グループの人々が分裂させられてしまった結果、アフリカの地域によっては、コミュニティの連帯が弱まってしまったり、コミュニティの存在自体がなくなってしまったところもあります。
アフリカ分割の時代、ヨーロッパから来た植民地主義者たちは、アフリカの地に住んでいた人々のことは全く気にもとめていませんでした。
部族社会は崩壊し、コミュニティは分裂させられ、宣教師たちはアフリカ人がそれまで行ってきた慣習を遅れているとして止めさせました。
これは、当時のヨーロッパは以下のような考えを持っていたのが大きな理由です。
- アフリカ人を人種的・文明的に劣等である
- ゆえに、ヨーロッパの宗教、政治・社会制度、言語、文化を与えることは、アフリカ人の文明化のためにも良いと正当化できる
このように自分たちの「やり方」を押し付けてくるヨーロッパ諸国に対して、時に抵抗するコミュニティもありましたが、村が焼き払われるなどして結局は抑え付けられてしまいました。
また西アフリカでは、フランスがアフリカ人を自分たちの文化へ同化させ、「アフリカ人に現地を統治させながらも、裏ではフランスが影響を与える」といった、いわゆる間接統治を行いました。
この結果、現地のアフリカ人達は、自らの言語、信仰、文化を捨て、フランス流のやり方を採用し始め、自分たちの文化を失っていってしまったのです(それでも殺されてしまうよりはましだったのでしょう)。
アフリカ植民地化の影響2:天然資源の略奪
ヨーロッパで産業革命が根づき、それと同時に奴隷貿易が禁止された結果、アフリカ諸国を工業製品の原材料の供給地として囲い込もうとしたのが、アフリカ分割開始の根底でした。
そのため、アフリカにやってきたヨーロッパ列強は、ただアフリカを分割して植民地化したのではなく、同時に、自国の産業に活用できる原材料を探し求めたのです。
そして、アフリカ諸地域で見つかった天然資源はヨーロッパ列強に略奪され、今もなおその影響は残っています。
アフリカ植民地化の影響3:支配者は極めて裕福になったが現地の人間は・・
アフリカ諸国を支配したヨーロッパ人達は、天然資源の多くをほとんど無償で手に入れ(輸送や輸出などにはコストが掛かってはいたが)、さらに、現地の労働力を非常に安く使っていました。
その結果、各地域を支配する支配者達は莫大な利益を上げてどんどん富んでいくのに対して、現地のアフリカ人達はいつまでたっても貧しい生活を強いられてしまったのです。
そしてこのことはまた、現在まで続くアフリカの貧困状態を作ってしまった原因の一つであると言えるでしょう。
アフリカ植民地化の影響4:強制移住させられ土地を失った
もともと住んでいた土地から強制的に移住させられて土地を失った多くのアフリカ人は、手狭な植民地域に集中的に押し込まれることもありました。
この結果、多くのアフリカ人達の生活環境は劣悪化し、伝染病が広まり、幼い子供などは特に命の危険に晒されました。
一方で、ヨーロッパの植民地支配者たちは莫大な土地を手に入れ、生活は以前にも増して豊かになっていきました。
アパルトヘイトの下で起こった、「全人口の15%しか白人が占めていなかったのにも関わらず、南アフリカの80%以上の土地を所有していた」という状況は、これを代表していると言えるでしょう。
アフリカ植民地化の影響5:負債と土地格差問題
アフリカの植民地化の影響はまた、アフリカ諸国が抱える「負債」と、「アフリカ人同士の間に起きている土地格差」の二つの問題を引き起こした点も忘れてはいけません。
アフリカへやってきたヨーロッパ人は、アフリカ人の多くを元々住んでいた土地から強制移住させた一方で、ヨーロッパ人は土地の多くを手に入れたことは先述した通りです。
しかし、土地を奪っただけでは終わらず、その後にヨーロッパ諸国は厚かましくも、
- 取り上げた土地(本来なら無償でアフリカに返還されるべき土地)をアフリカ人に売りつけた
のです。
① 負債問題が起こる
アフリカ諸国は十分なお金を持ち合わせていなかったため、宗主国のヨーロッパから土地を買い戻すために借金をしなければなりませんでした。
その結果、アフリカは今も旧宗主国に負債を負っているのです。
② 土地格差問題が起こる
多額の負債を負いながらもアフリカのいわゆる「政府」は、土地を買い戻したわけですが、現在、その「政府(独裁政権や管理をまかされたアフリカ人たち)」がすべての土地とは言わないものの、ほとんどの土地を所有しています。
そして、その土地が公平に分配されることはほとんどありませんでした。
結果、アフリカの土地の多くは「政府」の関係者や一族、つまり、ごく限られた少数の人々の手に集中してしまったのです。
これが、アフリカ人間で起こっている土地格差問題です。
アフリカ植民地化の影響6:アフリカ発展の道筋が変えられてしまった
アフリカ分割による植民地化は、アフリカの発展の道筋をも変えてしまったと言えます。
ヨーロッパが発展してきた過程を大雑把にまとめると、
- まずは農業改革が起こり
- その後に産業革命を経験し
- 近代化へ
と発展の道を歩ん出来ました。
一方のアフリカには、「まさに農業改革が始まったばかりの段階にある」といったコミュニティが存在していました。
そういったコミュニティでは、家畜を所有し、農業を始めたばかりだったのです。また、物々交換から、簡易的な通貨(貝殻、玉、金など)を使った商取引へと移行し始めたところでした。
つまり、アフリカで未成熟ながら「自分たちによって」経済発展の離陸が起こり始めていたところを、ヨーロッパの列強諸国に台無しにされてしまったとも言えるのです(※ヨーロッパによって持ち込まれた近代化が経済をより発展させたとする意見もあるが)。
アフリカ植民地化の影響7:全く関係のない戦争へと駆り出された
ヨーロッパに植民地化された結果、本来は全く関係ない戦争へと多くのアフリカ人達が駆り出されました。
何十万人ものアフリカ人が「まるで選択肢があるかのごとく」、第二次世界大戦に自主的に参戦して戦うように命令され、それに従わない者は強制的に戦場へ行かされました。
これによって、多くのアフリカ人達が命を落とすことになったのです。
アフリカ植民地化の影響8:新植民地主義
アフリカ諸国が独立をしていき脱植民地化が進んだ後、ヨーロッパ諸国はもはや欲しいままに旧植民地から搾取することはできなくなり、アフリカ人はヨーロッパ人と商取引を行えるようになりました。
しかしながら、そこには落とし穴がありました。
アフリカの国々はかつての宗主国の枠組みの中で貿易を行うことが求められたのです。
そのため、常にヨーロッパ側が有利になるような状況が続いて健全な競争がなくなり、これが、アフリカの地元産業の発展や開発を抑制することになります。
さらに、旧植民地に留まることを選択した植民地開拓者(白人)たちには、免税や、植民地時代に手に入れた莫大な土地の所有が認められるなど、優遇措置が講じられていました。
このように、植民地時代の後(ポストコロニアル)においても、かつての宗主国がかつての植民地へ影響力を行使し続けることが出来た状態は「新植民地主義」と呼ばれます。
アフリカ植民地化の影響9:ポジティブな影響として挙げられるもの
アフリカの植民地化がアフリカに与えた影響として、通常「悪影響」が挙げられることがほとんどですが、中にはいくつかのポジティブな影響が挙げられることもあります。
そのポジティブな影響のうち主だった物のいくつかは以下の通りです。
- 教育
- 植民地化されたおかげで、アフリカ人は読み書きを習い、国際スタンダードで見る学力の向上が実現した。
- テクノロジー
- ヨーロッパがすでに開発した技術が持ち込まれた結果、アフリカがわざわざ開発する必要はなかった
- 西洋医学
- 呪術師やシャーマンに診てもらったり、動物を犠牲にしたりするなど、非科学的な手法ではない科学的な根拠に基づいた治療が可能になり、多くの命が救われるようになった
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アフリカ植民地化(アフリカ分割)の影響とは?現地の発展や開発はどのように左右されたのか?のまとめ
アフリカ分割に始まったアフリカ植民地化による影響について見てきました。
ヨーロッパによるアフリカの植民地化がアフリカの発展や開発に与えた影響には、さらに別な視点からの意見も多く存在しますが、今回挙げた影響も一つの参考としてみてください