古代オリンピック|種目や始まりなどオリンピックの歴史を確認!

古代オリンピックの種目や始まりなどについて見ていきましょう。オリンピックの歴史を学ぶためにも知っておきたい古代ギリシャ時代の競技会です。

4年に1度開催される世界的な総合スポーツ競技会である現代のオリンピックは、1896年にギリシャのアテネで開催されたのが第一回目となります。

しかし、この現代オリンピックよりずっと昔、古代ギリシャでは古代オリンピックと言われる競技大会が行われており、この古代オリンピックが現代オリンピックにおける歴史的な起源だとも言えます。

この記事では、その古代オリンピックについて、概要から起源となる神話的な話、そして当時実施されていた種目から報酬などまでを解説していこうと思います。

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古代オリンピックとは?

古代オリンピックとは、古代ギリシャのオリュンピアと呼ばれる都市にて、4年に1度開催された当時の世界最大級の競技会であり、また、近代オリンピックのモデルとなったもの。

その起源は紀元前776年に開催された第一回目の古代オリンピック大会に遡り、また、この年を軸として、以降は4年に1度のサイクルで開催されていくこととなり、紀元後393年まで続けられていきました。

また、この古代オリンピックは当初、ギリシャ神話における全知全能の神であり最高神であるゼウスに捧げる大会だったという特徴を持っており、実際、オリュンピアにはゼウス神殿が建設されていた点を考えると、古代オリンピックは古代ギリシャ人にとって宗教的なイベントであったとも言えるでしょう。

当時のゼウス神殿には金や象牙で出来た12m近くにもなるゼウス像が置かれていたと言われ、このゼウス像は古代の世界七不思議の一つに含まれている。

オリンピアードについて

ちなみに、この4年に1回というサイクルまたは期間は、「オリンピアード」と呼ばれるようになり、近代オリンピックにおいても基本的な単位として採用されています。

そしてこのオリンピアードは、古代ギリシャをまとめる一つの基準になったであろうとも考えられます。

というのも、古代ギリシャにおける各ポリス(都市)は、違った名前で呼ぶ独自のカレンダーを各々もっていたため、オリンピアードは時間軸に関しての統一性をもたらしたと言えるのです。

例えば、紀元前772年を表すのであれば、「Ol.2」と表すと各ポリスで共通の認識をもたらし、紀元前770年を表したいのであれば、「Ol.2.2(第2オリンピアードから2年経った都市という意味)」と表記すれば同じ年を認識出来るようになったというわけです。

古代オリンピックの始まりって何?その歴史を確認してみよう

古代オリンピックは一般的に紀元前776年に始まったとされ、13回目までの古代オリンピックで開催された種目として記録されているのは、192メートル強の直線距離を走る短距離走「スタディオン走」でした。

そして、第一回目の古代オリンピック勝者は、南ギリシャのエリス出身のコロイボス(エリスのコロイボスとしても知られる)だったと記録されています。

ただし、当時のことはしっかりと記録されておらず、実際の正確な日時などについては議論の的となっていたり、加えて、オリンピックが開催された「きっかけ(始まり)」についても、確実なことは分かっていません。

以下では、その古代オリンピックが開催されるようになった「始まり」とされる3つの神話的な逸話を紹介していきます。

ペロプス説

第一回目古代オリンピックが開催されたキッカケとなったとされる逸話の一つが、ギリシャ神話における英雄の一人「ペロプス」と、古代ギリシャの都市国家ピーサの王であった「オイノマオス」との馬車によるレースに関して。

(ペロプス)

オイノマオスには美しい娘「ヒッポダメイア」がおり、このヒッポダメイアを掛けてペロプスがオイノマオスと馬車レースを繰り広げ、結局ペロプスがこの戦いに勝利しました。

しかし、オイノマオスはこの勝負の中で命を落としてしまったこともあり、オイノマオスの名誉を讃えるために、そしてペロプスが勝利したことを神へ感謝するために、第一回目の古代オリンピックが開催されたという話です。

ヘラクレス説

また、オリンピックが開催されることとなった理由として、ギリシャ神話における最大の英雄「ヘラクレス」の名前が挙がることもあります。

この説によると、ヘラクレスが課された12の試練である「12の功業」を成し遂げた際、ヘラクレスは競技会である古代オリンピックを、自らの父であるゼウスに対する感謝として開催したというのです。

別のヘラクレス説

あまり知られていませんが、実はゼウスとヘラの息子で英雄となるヘラクレスが生まれる前にも、ギリシャ神話には別の「ヘラクレス」と呼ばれる者が存在していました。

そのヘラクレスとは、ゼウスが生まれるにあたって母であるレアに、幼いゼウスを守るように指名された5人のダイモン達(神と人との中間者で,個人の運命を導く神霊的な存在)の一人。

このダイモンであるヘラクレスが、幼いゼウスを楽しませるために他の4人の兄弟を率いて、オリンピュアでレースを行ったというのが、古代オリンピックが始まったキッカケだとされているのです。

古代オリンピックの種目や報酬、参加者について

古代オリンピックの種目

国際オリンピック委員会日本オリンピック委員会によると、古代オリンピックには主に、次の6つの種目が開催されていたとされています。

古代オリンピック種目1:ボクシング

古代オリンピックではボクシングが種目として取り入れられていましたが、現代のボクシングのように階級制やスコア制がなく、また時間も無制限であったため、試合の中で選手が死亡してしまうことも少なくなかったと言われます。

また、その戦いは非常に粗野で野蛮で危険なものでした。

一方で、戦いの中では常に相手に対しての礼儀が求められ、またフェアプレーが非常に重視されていたと言われます。

古代オリンピック種目2:チャリオットレース(戦車競技)

チャリオットレースとは、古代ギリシャやローマ帝国において人気のあったスポーツの一つで、馬が引くチャリオットと呼ばれる戦車に乗って行われるレースでした。

紀元前680年に開催された古代オリンピックから取り入れられ、ゾクゾクするような興奮を呼ぶ競技として、多くの観衆が注目する競技だったと言われます。

ただし、この競技も競技者並びに馬へ重傷を与えてしまう可能性がある危険なスポーツだったようです。

古代オリンピック種目3:ペンタスロン

古代オリンピックにおける5種目競技として、ペンタスロンと呼ばれる種目も存在しています。

これは、短距離走、幅跳び、円盤投、やり投げ、レスリングの5種目を一人でこなしていく競技で、この中で3種目以上を制すると優勝者と認定されていたと言われます。

このペンタスロンに含まれる競技は、古代ギリシャ時代に徐々に体系化されていき、その過程でテクニックの発展や向上が見られ、現代では優れた成績が毎年のように生まれています。

古代オリンピック種目4:パンクラチオン

立ち技と組技が混ざった現在の総合格闘技に近いパンクラチオンは、目潰しと噛みつき以外はなんでもありで、相手がギブアップするまで当初は続けられていた激しい古代の格闘技でした。

そのため、古代オリンピック種目の中でも最も危険であったと言え、試合の中では死傷者が出ることは少なくなかっと言います。

古代オリンピック種目5:ランニング

第一回の古代オリンピックから開催されていた192mのスタディオン走を始め、紀元前724年の第14回大会から開催された400mほどの中距離走である「ディアロウス競走(2スタティオンの距離)」、そして、第15からは、スタディオンの直線距離を10往復する長距離走「ドリコス競走」が行われました。

古代オリンピック種目6:レスリング

古代ギリシャ文明の中でレスリング選手は非常に人気がありました。

そして、もともとはペンタスロンの中に含まれた競技として実施されていましたが、紀元前668年に開催された古代オリンピック大会からは、個別の種目として実施されるようになったと言われます。

古代オリンピックにおける勝利の報酬

それぞれのポリスを代表する強者が参加し、優勝を目指した古代オリンピックで勝利を勝ち取ることは、個人としても市民としても大きな名誉でした。

その栄誉は「各都市が勝者を英雄のように扱う」ほど大きなもので、時には残りの半生の食事を提供されることもあったと言います。

また、古代オリンピックで優勝した者には、オリーブで出来た花輪と肉が分け与えられ、さらに神域に自らの像または肖像を残すことが許され、その名前は公式オリンピック記録に刻まれました

このように、古代オリンピックに参加して優勝することは、現代では考えられないほどの名誉だったと言えるのです。

一方で、大会開催中、金銭取引、贈賄、侵略などの犯罪を犯すことは冒涜とされており、例えば古代ギリシャではオリンピック期間中は例え戦争中であっても、各ポリスは休戦を求められたのです。

そいて万が一にも不正行為を行った競技者が捕まると、その人物は出場資格を失うだけでなく、その競技者のトレーナーや、その人物を送り出したポリスでさえも、重大な処分の対象となることもあったとされます。

古代オリンピックに参加出来た人間

古代オリンピックへ参加可能な者は、ある一定の重大犯罪者や野蛮人を除いたすべての古代ギリシャ人男性だったと言われます。

ただし、この古代ギリシャ人と言うのは、あくまでも古代ギリシャの各ポリスにおいて「市民」として認められている自由人であり、奴隷身分の人たちは参加出来ませんでした。

また、現代のオリンピックとは違い、女性の参加もなく、あくまでも「自由人男性」に制限されていたのです。

加えて、意見が分かれているものの、女性は観戦もかなり制限されていたようで、女性全てが観戦を許されていなかたっという説や、未婚女性に限って観戦を許していた説などがあります。

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古代オリンピック|種目や始まりなどオリンピックの歴史を確認!のまとめ

古代オリンピックに関して、その概要から種目や始まりなど、詳しく見てきました。

この古代オリンピッックに関しては、残念ながら紀元後4世紀後半に廃止され、さらに、522年、526年に起きた地震や、テオドシウス2世、スラヴ人の侵略、ベネチア人、トルコ人によって、その遺跡も破壊されてしまっています。

しかし、古代オリンピックの意思は19世紀後半に復活し、現代のオリンピックへ脈々と受け継がれることになったのです。

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