独裁者の一覧|歴史や世界に名を残す独裁者達とは一体?19人をまとめてみた

独裁者を一覧として19人ピックアップしていきます。歴史上で独裁者として知られる人物や、現在の世界で独裁者として君臨する人物を集めてみました。

絶対的な力を持つと人間は、自らの権力をさらに高めようとする独裁者になってしまうことがあります。

実際に過去から現在まで、長い人間の歴史において世界では、数々の独裁者が現れ、その都度、独裁者が支配する地域に住む人々は苦しんできました。

社会の指導者は時々、権力を集約して、不屈の名声と自らの理想の達成だけを追求し、その結果、民衆の命は軽んじられてしまうのです。

そんな独裁者の中でも、近・現代の歴史上に現れた独裁者達と、現在もまだ独裁者として君臨する人物達19人をピックアップして、一覧にしていきたいと思います。

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独裁者1:イディ・アミン・ダダ

イディ・アミン・ダダは、ウガンダの軍人で政治家、そして同国の第3代大統領。

元々東アフリカのボクシングチャンピオンという肩書きを持つこの人物は、1971年から1979年のわずか8年しかウガンダを支配していないにもかかわらず、この短期間の間に、一気に独裁化を進めて多くの人々を弾圧しました。

その中では、ヨーロッパの植民地時代に同国へやってきたインド系移民を追放するだけでなく、30〜40万の自国民を虐殺したと言われます。

そのため、「黒いヒトラー」や「アフリカで最も血にまみれた独裁者」とさえ称されるほどです。

独裁者2:オマル・アル=バシール

(出典:wikipedia

スーダン第8代大統領として君臨するオマル・アル=バシールは、現代社会においてトップ5には入るであろう強力な独裁者。

軍事クーデターを起こして政権を掌握した後、

  • 政党や労働組合などの禁止
  • 報道の抑圧
  • 議会の解散

を行い、さらに「救国革命指導評議会」と呼ばれる、自らの権力を正当化させる議会を作り、自身へ権力の全てを集中させました。

そして、アラブ系スーダン人でイスラム教徒の自分とは異なるグループに属する人々、つまり、黒人系スーダン人やイスラム教徒でない異教徒たちを弾圧しているとも批判されています。

結果、2005年から2007年にかけては、他の独裁者を抑え、ワシントン・ポストによって特集された「世界最悪の独裁者ランキング」で見事一位に輝いています。

独裁者3:ロバート・ムガベ

(出典:wikipedia

ロバート・ムガベは、ジンバブエの元大統領で独裁者として恐れられた人物。

選挙の不正や、民衆の恐怖を煽り、自らの政策を有利に展開することで権力を掌握し、ジンバブエを私物化しました。

自分へ投票しなかった州では、反乱と反逆の話をでっち上げ、およそ2万人以上の人々の殺害を計画したこともあります。

ムガベが権力を握ってからおよそ37年の間に、約3000万人以上のジンバブエ人が家、仕事、生活を失ったと言われ、また、異議を唱える村々は弾圧されたのです。

そんなムガベは、国防軍にクーデターを起こされた結果、2017年11月21日に大統領を辞職しています。

独裁者4:メンギスツ・ハイレ・マリアム

(出典:wikipedia

エチオピアの大統領として、1987年から1991年まで権力の座についていたメンギスツ・ハイレ・マリアムは、「自分に対して反発する人間を排除することに何のためらいもなかった」と言われる歴史上の独裁者。

所信表明をした際には、反政府勢力のエチオピア人民革命党(EPRP)に対して死を宣告し、さらに、台の上に血液で満たされた3本のボトルを置いてそのメッセージが確固たるものであることを示すなど、過激な態度で国内を恐怖に陥れた人物です。

他にも、何千という「村落」をつぶしにかかり、抵抗するものは処刑し、残された家族へ遺体を引き渡す際には課税を求め始めたほどです。

そのような独裁によって、メンギスツ・ハイレ・マリアム体制下では数十万の反対派が粛清され、さらに戦争や飢餓が拡大した結果、100万人にも及ぶ人々が難民になったと言われます。

独裁者5:ウラジーミル・レーニン

皇帝による強権政治が敷かれていたロシア帝国を崩壊させ、共産主義の信念を元にソ連を建国した立役者と知られるウラジーミル・レーニンは、一定のポジティブな評価が与えられる一方で、独裁者としても評価される人物。

レーニンが率いた左派の「ボルシェビキ」は、反対派を徹底的に粛清したり、また、革命に対して反対する人間を次々に逮捕して処刑するなど、実はかなり強硬な態度で多くの人々を弾圧していました。

その過程では秘密警察組織を動員したり、一般市民に密告を奨励するなど、人々がお互いを疑い合うような環境を作って自らの理念や行動に従わせ、隠れた恐怖政治とでも言える体制を続き上げていたのです。

独裁者6:ヨシフ・スターリン

ヨシフ・スターリンはレーニンの死後にソ連の指導者となった人物。

農村中心の社会から産業や軍事面でも強力な大国へとソ連を変貌させましたが、その過程では

  • 反発した多くの農民達が強制収容所へ送られる
  • 飢餓が放置されたことで何十〜何百万という人々が命を落とす
  • 敵となり得る人物を完全に排除する「大粛清」が行われり

など、恐怖政治体制が作り上げられていきました。

また、国民に対してスターリン自身の個人崇拝を押し付けたのです。

このような政治が敷かれた結果として、スターリン体制下のソ連では、約2000万人の命が奪われたという推定もあるぐらいです。

独裁者7:レオニード・イリイチ・ブレジネフ

(出典:wikipedia

スターリンの死後のソ連では、最高指導者ニキータ・フルシチョフの指導の下、スターリン体制下で行われた恐怖政治が否定されるなど、脱スターリン化が行われていました。

しかし、このフルシチョフが死去した後に最高指導者となった「ニオニード・イリイチ・ブレジネフ」は、再びスターリン体制下に近い形で体制固めをしていったのです。

彼のリーダーシップは、モルドバ人、ヴォルガ・ドイツ人(ロシア帝国時代にロシアに移民したドイツ人の子孫)、ポーランド人、さらにコサックなどを虐殺することで築き上げられたのです。

独裁者8:蔣介石

(出典:wikipedia

孫文の後継者である中国の蔣介石の理想、目標、そして夢は、何年も続いてきた共産主義から離別し、全く新しい政府を作り上げることでした。

また、中華民国(いわゆる台湾。しかし、正しくは本島である台湾とその他多数の大小の島々を実行支配している)の統一を果たし、同国の最高指導者となったことでも知られています。

一方で、実はかなり独裁色の強いリーダーだったのです。

蒋介石率いる中国国民党の一党独裁体制下では、罪なき一般市民が逮捕されて投獄され、または処刑されることもありました。

また、蒋介石率いる中国国民党政権が起こした二・二八事件では、数万人〜10万人の人々が命を落としたと言われます。

独裁者9:毛沢東

中国共産党の創立メンバーの一人で、その後、現在に至る中国人民共和国を建国し、最高指導者の地位についた毛沢東も、独裁者として知られる歴史上の人物です。

国家主席に就任すると、反対勢力を粛清するなどの独裁体制を強化していき、その過程では、共産党の独裁化を批判する人間50万人以上を投獄し、他にも数百万人が、処刑死または拷問死になったと言われます。

さらに、農業と工業の大増産計画である大躍進政策を強引に推し進めた結果、推計で5000万人前後が犠牲になったとされます。

このような強硬な政治姿勢を貫いた結果、今日の中国にまで続く、共産党による一党独裁体制を築き上げたのです。

独裁者10:ホー・チ・ミン

(出典:wikipedia

現在のベトナム社会主義共和国の前身であり、東南アジア最初の社会主義国家として樹立したベトナム民主共和国(北ベトナム)の建国者、そして同国の初代国家主席として知られる歴史上の人物と言えばホーチミン。

日本国内では比較的良いイメージを持たれ、また、ベトナム人からも、現在のベトナムに対する功を重視され、親しみを込めて「ホーおじさん」と呼ばれることもある人物です。

しかし、ホーチミンの指導の下で社会主義体制が築き上げられていく過程では、地主から貧農に土地を分配する「土地改革」が行われ、この過程で反対したものに対しては軍を用いて弾圧を加えるなどし、数万人の国民が殺害されたと言われます。

また、殺害は逃れたとしてもその後に難民となって国外を出なくてはいけない状況に置かれた人も多くいたようです。

このように、ベトナムの建国の父は、独裁者としての顔も有していました。

独裁者11:ポル・ポト

(出典:wikipedia

カンボジアにおける共産主義の指導者であり、共産主義政党のクメール・ルージュを率いたポルポトは、近年のアジア史において最も残虐なカンボジア大虐殺を引き起こしたとして知られる人物。

1975年から1979年までカンボジアを独裁者として支配し、その間は同国を恐怖へ陥れました。

完璧な農業社会を理想とし、そのためにも都市部に住む人々を農場へ強制的に送り、また、知識層は理想とする農業社会には必要ないとして弾圧されたのです。

さらに、時が経過すると共に弾圧の対象は拡がり、農業従事者であっても疑いの目で見られ、個人の自由はとことん制限されていくことになりました。

このような政治体制の中、約200万人が殺害され、その規模は当時のカンボジアの1/4にもなったのです。

独裁者12:金日成

(出典:wikipedia

北朝鮮を建国した人物であり、同国においては初代最高指導者となった金日成は、病的かつ妄想的なまでに、権力と欺瞞を利用して国を支配した独裁者でした。

自らに権力の全てが集中する政治体制を築き上げ、また、反対派に対しては徹底的に粛清するなどし、恐怖政治を敷いて独裁体制を確立。

世論を操作する上で、アメリカが北朝鮮を苦しめるために田園地帯へ伝染病をばら撒いたといったニュースを広めた時には、その信ぴょう性を高めて国民を納得させるために、およそ150万人近い自国民を殺害したとも言われます。

独裁者13:金正日

(出典:wikipedia

金正日は北朝鮮を建国した金日成の長男で、父の死後、北朝鮮における最高指導者の地位を継承した人物。

金日成下ですでに独裁体制になていた政権を継承したことで、引き続き同国の独裁者として君臨。

その政権下では、反共産主義と疑いを持たれた数多くの人々が逮捕されて強制労働をさせられたり、食糧難が起こった結果、数十万〜数百万人の人々が飢餓で飢えて命を落としてしまいました。

独裁者14:金正恩

金正日の死後に最高指導者の地位を継承したのが金正恩。

2011年の12月に最高指導者になってからというもの、体制を固めるためにも恐怖政治を敷くことになり、2015年までにおよそ70名前後の側近が粛清されたと言われています。

また、若さのためか、衝動的に指示を出すことが多く、怒らせると何をしでかすか分からない点も、同国内で恐れられている理由の一つと言えます。

独裁者15:サッダーム・フセイン

サッダーム・フセインは、1979年から2003年までイラクの独裁者として君臨し、数々の武力衝突を引き起こしたことで知られる悪名高き人物。

同国に住んでいたイスラム教徒シーア派(※フセインはスンニ派)や、クルド人、シャバク人、アッシリア人、マンダ人など、自身の統治に反発した人間を大量に虐殺し、イランやクウェートと何度も戦争を繰り広げ、その犠牲者の数は死者は総計で約200万人に及ぶとも言われます。

非常に強力な独裁体制を敷き、秘密警察の活用や化学兵器の使用などを行い、反対分子は徹底的に潰していったのです。

独裁者16:バッシャール・アル=アサド

バッシャール・アル=アサドは、2000年からシリアの大統領として権力の座につく独裁者。

大統領に就任する前には、シリア政府の腐敗を一掃して同国内の各分野の改革を訴えるなど、市民の為に活躍することが期待されましたが、前シリア大統領の父からその座を継承すると、自らの権力を守ることに固執する「独裁者の顔」を見せ始めました。

そして、2010年の冬にチュニジアから始まったアラブの春がシリアへ飛び火してきた際には、武力を使ってその鎮圧を企て、多数の死傷者を出すなどしています。

独裁者17:ムアンマル・アル=カッザーフィー

自らを「アフリカの王たちの王」と称し、「カダフィ大佐」としても知られていた、リビアの元最高指導者であるムアンマル・アル=カッザーフィーは、1969年から2011年に反武装勢力によって追い出されるまで、長期に独裁者として君臨した歴史上の人物。

政権が崩壊した後、カダフィ自身は反武装勢力に殺害されてその生涯を閉じましたが、後に判明した国外資産は15兆円規模にも上ると言われ、その独裁者ぶりが伺えます。

独裁者18:レオポルド2世

第2代ベルギー国王として1865年から1909年まで在位したレオポルド2世は、非常に残酷な行為を多くのコンゴ人に対して働いたことで知られる独裁者。

ヨーロッパの植民地時代において、ヨーロッパ列強各国の支配が及んでいないコンゴを事実上の植民地とし、そして「コンゴ自由国」という名前を冠した「自分個人の所有地」とした結果、約3000万人と推定されるコンゴ自由国の人口全てを実質的な奴隷にしました

レオポルド2世にとって、当時のコンゴ人たちはただの所有物であり、非常に残虐な行為や多くの殺害、さらに、超過酷な圧政が行われたとされます。

その中には、手首切断などの行為が含まれていました。

結果として、この独裁者の下、10年も掛からずして2000万人以上の人間、人口比で言うと70%近くの人々が命を失ったと言われています。

独裁者19:アドルフ・ヒトラー

おそらく大抵の人が知っているであろう歴史上の独裁者と言えば、ナチスドイツを率いたアドルフ・ヒトラー。

世界史の中でこれほどまでに有名な独裁者はいないと言えるほどで、ユダヤ人やロマ人、それ以外にも身体障害者や体が弱い人間などに対して行った組織的なジェノサイド「ホロコースト」では、およそ600万人の人々が犠牲になったと言われます。

1933年に当時の首相に指名されてから、たったの一年足らずで独裁的な指導体制を整え、第二次世界大戦が始まってからは占領先の国にも独裁・恐怖政治を敷き、ヨーロッパを震え上がらせました。

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世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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