イギリスの城一覧|世界遺産や王室に利用される古城など20選!

イギリスのお城を一覧にして紹介していきます。世界遺産や王室に利用され続けている古城など、合計20のお城を見ていきましょう。

歴史の中で様々な王朝が興亡を繰り返してきたイギリスには、数多くのお城が建設されてきました。

世界遺産に登録されているものや、イギリス王室の保養所などとして利用されているもの、さらには荒廃して遺跡のようになってしまっているものなど様々です。

そんな、イギリスにある古城の中から20件をピックアップして、それぞれ簡単な歴史と共に一覧として紹介していこうと思います。

イギリスへ観光に行く際はもちろん、イギリス文化を感じたいといった場合にも是非訪れてみたい場所です。

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イギリスの城1:ロンドン塔(ロンドン)

ロンドン塔はノルマン・コンクエスト(ノルマンディー公ギヨーム2世によるイングランドの征服)の一環として、1066年の終わり頃に建設が開始され、その後のおよそ20年をかけて天守閣部分に当たるホワイト・タワーが建設されたことで現在の形に完成した中世の城塞。

新しい支配者によるロンドン征服の象徴となり、また、1100年から1952年まで監獄として使われていたことでも知られています。

一方でロンドン塔は、監獄としてだけでなく、兵器庫、宝物庫、動物園、公文書館、王立造幣局など、様々な用途で使われてきたこともあり、イギリスにとっては非常に重要な城の一つ。

また、現在は世界遺産(文化遺産)として登録されています。

イギリスの城2:ウインザー城(バークシャー)

ウインザー城もロンドン塔と同じように、ノルマン・コンクエストの一環として11世紀に建設されました。

このお城が建設された場所は、ロンドン周辺におけるノルマン人が征服した土地を維持するにあたっては要所であり、戦略的に重要なテムズ川の近くに建てられたのです。

また、ヘンリー1世以降、公邸として使われてきた場所としてイギリス王室にとって馴染みの深い城でもあり、現在のイギリス女王「エリザベス2世」も週末に訪れます。

そして、住居者がいる城としては世界最大で、その床面積はなんと約45,000㎡にもなるとされます。

イギリスの城3:ドーヴァー城(ケント)

ドーヴァー城が建つ土地は、古代から敵の侵入を防ぐために重要な場所でした。

そして、1160年代、同地にヘンリー2世が建設を始めたのがドーヴァー城で、城が完成して以降は王族が移動する際の一つの中継地として利用されていました。

また、近現代においては、ナポレオン戦争で防衛のためにドーヴァー城の下にトンネルが掘られたり、第二次世界大戦中は防空壕や秘密指令基地、そして冷戦下では地方自治体の核シェルターとして使われていたことがあります。

イギリスの城4:リーズ城(ケント)

ノルマン人の力を表すために、1119年に建設されたリーズ城は、湖に浮かぶ2つの島の間に位置しているお城。

1278年にはエドワード1世がリーズ城の支配権を握り、お金をかけて改修を行い、住居として使っていました。

また、1321年にはエドワード2世がリーズ城を所有。1327年にエドワード2世が亡くなった後には、王妃のイザベラ・オブ・フランスが住居として利用しました。

さらに1519年には、ヘンリー8世がキャサリン・オブ・アラゴン(ヘンリー8世の最初の王妃)のために改修を行いました。

このような歴史を持つため、リーズ城にはこれまで6人のイングランド王妃が暮らしてきており、「貴婦人の城」という異名を持ちます。

ちなみにリーズ城は、1974年以降一般公開されています。

イギリスの城5:カーナーヴォン城(グウィネズ)

ノルマン・コンクエストによってイングランドを征服したウィリアム1世の狙いは、次にウェールズに定められました。

そして、ウェールズを実行支配するために建設した3つの城のうちの一つがカーナーヴォン城。

元々のカーナーヴォン城は土と木材で出来ていましたが、1283年にイングランドがウェールズを征服した際、エドワード1世の指示で石造りに改修され、その際に町を囲む壁も建設された結果、城塞都市が出来上がったのです。

ちなみに、1969年にはチャールズ皇太子の戴冠式が行われ、1986年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。

イギリスの城6:エディンバラ城(スコットランド)

キャッスルロックと呼ばれる岩山の上に建てられたエディンバラ城からは、スコットランドの首都エディンバラが一望出来ます。

エディンバラ城の土地には鉄器時代から人が住み始めており、スコットランド王「デイヴィッド1世」の時代、12世紀前半にはすでに同地へ建っていたと考えられています。

そして、このデイヴィッド1世の統治時代から1603年の王位統一(一人の王がイングランド王位とスコットランド王位を兼ねることになった出来事)までは、公邸として使われていました。

一方で、1603年以降は監獄や要塞など、様々な用途で利用されてきた歴史を持ちます。

イギリスの城7:チャーク城(レクサム)

ウェールズのレクサムに、ロジャー・モーティマ・ド・チャークが1295年に建て始め、1310年に完成したのがチャーク城。

当時のイングランド王エドワード1世が、ウェールズ最後の諸侯を制圧する目的で建設されました。

そのため、このお城が建つ場所は戦略的な要所で、チャーク城は、ディー川とケイリオグ川の合流地点、チャークランドのマーチャー領地の中心であるケイリオグ渓谷を防衛するような機能を果たすようになっています。

このような理由から、ウェールズに対するかつてのイングランドの野心を誇示する城とさえ言えるかもしれません。

現在はナショナル・トラストの所有として管理されています。

イギリスの城8:ボディアム城(イースト・サセックス)

ボディアム城は、百年戦争の時代にフランスから南イングランドを守るために、かつてエドワード3世の騎士だったエドワード・ダリングリッジが1385年に建設したお城。

1641年には、王党派の支持者だったサネット卿が議会の罰金を払うために政府に城を売り、その後ボディアム城は廃墟になるまで放置されていました。

しかし、1829年にはジョン・フラーと呼ばれる人物によってボエィアム城が購入された結果、度重なる部分的な修復を通して改修されました。

そして1925年以降は、ナショナル・トラスト(歴史的建築物の保護を目的として英国において設立されたボランティア団体)によって所有されています。

イギリスの城9:ウォリック城(ウォリックシャー)

中世において戦略的に重要とされたウォリック城は、イングランド中部のエイヴォン川沿いに建てられている城。

同地には914年からアングロ・サクソン人による砦がありましたが、ノルマンコンクエストによってウィリアム1世の指示の下、1068年にウォリック城を木材で建設し、その後、ヘンリー2世の統治時代に石造りに改築されました。

また、フランスとの百年戦争時代においても、その戦略的重要性は変わらず、要塞として強化されて今のような姿になったのです。

ちなみに、1978年には民間企業に買収されているものの、イギリス政府によって第一級指定建築物として保護されています。

イギリスの城10:ケニルワース城(ウォリックシャー)

ケニルワース城は、1120年代に土と木材をベースに建てられたのが始まりで、その後、無政府状態の時期があったために改築が遅れたものの、ヘンリー2世の時代(1133年〜1189年)に要塞化されたと考えられています。

その後、シモン・ド・モンフォール(イングランドの議会制度の基礎を作り上げた人物として有名で、不当な権力に反抗する英雄と考えられている)が王に対して第2次バロン戦争を起こした1244年にケニルワース城は、シモン・ド・モンフォールの軍事作戦の拠点として使われ、約6ヶ月間、イギリス史上最長と言われる包囲戦が行われました。

イギリスの城11:ティンタジェル城(コーンウォール)

今は遺跡となってしまったティンタジェルの歴史は、ローマ帝国によるイギリス侵攻まで遡ります。

1233年にコーンウォール伯リチャード(イングランドの王族だが名目上のローマ王でもあった)によってティンタジェルに建てられました。

そして見晴らしの良い場所にあるこの城は、砦として適していたこともあり、国を守るために重要な拠点でもあったと言われます。

ちなみに、ティンタジェル城はコーンウォールの人の信頼を得るため、実際よりも古く見える様に造られたそうです。

イギリスの城12:カリスブルック城(ワイト島)

イングランド南方に浮かぶワイト島に建つのがカリスブルック城。

その起源は古代ローマ時代にまで遡り、古代ローマ人によって初期の形が形成されたのではないかと考えられています。

一方で、周りに城壁が建てられたのは、西暦1000年以降で、その目的はバイキングへの抵抗であり、現在の形に完成したのは12〜14世紀の間だとされています。

さらに、1597年には、当時存在していた建物の周りに新しい砦が建てられ、1649年に処刑されるまでチャールズ1世が投獄されていた場所としても知られています。

また、1896年から1944年までは、ヴィクトリア女王の娘ベアトリス王女が住んでいました。

イギリスの城13:アニック城(ノーサンバーランド)

ハリー・ポッターのロケ地になった事で有名なアニック城は、アルン川のほとりにあり、川を渡る重要な場所を守る、戦略的に優れた場所に建つ城。

アニック男爵イヴ・ド・ヴィシーよって1096年に建設が開始されました。

そして1136年にアニック城は、スコットランド王デイヴィッド1世の手に渡り、1309年には初代パーシー男爵ヘンリー・パーシーに購入され、スコットランドとイングランドの国境に建つ豪華な城になっていったのです。

さらに、19世紀には第4代ノーサンバーランド公爵が改修を行い、現在はノーサンバーランド公爵一族がアニック城を所有しています。

イギリスの城14:バンバラ城(ノーサンバーランド)

この場所には有史以前から砦があったとされますが、その後、戦略的に有利な場所であったこともあり、ノルマン人が11世紀に占領してそこにバンバラ城を築きました。

そしてヘンリー2世時代には、スコットランド人の襲撃に備えた前哨基地として使用され、百年戦争後に発生した薔薇戦争(封建諸侯による内乱)の中で1464年には長期間包囲され、砲撃によって破壊されたイングランド最初の城となりました。

現在は、イギリスの実業家で発明家「ウィリアム・アームストロング」に繋がるアームストロング家によって所有されています。

イギリスの城15:ダンスタンバラ城(ノーサンバーランド)

ダンスタンバラ城は、1313年から1322年の間にランカスター伯トーマスによって築かれたとされる城。

その後、薔薇戦争によって、ランカスター家とヨーク家の間で何度も所有者が変わり、16世紀には修復されずに放置され、1603年にスコットランドとイングランドの王家が統一されると、両国の境界線の防衛という役割はほぼなくなったこともあり、最終的には荒廃してしまいました。

現在は廃墟となっているものの、周囲をゴルフコースに囲まれていることもあり、美しい雰囲気を持つお城です。

イギリスの城16:ワークワース城(ノーサンバーランド)

ワークワース城はノルマン・コンクエストの過程で、ヘンリー二世がノーサンバーランドにある領地を守るために築いたもの。

その後、同じノーサンバーランドのアニック城も支配していた強力なパーシー家の居城となりました。

そして、1670年に最後のパーシー伯が死去すると、一時は城の所有権が他人に移りましたが、所有者であったヒュー・スミソンがパーシー家の相続者と結婚し、姓をパーシーと変えてノーサンバーランド公爵家を創設したことで城はパーシー家に戻りました。

その後、第8代ノーサンバーランド公爵が城の権利を1922年に国へ譲り、1984年からイングリッシュ・ヘリテッジが管理しています。

イギリスの城17:ビーストン城(チェシャー州)

現在は荒廃して遺跡の様になってしまっているビーストン城は、十字軍遠征から帰国したラヌルフ・ド・ブロンドヴィルによって1220年代に築かれたお城。

1237年にヘンリー三世の所有になり、建物の手入れも行き届いていましたが、16世紀に戦略的な利点はないと判断されて以降、あまり手が掛けられなくなっていき、18世紀には採石場として使われるまでになってしまいました。

しかし、それでも現在はイングリッシュ・ヘリテッジよって、第一級指定建造物と指定遺跡に指定されています。

イギリスの城18:フラムリンガム城(サフォーク)

築かれた時期について正確なことは不明ですが、12世紀中頃にイングランド南東部のフラムリンガムに建設されたかもしれないと言われるのがフラムリンガム城。

ノルマン貴族のヒュー・ビゴッド、または、それ以前に同地を支配していたアングロ・サクソン人によって既に建設されていたと考えられています。

14世紀にはノーフォーク伯トーマス・ブラザートンに、1476年にはノーフォーク公ジョン・ハワードに贈られましたが、1572年に第四代ノーフォーク公トーマスがエリザベス一世によって反逆罪で処刑され、城は王家に返却されました。

現在はイングリッシュ・ヘリテッジの第一級指定建造物に指定されています。

イギリスの城19:ボルゾーバー城(ダービーシャー)

12世紀にぺヴリル家によって、ダービーシャー州のボルゾーバーに建設されたのがボルゾーバー城。

その後、第一次バロン戦争(1215〜1217年:イングランド王国における内戦)の際には、ヘンリー二世が資金を提供して要塞に改築されました。

城は1553年にジョージ・タルボット卿に購入されますが、1608年にチャールズ・キャベンディッシュ卿に売却され、そのキャベンディッシュ卿が資金を出して再建。

しかし、1883年以降は住む人がいなくなったこともあり、国へ納められ、現在はイングリッシュ・ヘリテッジが管理しています。

イギリスの城20:タターシャル城(リンカンシャー)

他のお城とはその外観がちょっと違い、またこじんまりとした佇まいが特徴的なタターシャル城は、元々、1231年にロバート・デ・タターシャルによって築かれた中世の城。

その後、イングランドの大蔵卿だった第三代クロムウェル卿ラルフによって城は拡張され、1430〜1450年にかけて煉瓦を使ってほぼ造り直し、現在のような姿に変わりました。

ちなみに、その際には煉瓦およそ70万個が使用され、中世のイングランドにおいて最大の煉瓦造り建築だと言われています。

また、1910年にはアメリカ人の買い手によって城がアメリカへ運び出せれそうになりましたが、それは阻止され、現在はショナル・トラストによって管理されています。

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イギリスの城一覧|世界遺産や王室に利用される古城など20選!のまとめ

イギリスにある20の古城を一覧として紹介してきました。

イギリスの文化を知るためにも、イギリスへ観光に行った際には是非訪れてみたい場所だと思います。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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